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『止まない雨がないように』
クレール・ディンセルフka0586

 いつの間にやら少々寝入っていたらしい。ついた頬杖から顎が滑り落ち、年季の入ったカウンターに強かに顔面を打ち付ける――なんてなる前に意識は覚醒し中途半端に動きを止める。まだ少し頭をぼうっとさせつつ取り敢えず口許を拭った。涎は出ていなかった為セーフと謎理論を展開し、顔を上げる。見慣れた店の中は何も変わりなく、うたた寝してしまった間、誰も来なかったことが窺えた。正しい意味での客は勿論招かれざる客のほうも、万が一入ってきたなら必ず気が付いた筈である。現役を退いて早十年かそれ以上か――根性込みのバイタリティーの高さには定評があったのに寄る年波には勝てない。しかしあくまでもそれはこれからを担う若い世代と比べてという話で、経験に基づいた直感や考察に関しては自分たち邪神戦争を経験した者に一日の長があるといえる。つまり、泥棒にむざむざと手ずから情熱を注いで作り上げた武具を渡しはしないと、そういうことである。ならば、何故そもそも営業時間中に寝入ったのかと、もし馴染みの記者に追及されたならこう返答するだろう。久しぶりに手が空き、安堵から気が緩んだ為だ。
 振り返り時計を確認し、閉店時間にはまだ早いと知る。しかし夕方頃から降り続く雨は勢いを衰えさせることもなく客足を遠ざけ、少し早いが店仕舞いして家族サービスをするのも悪くないかと考えた。思い立ったが吉日と、立ち上がり、店の入口に向かった。そこでふと何らかの気配を感じて、足を止める。
(泥棒? 軒先で雨宿り? うーん、怪しいかも……!)
 最悪を想定しておけば、仮にそれが現実になったときも冷静に対応出来るし、意外と大したことがなければ肩肘に入った力が抜け、本領を発揮し易いと、日頃口酸っぱく言っている言葉を思い出す。とはいえ結局は程度の問題なので匙加減が難しいところだが――抜き足差し足で近付きつつ、羽織っていたコートを細剣に展開。無音で扉を開け、今すぐにでも攻撃出来るように柄を握り締める。と、完全に殺したつもりの気配にかそれとも単純に視界に入っていたのか――店の軒先に佇んでいた青年が振り向いた。知った顔にぽかんと口を開いたが、無意識にも武装は不要だと理解し、剣を元の形状に戻す。気持ちを持て余して黙っていると、青年がお久しぶりですと言って深く頭を下げた。今は聞き慣れた師匠と呼ぶ声の懐かしさに、この店――ディンセルフ工房狩人店の店主であるクレール・ディンセルフ(ka0586)は急に涙腺が緩むのを感じ、それをぐっと堪え笑った。
「今日はもう店仕舞いだから入ってきていいよ。……私に何か話をしたいことがあるんでしょ?」
 雨音に掻き消されないよう、けれど決して厚かましくはないように――そう穏やかに問いかければ、青年は静かに瞠目し、やや強張っていた口許が緩む。一目見ただけで彼が何か悩んでいることは分かった。何故なら既視感を抱かせる眼差しをしていたからだ。それはかつてクレールがぶつかり、きっと他のハンターも直面した壁。このディンセルフ工房狩人店は邪神戦争後、新たに定められた制度により誕生したハンターが弟子として狩子を育成する為の場所でもあった。そして彼は最初期の、まだ口コミでしか人が集まらなかった頃の狩子。手を離れたとはいえ訪ねてくれて嬉しくないわけがなく、自分の手が届く範囲なら幾らでも手助けをしたいと思う。幸いにも今はそう出来るタイミングだ。背中を軽く叩く手を添えたままに彼を店に入るよう促す。僅かな不安は雨と共にひと気のない外に置き去りにした。

 戸締りをし飲み物を用意して戻ってくるもそこに彼の姿はなく、クレール手製の武具が並ぶ店内も、時間さえあれば篭っている工房も探したが人影もおらず、そして結果行き着いた教本で学んだ知識を活かす目的の実践的な施設である道場に青年が一人立っていた。彼の在籍当時と比べて中々に痛んだのは沢山の狩子が強く踏み締めたり汗水を流したからだ。きっと彼がそうであるように、クレールも過ぎた年月に深い感慨を抱いた。邪神戦争終結後、歪虚の数が激減したことにより多くのハンターが岐路に立たされ、それは自身も同じだった。魔法鍛治師としての向きもありつつも、ハンターの一人として受けた仕事も一つとして不真面目に接したことはないし、自らが戦い続ける選択も出来たと思う。ただクレールは自分のことをこう評価している。無力感と迷いを繰り返し経験した不完全なハンターだと。かつて弱かった自分にこそ教育者が向いているのかもしれないと、天啓のような閃きを得たらもう一直線。魔法鍛治師のノウハウと、まるで崖をよじ登るように成長していったハンターの経験を活かすにはこれしかないと頼れる伝手を辿り、何とか開業に持ち込めた。しかし売り込みは上手くいかず狩子候補が殆ど来なかった頃訪ねてきたのがこの青年だった。
「……ほら、まずはこれでも飲んで落ち着いて」
 屋根を叩く雨のせいか足音が聞こえなかったようで声を掛ければ驚いた様子の彼に片方のカップを突き出す。その中にはほかほか湯気が上がるミルクココアが淹れてある。渡してから薄暗い室内に電気をつけた。遠く霧に烟る向こうの埋め立て地にはリアルブルー由来のビルが並ぶ。世界を行き来するにあたって玄関口の役割を果たすこの街は急速に発展している最中だ。クレールたちは今まさに、激動の時代を歩んでいる。
 ほっと一息ついたところで青年が漸く口を開いた。最初に顔を見たときより落ち着いて見えるのは声の掛け方が良かったからだろうかなんて自惚れたくなる。勿論真剣に耳を傾け、時折相槌を打ち――そうして聞いた内容に舌先に苦味を感じ、クレールは眉根を寄せた。苦く感じるのは味ではなく気持ち。ハンターになって何年も経った青年が思わず足を止めたくなる出来事――多分そうだろうと思って同時に違っていてくれと願ったのは死。狩子制度導入後ハンターになった中で相当古株の彼が導いて立てた作戦は空回り失敗し、そしてその代償に人死にを出した。それは民間人の子供だったという。顔がぐしゃぐしゃに歪み、声は枯れて――しかし彼は必死に溢れ出そうになる何かを堪えようとしている。我が事のようにそう伝わってきて、クレールの師匠の矜持という何の役にも立たないものはすぐ決壊した。
「――……ッ!」
 名前を呼んで、訓練をつける際さながらに勢いよく迫った。驚き硬直するその身体に抱きつく。一年の修行期間を経て送り出した頃よりその筋肉は厚みを増していた。スキルで大抵なら治せる傷が見えないけれども全身に残っている。そんな気がした。しゃくりあげながらクレールは胸板を叩く。そして血を吐くように叫んだ。
「辛いって思ってるなら泣いてもいいの! 失敗を成功には出来ないけど、死んだ人間が生き返ることはないけど。……だからって泣くのが罪ってわけじゃないんだから!」
 一年間一緒に生活したとはいっても、何も失敗に躓くところまで似なくてよかったのにとそんなことを思う。溢れ出した感情は涙雨になって彼の胸へと染み込んでいった。そのうち頭上で呻き声が聞こえ始めた。後悔以外にない言葉――けれどいつしかそれは前を向く為のものに変わる。かつての自分がそうであったようにだ。
 やがて雨が上がり日差しが降り注ぐ。クレールが泣き止み、顔を上げたときに彼が浮かべていたのは優しくて力強い笑顔だった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
発想力が貧困過ぎて未来の状況について結構色々と
描写も被ってたりしますが前回とは別ベクトルでの
師匠らしいクレールさんが描けていたら嬉しいです。
状況的に改善されて歪虚の数も強さも激減していき、
ハンター側の環境も落ち着いてきっと大きな被害は
勿論、現場に彼らが駆けつけて死亡者が出るという
場合も相当少なくなったのではと考えはするものの、
読み違いや実力不足で被害を出してしまったときの
自責の念は邪神戦争時代のハンターと何ら変わりが
ないよなとそんなことを考えながら書いていました。
その際寄り添える存在は心強いと思います。
今回も本当にありがとうございました!
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2020年08月05日

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