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『始章』
アレスディア・ヴォルフリート8954

 アレスディア・ヴォルフリート(8954)は不殺の護り手として名を馳せるフリーランサーである。
 なぜそんな面倒なことをと問われれば、彼女は薄笑みをもって応えるだろう。
「贖うために」


 10回めの誕生日に母親がくれたものは、ヴォルフリート家の者が代々受け継いできたのだという古びたコインだった。
 彫り込まれた紋様は相当にすりきれてしまっていたが、かろうじて竜であることは知れる。しかもだ、先代の持ち主である母が言うには、大切なものを護りたいと願うことで不思議な力が顕現するのだという。……ちなみに、力を見た者はいないのだが、ともあれ。
 アレスディアは気にしなかった。それよりも一族の次を託されたことが誇らしくて、高らかに宣言したものだ。
『ヴォルフリートの家名にかけて、私がこの家と、ヴォルフリートがある世界のみんなを守る!』
 彼女は宣言を果たすべく、この日から勉学にも運動にも遊びにすら全力でかかるようになった。
 そのおかげか、わずか半年で町の同年代の中では頭ひとつ抜けた存在となり、年長者からも一目置かれるほどに成長する。
 ブルネットの髪先を弾ませ、いつも誰かのために駆ける彼女の後ろには、いつしか多くの仲間が従うようになり……誰もが信じて疑わなかったのだ。この町の次のリーダーは彼女で、自分たちはそれを支えていくのだと。
 しかし。


 なにを主張していたものか、どうしても思い出すことができない。憶えているのは都市迷彩の軍服をまとった男たちの塗料で塗り潰された黒い顔と、その肩に担がれた突撃銃や対戦車ミサイル砲ばかり。
 話し合いでの解決を試みた町長や識者たちは、その声音を銃の発射音で血肉ごと引き裂かれ、合挽肉へと成り果てた。
 子らを逃がそうと盾になった親たちはミサイルの爆炎で焼き尽くされ、年少者をかばった年長者もまた同じように存在を消失させられていく。
 仲間と共に子らを取りまとめ、町の外への逃走ルートを駆けるアレスディアは、震える手の内に握り締めたコインへ祈ったのだ。
 竜――悪魔でもいいから! 私にみんなを護る力をください!
 極度の恐怖と緊張で冷え切った掌よりなお冷たいコインは、彼女の必死に問いを返す。
 汝、なにをもて力に贖うや?
 きっとこれは幻聴。でも、四方から包囲を固めにかかった男たちの“におい”が濃さを増しゆく中、万一の可能性にすがるよりなくて、
 私の心臓でも魂でも、なんでも差し上げます! だから!! あいつらを殺せる力を――
 コインの竜は姿にふさわしいかすれた声音で応えた。其は贖いたり得ず。
 それきり黙り込んだコインにアレスディアが狂おしくわめきちらそうとした、そのとき。
 先導役を担っていた仲間が銃弾のシャワーで溶け崩れ、その後ろの子らもまた“ぐずぐず”に変えられる。
 まるで意味がないことを知りながら、アレスディアは眼前で立ちすくむ子らに覆い被さるよりなかった。
 あの弾雨はアレスディアを、かばった子らと共に容易くミンチに変えるだろう。それでも盾になったのは、結局のところひとりでも多くを生き延びさせることを考え抜く“手間”を放棄したからだ。
 だってしょうがないだろう! 私がどんなにがんばったところで、どうにもできないんだから!
 次の瞬間、彼女は引き倒され、背を突いた「熱い」にかき回されたあげく闇へ放り落とされた。
 大きなことばっかり言い張ってたくせに誰も護れなかった私は、こうやって死んでいくしかないんだ……

 あまりに熱くて目が醒めた。
 地獄の業火に焼かれているんだろうと思いながら、恐る恐る目を開けてみれば、そこは今にも燃え落ちようとしている家屋に挟まれた、逃走路の路地裏で。
 彼女は“ぐずぐず”に包まれて倒れていたらしい。そのおかげで迫る熱から護られていたわけだ。
 でも私、撃たれたはずじゃ?
 背中には確かに傷があったが、肉を抉るほどの深さではなく……あらためて周囲を確かめ、ようやく気づいた。彼女を引き倒した仲間たちが覆い被さって、護ってくれたのだと。
 どうにも言い様のない激情と感傷が胸の内に逆巻くが、今はとにかく、生き延びよう。町の皆によって繋がれた命を、自分の絶望程度で棄ててはならない。
『償わなければならないんだ……みんなに』
 このときの彼女は気づいていない。絶望が自らのブルネットから黒を削ぎ落とし、灰銀へ変えていたことに。


 それから数年のことを、アレスディアはけして語らない。話としておもしろいものではなかったし、思い出したいものでもなかったから。
 しかしその空白の先、再び世界へ踏み出した彼女は、護衛を主に引き受けるフリーランサーとなっていた。護りたかったものの代わり、誰かの護りたいという願いを果たす代行人にだ。
 護れなかったあの地に償うがため、護る。その思いひとつで世界を渡る彼女は、自らを鉄壁と化して依頼人を護る。
 細やかにして濃やかな仕事は、すぐに業界でも話題となったが……結果論に過ぎないことを、他ならぬ彼女自身が知っていた。
 私は護るという言葉に取り憑かれている。そして探しているのは護る相手ではなく、死に場所でしかない。
 子どものころに宣言した「護る」。自らが果たすどころか逆に周囲の皆に果たされてしまった誓いは、呪いとなって彼女を縛り付けていた。現状、敵対者を含めて誰ひとり死なせてはいないが、それはアレスディアが受動的な死を望んでいればこそ。
 あのときと同じだ。私はしかたないことなんだと言い訳しながら死へ逃げ込めるときを待ち望んでいる。

 そんな彼女に転機が訪れたのは、昨日と同じようにやり過ごすだけなのだろうと思っていたある日のことである。
 護衛業務の中、偶然が重なった結果、敵対者を追い詰めた。
 敵対者は怨恨から護衛対象を狙い続けてきたが、そのことに疲れ果ててもいて。だから口にしたのだ。自分を殺して、解放してくれと。
 私たちのようなものは、結局死ぬ以外に逃げ道はないんだな。皮肉な笑みを浮かべ、銃の引き金を引きかけたアレスディアだったが。
 逃がすは汝が贖いか?
 ポケットの底にしまい込んだままになっていたコインが。唐突に彼女へ問うたのだ。
『なにものにも救われなかったものを救うには、それしかない』
 強く返したアレスディアだったが、しかし。
 目先を救うは贖いならず。
 返り来た声音に彼女は苛立った。贖いとはつまり償いのことだろう。そんなものはこれまでさんざん重ねてきた。
 護るが汝の贖いならば、其は果てなく贖われねばならぬ。
『果てなく? それはいったい――』
 どういうことだとは、聞き返せなかった。コインが応えないことを、彼女はなぜか確信していたから。
 そして同時に、思ったのだ。
 果てなく護る? つまり、誰も彼もということか。弱者も敵も、それこそ今まで救われずにきたものの絶望すらも。
『……私もあなたも、死んで逃げるのは償いとはならないらしい』
 銃口を下げ、アレスディアは彼の手を取って引き上げる。
 まるでわけがわからぬままではあったが、この現状をどうにかするためにも、いつかコインへ問い返すにも、とにかく明日へ向かわなければならなかった。


 しばしの後、彼女は償うではなく、贖うことを心に誓って前へ踏み出していくこととなる。
 真の姿を顕わしたコインを共連れ、まっすぐ顔を上げて。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年08月07日

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