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『Bad road』
空月・王魔8916

「報酬は?」
 空月・王魔(8916)は眼帯で塞がれておらぬ左眼をまっすぐに向け、促した。
 彼女という存在そのものから漂い出す戦場の臭いは、ごく普通の兼業主婦である依頼主にとっては正気を脅かすほどのプレッシャーとなる。
 だからこそ王魔は必要以上に心を鎮め、感情を殺しているのだが……ご近所さんは彼女の家事手伝い姿をさんざん見ているので、実はまったく恐れていなかったりする。そうでなければこれほど気軽に頼み事はできない。
 果たして相手は、王魔の緊迫感を壊さぬよう真面目な顔をし、“報酬”を掲げてみせた。
「……報酬は充分。しかし、数が数だ。これはタフな任務になるな」


「となりの者と手を繋げ。大急ぎでだ」
 鋭く告げた王魔の耳を、わーぎゃーえいあい、音こそバラエティながらほぼ同じハイテンションで発せられた高い声が突き上げた。
 ここはとある保育園の門前で、応えた者たちは御年4つの保育園児、いわゆる年中さんたちだ。
 今日は年に一度、園で開催される“みんなでいっしょにお帰り会”の日であり、タイトル通りにみんなで歩いて家まで帰ることとなっていた。が、どうしても付き添いの保育士が確保できず、しかし子どもたちはやる気まんまんで……。
 小さくとも確かな成功体験を得ることは、彼らにとって大事なことだからな。
 いつもの装備の上、園から貸与されたパステルピンクのエプロンを装着した王魔はうなずき、子どもたちがとなりのお友だちと手を繋いだことを確かめた。
 言っても通じまいが、その相手が今日、おまえとツーマンセルを組むバディとなる。互いの死角をカバー、はできんか。それをさせるには相応の訓練が必要だ。くそっ、せめて準備期間が半月あれば!
「繋いだ手はしっかり握って離すな」
 王魔はハンドサインを出しかけた手で子どもたちを招き、「こっちへ来い」。出発を促した。

 一本道。王魔は二列縦隊をとらせた子どもたちの横に立ち、八方を警戒する。特に注意したいのは音なのだが……子どもたちの声は高く、でかい。脇道から跳び出してくるかもしれない不心得な車や暴れ犬猫へ対処するには、どうしても視覚に頼るよりない。しかし、それをするにはポジショニングを列の前方へ移すこととなり、後方の子らへの対処がおろそかとなろう。というか、早速なった。
「いちばん後ろのふたり、列から離れようとするな! 私はいつもおまえたちを見張っているからな!」
 ぎゃー。笑いながら列に並び直す最後尾のふたり。その声にあてられたかのようにそわそわしだす前列の子どもたちの様に、王魔は自身の失敗を知る。
 まずい。あいつらはこれを「私の目を盗んで逃げ出す遊び」だと認識してしまった!
 プロフェッショナルとして、仕事を完遂するため私がすべきことはなんだ?
 問うまでもない。己が力を形振り構わず尽くすことだ。
「アタンシオン!」
 サプレッサーを外したオートマチック拳銃、その銃口を空へ向けて一発撃ち、王魔は銃声と声音とで子どもたちの目を引っぱり寄せた。ちなみにアタンシオンは仏語の「注目」、その筋の外人部隊との繋がりがある彼女は、英語より仏語に馴染みが深いのだ。と、それはともあれ。
 彼女は子どもたちが呆然としている内に銃をしまい込んで。
「歌の時間だ。まずはおまえたちが好きな歌を全力で歌え。帰りを待つ家族に聞こえるように」
 そうして始まる合唱会だったが、意外にあっさり歌は尽きた。残念ながら彼らはテレビより、ネットに投稿された動画を好む世代だったのだ。
 しかたなく王魔は、軍事キャンプなどでおなじみのランニング・ソングを、それはもうソフトリーに翻訳して子どもに輪唱させたのだが……「パパママなかよしだーからポンと出てオギャー」レベルの、なかなかに凄まじい歌となった。
 揚々と行軍(ではないのだが)する子どもたちの謎ソングに行き当たってしまった近隣住民の心境は、あえて察しないこととしよう。

「少し休んでいくぞ。気温が高いからな。ちゃんと飲んでおくように」
 王魔は小休憩場である公園の木陰にて、子どもたちが全員そろっているか数え、バックパックから取り出した小振りな袋状の水筒を配った。今日は子どもたちにとっては結構な距離を歩くので、彼女がまとめて持っていたのだ。
 少し歩き疲れた――むしろ歌い疲れた――子どもたちは、王魔がナトリウムと糖分、香料を調整して作り上げたオレンジ風味のドリンクを吸い尽くしていく。
 問題は、ここからだな。
 王魔は子どもたちに気づかれぬようそっと距離を取り、目線を公衆トイレへ移した。
 水分を取って休めば当然、子どもたちはトイレに行きたくなる。しかしここのトイレには少々、厄介な敵がいるのだ。とはいえ時間帯によってはいないこともあるので、そうあることを祈りながら入口まで忍び寄り――
「残念ながら、いたか」
 王魔のうそぶきに低いうなり声を返したのは、丸々と膨れた鳩の群れ。理由は知らないが、トイレを使おうとする人々へ襲いかかっては追い回すというやさぐれた連中だ。
「できる限り穏便にすませたいんだがな」
 数秒で臨戦態勢を整えた鳩どもが、一斉に王魔へ飛びかかった。こちらに的を絞らせぬよう、高さもタイミングもばらばらにしているあたり、歴戦ぶりを感じさせるわけだが、しかし。
 王魔が淀みなく抜き撃ったものは、オートマチック拳銃だった。とはいえ先に抜いたあれではない。プラスチックのおもちゃである。
 撃ち出された弾は丸い豆。連射されたそれは鳩どもをトイレから遠ざける軌道を描き出していて。
 しかしながらただ一羽、豆につられず残ったボス鳩と対峙し、王魔は口の端をかすかに上げた。
「一発勝負だ」
 誘われるように踏み出したボスが、体勢を低く保ったまま突っ込んでくる。そのまま脛を突きに来るか――
「それで済ませるタマではないだろう?」
 足下から一気に跳ね、ボスは王魔の顔面を突き上げる。しかし、先に声をかけられた時点でもう、彼は自身の負けを察してしまった。
 案の定、きゅっと首根っこをつかまれたあげく抱え込まれたボス。はばらまかれた豆に夢中な部下どもが彼を助けに来る様子はない。
「トイレに行きたい者はいるか!? いるなら速く行けよ!」
 王魔の声に、子どもたちは安全なトイレへ駆け込んでいった。
「あとで豆をやる。今日はそれで手打ちとしてくれ」
 ささやきかけられたボスは、完敗を噛み締めつつ、ぽう。弱々しく応えるよりなかった。


「列を乱すな! 豆を喰らわすぞ!」
「あの猫は私の知り合いだ。撫でてもいいが、猫に許可をとってからにしろ」
「あの角の安全を確かめる! おまえたちは息を殺して着いてこい」
 実にいろいろありつつ、王魔は子どもたちを家まで送り届けていった。
 そして最後の最後、依頼主の元へ到達し、子どもと引き換えに報酬を手に入れる。
「確かに受け取った。今夜、早速試してみよう」
 それは一枚のレシピ。人生の大半を外国で過ごしてきた王魔にとっては馴染みのない、しかし夏にはうってつけの食材、豆腐の創作料理を記したものだった。
「まったくもって盲点だったな。そうか、崩すのか。それにこのおからというものの使いかただ」
 貸与されたエプロンを脱ぐことも忘れ、夕食の献立について考えつつスーパーへ急ぐ王魔であった。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年08月11日

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