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『その腕にある熱』
恭一ka2487)&ka1140

 少し霞がかったかのような紺が広がる夏の夜空の東に淡い茜が混じり始める。
 ひっそりとした空気に小川の潺。水にそよぐ水草の間に間に寝る小さな魚たち。
 夜から朝へと切り替わるほんの少しの間……。
 志鷹 恭一(ka2487)は隣で寝ている妻を起こさぬよう視線だけ窓へと向けた。
 ほんのりと白んだカーテン向こう側。
 昼間は耳を澄ませねば聞こえぬ小川の音が耳に届く。
 以前の自分ならばまずは武器を手に取っただろう。
 浅い眠りに僅かな殺気も見落とせない日々。
 最近は目覚めてまず思うのは天気とかそんなことばかり。
 ふ……と零す小さな吐息に重なるようにベッドのスプリングが軋んだ。
「おはよ……、恭……」
 妻の志鷹 都(ka1140)が眠そうに眼を擦った。
 母でもなく医者でもない自分だけが知っている顔。
 そっと触れた肩は寝起きの高めの体温を伝えてくる。
「夜明けまでまだある。もう少し寝ていたらだどうだ?」
 朝から賑やかな子供たちも今は都の実家だ。
 都の両親が二人で過ごす時間を、と子供たちを預かってくれた。
「ん……」
 しばらく眠たげだった都が突然のそりと起き上がる。
「そうだ、散歩にいこう」
 打って変わったはっきりとした声。
 都は自分とは別の意味で寝起きが良いと恭一は思う。それは健やかな切替の速さだ。

 橙から茜から白、薄紫、紫……紺……夜明け少し前の空に広がる色。
 家の近くを流れる小川を遡り森のほうへと足を延ばす。
 人間よりうんと朝が早い森もまだ眠っているかのように静かだ。
 昼間のうだるような暑さもまだなりを潜めている。
 夜のうちに露に濡れた草の柔らかい感触。
「くすぐったい……」
 素足にサンダルの都は片足をあげる。
「では私が姫をお運びしましょうか?」
 腕を胸の前に、恭一が恭しく頭を下げた。
 ひそやかに森から川原に流れてくる朝靄が都と恭一の足元を包んでいく。
 子供たちが見たらきっと笑うよ、と竦めかけた肩が強張った。
 恭一が靄に飲み込まれてしまいそうな――忘れようとしていた不安が都のなかで首をもたげ咄嗟に手を伸ばす。
「折角の散歩だもの、歩かないと勿体ないよ」
 ね、と不安を悟られないように腕を絡ませた。
「もう少しすると大きな流星群が来るな」
「うん、子供たちが流れ星をみるって張り切っていたよ」
 願い事のために早口言葉練習していた姿を思い出し笑みが込み上げてくる。
「流れ星の欠片――を探しに来ようか。夜中に二人でこっそり抜け出して」
 子供たちには内緒で、と恭一が人差し指を口元の前に立てた。
「真夜中の冒険、楽しそうだね」
 実際に小さな子を置いていくことはできないのは互いに分かっている。
 でも今日くらいはいいよね、と顔を見合わせて目を細めた。
「少し遠回りをして帰らないか」
 市場によっていこうと恭一。
「偶にはゆっくり朝食を摂ってもバチは当たらないだろう?」
「贅沢してデザートもつけちゃおうか」
「冷たいスープもいいな」
「朝は温かいものをお腹にいれたほうがいいんだけど……」
 一応医療に携わる者としての言、でもすぐにふふっと肩を震わせる。
「今日は、思う存分好きなことする日にしよう」
 胸を張る都に恭一は瞬きをしてから「お手柔らかに頼む」と口元を緩めた。
 朝靄の中、キジバトが朝の到来を告げる。

 市場で買ってきた野菜や果物をキッチンに並べる。
 医者として多忙な都にとって一緒に食事の準備をしたり片づけたり、休日にはお菓子を作ったり……キッチンは家族との大切な交流の場だ。
 棚や食器類、調理器具、皆が好きだというものを揃えたり、心地よく過すための拘りが詰まっている。
 そば粉で作ったクレープの上に厚手に切ったベーコンを敷いて、買ってきたばかりの新鮮な卵を落とし、チーズを乗せる……。
 今、都がガレットを焼いているフライパンもそう。
 子供たちが時折パンケーキなどを自分で焼きたがるから少し軽めのものにした。
「あ……。全くコロコロ転がって敵わないな……」
「先に潰してから裏ごししたほうがやりやすいかも」
 冷製スープ用の茹でた枝豆にぼやく恭一に豆を包んで潰すための真新しい手拭いを渡す。
 作業の分担は自然と……。
 レースのカーテン越しに射し込んだ木漏れ日が躍るテーブルには、そば粉のガレット、冷たい枝豆のスープ、朝採り野菜のサラダ、炭酸で割った果汁……二人で作った朝食が並んだ。
「……厚切りベーコンか」
 フォークに刺したベーコンを恭一は口に運ぶ。
 都はピンとくるものがあった。
「あの本を読んだ?」
 幼い頃の長男、そして今は次男が大好きな物語。大泥棒だった男がレストランを開く。そこのメニューにある分厚いベーコンを使った料理がとても美味しそうなのだ。
「骨付き塊肉と並ぶ男の浪漫……だそうだ」
 と、もう一つ頬張った。
「それにしても……」
 都は笑み混じりの呼気を吐く。
「ん?」
「久しぶりの二人の時間なのに、気付くと子供の話ばかりしているなあって」
 それが嫌というわけではない。寧ろ楽しくもある。
「……それは――」
 風が吹き、ふわりとレースのカーテンが揺れて互いを隠す。

 チリン……チリ……ン

 都の第二の故郷の夏祭りで買った風鈴の音。
 ふいに恭一が外――枝を広げる木々の上に広がる真っ青な空へと視線を向けた。
 遠くに行った人へ想いを届ける風鈴……。
 彼は今何を思っているのだろうか。
 ふくらんだカーテンがゆっくりと戻る。
「……俺たちにとってそれが当たり前の日常だからな」
 空を見つめる恭一の双眸はとても柔らかい。
「うん……」
 都は目を細める。この穏やかな日々を「当たり前」の「日常」だと恭一の口からでたことへの喜びで。

 朝食の後片付けは二人で、掃除は都、洗濯は恭一がそれぞれ行う。
 庭へと続く掃き出し口の近くに並べたクッションで暫しの休憩。
 囀る小鳥の声を聞きながら風に吹かれる。
「翡翠か……」
 庭の木から飛び立つ綺麗な青い羽。
 小川へ遊びにいったのであろう。
「何もしないで過ごすのってすごい贅沢だよね……」
 恭一の肩に都が頭を乗せた。
 擦れあう葉の涼やかな音。時折控えめに鳴る風鈴。
 肩に感じる重み。
 確かにこうして何もせずにいるのも悪くないな……と恭一は自然と欠伸を漏らした。

 簡単な昼食の後、恭一が少し体を動かしておくかと、庭の草を刈り始める。
 麦わら帽子に首元に巻いた汗止めの手拭い――恭一のそうした格好も最近では違和感がなくなってきたと都は思う。
 当然都も帽子に軍手を装備し参戦。
「日に焼けないか?」
「夏だもの」
 とは言ったものの……。
「鼻の頭赤くなってる……」
 鏡台の前で都はちょんと鼻を触った。
 夜は恭一が予約してくれたちょっと大人な雰囲気のレストランへ。
 そのために美しいラインを描くシンプルな黒のワンピースを用意したのだが。
 昼間の草刈りで少しだけ日に焼けた鼻の頭。
 パウダーを叩いても、うっすら赤くみえる気がする。
「……」
 自分が思うほど他人は気にしない、気にしないと呪文のように言い聞かせた。
 リビングで待つ恭一が都に気付いて振り返る。
 夏用のジャケットに白いシャツ。タイは結ばず襟元を少しだけ開けている。
 七分袖のジャケットから覗く手首には都が贈ったモルダバイトのブレスレット。
 改めて格好いいなと思っていると「どうした?」と声を掛けられた。
「恭はどんな格好をしても似合っているな……って」
 素直な気持ちを伝えると「都もいつも綺麗だ」と真面目な表情。
「……鼻の頭、赤くない? 日に焼けて……」
 咄嗟に出た照れ隠しの返事は鼻に軽い口づけ。
「……ッ!」
「じゃあ、行こうか」
 シレっと差し出された手。
「……ちゃんとエスコートしてね」
「勿論」
「笑ってない?」
「いーや、全く」
 抗議の代わりに重ねた手をぎゅっと引っ張った。

 川沿いの緑に囲まれた隠れ家のようなレストラン。
 川に面したテーブルで蝋燭が揺れる。
 ホールに流れる静かな曲はバンドの生演奏。
「……どうしようか?」
 都がグラスを手に首を傾げた。
 今日は特別な日、というわけではない。

 でも――……

 恭一は少し考えてから……
「都の日焼けに……」
 とグラスを掲げた。

 少しだけ特別なこの夜が……

「もう、恭ったら」

 彼女にとって――

「乾杯」

 ……後にかけがえのない思い出となりますように

 そう願いながら恭一はグラスを合わせた。
 たとえ自分が……
「蛍の時期もよさそうだね」
 川の中に灯された明りへと視線を向ける都を恭一は見つめる。
「また来ればいいさ」
「一緒に?」
「……あぁ」
 少し間の理由は敢えて考えないようにした。

 帰宅後、風呂を上がった恭一は夫婦の寝室へと向かう。
「医学書……かな?」
 窓際で本を開いている都の手元を覗き込む。
「んー歴史の本かな? 医療に統計学を持ち込んだ女性のお話」
 もう寝ようか、などと言いながら恭一が窓に手を伸ばすと、私が――と都も立ち上がる。
 窓を閉めたのはリーチの差で恭一。
「ありが……」
 振り返った都と視線が重なる。
 隣家からは離れており、周囲は林に小川。
 今は子供たちもいない。
 驚くほどに静かな……。
 恭一が細い腰を抱き寄せ、都がその背に手を回す。まるで縋るように羽織っていたシャツの背が引っ張られた。
 名前を呼ぶのももどかしく唇を重ねる。
 漏れる声すらも惜しいとでもいうように深く。
 かつてはぎこちなかった抱擁も、今は当たり前のように背に腰に回される腕。
 スプリングを跳ねさせベッドに倒れ込んだ。
 白いシーツに広がる都の髪。
「……都――」
 どんな言葉もこの想いに足りない気がして恭一は都の手を取った。
 揃いの指輪のその瞳を思わせる緑の石にキスを一つ。
「恭?」
 自身を見上げる潤んだ緑の双眸に、体の奥に灯る激しい炎。
 指を絡め合い、首筋に顔をうずめる。
 少しだけ高い彼女の体温と己の体温が混ざり互いの境界がわからなくなる。
 狂おしいほどに都が欲しくなる。
 その髪の先から足先まで全て。いや声も涙も全て、全て、全て――。
 腕の中で彼女の熱が蠢くたびに、鼻にかかった声が漏れるたびに……。
 何より名前を呼ばれるたびに……。
 ただただ、この腕から放したくなくなる。
 このままずっと――……
 己の業故にできぬことを願ってしまう。
 額に汗で張り付いた髪をのけた。
 そして滲んだ涙をすくう。
「都……」
 ゆっくりと都の瞼があがり恭一をその瞳で捉えた。
「恭……」
 唇の動きだけで名を呼ばれる。
 頬に添えられた手。何度目かわからない口づけを交わす。

 少し硬めの恭一の指が都の唇に触れる。
 都はその指先が好きだった。
 いや……彼の体に残された傷跡一つ、一つ全てが愛しい。
 それは彼が歩んできた時間だから。
 そして哀しいとも思う。
 自分ではどうすることもできない彼の業を――……。
 だからせめて全て受け止めたい。

 だけど……。

 唇から動かぬ指先にじれたように軽く歯を立てた。

 彼は間もなくまた旅立つ。その業のために……。
 こうして触れ合うたびにもうこれが最後なのかもしれない――。
 覚悟をしているのに、不安になってしまう。一人の夜、涙をこぼしてしまいそうになるほどに。
 今だって声に出してしまいそうだ。
 だから代わりに願ってしまう。強請ってしまう。

 もっと触れて……
 もっと抱きしめて……

 無意識のうちにシーツを握りしめていた手を恭一が優しく包んでくれる。
 混じり合う熱。
 嬉しいと身体が心が震える。
 なのに……
 満たされているからこそ、その熱を喪うかもしれない心細さを強く感じてしまう。
 ふいに恭一の指が都の目じりを拭った。
「都……」
「恭……」
 大切な愛しい名を唇で刻み、その頬に手を添えた。
 私はずっと此処にいる。貴方と共に――そう想いを込めて……。

 目覚めたのは日が昇ってから。
 都は身体を起こすとそっと手を伸ばし、隣に寝ている恭一の呼吸を確認した。
 心配しすぎだよ、とわざと呆れてみせる。
 そしてベッドから抜け出そうとした都を恭一が抱き寄せた。
「もう少し……」
 小さく乞われ、都が頷く。
 恭一の熱、恭一の鼓動、都の熱、都の鼓動――今自分たちは互いにそれらを抱きしめ合っている。
 腕からそれがすり抜けないように。



━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃
━┛━┛━┛━┛
志鷹 恭一(ka2487)
志鷹 都(ka1140)


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼ありがとうございます、桐崎です。

お二人の時間いかがだったでしょうか?
この時代はまだ幸せ一辺倒ではないのだよなぁ、と思いながら
執筆したせいかところどころに不穏さがでてしまっているような気がします。

気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。
それでは失礼させて頂きます(礼)。

追伸:ぎりぎりまでせめてみました。

イベントノベル(パーティ) -
桐崎ふみお クリエイターズルームへ
ファナティックブラッド
2020年08月11日

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