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『Babyrousa 3 <宣戦布告・前編>』
白鳥・瑞科8402

 

 教会の告解室に1人の男が入った。
 狭い部屋の小窓の向こうに司祭が待機しているわけでもなく、また告解の言葉を促す者もなく。けれど男は大した問題でもない風に胸元で両手の指を絡め合わせると目を閉じ朗々と言葉を紡いだ。
「私は人を殺しました。そしてまた――、人を殺すでしょう。神に嫁ぎながら不貞を働く罪深き女を」
 司祭の代わりというわけではないが小窓のこちら側で惰眠を貪っていた女が虚ろから引き戻されたかのように部屋を飛び出した。
 白昼夢でも見ていたのかそこには、告解に訪れた男の姿は既になく、朝の礼拝にやってきた子らが司祭を囲んで何事かはしゃいでいるいつもの光景があるだけだった。



 ▼


 誰もいなくなった教会の祭壇の裏で白鳥瑞科(PC8402)は静かにその足を踏み下ろした。音もなく床板が外れ片手がかろうじて入るほどの小さな隙間が現れる。そこに右手を滑り込ませると程なく人1人がすっぽりと収まる程度の穴が開いた。
 瑞科が穴の中へひらりと飛び降りると、教会の床は何事もなかったかのように元の状態に戻り、一瞬闇と化した穴の中には明かりが灯った。
 眼前にある扉の脇にある指紋認証機は、先ほど右手を滑り込ませた時に瑞科が触れたものだ。それとは別の網膜認証のカメラを覗く。
 扉は空気が抜けるような音を伴って左右に開いた。薄暗い通路を奥へと進む。その先にあるのは東京の各所に点在する“教会”のセーフハウスの一つだ。
 どこか軽やかな足取りで通路を進むと任務の運び屋たるマスティフの待つ真っ白な壁に囲まれた何も置いていない部屋にたどり着いた。
「ごきげんよう」
 瑞科は部屋の隅でうずくまっているマスティフの大きな首にそっと抱きつくと首輪のチップを外してやった。すると彼はのっそり立ち上がり瑞科が入ってきたのとは別の扉を開いて通路の向こうへ消えていった。
「ご苦労様でした」
 瑞科は微笑ましげにその背を見送って部屋の中央に立った。床が開きコンソールパネルがせり上がる。そこにチップを差し込むと部屋の壁一面に映像が浮かび上がった。
 彼女が武装審問官として身を置く“教会”とは太古から存在し、人類に仇なす魑魅魍魎の類や組織を殲滅する秘密組織であり、彼女は教義に反するそれらの暗殺を担っていた。
 今回の任務についてのあらましが告げられる。
 ターゲットは怨霊。ど素人が迂闊に呼び出した霊を使役しきれず召還した本人が乗っ取られた事から端を発する。従来であれば一般のその手の組織や警察が対処すればいい程度の案件であり、人類に仇なすというほどの巨大な驚異でもなく、であれば“教会”が手を下すほどの事でもないように思われた。しかしこの怨霊の厄介なところは、取り込んだ人間の怨念を餌に次のターゲットを襲うという点にある。他人に殺したい程呪われ怨まれる人間などろくな生き方をしていないだろう、善良な市民に危害がないなら放っておけばいいとも思うが、だからこそやがて“教会”を怨む敵対組織に辿り着かないとも限らない。蛇の道は蛇というやつだ。
 逆恨み甚だしくもあるが、こればかりは如何ともし難く、人間を取り込む度に力を増すとあっては、未だ事態を把握できていない警察どもに悠長な捜査をさせ大きな火種とさせる理由もない。こちらで速やかに処理しておこうというのは当然の帰結であった。
 一方的に映像は終了しただの白い壁の部屋に戻った。琴美は何もない壁へ足を進めると手の平を壁に押し当てる。真っ白な壁に黒い筋が浮かび上がり四角形を形作るとその部分がせり出し彼女の装備が現れた。
 同時に出現したクリーニングボックスに着ていた何の変哲もない修道着を下着まで全て放り込む。
 窓のないセーフハウスとはいえ無防備にも生まれたままの姿を惜しげもなく晒し、瑞科は黒いラバースーツを手に取った。耐衝撃性能を誇るスーツであったがその真価を発揮する事が未だかつてない事を思うと見る者にとっては単に白皙を黒で覆うためのものでしかなく、残念そうな溜息がどこからともなく漏れ聞こえそうである。それでもストッキングのように極薄のスーツは、見事な陰影を伴って彼女のグラマラスな肢体を漏らさず浮かび上がらせた。腰から股の茂みを抜け、なだらかな台地を通り、二つの山間を抜け首の終着点まで繋がったジッパーを閉じる彼女の挑発的な仕草は世の男共の股間を貫いたかもしれなかったが、残念ながらこの光景を見られる幸せ者は存在しない。
 動きを確認するように上半身を軽く左右に回して、瑞科はソックスを取った。右足をあげ壁についてあげていく。肉感的な太股に食い込ませ空いた絶対領域にベルトを巻いた。そこに得物であるナイフの刃を確認しながら収納していく。左足も同様に。
 膝まであるロングブーツを履いて、ナイフの出し入れや動きに違和感がない事を確認すると、豊満な胸と我が儘に跳ねたヒップの間にある細い腰にコルセットを巻き付けた。特殊鋼が仕込まれた薄手のコルセットが、それを上下から挟む両者を際立たせ砂時計のようなシルエットを象らせている。
 濃艶な雰囲気を漂わせ最後に瑞科が纏うのはそれらとは真逆とも思しき禁欲的な修道着であったか。とはいえ、先ほどボックスに放り込んだものとは違う。見た目以上に機能性を織り込んだ特殊戦闘服だ。
 更に肩には純白のケープを羽織り、手にはロンググローブ、頭にヴェールをのせ、腰に得物を携える。
 それから小瓶を取った。今回の任務の為に用意された怨霊を祓うための聖水が入っている。瓶の中身を確認してベルトのポケットへ。
 そうして瑞科はいつものように胸元で指を絡めるように両手を合わせ祈るように目を閉じた。
 神にか。
 任務の成功を祈ってか。


 ▼


 都会の喧噪は逢魔が刻に赤く染まっていた。昼間の内に焼き付けられたアスファルトは熱気を放ち、湿度の高い風が肌に絡みつく。それらを眼下に見下ろしながらビルの屋上で瑞科はそれを探していた。
 ターゲット捕捉。“教会”の情報収集能力はいつも感嘆に値する。
 シンプルな白シャツにジーンズ。世間的にはイケメンに入る部類の端整な顔立ちの青年。生きているのか死んでいるのか。ただ血色は悪い。生きているなら厄介だし死んでいるなら面倒だ。
 彼は怨霊に操られているのか自らの意志によってか人気のない路地裏を歩く。一体誰に呪われ、そして今、何を呪い誰を殺しに行くというのだろう。
 知る由もなく知る必要もない。 
 瑞科は階を蹴って屋上から路地へ向けて飛んだ。彼女が落下速度を落とすために放った重力弾が青年の行く手に穴を穿つ。
 青年が足を止めた。
 瑞科は優雅に微笑み彼の前に降り立った。長くしなやかな足が伸びる。修道着のスカートの裾がスリットから上下に分かれ、風をはらんでゆっくりと閉じるのにそれほどかかるとは思えなかったが、青年には随分長く感じられたかもしれない。
 全てがスローモーションのように余すところなく彼女を見てしまう。それほど蠱惑的な色香を放って、瑞科は祈るように閉じていた目を開くと長い睫の下のどこか濡れたように見える目を青年に向けて妖艶に囁いた。
「ごきげんよう」

 ――そして、おやすみなさい。





 END


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ありがとうございました。
楽しんでいただければ幸いです。

東京怪談ノベル(シングル) -
斎藤晃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年08月17日

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