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『閉じ込められし竜の行く末は』
ファルス・ティレイラ3733

「行ってらっしゃい、お姉さま!」
 そう言いファルス・ティレイラ(3733)が手を振れば、既に雑踏の奥に消えつつある背中が振り返った。何かの言葉を返すでも手を振り返すでもなくただじっと視線が注がれ、すぐに逸らすと長髪を翻してまた、向かおうとしていた方向に歩き出す。あっという間にその姿は見えなくなって、ティレイラはゆっくりと腕を下ろして小さく息をつくと真後ろにあった扉をくぐり、店の中に入っていく。整然と商品が並ぶ店内は先程までは彼女と一緒にいたからなのか、妙に広く感じた。
「……お仕事だもん、仕方がないよね」
 呟いた声は自分のものながらいかにも元気がなく、子供だなあ、なんて一つ苦笑いをして、気持ちを切り替えると徐に袖捲りする――といいたいところだったが、夏も盛りの今日この頃はノースリーブの服を纏っているので、代わりに拳を握り締めた。店の営業時間中に急な用事が出来て出掛けていった師匠の為にも留守番という、重要な役目を果たさなければ。そう思ってティレイラは大股にのしのしと歩き、棚も多いので完璧ではないが店の全貌を見渡せる所にあるカウンターに行くと腰を下ろした。ぐでんと軟体動物のように目の前のテーブルに両腕を伸ばし、間に頭を預けてティレイラは顔を上げると、視線を左右に動かして様子を窺う。この奇行を気に留める者はいない。というより客は誰一人いなかった。
「暇だなあ……そうだ、ついでにお片付けでもしちゃおう! そうしたらお姉さまも喜んでくれるよね!」
 がたっと音を立てて、急に立ち上がると、ティレイラは自ら閃いた名案に目を光輝かせた。思い立ったが吉日といわんばかりに、早速店の奥の住居部分に一旦引っ込んで、箒とはたきを取るといそいそと戻ってくる。実姉のように慕いまた魔法の師として指南を仰ぐこの店――魔法薬屋店主である彼女は決して物臭な性分ではないのだが、自分の店舗で取り扱う商品を調合するだけでなく外の世界で大衆に知られずに使い続けられている魔法道具の類の修復を請け負うなど、先程も出掛けていったように、中々に多忙な身。誰にでも出来る雑用はティレイラが率先し行うようにと強く心掛けていた。
 働き蜂のようにてきぱき作業しつつ店内をあちこちと動き回る。棚の埃を落とし、見た目には分かり難いが汚れているであろう床は箒で掃いた。棚のてっぺんや天井の高さの観葉植物まで、人の目がないのをいいことに人の姿のままこっそりと生やした翼でばさばさと飛びつつ一つ一つは雑だが、凡そのものは見て回りもしておく。そうして冷房が効いている中でも、労働の汗を掻く程に満足のいく出来に仕上がるも相変わらず客は来ず、また暇な時間が戻ってくるのだが、そこで諦めるティレイラではなかった。師はあらゆる魔法に精通している為、物盗りが現れても独りでにどうにか出来るように防犯システムが組んである。住居部分に来客を教える手段もあり、ちょっとくらいなら席を外しても何とかなるのだ。確か調合に使っている部屋にゴミが溜まっていると言っていた筈だからと、掃除用具は定位置に戻し、今度はゴミ袋を持ってそちらへと向かった。
「うわあ……! すごいっ」
 部屋に入るなりそんな声が思わず口を衝いて出てくる。それは子供が誰かに連れられて秘密基地にやってきたかのような、そんな無邪気な興奮に満ちた声だった。色々と見たい誘惑に駆られつつもそこはぐっと堪え部屋の一角に纏めて置いてある残骸に向かい床に腰を下ろすと早速ゴミ袋を広げ、無造作にぽいぽいとそれらを放り込む。手順だか何かを間違えて液体がぐにゃぐにゃに変質した謎のオブジェ、歪んでしまい使い物にならない瓶――それ以外にも普段師が趣味と実益を兼ねて取り扱っている魔法道具なんかもある。ただ師が不要と判断したなら無闇に触らないほうがいいだろうと、そう思ったのがフラグか、うっかり手中から滑り落ちた小瓶が床へと落ちて乾いた音を立て、その拍子に蓋が開く。あ、と思うのと、中から飛び出した何かが急激に膨らみ、ティレイラの眼前に影が差すのはほとんど同時。
「――えっ、何これ。どうなってるの〜!?」
 一切の反応を許さない事態に思考が追いつかない。気付けばティレイラの視界はフィルターを通したように白く染まっていて、それだけならばまだしも、肌という肌にべたべたと粘つく感触がする。不快感に思わず眉を顰めたのだが、それでどうにかなる筈もなく、とりあえず腕を動かしても伸ばせば感触も一緒に伸びていき、引っ込めればまるで同じに引っ込んだ。伸縮自在で表面積にぴったりとくっつくものと思い、浮かんだイメージは、ガムを膨らませて作った風船――一度そうと思えば目の前の部分を引き伸ばしたときの破れそうで破れない状態が概ね一緒に感じられた。焦りながらもこうなったらと、今度は得意の炎の魔法を使って強引に抉じ開けようと何とか精神を鎮めて、集中し呪文を唱える。
「――燃えて!」
 両手を斜め前に広げて、最大限空間を確保した上での発動だったが、炎は膜の表面を撫でただけで変化も見られなかった。二度三度魔力を消費し繰り返すも、やはり結果は同じである。他には満足に使える魔法もないしでティレイラは力任せというシンプルな手段を試すことにした。んんん、と唸りが零れる程力を込めると膜を指で掴んで、思いきり押したり引いたり爪を立てて引き裂こうとする。けれどそれすら体力を消耗していくだけだった。蒼褪めた顔でティレイラは首を振った。途端に髪に膜が張り付き身動きが取り難くなったが、同時に閃く。
「そうだ……それなら元の姿に戻ればいいんだ」
 ティレイラの本性は竜。いつもは人間に紛れる為にこの姿だが元に戻れば今の何倍もの膂力を発揮することが出来る。アイディアは折れかけたその心を奮い立たせて、恐怖に飲み込まれるまいと夢中で変身を解いた。途端にガム風船の中の質量が膨れ上がると膜は勢いよく弾け出す――なんてことにはならず、人一人分の大きさのガム風船がただ強引に引き伸ばされただけだった。だが力を入れたなら或いはと力一杯顔や翼や尻尾を突っ張り限界を迎えるのを期待する。なのにそうすればする程、余計に顔や身体にべったり膜が覆ってくるのだ。自身が考えうる限りの対抗策を持ち出したのに破れる気配はなく、ティレイラは焦った。
「この爪でっ!」
 やろうと思えば亀の甲羅も引き裂ける爪を鋭く立てて膜に突き立てるも、ぐにゃりとその衝撃を和らげ、力を入れる為に両肢を大きく動かしてみたが膜は水掻きのように爪の頂点にぴったりとくっついたままだ。また動きを更に阻害されてしまい、焦れったさにティレイラの唇から思わず声があがる。
「もう邪魔っ!」
 そのとき声を張るのに思わず顔を上げたのがよくなかった。突き出した口吻に膜が被さり、閉じようとすれば口内に入ってしまいそうで閉じるに閉じられなくなった。気が付けば手足の先に蝙蝠にも似た翼を支える指間膜の部分、尻尾に頭にと覆われていない部分が少ない。蝶の自分を捕食したい蜘蛛はいないが、生殺しの状況にティレイラは泣きべそをかいた。自力で解決出来ないのならば師匠が帰ってくるのを待つしかない。いつになるか分からないのにこのまま。
 ぐすぐすと鼻を鳴らしながらティレイラは一人情けない姿を晒して彼女の帰りを持つ。いつどうやって解放されたかはまた別の話――。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
今回は全然好奇心でちょっかいを出したでもなしに
不運にもトラブルに巻き込まれるティレイラさんを
書かせていただき、可哀想と思いつつも足掻く様を
ねっとり描写するのがまたとても楽しかったですね。
意識ありで動くことも出来るのに脱出出来ないのは
なかなかに恐ろしいシチュエーションなので恐怖を
想像すると早く助けられたらいいなと思うんですが、
でもお師匠さま的には一筋縄では行かせないよなと
勝手に物語の続きを妄想するのも楽しかったりして。
網で吊るし上げられる罠っぽさに防犯用のものかと
魔法の道具としての役割も色々と予想しちゃいます。
今回も本当にありがとうございました!
東京怪談ノベル(シングル) -
りや クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年08月19日

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