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『矛盾と化物』
剱・獅子吼8915

「知っての通り、私は素封家の嫡流にして末裔だよ? むしろ新もしくは真の字を冠にした素封家の初代と言うべきかな。なにせ私が目視してきた先代、先々代は、栄誉やら格式やらが大好物だった。だから私は素封家の王道を取り戻すべく、微力を尽くしてきたわけさ」
 ただでさえよく回る舌をトップギアで高速回転させる、剱・獅子吼(8915)。
 その向かいに座す少年はつまらない顔で、貴公が言うからには相当な微力であろうよと皮肉を返す。
 ちなみにここは、獅子吼がオフィスだと公言する喫茶店で、全席喫煙可能なことから未成年は立ち入りが禁止されている。つまるところこの少年、見た目のままの年齢ではないということだ。

 それにしてもだ。次なる機を得たはよいが、斯様な終焉を見ようとはな。
 口の端を曲げる少年に、獅子吼は無機質な目を向けて、
「剱の歴史はムダに長く、常に素封家だった。おかげで恨みを買いやすくて、あれこれ苦労もしてきたのさ。たとえば陰陽師と真剣勝負を演じたりね」
 いくつかの事件の中で獅子吼を追い立て、追い詰めてきた陰陽師がいる。それこそが目の前の少年だ。もちろん本当の姿ではなく、式神に自身を同調させただけの一種の依り代で、本体の居所は今なお獅子吼ですら掴めてはいない。
 しかしながら、まさに難敵と呼ぶよりない陰陽師が、依り代とはいえ殺し合いならぬ話し合いに応じているのは――獅子吼との戦いに敗北したからに他ならなかった。
 我を負かしたは先祖の知恵かよ。
「知恵というより、諦念だね。我が祖曰く、潜んだ陰陽師を探し出して殺すことは不可能。故にこそ雇用主に依頼を撤回させよ」
 先祖が全五巻を費やし書き連ねてくれた対陰陽師の極意こそがそれである。
 獅子吼の喪われた左腕に顕現する黒き剣は、あらゆる存在を斬る鋭さを備えてはいるが、かけられた呪の遙か先に潜む術者まで斬ることはかなわない。それに、人外と対してきた経験からそこそこ以上に目鼻が利く獅子吼であれ、手練れの陰陽師が本気で隠した姿を見つけ出すことは不可能だ。
 そこでやむなく……いや、少しでも面倒が減らせることに安堵しつつ、獅子吼は先祖の教えに従って陰陽師の雇用主を探したのである。幸い、彼女の死を願う者など親戚筋でしかありえないので、決めた覚悟の半分を消費したあたりで発見できた。あとはもう、いつものごとくに平和的お話合いをもってカタをつけ、親戚には主にプライド方面に深手を負っていただいたあげく、ご退場願ったわけだ。そして。
 結果的に雇用を解かれた陰陽師は自動的に敗北し、なんだかんだを経た今、獅子吼から提案された“手打ち”へ応じるべくここに在る。
「手打ちといえば酒だが、紙の体じゃいろいろ障るだろうしね」
 ひと吸いしたシガーを線香のように立てて少年の前へ押しやり、獅子吼は「せめてものお供えだ」と言い張った。
 それを白けた顔で聞き終えた少年はシガーの火を指で掴み消し、獅子吼の前に置かれていたアイスコーヒーを飲み干してみせる。
 ――我が私怨にて貴公へ迫るとは思わなんだか?
 確かにこの間合ならば、しかけようはいくらでもある。強い呪を使うには相応の仕込みが必要となるが、そもそもここに在るのは式神。しかも、火にも水にも侵されぬ様を見せつけているのだから、他の芸当もこなせたところで不思議はない。
 が、獅子吼はわずかにも揺らぐことなく、悠然と口を開いた。
「人間には二種類が存在する。自分のために生きるものと、誰かのために生きるものだ」
 少年は乗り出しかけた体を戻し、無言で先を促し。
 彼女は口の端を上げ、新しいシガーを指揮棒よろしく振り振り言葉を継ぐ。
「誰かのために生きると言っても、博愛やら自己犠牲やらの綺麗事じゃない。自分が習い修めた術を誰かのために尽くす者……すなわちプロフェッショナルという輩はね、どうしたって自分のためにはがんばれないものだよ」
 結論を待つ少年へ「だって」とだけ言っておいて、さらにシガーに火を点けてひと吸いして間を作り、獅子吼はようやく言い切った。
「自分は自分に、お気持ち以上の対価を支払えない」
 ふむ。笑えぬほど腑に落ちたわ。
 それはもう渋さの極みみたいな顔をして言う少年に、獅子吼もまたしたり顔をうなずかせてみせた。
「それを知り抜いた私は自身に対価を求める無粋はしない。すばらしい働きを求めるような無茶振りもだ。私が私に求めるものはただひとつ、健康寿命尽きるまで奔放に過ごし、脚が萎えたなら手厚い介護に支えられ、やがてベッドの上で自然死を迎えることさ」
 現代においてはすでにささやかとは言えなくなった、しかし金だけには恵まれた素封家ならではの強欲。包み隠す謙虚がないあたり、いかにも獅子吼らしいのだが。
 対価うんぬんはともあれ、為すもの持たぬ生が粋とは思えなんだがな。
 少年の言葉に獅子吼は浅いなぁとかぶりを振る。
「普通の人にとって労働は義務であるらしいが、私にとっては義理に過ぎない。私を置いておいてくれるこの世界へのね。そして義理は十二分に果たしたと思うんだ。だからもう、極力働かずに生きたい」
 両手を拡げて肩をすくめた獅子吼へ、少年はすっきりしない顔を向けた。
 斯様であるはずの貴公が、我を負かした後もいそいそ働いておるようだが。其の理由は?
 そう。獅子吼は今もなお、人外や怪異に脅かされた人々の刃として雇われ、働いているのだ。それは今、彼女自身が語ったこととはまるで矛盾しているではないか。
「私もまたプロフェッショナルだというだけのことさ。誰かのために剣を振るうのは――そうだね、うん」
 獅子吼は一度言葉を切り、形になりきれない言葉の欠片をひとつずつ縒り合せるように考え込んで、
「結局のところ、私は誰かがくれるお気持ちというものが好きなのかもしれない。いや、そうじゃないか。縁というか関わりというか……私は加わっていたいんだな。世界じゃなく、同じようにこの世界に在る誰かの中に」
 そして、初めて思い至った顔をうなずかせるのだ。
「実は私という女、超然としているようで実は意外と人恋しいのかもしれないね」
 己で超然を囀るかよ。少年は眉根を顰めたが、すぐに力を解いて苦笑した。
 他者との繋がりを求めることは、社会を形成する動物である人間にとっては当然だ。その当然を、この女はいちいち思い至らなければならないのだから、端から見るよりもいろいろと大変なのだろう。
「私のことはともかく。キミと殺り合うのはそれ以上を思いつかないくらい面倒そうだし、たまに近況を語り合える知り合いになれるとうれしいんだけど、どうかな?」
 諾。獅子吼の申し出を少年が受け入れてしまったのは、憐れみ故のことだったが、その憐れみは同病ゆえのものなのだろうと彼は思うのだ。
 互いに孤独をこじらせた末、このようなものと成り果てた。少年は“化物”に、獅子吼は“矛盾”に。
 ……過程はどうあれ不戦条約はここに成り、少年は獅子吼から取り上げたシガーで自らへ火を点けた。そして他のなにを燃やすこともなく、速やかに燃え落ちていく。
「次の機会を楽しみに待たせてもらうよ、陰陽師」
 空(くう)に舞う灰に語りかけ、獅子吼は取り戻したシガーをひと吸い、紫煙を吐き出した。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年08月21日

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