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『まあ、それだけの事』
神取 アウィンla3388)& 桃簾la0911

 ピピ……と電子音が鳴り響いて、アウィン・ノルデン(la3388)ははっと思考を止めた。
 目の前のタイマーが、セットした時間が経過したのだとけたたましく知らせている。片手でそれを止めながら立ち上がると、冷凍庫から容器を取り出して中身を確認した。キッチンに置き片手を添えると、ヒヤリとした感触。その、冷えた金属の容器に添う部分だけ固まった中身を、スプーンで剥がすようにして、均一になるように混ぜる。
 待機、から攪拌という動作に移って、中断された先ほどまでの思考はどうなるかと言えば、程なくして作業を続けながらの再開となった。かき混ぜ、状態を確かめ、均すという行為はむしろ今の頭の中の状況とよりリンクしたとも言えるし、何より目の前の物体はその思考の中心にいた人物をより想起させるものだ。
 何を作っているのか。
 時折に攪拌しながら、冷凍庫で冷やし固めて出来る食品、といえば、それだけである程度の者は思い浮かべるだろう、その、アイスクリームで間違いない。
 アイスクリームを見て誰の事を考えるか?
 ──これもまた最早、それだけである程度の者は思い浮かべるだろう。桃簾(la0911)の事で違いなかった。
 そんな彼女であるからして、贈り物をするといって何が良いかと言われれば、いくら考えても「アイス」以上に喜ばれるものなど出てきようも無い。
 かくして八月上旬の某日。彼女への誕生日プレゼントとして黙々とアイス作りに励むアウィンの姿があったのだった。

 カチリ、と金属の触れ合う音がしてアウィンははっと気を引き締める。
 あまりスプーンとボールを擦れ合わせてはいけない。金気が出てしまうだろう。料理に対してそこまで手際が良いというわけでは無い。だからこそ、出来るのはひたすら丁寧にやることだった。
 およそ30分置きごとに様子を見てかき混ぜる、というその手順──攪拌の必要は無い、とするレシピもあったが、この方が滑らかな舌触りになるという情報と、何より分量が大量の為ちゃんと均一に固まるのか不安になったためこちらを採用した──もだから、彼はきっちりとタイマーをセットして極力待機するようにしていた。片手間に、何かをやりながら待つ方が効率は良いのだろうが、これに関してはうっかりで機を過ごし、出来栄えに妥協をすることになるのを避けたかった。
 転移前、アウィンは領主家次男として父、兄を補佐する文官だった。その兄の婚姻相手である(最も、現時点では当人を前にするとつい、「まだ義姉でも義弟でもありません」と意地でも認めないのだが)桃簾もまた、目上として仕えるべき存在だ。
 そして、今となっては、彼女へと敬意を向ける理由はそれだけでは無くなっている。
 ──それだけではいけなかった、というわけでは……無いのだろうが。
 ある程度の攪拌を終えたアイスクリーム──の、なりかけだが。まだ──を冷凍庫へと戻しながら、ふと、己自身で思考に割り込みをかける。
 つまるところこの、攪拌する、待つ、というのを繰り返す工程は、とりとめのない思考を幾らでも促すものだった。またタイマーのスイッチを入れる、今はそのカウントダウンを眺めるばかりという時間において、それを遮る理由もなく。ぼんやりと、浮かんだ浮かぶ思索の尾を追い続けた。

 個人の感情など必要とせず、生まれながらにしてそういうものだと決まっているのだから従うのだ、ではいけないのか、と言えば、一概にそれを否定することもアウィンには出来なかった。
 それは、ほかならぬ桃簾自身が殉じようとしているもので。そこに悲愴は無く、むしろ彼女を堂々と誇らしくあるものにしている。
 この世界では前時代的と感じられるのかもしれないが、やはり『そういうもの』が『そういうもの』として在り続けているのは、そうであるからこそ保たれ、守り続けているものがあるからだ。急速にそれを変革しようとすればその拙速さに応じた反動が生じ、結局苦しむことになるのは、変化に対応できる余力を用意しておけない庶民たちからだ。彼女は決して思考停止してただ伝統に倣っているだけではない。正しくそれが民の為であると理解しているからこそ、なのだろう。
 それに。アウィンだって、彼女を敬い傅くのは、「そういうものと決まっている」ことから始まったのだ。その、「義務感による関係の縛り」が無ければ、今の己と彼女の関係は何か違っていただろうか。
「……」
 そのままふと思い出したのは、二月の海にウミウシを獲ってこいと命じられた時の事だった。
 目を閉じ、覚えた頭痛を揉み解そうというように眉間に指を添える。誤魔化しようもない深い皺の感触をそこに感じた。
 ……もしかして、深く関わり合いになるべきでないとあそこで距離を置いていたとしてもおかしくないのではないだろうかあれは。
 ああ、そうだ。思えばこの世界での初対面の時からだ。
『何者です、お前。わたくしの真名を知っているようですが』
 つい本名を言いかけた自分も不用意だったかもしれないが。
 それでも、あの時の、その問い、口止めの段取りよりも。衝撃が先でなければいけなかったのだろうか。
 腹への一撃、その後続けざま、己のすぐ真横を通り壁を殴りつけていった拳の勢いを思い出して、無意識に腹をさする。
 だが。そう。
 その第一印象で彼女を見限ることが出来てしまっていたなら、彼女の、そうした勢いの良さが持つ美点に気付くこともまた、無かっただろうか。
 そう──だからつまり。
 今は、アウィンが桃簾に敬意を払うのは、身分から生じる義務ばかりではない。まったく奇妙な気分だが、回想と共に蘇った疼痛こそが、それを自覚させるのだ。

 顔を上げて今いる場所の景色を再認識する。その広さ。目に入る物の数。内装。意識すれば幾らでも、自分一人の場所では無いという事実を見出すことが出来る。
 この場所のもう一人の住人とは、彼の恋人であり婚約者である。6月から、彼はここで彼女と一緒に暮らし始めた。
 アイスと言っても何を贈れば良いのか、ただ高級品、と言ってもそれは誕生日プレゼントとするに相応しい物なのか、様々なアイスを食べ舌も肥えているだろう桃簾に納得してもらえる物なのか……悩んでいた彼に、ならば世界で一つ、手作りしてみてはという助言を与えてくれたのもかの存在だった。
 頬が緩むのを自覚する。彼女の事に関するとアウィンの理知的な雰囲気も勤勉さもこうもあっさり形無しになる。そうして、どうしようもなく、認めるしか無くなるのだ。
 今はこの空間が、己のいるべき場所。
 これが、歩み始めた道。
 生まれ持った故郷と役割ではなく。新たな地で、自ら愛した者を伴侶に選び共に生きる。
 それは、アウィンの立場やこれまでの生き方、それにより最早強迫観念にもなりかけていた信念において中々下せる決断では無くて。
 分岐点に立つアウィンを、他でもない桃簾が蹴り飛ばしたのだ──己が決して手を伸ばせない形の幸せへと至る方へと向けて。
 蹴り飛ばしたというのはこの場合、物理的な意味ででもあった。記憶の推移と共に思い出し痛も腹から背へと移っていく。……だが、表情が歪むのは、痛みのせいではない。
 どんな想いで彼女は自分たちを眺めるのだろう、とは、どうしても思う。
 ……不必要な負い目は感じるなと、既に先んじて釘を刺されてはいるのだが。
 ──『故郷を捨てるのではなく、地球で生きることを選んだのだと、そこは思い間違えないようになさい』、と。
「だから、勝てないのだよな」
 苦笑は柔らかく、緩めた口の端から零れていった。

 タイマーが鳴る。また冷凍庫から取り出して混ぜる。
 とろりとした、溶けかけのアイスのような何か、であったものは、徐々に思い描いた形を成しつつあった。固まった部分とそうでない部分を均一にする作業にも、はっきりと手ごたえが生まれ始める。
 ──瞬間、アウィンに天啓が走った。
 この動作、この抵抗……──
(これは……新たな筋トレになるのでは!?)
 筋トレとは筋肉との邂逅だ。一定の場所に負荷をかけることで、一つの部位その筋肉の存在をはっきりと感じることが出来る。垂直に立てたスプーンを握りテーブルと水平に動かす、その動きは正に普段使わない部分の上腕筋との初めての出会いだった。
 ぐ、と固まったアイスを捲り上げながらスプーンを手前に寄せ、息を吸う。
 その息をゆっくりと吐きながら、手前から奥に向けてスプーンを動かす。
 程よく繰り返したら左右を入れ替える。
 中々良い。そう思った。
 ……まあつまり、今考えていたことなど、結局、とりとめもなく、詮も無いことなのだ。
 あっさりとこんなことに夢中になってどこかへと紛れていく程度には。
 深刻に考え、罪悪感を抱くなど烏滸がましいなどというのは分かっている。
 己の選んだ道こそが正しく、桃簾は不幸だなどと言うつもりなのか。
 婚儀のその日まで、顔も知らなかっただろう兄に嫁ぎに来たこと、それ自体への是非はともかくとして、個別、個人的な結果で見れば。
 ……気高く誇り高い彼女が、兄に嫁いでくれてよかったと、少なくともアウィンはそう思っているのだから。

 ──本人には絶対言わないが。



 当日。
「流石わたくしの義弟、よく分かっていますね」
「まだ義弟ではないと何度」
 桃簾のマンションにて、出来上がったプレゼントの受け渡しは、そんないつも通りのやり取りで始まった。
 やはりアイスという選択に間違いは無かったようで、「たくさん食べて下さい」と、明らかに一人で食べる分とは思えない容器にたっぷりと詰め込まれたその量にも完全に納得と満足の様子だった。
 分かってましたけどね、と言いたげなアウィンを前に、桃簾の興味はさっさと目の前のアイスへと移行していた。スプーンで一掬いすると、乳白色の中に混ざるピンクの粒をしげしげと眺める。
「ピンクペッパーと塩のアイスです」
 問われる前に先んじてアウィンは答えた。数あるレシピの中で、アウィンが選んだのはそれだった。何故かと言われると……。
「……何となく、姫のイメージな気がしまして」
 つまりそれがどういう意味なのかと更に聞かれれば、上手く言えはしないのだが。ともすれば迂闊な発言だったかもしれない、と、言ってから気が付いて反射的に衝撃に備える。
 ……が。
「甘い中にもほのかに感じる塩味と、時折刺激を感じるピンクペッパーが大人の味ですね」
 そのように解釈されたらしい。アイスを前に機嫌が良かったのかもしれないが、ともあれ、美味だと称賛を受けてアウィンは安堵する。
 勿論、殴られずに済んだ、ではなく、ちゃんと喜んでもらえる物が用意できたことに対して、だが。
 そんなアウィンの内心を知ってか知らずか、桃簾は嬉々としてスプーンを進めている。好物を前に幸せそうではあるが、その所作はあくまでも優雅だった。
「作る過程はどんな感じだったのですか?」
「……流石に初めてですし、失敗も出来なかったので冷凍庫は使いましたよ?」
「構いません。アイスが実際にどのように出来ていくのか、その実例報告が一つ増えるだけでも貴重な情報です」
「……」
 彼らの故郷には、冷凍庫も電気もない。希望があるとすればノルデン領の山では氷が採れることだ。常春のカロスにおいて、ノルデン領、のみは。
 まるで、彼女がここでアイスと出会い、嫁ぎ先がノルデンであったことが運命で結びついているとでもいうかのように。
 だからと言って決して容易に実現できる工程にはならないだろう。思いながら。
 それでも、彼女は諦めずに、きっといつかどうにかして見せるのだろうと、半ば確信も出来て。
 敬服の気持ちはしかし素直に表には出せず、立場が上の者に聞かれたから逆らわず、という態度で、思い出せる限りをなるべく子細丁寧に答えていく。
 時折疑問があれば桃簾が口を挟む形で会話が続いて。いつしか、近況などの雑談に移っていって。
 そんな時間が。
「良い誕生日となりました」
 最終的に、そうなったのであれば、祝った側としてはまあ良かった。そこに尽きるだろう。
 彼女の微笑に、今度こそアウィンはほっと胸を撫で下ろして……そして、己の胸もまた満たされていくのを感じた。
 ああ、良い日になった。良い日に出来たのか。
 そんな。
 アウィンが、地球で初めて祝う、桃簾の誕生日の事だった。
















━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
凪池です。ご発注有難うございます。
誕生日当日より大幅に遅れての納品となり申し訳ありません。楽しんでいただけたでしょうか。
いや筋トレっすよ。普段やらない人間が思い付きで菓子の手作りとかマジ筋トレです。ハンドミキサー使えば楽勝とか考えますやん? 意外と重くて腕怠いんですよあいつ。ましてその辺手動でやるとかもう修行ですね。以上、某輪っかフィット冒険が10か月かかってもクリアできない貧相人間の意見ですが。
そんな経験を踏まえて気付くと訳の分からんアドリブシーンが爆誕してしまいました。大変申し訳ありません。
改めまして、今回はご発注有難うございました。
イベントノベル(パーティ) -
凪池 シリル クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年08月24日

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