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『女神本業』
スノーフィア・スターフィルド8909

 憶えているだろうか?
 スノーフィア・スターフィルド(8909)と同じくスノーフィアの器を与えられ、この東京で同じように引きこもる“女神”たち――そのひとりが正月に送ってくれたメールを。
『本年は趣味の飲酒に限らず、本業においても気持ちを新たに取り組んでいく所存でございます』。
 さて。ここで質問というか疑問。
「女神の本業って、なんでしょう?」
 その答は、新たに届いたスノーフィアからのメールに書かれていた。


 ビジネスホテルの一室、ユニット式のバスタブの内へ立ったスノーフィアは、42度のシャワーをあびる。
 肌には染みもくすみも一切存在せず、ただなめらかに白い。あれだけ不健康且つ不健全な生活を重ねてきたとは思えない美しさだ。
 まあ、穢れだけはありませんし。
 基本引きこもりなので、それこそ穢れようというやつがないわけだが、それにしても。
 形なき湯が、彼女の肌に当たった瞬間玉となり、転がり落ちていく。それほどのきめ細かさが、この肌には備わっているのだ。
 思わず肌をなぞってしまった指先をあわてて引っ込めるスノーフィアだったが……もう一度、そっと触れてみる。ごめんなさい。あと少しだけ、スノーフィアを私に味わわせてください。

 火と風のエレメントを動力にしたSF(少し不思議)ドライヤーで丹念に髪を乾かしていくスノーフィア。土と水のエレメントが中心となって開発してくれたトリートメントパックで潤いを封じ込めた髪は、まさに白銀そのものを梳って造りあげたかのように艶めき、彼女の麗しき面を飾る。
 続いてメイクだが、こちらはひかえめに。あくまで素材を生かすよう薄く、線や色を置くこととした。やはりスノーフィアは華やかであるよりも淑やかにあるべきだろうから。

 こうして自分を磨き、整えたら、いよいよ装いだ。
「本当にこれを着るんですね……」
 ためらいはあったが、これもすべては本業を為すため。覚悟を決めるよりあるまい。
 よし、と気合を入れて、まずは手足用の装備――インナー的なものを装備じゃなくて装着。こちらは簡単につけられたが、問題はどこからどう着ればいいのか不明な胴体装備である。
「あ、ここは――っ、ちが、そうじゃ――あ、ああっ――装備用ウインドウが出ないんですがこれは――いや――くっ、殺しなさいそしたら死に戻りますからあああああ!!」
 十数分に及ぶゲーム脳全開な激戦の末、ようやく着終えたそれを、スノーフィアは荒い息を吐きながら姿見に映した。有様はともかく仕上がりは上々。彼女は満足げにうなずいて、
「行きましょうか……女神の本業を全うしに」


 ホテルから踏み出したそのときから、スノーフィアは自身の本業が全うされていることを感じ取る。いや、感じるまでもなく、周囲の人々がこちらをガン見しているので丸わかりだっただけだが。
 髪と瞳の色にそろえられた、銀のロングドレス。ボディラインをそのままになぞるミスリルシルクは、男性向け恋愛シミュレーションSRPG『英雄幻想戦記』の無印で名前だけ登場し、実質的なリメイク作である“8”でようやく実装。さらにヒロイン用装備を仕立てるにはダウンロードコンテンツを待たなければならなかった。
 この、正式名“淑銀の夜装”は、仕立ての中でも最高の技術レベルと大量の素材を必要とするもので、防御力はもちろん、回避力と移動力を大きく引き上げる効能を持つ。当然“私”も相当お世話になった。まさか自分が着ることになるとは夢にも思っていなかったけれども。
 ちなみにわざわざビジホでお着替えしたのは、さすがにこのぴったりした格好をご近所さんに見せつけられる自信が持てなかったから。
 それにしても歩きにくいです……なのに、速いんですけど。
 タイトにすぼまったスカートはスノーフィアの両脚を縛め、バランスを崩させるが……プラス修正された回避力は転倒を許さず、しかも移動力が先へと彼女を運んでいく。こちらに見惚れて立ち止まっている人々をすさまじいステップワークでやり過ごしながらだ。

 女神の本業は君臨すること。
 故にこそ、世界の人々へその存在を知らしめるのだ!

 と、神様的な存在から申しつけられたらしい他のスノーフィアたちは、定期連絡メール(彼女たち曰く、回覧板)でそれを確認し合い、仕事へ取りかかることを決めた。なにせこのミッションをクリアしないと配給カット、引きこもり生活が脅かされるからだ。
 ちなみにスノーフィアだけは神様からなにも言われていない。それでも連絡が来た体でいっしょに立ち上がったのは、同調圧力に屈したというか、いかにもな日本人気質による。
 でも、やるからには完璧にスノーフィア舞台を決めてみせますよ! ええ、ご近所さんの目もありませんからね!


 人々の注目を引きずりながら、スノーフィアはカフェのテラス席へ腰を下ろした。
 ストレッチ素材でもないはずなのにドレスが彼女の挙動に合わせてその形を変えるのは、ミスリルの魔力あってのことなのだろう。夏の熱に晒されているはずが、汗ひとつかかずに済んでいることもだ。
 さすが、「通気性と保温線、保湿性に優れ、さまざまな気候の中でも快適を保証。さらにあらゆる動作へ対応する」フレーバーテキストは伊達ではありませんね。実際はすごく歩きにくいですけど。
 一杯奢らせてほしいと申し出てきた外国人男性へかぶりを振り、スノーフィアは用意していたセリフを紡ぐ。
「ありがとうございます。でも、あなたの思いをいただいてしまったら、私はすべての方の思いを同じくいただかなければならなくなりますから」
 女神の博愛に、自らへ課した清廉を添え、たおやかに笑む。
 その笑みは刃だ。男の心を掻き斬る、淡いルージュに彩づく一閃――素に返ってはいけない。自分のセリフで悶え死ぬのは、やり抜いた後部屋へ戻ってからでいい。
 あ、女神経験値が少し入りました!
 女神的な振る舞いによるものか、これまでのスノーフィアには存在しなかったはずの女神ゲージが出現、経験値が加算されたのだ。
 女神はレベルを上げるために本業を果たすわけですね。なにができるようになるかはわかりませんけど。でも、そういうことなら!

 スノーフィアはカフェ、公園、ショッピングモール、そして駅前へと渡り、人々へ女神スマイルを振りまいた。
 その美しい衣装とそれに負けない美貌は多くの人々を惹きつけ、彼女へ向かわせる。それを超回避力でかわしていなし、言の葉を駆使してさらに深く、彼らの心を縛りつけるのだ。
 今の私、ものすごく女神してます!
 スノーフィアのような美人になれるようにと母親から託された幼女を抱っこし、彼女は人々が向けたスマホへ笑みを返す。
 が、なにかおかしくないだろうか? 相撲取りみたいなことをしているからじゃなく、なんというか今の彼女の行いすべてが。
 だってそうだろう。人をたぶらかしておいて触れさせず、もっとたぶらかして……私、スノーフィアをそんな小悪魔に育てたつもりはありませんよ!?
 幼女をそっと母親へ返し、スノーフィアは超移動力を駆使してその場を脱出した。もうじき我に返ってしまう。そうなれば自分の有様に悶え苦しみ、「きょー」とか奇声を発してのたうちまわるよりない。その前に――
「お酒でごまかして寝てしまわないと!」
 いい笑顔で言い切って、加速。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年08月26日

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