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『増殖の旅』
松本・太一8504

 松本・太一(8504)は、ごくり、と喉を鳴らした。
 目の前にいるのは、冴えない男性。童顔で細身なため、頼りなげに見えるその風貌は、実際の年齢よりも若く見られてしまう。眼鏡をかけた目は、時折しょぼしょぼとするのかよく目をぎゅっと結んでいる。
 “私”だ。
「ああ、傍から見るとあんななのですね。まあ、見慣れていると言えば見慣れているのですけれど、こうして他者の目として見ると、また一層不思議な感じがしますね」
 太一はそう言って、はあ、とため息をついた。
 見慣れている“私”ではあるものの、今現在の太一は様相が異なっている。
 胸には見慣れる大きな塊が二つ。しょぼしょぼしていない紫の瞳はきらきらと輝き、細くおれそうな手には長い爪に鮮やかなマニキュアが塗られており、そっと指をあてた唇はぷるんと柔らかい。
 宵闇の魔女としての、契約した魔女の姿だ。
「恥ずかしくなんてない、恥ずかしくなんてないんですよ」
 ぶつぶつと太一は呟く。
 今いる世界は、並行世界だ。“私”という魔女を増やし同調させることで、多様性の能力や効力などを強化することができるのだという。
 それが魔女として一皮めくれるための試練なのだと、先輩魔女から下されてしまったのだ。
「魔女を、増やす……」
 太一がいる世界では、すでに自分が契約して魔女となっている。増やすということはつまり、別世界の自分を魔女にしてしまうということだ。
「こちらの世界では、ちょっとしんどそうですね」
 太一はそう言って、部屋の中にいる“私”を見つめる。部屋の中央に置いてあるテーブルに、退職願と缶ビールが置いてある。ブラック会社に勤め、辞めたい辞めたいと思いながらずるずると勤め続け、缶ビールを煽っているうちに辛い気持ちでいっぱいになってきたようだ。
 我が事のように分かるのは、あれもまた自分だからだ。
 はあああ、と大きなため息を“私”がついている。缶ビールを握り締め、じっと退職願を見つめている。
 そうしていると、ぽつりと「死にたいです」と呟いた。
「……そんなに追い詰められているんですね。でも、大丈夫、大丈夫です。ありとあらゆる問題は、魔女の力で解決できるはずですから」
 太一はそう言いながら、ぐっとこぶしを握り締める。柔らかい女の手だ。
 そして、新たな力を与える手だ。
 太一は“私”に向かって、手を振りかざす。
「そーれ、若くてエロくてピチピチ美女な魔女になっておしまいなさい!」

――ぼんっ!


 軽い音がし、白い煙がもくもくと“私”の周りに立ち込める。煙は徐々に辺りへ拡散していき、徐々に中心にいた“私”の姿を現していく。
 胸についた大きな丸い塊、すらりとのびた細い両腕、さらさらと流れるような長い髪、きゅっと引き締まった腰、ぬめっとした蛇のような下半身。
 美しく、怪しく、艶やかなラミアだ……!
 ぎゃあああああ! という“私”の叫び声が聞こえる。さぞびっくりしていることだろう。
「分かります。なぜなら、私もそうだったからです」
 こくこくと太一はうなずく。
「ですが、これであなたも魔女となりました。その力で問題解決するといいですよ」
 太一の言葉が聞こえているのかいないのか、ラミアとなってしまった“私”が辺りをきょろきょろしているのが見えた。突如起こった変身に、どうしていいのか分からないようだ。
 太一は「うんうん」と頷きながら、改めてラミアとなった“私”を観察する。
「完璧です。完璧な魔女にできました」
 動揺しているのも、何を言っているのかわからないほど混乱しているのも、仕方がない事だ。自分だって、同じ現象が起きたら同じような行動をする。並行世界の自分なのだから、当然と言えば当然のことかもしれないけれども。
「ですが、私とあなたでは違うところがありました。そう、魔女になっているかどうかです。あなたが普通に会社勤めをしている間、私はなんやかんやしていたのです」
(そう、なんやかんや、色々と!)
 太一は思い返す。
 脳内に様々な思い出が浮かんでは消えていく。どれを思い返してみても、最終的には「よかった」と思えるものではあるけれど、辛く苦しく恥ずかしいものがいっぱいあった。
 いっぱいあった……!
「そんな、私だけエッチいなんて、許しません! さあさあ、共にエッチい魔女になってなんやかんやしようじゃありませんか! 共に、分かち合おうじゃないですか!」
 あっはっはっは、と太一は声高に笑う。
 ラミアになってしまった“私”が、はしたない姿の自分に気づき、顔を真っ赤にしてうずくまる。ようやく少し心が落ち着き、状況を少しずつ把握してきたのだろう。
「恥ずかしいですよね! 分かります、私もです!」
 半ば自棄になったかのように、太一は言う。
『随分楽しそうね』
 脳内で声が響く。魔女の声に、太一はぐっと現実に引き戻される。
「並行世界は……まだありますからね」
 太一がそう言うと、脳内の魔女が同意した。
 そう、まだまだ自分を増やすという試練は、始まったばかりなのだ。これが、記念すべき第一歩ともいえる。
「次、行きましょうか。次の私も、エロくてピチピチ美女な魔女にしちゃわないといけませんからね。そうしたら、私だけじゃなくなりますからね、エッチいの」
 太一はそう言い、ラミアとなった“私”を見て笑った。
 並行世界は一つではない。それこそ星の数ほど存在し、多種多様な“私”がいることだろう。
 今こうして在る自分も、ラミアとなった“私”も、そのうちの一端でしかない。まだまだ先は長いのだ。
 太一はラミアとなった“私”と同調する。“私”の能力が太一の中に流れ込んでくる。魔女としての能力が、少し上がったような感覚だ。
「新たに魔女の力を得たんです。きっと、問題解決できますよ」
 太一は“私”にそう伝えたのち、次の世界へと向かった。
 未だ魔女ではない“私”を、エロくてピチピチ美女な魔女にするために。

<試練は始まったばかり・了>

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
初めまして、こんにちは。霜月玲守です。
この度は東京怪談ノベル(シングル)を発注いただきまして、ありがとうございました。
少しでも気に入って下さると嬉しいです。
東京怪談ノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年08月26日

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