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『いつか隣で眠れたら』
不知火 仙火la2785)&日暮 さくらla2809)&不知火 楓la2790

 世界を越えるのはいうよりも大変だ。天文学的数字ではあるが事故で意図しない異世界へと放り出され、帰還することもままならないという可能性も完全に零ではないし、何より金が要る。日暮 さくら(la2809)が子供の時分、天使にリベンジを果たそうと燃えていた頃と比べれば技術者の努力もあって進歩し価格的にも手を出し易くなったほうだが。たださくらには敢えて茨の道を歩む理由がある。
 転移してきた直後、決まって頭上を仰ぐ。するとそこには青空なり夜空なりが映し出され、並行世界だから当然だが、故郷のものと全く変化がない。そこから視線を下げれば、違う点がはっきりと映る。それは人混みを行き交う背中、活き活きと羽ばたく翼だ。ちらほらといるその姿は完璧に溶け込んでいる。天魔と彼らの住む世界の身近さが現在異世界にいるという実感を抱かせて、自然とさくらの表情は緩んだ。そして、急ぎ足でよく知っているつもりでいて、知らない場所へと向かう。時間に限りがあるとはいえその心中に焦燥感はなく、ただ早く顔を見たいという気持ちが衝動を駆り立て、足を先へと進ませた。
 些か不用心だと思うのだが、一応は同校学生の友人と見なされているらしいさくらは、苦もなく中に入り込むと、時計を確認して今この時間ならと迷わず食堂に向かった。派手な出で立ちもこの学園なら紛れてしまう筈だが、不思議とすぐに彼を見つけることが出来た。素知らぬ顔をして偶然空いていた隣に腰を下ろすも何故だか、気付く素振りはなく見れば教科書と睨めっこしている最中だ。食事後も居残っているらしい。昼休みも終わり三限目が始まる時間帯、ひと気はそれ程多くなかった。と、さくらがぼんやりと状況を分析していると、
「あっ」
 と小さく声が零れ、彼の手から落ちた消しゴムが大きく跳ねてこちらに転がってくる。咄嗟にそれを拾い上げて、先に拾われた為に半端に浮いた手へ差し出した。受け取った後で違和感を覚えたらしく、振り向いた顔が驚きに見開かれる。
「おっ、サンキューって、さくらお前いつの間に来たんだよっ!?」
「つい先程。予習するのに必死で貴方は気が付かなかったようですが」
 しれっと返せば彼――不知火 仙火(la2785)は唇を戦慄かせ、言いたいことが多過ぎて脳味噌がオーバーヒートを起こしたのか、結局は一言も声にならず固く閉ざした。再び開いたかと思いきや代わりに溜め息が聞こえてくる。
「仕方ないだろ? あっちで頑張ったこともこっちには引き継げねーんだから」
 世界を行き来する術が概ね確立されている自身の世界でもそうだが、国交のように世界間の交流が成立していない限りは別の世界で取った単位は絶対に反映されない。特にこの世界は天界と魔界及び冥界とは結び付きがあれども並行世界とはなく、それ以前に世界を跨げるのは天魔に限られている。母親の拉致を理由に悪夢が蔓延っていた世界にやってきた仙火らは親戚の手で休学届けこそ出されたものの数年の年月を経て戻ってきたらもう一度やり直す羽目になった。法学部なので尚更だろうと思う。そうして仙火は絶対これ以上学生生活を長引かせるまいと躍起になっている。
「仙火、もうやめるのですか」
「ああ。昼飯を食って帰るつもりだったからな。……どうせ、うちに来るんだろ?」
 はい、と頷けばまた溜め息。その反応はさくらを疎んでいるようにも思える。しかし、教科書と筆記用具を仕舞って立ち上がり、見下ろした瞳には情の一言で言い表せない想いが覗く。胸が温かくなるのを感じつつさくらも立ち上がった。どんどん前に行くように見えて歩幅を狭めているのが分かる。その彼の背中にふと視線が吸い寄せられた。
「仙火もそういえば、こちらの世界では飛翔出来るのですね」
「うん? まあ、一応な」
「一度、見てみたいです」
 食い気味に言うと仙火は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。そして言う。
「お前本当に色々と変わったよな。最初会ったときなんか俺のせいだけどツンケンしまくってたのに」
「――待っているだけだったら貴方の場合、引いてしまうでしょう?」
 言い返せば彼は立ち止まり、バツが悪そうに口を噤む。さくらはその数歩先まで歩き、それから足を止めて振り返る。先に口を開いたのは彼だった。
「折角だし、飛んで連れてってやるよ。背中は塞がるからこれと一緒に抱き抱えることになるけどな」
「それなら、荷物は私が持ちます」
 そう言い手を差し出す。すると仙火は躊躇せずにそれを預けてきた。
(そういうところが私たちを諦めさせないと貴方は知らないのでしょうね)
 露骨に素っ気のない態度を取ってもそれが本心と別と分かる以上は、世界を越えて足しげく通うのをやめないが――さくらは二人分の鞄を引っ掛けて仙火の首に腕を絡ませた。背中に視線を流せば、いつも見ていた幻影が実体を伴って現れる。やがて浮遊感がさくらを包み、今更だが距離の近さに気付き、密かに軽いパニックに陥るのだがそれは仙火は知る由もない出来事だった。

 ◆◇◆

「おかえり」
「……ただいま」
 若干の間を置いての返事に不知火 楓(la2790)の唇からは笑い声が零れる。部屋に勝手に入っていたわけでも勿論盗聴器等を仕込んでいるわけでもないのだが、彼が何を履修しているのかは完全に把握している為、自ずと帰る時間は見当がつく。
「ついさっきさくらと一緒に帰ってくるのが見えたから、あの子に会いたくて来ちゃったよ」
 嘘ではないが純粋な真実でもない台詞を口にしながら、勝手知ったる他人の家と楓は仙火のベッドに座った。開けっ放しの扉に視線をやっても声は聞こえないが、
「今頃捕まってるんだろうね」
 と広い敷地内に一族の住む家が並ぶこの不知火家の当主であり仙火の母でもあるあの人と話し込んでいるさくらの姿は楽に思い浮かぶ。もしかして夫婦二人で構っているかもしれない。彼女が最初この家の敷居を跨いだときは当主と瓜二つの顔貌に口さがない者らはすわ隠し子かと噂をしたものだが、続いてきた当主夫婦と鏡写しのさくらの両親の登場に度肝を抜かれていた。かくいう楓も話には聞いていたが、実際に目の当たりにすると頭の中が真っ白になるくらい驚いたものだ。二十年以上も経った後の再会と出会いとに大騒ぎになったのも一年近く前の出来事。あれ以来彼らが訪れる機会はないもののさくらはふた月に一度はこちらに来ている。
「お前から一回言ってみてくれよ」
「何を? もう会いに来るなって、心にもないことを?」
 げんなりした声の矛先は楓はおろか、当事者であるさくらにも向いていないのに。それは彼も自覚しているようで荷物を置き、書き物机の前の椅子に座るなり振り向いて仙火は渋面を刻む。そんな顔をさせたいわけではないのにという気持ちが半分でもう半分は早く折れてしまえばいいのにというものだった。なにせ彼は子供の頃、楓が拐われた件を引き摺って、がむしゃらに修行し続けたくらい真面目人間である。そんな仙火に非常識を認めさせることは難儀だと百も承知だった。それこそ五年十年程度は覚悟している。しかし人間のさくらと楓には、時間制限があるので、時折気が逸って迫る点は許してほしい。楓はベッドから身を起こすと仙火の前に歩み寄った。動きに追従する瞳孔が迷子同然に揺れ動く。自分のものとは似ているようで違う鳳仙花の色――椅子の背もたれに手を乗せ、そこにぐっと体重を掛け、座っている為自分よりも低い位置にある彼の顔に顔をぐっと近付けた。
「あの子のことばかり考えていないで、私も見てよ」
 最近になって自然と言えるようになった言葉。それと共に撃退士として活動する最中を除いて、さらしを巻き胸を押し潰すのも襟巻きで細い首を隠すのもやめた。身代わりで在りたいと願う心がなくなったわけではない。だが同じ立場で彼を守ることも必ず出来る筈で、それに隣に並び立って為したいことが自分たちにはある。囁き声で渾身の力を込めて口にした口説き文句は半眼で雑に肩を押しやられてスルーされた。背もたれから手を離し距離を取ると楓は不貞腐れる。
「何だか最近私の扱いが雑じゃない?」
「知るかっ。つーか、そもそもさくらの話を振ったのは、お前のほうだろうが」
「あれ、気付いた?」
 へらりと笑ってみせれば立ち上がった彼に前髪の上から額を軽く小突かれた。靡かせることは出来なかったがいつも通りの彼に戻せたのでそれで良しとしておく。髪を直す自分の手のひらが隠していた仙火の顔は笑顔で、以前と変わらない少年の面影を残しながらも負い目に対する後ろ暗さはなくて、何より親愛の情を超えた気持ちがあると教えている。そんな現実を確かめては、喜びと一緒にほっと安堵するのだった。欲張らずに諦める選択肢を考えなかったわけではないが、彼の為といいつつ結局は全てが自分の為だ。そうと自覚しつつ同時に覚悟も抱いている。彼より絶対短い、この生涯を全部捧げてでも成し遂げようと。
(尤も、本気で拒まれたら身を引くしかないんだけどね)
 困らせたり苦しめたりすることは本意ではないからと、そんなことを思いながら扉に向かう仙火の背中を目で追った。後一歩足を踏み出せば部屋の外に出るというところで唐突に彼は振り返る。
「折角来たことだし、あれを出そうぜ。多分お前の家に泊まってく許可は取ってるだろ」
「うん、そうしよう。なんだかんだで今までずっと機会がなかったもんね。楽しみだよ」
 向こうにいた頃も一悶着はあったが、帰ってきてからがより大変だった。学業の復帰や親戚との軽いいざこざは勿論、さくらと再会した後にはかねがね噂で聞いていた彼女の親との出会いもあってそれから――。今だから話せる話題もあるのかもしれない。流石に決着がつくことはまだないだろうが。そのまま部屋を出る仙火の後を追い楓も台所へと向かう。今日の夜はかなり長くなりそうだ。

 ◆◇◆

「じゃあ……もう今更感しかねえけど、さくらの成人を祝して乾杯!」
 乾杯とタイプの違う二人の声が唱和する。合わせた三つのグラスが風鈴に似た音色を響かせた。自身の生家である不知火本家の居間に楓だけでなく、さくらも一緒にいる光景はもう何度も見た筈なのに、違和感を抱かずにいられない。それは彼女の二十歳の誕生日は向こう――ライセンサーの一人としてナイトメアなる敵性存在と戦ったあの世界で過ごす想定だったせいもあるのかもしれなかった。多くの人々が死闘を演じた末に無事戦争に終止符が打たれると同時にナイトメアが何らかの作用を及ぼしていたらしく、仙火の父のように元々世界を渡る力を持つ者らは能力を取り戻し、すぐに元の世界に帰れるようになった。しかしいざ帰れるとなれば楓の両親を始めとする信頼出来る者に任せっきりの会社を今のままには出来ず、仙火と楓も含め春を迎える前に離れることになったのだ。
(そう――離れるって思った。あんな最初は帰りたかったのにな)
 などと振り返りながら口にした酒は度数もたかが知れているのにやけに苦味を強く感じた。さくらの両親は平行世界における仙火の両親であり、魂を同じくする存在でもある。しかし容貌が双子も同然に似ていても、遺伝子は全くの別物であるらしく、仙火とさくらに血の繋がりはなかった。酒に弱いさくらは想像出来ないものの、一応はリキュールをチョイスしてある。名前に因んで桜のフレーバーを購入したのは安直だっただろうか。ボトルの中には桜の花弁が沈んでいる。まるでこの状況みたいだ――仙火はそう思った。今のさくらは自らそうしようと望んでいるように見える。
「美味しいです」
「そう……それならよかった。因みにそれは仙火が選んで買ってきたものだよ」
「本当ですか!?」
 酒豪の楓には物足りないだろうに上機嫌の彼女がこそと伝えた内容にさくらは目を輝かせ対面のこちらを見返す。楓の変わり様に隠れがちだが近頃のさくらも随分垢抜けたというか色気付いていて、色々と複雑になった。
「ありがとうございます、仙火。それだけで酔ってしまいそうですね」
 淡く桜色に染まる頬は酒のせいなのか、それとも喜びによるものか。それを察せない程仙火は馬鹿ではなかった。当初からは想像出来ない柔らかで優しい微笑みを見て素面同然の脳は可愛いなと感想を抱く。すると、その表情を見て心中を察したらしい楓が隣のさくらにぴたりと身体をくっつけ、視界へと入ってきた。首の白さに目を奪われる。
「さくらばかり、狡いよ。私だってこの子と同じくらいに仙火のことが好きなんだからね?」
 忘れないでと、念を押すように楓は呟いた。その言葉に仙火は決まってこう返すのである。
「……解ってる」
 そう言ってグラスの中身を煽る。桜のほろ苦さが心中にまで染み渡っていく。肩を竦める楓に対し、
「私と楓はいつまでも待ちますよ。貴方が結論を出すときまでずっと」
 穏やかな声で言うとさくらは美味しそうに酒を飲んだ。追いかけて追いついて競争したと思いきや、いつの間にやらまた突き放されている。今なら強さでは引けを取るつもりはないが、恋愛においては再びそんな状況に陥っているような気がした。
 ――ふと思い返せばいつからか二人の間に静かな緊張感が走るようになっていた。例えば仙火の両手を引っ張り合うような衝突は一度もなかったが、自身の気持ちを自覚して、恋敵のそれも感じ取っていたのだろう。父親と愛猫の船君と公園内のビアガーデンに行った日を思い出す。当時はただ大切に想っているだけで己が抱いたそれは恋愛感情ではないと思っていたが、あの話題を出した時点できっと芽は出していたのだろう。そしてそれは花開き、自覚するところとなった。どちらか一人ならば最終的に結論を出して帰った筈だ。誰も後悔しない為に。問題は二人に好意を抱き、どちらも選ばないと判断したのに本人らが食い下がったこと。旧家の跡取り息子なのは抜きに純粋に日本生まれ日本育ちとして受け入れ難い選択肢を、二人は提示した。即ち三人一緒に添い遂げると――そんな突拍子もない道をだ。
 いつか自分よりも先に死んでしまうのが怖いなら、大切な相手は一人じゃなくていいと二人は言う。正気の沙汰じゃない、なんて仙火には言えない。天使とのハーフである自分は不老とまではいかなくとも、人間の二人よりも長生きする可能性は高いのだから。そしてそれを恐れていることも確かだった。しかし、自分の脳内にある常識が邪魔して受け入れられずに、愛しいと思うたびに罪悪感に苛まれている。頭の片隅では早く楽になりたいと願いつつ――。
「仙火、注いであげるよ」
 楓が微笑んで隣に座り直しボトルを傾け、仙火のグラスに酒を注ぐ。それは新妻のようで、想像の彼女の側には現実と同じくさくらがいるのだった。三人で仲睦まじくずっと過ごせたらどんなにいいか。思いつつ口に運ぶ酒は今日一番に甘かった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
三人エンドといっても、私たちの戦いはこれからだ!
的なエンドではありますが、夢オチではなく真剣に
考えてみたところ、以前気軽に三人合意でといった
ものの背徳感が凄くて思い切れなかったのもあって、
修羅場ではないけれど少し微妙な空気になりました。
仙火くんの最近の心境についても拝見し寿命の話も
簡単に結論を出せるものではなく時間が掛かるだろうと
想像したのも大きかったですね。二人で仙火くんを
振り回すようなラブコメで夢オチというのもありだった
かな、という気もしますが、今回はIFの一つとして。
今回も本当にありがとうございました!
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2020年08月26日

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