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『月と薔薇・中』
水嶋・琴美8036

 それは、一枚の絵のような光景だった。
 今宵は満月、ぽっかりと空に浮かぶ真ん丸の月が、女の背を照らしていた。
 さらりとした金髪が、結ばれることなくそよ風に靡いている。身に纏うは鮮やかな紫のドレスで、細身のその女の体によく合っていた。
 きゅっと引いた赤い口紅で女は妖艶に笑っていた。あたり一面に立ち込めている薔薇の香りが、女の存在を際立たせる。
「人間ではあるようですけれど」
 水嶋・琴美(8036)は、女の様子を窺いながら確認する。月光によって影ができ、微かに息遣いが聞こえる。
 あれは、生きている人間だ。
 何らかの技能を持っているだろうが、それでも人間であることも間違いがない。
 琴美はクナイを握り締め、タイミングをはかる。
 女は倒れている隊員たちに目をやり、満足そうに微笑む。そうして「やっぱり」と口にする。
 名残惜しそうにあたりを見回したのち、くるり、と背を向ける。
「背を向けたということは、チャンスです……!」
 琴美はクナイを握り締め、地を蹴った。ざっという音とともに宙に舞い、まっすぐに女に向かってクナイを振り下ろす。
 だが、振り落とされたクナイは、キン、という金属の反射音によって止められてしまった。いつの間にか女が持っていた扇が、琴美のクナイを受け止めたのだ。
「気づいていましたか」
 女は微笑み、受け止めていた琴美のクナイを振り払った。琴美はクナイを握りしめたまま、後方へと着地する。
「ようやく会えたわね」
 女はそう言い、微笑む。琴美は警戒態勢を崩さぬまま「ようやく?」と聞き返す。
「もしかして、あなたは私をお待ちだったのですか?」
 女は頷き、扇をばさっと開く。すると、開かれた扇からはらはらと薔薇の花びらが舞い散る。
 濃い紫のバラの花びらだ。ブドウやブルーベリーを思わせる色だ。
 女は饒舌に語り始めた。その薔薇の香りは、自分よりも格下の相手の意識を奪うということ、そうして意識を奪わなかったということは、琴美自身が女と同等以上の力を持っていると判断されたということを。
「格下、とはひどいいい方ですね」
 女は、ふふ、と笑った。
「私、弱い者いじめは嫌いなの」
「戦闘狂ですか。沢山の人と戦ってきたようですけれど、たまたまあなたよりも弱かったということでしょうに」
 琴美はぎゅ、とクナイを握る。うっとりとしながら女は琴美を見、はたはたと扇をはためかせている。
 心底嬉しそうに。
「あなたは、強いのでしょう?」
 女はそう言うと、ぱたん、と扇を閉じて笑う。
「では、私が勝てば、今後一切突如として人を意識不明にさせる行為はやめていただけますか?」
 琴美が言うと、女は一瞬きょとんとしたのち、けらけらと笑い始める。いいわよ、と応えながら。
「別の要求かと思っていたのに」
「別の要求、とはどういうことでしょうか?」
「命だとか、私自身だとか」
 くすくすと女は笑う。琴美は「分かりました」と頷き、再びクナイを構える。
「では、私が勝てば、拘束させていただきましょう。ついでに、しっかりとそれなりの対処をさせていただくことにします」
「私が勝ったら、あなたを好きにしてもいいのよね?」
 じろり、と琴美の体を女は見つめる。上から下まで、ねっとりとした視線で。
 琴美はその視線ごと振り払うように、クナイをぶん、と振って答える。
「いいでしょう。あなたが私に勝てるのならば、という大前提のもとにですけれど」
 女は琴美の返事に微笑み、再び扇を開く。再び扇からはらはらと薔薇の花びらが舞う。
 扇に書かれている絵は、やはり薔薇。
 女は、その場で扇を勢いよく振りかぶる。途端、花びらが琴美に向かってゆく。
 まるで意思を持っているかのように。
 琴美はそれらを避けてゆき、避けられなかったものはクナイで落としていく。
「あ……」
 琴美は息を呑む。避けたはずの花びらが、くい、と進路を変えて再び琴美に向かってきたのだ。
「軌道修正もするのですね」
 よくできていますね、と感心しつつ、再び向かってきた花びらも撃ち落としていく。
 気づけば、至近距離に女がいた。琴美ははっと身構え、振りかざされている扇をはじこうとクナイを強く握る。

――ふっ。

 女は至近距離で、扇で琴美を薙ぎ払うこともなく、殴り掛かるわけでもなく、ただ、優しく息を吹きかけた。
 生ぬるい息が、琴美にまとわりつく。
「これは、一体なんですか」
 まずい気がする、と琴美は生ぬるい空気から離脱しようとする。だが、場所を移動しても生ぬるい空気はまとわりついたままだ。
 まるで、ラップのようなもので優しく包み込まれているかのように。
 女は無駄無駄、と言ってころころと笑い、ばさ、と扇をはためかす。
「吐息に捕らわれたのだから、首を垂れなさい」
 女の言葉に、ぐい、と琴美の頭を押されるような感覚が生じる。強い力で、無理やり頭を下げさせられているようだ。
 コツ、コツ、と女は抵抗を続ける琴美に向かって歩み寄る。ハイヒールを履いているらしく、靴音が静かな月夜の中、響いている。
 琴美は動かない。否、動けない。首を下げよという命に抗っているのに加え、四肢が思うように動かない。
「この悪趣味な拘束は、さっきの吐息、とかいうもののせいですか」
「優しく包み、厳しく律するの」
 ふふ、と女は頷いて笑う。動かない琴美を見るのが楽しそうに、どうしてやろうかと吟味するかのように。
「このまま四肢をもいでみようかしら」
 今日は晴れている、くらいの軽い声で、恐ろしい事を女は口にする。
 声も、言葉も、軽い。
 それが女にとって当たり前のことだったのだろうし、これからもそうであると確信しているのだろう。
 琴美はぐっとクナイを握り直し、頭を下げさせようとする圧力を振り払おうと足と手に力を籠める。それを見て、女は少しだけ笑い、再びふうと息を吐く。
 吐息だ。
 またあの吐息が、琴美にまとわりつく。
 優しく巻かれたラップが、二重にも三重にも巻かれていくような感覚だ。
「また、吐息ですか。それも、何重もの」
 忌々しそうに琴美が言うと、女は微笑み、扇をパチンと閉めて振りかざす。
 扇の端がぎらりと光る。よく磨かれた刃が取り付けられているのだ。
「まずは、その危ない手を落としておこうかしら」
 女はそう言うと、ひゅっと扇を振り下ろす。動けない琴美の腕を、一瞬で切り落としてしまうために。
 失われた腕の切り口から、盛大な赤い薔薇が咲き誇るだろうことを想像し、女は笑った。
 さぞかし美しい赤薔薇だろう、と。

――ヒュン!

 扇は、空を切った。
 振り下ろした先に、琴美の腕はない。首を垂れろと命じたはずの琴美の姿自体がない。
「……随分と楽しそうじゃないですか」
 首に突き付けられたクナイに気づき、女はハッとする。
 すぐ背後に、琴美の姿があった。

<青くなった薔薇を見下し・続>

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
初めまして、こんにちは。霜月玲守です。
この度は東京怪談ノベル(シングル)の発注、ありがとうございました。
こちらは、連続した3話のうちの2話目になります。
少しでも気にって下さると嬉しいです。
東京怪談ノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年08月26日

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