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『剣言』
剱・獅子吼8915

 剱の菩提寺へ着いた剱・獅子吼(8915)は、出迎えに駆けだしてきた――実際は彼女を逃がさぬよう足止めに来たのだが――住職へ切っ先を突きつけた。
 喪われた左腕に顕現する、黒き剣。剣の銘を識る者は獅子吼以外になく、故にただ、剣と称されるばかりの刃である。
「私が来たからと、我が愛しき親族どもを呼びつけたんだろう? なら、彼らが私に殺到するのを30分ほど引き止めておいてもらえるかな。キミと彼らのためにね」
 唾すら飲み込めぬまま、住職は何度もうなずいた。
 今まで相当な損害を獅子吼に与えてきた彼ではあったが、一度として責められたことはなかったし、ましてや「殺すことを気にしない」表情(かお)をした彼女に剣を突きつけられるなど、夢にも思っていなかったのだ。
 剣を引いた獅子吼は薄笑みを傾げてひと言、「また後日」。
 結果から言えば、獅子吼と住職が後日会うことはなかった。彼が会うのは、宗派の破門状を携えた弁護士団だったからだ。その後のことは記するを控えるが、その後は推して知るべしである。

 彼は殺されるとでも思ったんだろうけど。
 獅子吼は軽く肩をすくめ、苦笑う。
 本気で殺す気なら、前に立たれた瞬間首を飛ばしていた。恨みを晴らすとか意気込むのは面倒だから、もっとも手っ取り早い方法を取ってだ。
 殺さないけどね。捕まって刑務所送りになったら毎朝決まった時刻に起きないといけないし、なにやら仕事をしなければならないそうだし、風呂は週に2回きりだ!
 それ以前に彼女の場合、まるで集団生活へ適応できない性(さが)もあるわけで。いずれにせよ、生きている人間を殺すつもりは毛頭ない。
「死んだ人間を殺しなおすのも、できれば御免被りたいところだけど」
 ――この先祖代々の墓を預けた菩提寺は、獅子吼が棄てたはずの家から引き継いだ財産を狙う親族に侵され、住職ですら先のような有様である。故に彼女は関係のない寺を檀那寺(墓と法事を任せた寺)に空(から)の墓を建て、先祖を形ばかりは奉ってきた。そう、獅子吼が今日、ここへ踏み込むまでは。
 檀那寺のほうで言いましたがね。化けて出ていただくようでしたら甘んじてお叱りを受けましょう。ただし生返事はしません。この剣で我が身の不肖、押し切ってみせますよ。
 菩提の墓を取り戻すためではなく、ここまで引きずってきた因縁に決着をつけるがため、獅子吼は来た。
「これ以上抱え込んでいるのは面倒ですのでね。帰りは手ぶらでかろやかに……なんでしたらスキップでもご披露しましょうか」


 悠然と墓地を進む獅子吼が、ついに足を止めたその先は。
「もう忘れただろうと思い込んでいましたが、存外に憶えているものだ」
 立ち並ぶ墓のただ中に、ひっそり佇む剱の墓。刻まれた剱の家名以外に目立つもののないその有り様は、墓荒らしを恐れてのことだという。
 骨を呪いに使われるのが怖かったんだろうね。儲けた金の額はともかく、恨みのほうは実にお安く売りさばいていたようだから。
 と。墓石から染み出した気配が色濃く沸き立ち、果たして顕現する。
「先祖代表ですか? それとも私のお迎えに?」
 彼女の言葉を押し割るように顕われたものは、おそらくは死者の内でもっとも不肖の娘たる獅子吼へ言いたいことがあるだろう父母ならず、一時は彼女が慕い、やがて決別するに至った庇護者……兄。
「実はそろそろ強欲なる親族一同に言挙げようかと思っていましてね。手始めに剱の墓を奪回しに来たわけです。一応、親に叱られる覚悟と殴り返す準備はしてきたんですが、兄上との再会は予定外でして。できれば穏便にお眠りいただけませんか?」
 兄は応えない。あの夜と同様、剣を構えるばかりだ。

 家を出ると決めた獅子吼はその夜、兄と対峙した。
 理由を語る野暮はすまい。獅子吼には家を出なければならぬ理由があり、兄には獅子吼を誅さなければならない事情があった。それだけのことだ。
 獅子吼に剣の基礎を教えてくれた師は他にいるが、その後の応用を授けてくれたのは兄だった。
 その兄を相手取った獅子吼は勝つには勝ったが、眉間に生涯消えぬ傷を刻まれたばかりか利き腕である左腕を喪うこととなる。が、むしろ安い代償だったと言えよう。兄は剣士として獅子吼を大きく上回る天賦を備えていたのだから。勝てた理由はただ、獅子吼の根性がすばらしくねじ曲がっていたからに他ならない。

 集中を逸らすささやき、血を吹きつけて目潰し、役に立たなくなった左腕を囮にした奇襲……幽霊は耳目にそれほど拘りもないだろうし、あのとき試した手はなにひとつ使えないかな。だったら勝負を引き伸ばしても意味はない。為すべきはそう、最短と最速だ。
 兄に習った突きの型に体を乗せ、獅子吼が踏み出す。ただし型通りの爪先ではなく、踵を突き下ろして前進を踏み止め、体を後ろへ引かせる反動に乗せた切っ先を前方へと送り出した。
 獅子吼の型破りを、兄は内から外へと容易く払い退ける。かくて獅子吼の懐が空いた瞬間、鋭く突き込んできた。
 なんとかその攻めをくぐった獅子吼は苦笑を閃かせ、
「死んでからも修行は怠っていませんでしたか。あいかわらずの生真面目、なによりです」

 攻めては守り、守っては攻めるを繰り返す獅子吼と兄の霊。フェンシングさながらの攻防だが、実際は攻めきれるだけの実力差がなく、全力で攻めて全力で守るよりないだけのことなのだが、しかし。
 こうしていると思い出しますね。まだ兄と妹であった日々のことを。
 獅子吼の内、兄に紐付けられた嫌な思い出は多々あるが、その奥には宝石のような思い出もいくつか混じっていて。それこそ時間というヤスリで磨き込まれた結果、ずいぶんと美しく補正されているのかもしれないが、それでもだ。
 兄が獅子吼へ伝えてくれた剣技は、この喪われた左腕に宿る剣を自在に閃かせている。
 化けて出た理由は知りませんが、送りますよ。私のすべてを乗せたこの剣で、一時とはいえなにより大切な存在だったあなたを。
 獅子吼は剣をまっすぐ振り下ろす。切っ先を下へ向けてだ。こうなれば敵の上中段の攻撃を防御できなくなり、斬られるばかりとなる。
 が、獅子吼は邪道の剣遣い。兄もまたそれを知り尽くしていればこそ、安易に踏み込まず、踏みとどまって構えを取ろうとした。
 やはりあなたは生真面目ですね。性格も剣も。
 獅子吼は胸の奥で感慨を噛み締め――落ちた切っ先を思いきり蹴り上げる。
 この黒き剣が彼女の身を損ねることはない。蹴り上げられた切っ先は落ちたときの倍の迅さで斬り上がり、兄の霊体を縦一文字に両断した。

 それでいい。おまえを縛るものはもう、こちらにもあちらにもありはしない。存分に己が生を全うしろ。

 静謐の内に響いた言の葉は、本当に兄のものだったのだろうか。ただそれだけを告げるため、過去のしがらみを棄てて顕現したのだとすれば――
「言われるまでもなく、剱本家の末代として存分にやらせてもらいますよ」
 踵を返した獅子吼は背中越しに言葉を投げる。
 自分を縛るものが剱の宿命であるのなら、今度こそ断ち斬ってみせよう。そこにぶら下がり、しがみついた親族の欲もまとめて一太刀で。
「それが成ったとき、あらためて報告に来ます」
 もう振り返ることはない。
 前だけを見て獅子吼は進むばかりだ。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年08月31日

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