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『竜のおわす癒しの湯』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)

 


 大理石の床、綺麗に磨き上げられたその表面に顔が映る事がないのは、滑り止め加工が施されているからだ。にも拘わらず。
「お姉さま!」
 と小走って足を滑らすのがティレイラ(PC3733)というものだろう。
「きゃっ!!」
 と小さな悲鳴をあげてプールのように広い大浴場の湯船に頭から飛び込み大きな水飛沫をあげる愛弟子にシリューナ(PC3785)は微笑ましくも複雑な笑みを浮かべずにはおれなかった。
「わっぷ……」
 水面から顔を出す。
「いったーい」
 プールと違って浅い風呂底に鼻をしたたかぶつけたらしい。赤くなったそれをさすっている。
「はしゃぎすぎよ」
 シリューナが肩を竦めてみせた。
「すみません。でもあまりに素敵過ぎて!」
 ティレイラは両手を胸元で絡め合わせると頬を上気させて改めてその大浴場を見渡した。白亜に金をあしらったこの高級感溢れる空間の調和を損ねる事なく並ぶ装飾品や彫像はどれも細部までこだわって作られていることが容易に見て取れるほど精緻に尽きるし、最上階にあるこの場所のガラス張りの壁の向こうに望む眼下の景色は四季折々に顔を変えると言われる大庭園。今の季節は深緑の群が眩しいほどに美しい。
 早朝であれば、オーシャンビュウの向こうから闇を切り裂き光が生まれる瞬間を、夕時には山の稜線に切り取られた黄金色の空に夜の帳が降ろされる瞬間を楽しめるという。どういった仕組みであるのかこの大浴場のガラス張りの壁は常に陽の光を追いかけ朝陽も夕陽も見る事が出来るという。故についたあだ名はサンフラワーガーデン。
 この超高級リゾートホテルの目玉であった。
 それをシリューナとティレイラとで2人占めしているのだ。多少ははしゃいでしまうのも致し方のない事であろう。
 去年新館がオープンした事で本館がリニューアルする事になった。そのリニューアル工事に先立ち、この大浴場にある珍しい装飾品達の修復依頼を受けたのがシリューナだったのである。
「何だか、2人だけでもったいないですね」
 ティレイラは湯船に浸かりながら傍らの巨大なアコヤガイのオブジェに手を伸ばした。両手で抱えるほど大きな真珠のオブジェが優しく淡い光を放ち癒しの空間を演出している。
「確かにこの姿だと広すぎるわね」
 2人が竜の姿になっても余裕なほど天井は高く、浅いとはいえ2体の竜が湯船に浸かって余るほどの広さがあるのだ。
 シリューナの言に思うところがあったのか、少しだけとティレイラが竜の翼をその背に掲げた。羽を伸ばすとはこういう事か。
 アコヤガイのオブジェの端に腰掛け足だけをぬるま湯に浸しながら、大きな真珠にしなだれかかるようにして頬を付ける。アコヤガイからはみ出した長い黒髪が水面に広がり波紋に揺れていた。
 背中の竜の翼はたたまれる事なく浮力に任せて広げている。
 まるで地球を抱く天使のようだ。
 彼女の肢体を流れる滴が流線を美しく象り光を跳ね返す様にシリューナは思わず息を呑んだ。
 それはいっそオブジェにしてこの瞬間を留め置き堪能したくなるほど艶やかでたおやかで心を揺さぶる姿だったのだ。
 まだあどけなさの残るその面に浮かべているのは、この穏やかな一時に身を委ねうっとりと微睡む悩ましげな表情か。
 普段のシリューナならオブジェにして楽しんでいたに違いない。揶揄すれば全力で反応してくる様が可愛くてついついその瞬間を切り取ってしまう。石膏像、彫像、銅像、宝石像……あらゆる質感のオブジェに変えて、職人の技だけではどうにも出来ない表情や様を思うがまま存分に愛でた。
 思えば、生身のまま堪能した事はなかったか。白くきめ細やかな肌が湯にあたりほんのり薄紅色を帯びている。
 きっと肌触りはすべすべに違いない。
 本当は彫像にでもしてしまいところなのだが、残念ながらティレイラと違いシリューナは仕事も兼ねてここにいた。事これに関しては時間は有限であったから迂闊に時間を忘れる事は出来ないのだ。
 だからここはぐっと堪えて微笑ましげにティレイラを見守るしかない。ただ、自らも竜の翼を広げてみた。
 人の姿をしている事が窮屈だと思った事はないがたまにはこういう時間も悪くない。文字通りに羽を伸ばして。

 そうして、誰も見ることのないその場所で、2体の竜は湯浴みを楽しんだのだった。
 


 ◇


「これで全部ですか?」
 ティレイラが巨大な彫像をシリューナの工房に運びながら尋ねた。
「ええ、ありがとう、配達屋さん」
 シリューナは労うように笑みを返す。
 彫像や装飾品の修復には時間がかかると持ち帰ってきたのだ。大浴場の視察にティレイラを伴ったのは運び出しを手伝ってもらう為だった。
 長期に渡り水を浴びたオブジェ達は傷だけではなく角が取れたり磨耗したりしている。とはいえ物理的な修復は大した問題ではないだろう。そもそもそちらがメインならもっと適役がいたはずだ。
 シリューナが修復者として選ばれたのには相応の理由があった。
 装飾品や彫像にはそれぞれにデトックスや疲労回復といった効能が魔法的に付与されていのだ。
 更にそれらが適切な位置に配置されることによって大浴場全体にもリラックス効果を高める魔法陣が敷かれていたのである。
 サンフラワーなどのわかりやすいものをホテル側は目玉として打ち出してはいるが、元気になれる或いは綺麗になれる風呂としてもそういった界隈で話題になるほどには力を発揮していた。
 それが。
「全然気づきませんでした」
 とティレイラが言うほどなのだから、その効力は随分と薄らいでいたのだろう。
 そもそも魔法陣は定位置に魔力を籠めた装飾品や彫像を配置することによって完成していたのだから、長きに渡りそれらがずれたり模様替えなどで移動されたりすれば効力が徐々に失われていくのは自明の理であった。
 最初に魔法陣を敷いた人間は既に他界しているとも聞く。魔法陣がどのようなものだったのか資料などが残っていないのだからこればかりはどうしようもなかったのだろう。
「どうしたものかしらね」
 過去の魔法陣を再構築するか、或いは新たな魔法陣を敷き直すか。後々のメンテナンスを考えるなら後者の方がいいのだろうが。何れにしてもそれなりの時間と魔力を要する事に違いはない。
 その上、装飾品や彫像1つ1つの修復もせねばならない。どういった効力を持っていたのか対話をし呪術によって再び力を蘇らせていく作業だ。それも、細工の美しさとか造形の妙に心を捕まれてうっかり時間を費やさぬよう細心の注意を払い納品後に再び大浴場で改めて堪能すればいいと自分に言い聞かせながらの作業となる。
 それでも納期ぎりぎりといった所か。
「暫く工房に籠もりがちになるけど大丈夫?」
 シリューナが尋ねた。目を離すと何かしでかしかねないティレイラである。
「今月は配達屋さんの仕事は入ってないので大丈夫です! お店もみておきますよ!」
 ティレイラが任せてくださいとばかりに腕を振った。
 お店とはシリューナが営む魔法薬屋の事だ。殆ど客は来ない。というより殆どの客が一見さんではないので事前に予告してくる。希に店を見つけてしまう客もあるにはあるが、そういう時は大体虫の知らせがあるから、本当はそこまではりついて店番をする必要もないといえばない。
 でもやる気になっているので店の方はティレイラに任せる事にした。下手に出かけられてその先で自滅されるくらいなら、目の届く範囲に居てもらった方が有り難いという判断だ。
「じゃぁ、お願いね」
 シリューナは笑みを返してかくて工房に籠もったのだった。


 瞬く間に1ヶ月が過ぎ、予想通りというべきか修復は順調ながらも時間を多く費やす事になった。
 朝昼晩とティレイラが食事を届けてくれる。最初の頃はダイニングルームで食べていたが、大詰めを迎える頃には、ワンハンドで食べられるサンドイッチ等を工房に運んでもらうようになっていた。
「ふぅー」
 一息吐いて椅子に腰掛けると紅茶で喉を湿らせ卵サンドを頬張る。
「これはどんな効能なんですか?」
 たった今シリューナが呪術を付与していた彫像を見上げてティレイラが興味津々で尋ねた。それは竜の彫像だった。
「それは、美肌効果ね」
「竜が美肌……」
 何だかピンとこないが、ティレイラは彫像の頬の辺りをそっと撫でてみた。シリューナが魔力を籠めていた筈なのに何も感じるものがない。
「残念ならが、竜の口からお湯が出てきてそれが肌に効くのよ」
 シリューナが肩を竦める。
「じゃぁ、今ここでこれの恩恵に与る事は出来ないんですね」
 ティレイラが残念そうに言った。それからはたと気づいたように。
「あ! どうやってお湯が出るんですか?」
 ティレイラの問いに、シリューナはうっかり仕組みを答えてしまった。ティレイラの好奇心がいつもどんな結果を招くのか重々承知の上で。いや忘れていたのだ。本当に疲れていたのだ。
 結論から言ってしまえば、竜の彫像は残念ながら木っ端微塵になった。不幸な事故だった。双方にとって。水圧とは時に恐ろしい程の力を発揮するものなのだ。
「ティ……レ……」
 感情の起伏が少なく、普段あまり怒ったりするようなタイプではないシリューナが珍しく重低音を響かせた。とはいえ怒っていると言うよりはどちらかというと脱力に近いだろう。丸1ヶ月ほぼ工房に籠もって睡眠時間も削って作業をしていたのだ。それが漸く終わりを迎えようとしていた矢先の出来事である。
「ご、ごめんなさい、お姉さま」
 粉々になって散らばった彫像の破片をかき集めながらティレイラは続けた。
「パズルは得意です!」
 もちろんパズルが得意とかでどうにか出来るレベルの崩壊ではなかった。無論、物理的に修復出来たとしてもそこから、呪術の付与を行わなければならないし、これから何十年も先まで常に効果を発揮し続けるだけの魔力を注ぎ込んでおかなければならないのだ。
 どう考えても納期には間に合わないだろう。
 ホテルのリニューアルオープンともなれば、それはもう大々的なもので。ましてや依頼を受けたプライドというものもある。遅延などあり得ないのだ。
「しょうがないわね」
 大きな溜息と共にシリューナが言った。
「ど、どうするんですか?」
 何となく予想は出来たけれどティレイラは恐る恐る尋ねた。
「それは、もちろん――」


 ◇


 紫の竜の配達屋さんにホテルの大浴場に並べるオブジェを運んでもらってシリューナはそれを新しくなった大浴場に配置すると、最後にその配達屋さんを呼んだ。
「…………」
 何か言いたげに見つめてくる配達屋さんに満面の笑顔で指示を出す。
「ここの台座の上に乗ってくれるかしら?」
 言われるままに台座の上にあがる紫竜。
「尻尾はそうね、ここに巻き付けて」
 台座を支える支柱に言われるままに巻き付けた。そういえば、壊れた竜の彫像もそんなポーズをとっていた。
「翼は広げた方がいいかしらね。頭はこっちに……そうそう」
 湯船に向けて頭をもたげてみせるとシリューナがよく出来ましたとばかりに頭を撫でる。
 それで喜べるわけもなく。足下から徐々に彫像にされていく感触に物言いたげな顔をしつつ視線をシリューナの方へ向ける事も出来ぬままティレイラは金色のオブジェに変えられてしまうのだった。
 台座から噴水のように湯が溢れ出る。さすがに生身の竜の体に管を通して口からお湯を出すようには出来ない。台座の上に、美肌効果の魔法を施す。竜の彫像の修復が完了するまでの一時的なものだから、付与する魔法も魔力も簡単なものでいいだろう。
「大丈夫、よね」
 シリューナは周囲を見渡した。違和感なく最初からそこにあったようにティレイラの彫像が佇んでいる。
「これで何とか凌げるといいのだけれど」
 これから帰って急いで修復しなければならない現実と美しい竜の彫像を前に思う存分堪能出来ない悲しみの狭間でシリューナは不安げにティレイラを見上げるのだった。



■大団円■


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ありがとうございました。
楽しんでいただければ幸いです。

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2020年09月01日

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