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『白き竜は密やかに眠れど』
ファルス・ティレイラ3733

 ぽたぽた水音が響いていることには気付いていた。しかしそれが何であるかにはまるで思い至らず、判ったのはその水音の正体が自分の腕に降り注いだ直後。なまじ素肌にクロスをえがくようにリボンを巻き付けただけなので雫の冷たい感触が思い切り突き刺さるように腕に触れて、肩を大きく跳ね上げると全身に鳥肌が立つ。きゃあともひゃあともつかない悲鳴が喉の奥から零れ落ちて、ファルス・ティレイラ(3733)は上を仰ぐ。天井には突起物が垂れ下がり、夜露が雫になって降り注いでいるのだった。聞こえた音の正体にそれで漸く気付く。空間はやけに広くて、天井は高く壁面に手をついて進むのも中々に難儀である。ならば本性に戻ればいいのではと唐突に思い至った。自身の素性は竜であって、普段人間形態なのは社会に紛れて生活する為なのだ。人里から離れたこんな僻地でそのままの姿でいる利点はない。火の系統の魔法があればどうとでもなる筈と自信満々だった。だが魔法も能力も竜の姿で問題なく使用出来るのだ。
「よしっ!」
 やるぞと気合いを入れて竜の姿に戻ると、この場所の広大さも少しは小さめに見える。同族の中では人間形態と同様小柄かつ華奢なティレイラだが、少し頑丈に出来ているのはいうまでもない。手足は剥き出しだが人の手が加えられていないゴツゴツした岩肌も諸共せずに、けれども前に進む足はいつになく慎重なものだった。それはここに踏み入れてからずっと変わっていない。いつもは好奇心旺盛で能天気なくらいのティレイラもそうせざるを得ない訳がある。
 ――この地方には人食い洞窟がある。そんな噂を聞き、ティレイラが出掛けたのは数日前の出来事だった。当然ながら、一人でどうにか出来るなんて考えているのではなく、あくまで調査の名目でここを訪れた。また具体的に何処にあるのかやどういった物なのかを知る目的で聞き込みをしその結果、ここが目的地であるとの情報を得たのだが、中がどうなっているのかを知る人間は何処にも、誰一人として存在していない。理由は簡単、生きて帰ってきた者が一人もいないからだ。
「……確かこれって鍾乳洞っていうんだよね?」
 疑問形で口にしてもそれに答える者はいない。ただ反響し、木霊のようになった声が耳に返る。他には相変わらず頭上の氷柱に似た突起物――鍾乳石から落ちる水滴が地面に落ちて鳴った音だけだった。そんな状況にいつからか緊張は解けていたのだろう。時折は足を止め、左右を確認し警戒をするのだが魔力の探知については完全に疎かになってしまっていた。先へ先へと進み、最奥の空間に歩みを進めると突如、自身の周囲に膨大な力が発現して、ティレイラがそれに気付き咄嗟に魔法での防御を試みたときには遅く、竜巻の幻影が視界に映る。そして、ティレイラが中心の大きな範囲に魔力が渦巻き次第にその半径を狭め、飛んで逃げようとしたのも虚しく、ティレイラは拘束されてしまった。
「駄目……もう使え……」
 魔力といえど嵐のように作用し、その巨大な翼や分厚い尻尾も煽られてはためき、言葉は暴れる空気に飲み込まれる。ティレイラの視覚は魔力の奔流をはっきりと捉えていた。奥の鍾乳石は見えなくなり砂粒に似た粉塵が風に巻かれて吹き上がる。竜の地肌にぽたぽたと水が落ちた。前と同じような感じだろうと気に留めずにいたら一つまた一つと続け様に降り、ティレイラは顔を上げる。上に先程見たよりも大きい鍾乳石が無数にもぶら下がり、しかも、それらからは大量の水滴が降ってくる。その鍾乳石と同じ白い液体が――。
「ああ、嫌っ!」
 本能的な恐怖に体が小刻みに震え出した。ティレイラは目を閉じることも出来ず、自らに降りかかった惨劇を目の当たりにし、いっそのこと笑ってしまいたくなった。角に翼、更に尻尾と鍾乳石から零れ落ちる液体で白く染まり出す。厄介にもどろどろとしていて垂れはするのだが、水のように流れていくことはなく紫色の肌は次第に、その面積をなくしていく。ティレイラは与り知らぬものの魔力によって晶出が早回しになるのが、魔法の仕組みらしかった。晶出はいつしか内側からも始まり、体の自由が利かない。
「誰か、助けて――」
 慟哭のようにティレイラは顔を上げ、必死になって大きく口を開く。しかし悲痛な叫びは誰の耳にも届かずそれを最後にティレイラはぴたとその動きを止め、オブジェと化す。彼女の周りに天井の鍾乳石とも同じ石筍群が生えて展示物と見学者を隔てる役目を果たしていた。原理なら氷柱と同じだが、体中にそれを作る様はどろどろした液体を被るより元々白い体の竜が溶け出したような不気味さを醸している。
 頭部に生えた角は、若い鹿のように枝分かれした原型を辛うじて留めている。但し横に傾いた右の角にはより多くの鍾乳石が垂れ下がっており枝分かれした部分が接着して翼にも似たフォルムになっていた。上を向いた目には生気はなく、元から黒目しかない瞳は完全に真白だ。目は内側からの晶出で白色に染まっているのだがただ人間であれば涙袋がある部分に一滴の垂れた痕跡があり、それがまるで涙のようにティレイラの目元を彩っている。悲痛な声を発しようとしたマズルの先端は多く鍾乳石を被っている為、鼻の穴は完全に塞がれてしまっていて厚く層が重なったその様は酷く不恰好に見えるだろう。また開けたままの口は下から見上げても喉の奥まで映る程に大きくて、つるつるした表面は滑らかな感触を齎していた。鋭く長い牙にも鍾乳石は降りかかっていて、特別長いものはどれなのかも判らない程の厚みを増し――より長く伸びてしまっている。その先端は丸みを帯びていて、全力で突き刺すでもない限り誰一人傷付ける心配はない。下顎から下へと垂れる様子は好物を目前に涎を垂らしているかのよう。右腕は人間を襲おうとしたように――或いは脱出を阻んだ石筍を壊そうとして前に長く伸ばされているが、攻撃する為に立てた鋭く長い爪も上部の二本以外は見る影もなかった。それ以前に厚い手のひらも含めて、在りし日のティレイラを知る者でもなければ手の形状を想像するのも難しいだろう。また左腕も同様だが、反面でどっしりした脚や、全力で振り抜けば人も簡単に吹き飛ばせる尻尾とは違い、脇から腰にかけては人同然にきゅっと締まる形を留めている。降り注ぐ鍾乳石からその背の両翼らが守っていたお陰に他ならないだろう。両翼は背中の付け根よりも先は傘のように大きく広がっているのだが、中も外も派手に鍾乳石が滴り落ち、内側に暗い影を落としていた。機能性とは無縁に見える程重く野暮ったい。また尻尾は、先端が翼よりも上へと来ているが、根元から先にかけてしなやかに細くなっている筈なのに、元から複数の枝葉があるかのように鍾乳石が幾つも並び垂れ下がっていた。本来の先端部分から更に伸びるそれは完全に肉体の一部に見える。
 そうして、人食い洞窟と噂される鍾乳洞の一部と化したティレイラは噂は噂でしかなく仕掛けを知る者達の中には彼ら犠牲になった人の像を見に来る人間がいるなどとは夢にも思わないだろう。隠れた名所として訪れた人々はティレイラの姿を見て思わず魅入ってしまうに違いない。こんなにも美しい造形物がこの世に実在するかと疑いながら――。いつか誰かに助け出されるまでティレイラの受難は続く。鍾乳石で出来た像はひっそりとそこに鎮座し続けるのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
今回は今迄と違うテイストということでティレイラさんらしさは
残しながらもほんのり未知の場所に足を踏み入れる怖さだったり、
鍾乳石の像になってしまったティレイラさんの様子などが仔細に
描けるようにと意識しつつ、精一杯書かせていただきました。
封印された後鍾乳石の像になる過程は勝手なイメージなので、
もし想像と違っていたなら、申し訳ない限りですが……。
魔力に捕まる前に他の犠牲者達の像が見えていたりとか、
もっと細かく書いたんですが文字数が足りず無念でした。
全身の状態が解るように頑張ったつもりですが解り難かったらすみません。
今回も本当にありがとうございました!
東京怪談ノベル(シングル) -
りや クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年09月04日

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