▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『誓い約する』
不知火 仙火la2785)&日暮 さくらla2809

 独立独歩の気質が強い日本犬には、ひとりで過ごす時間が不可欠だという。
 いえ、私が犬というわけではないのですが。
 ふと思いだした豆知識をため息に乗せて吹き抜いて、日暮 さくら(la2809)は室内へ視線を巡らせた。
 ここは不知火邸へ移り住む短期間、住まいとしていたSALF支給住戸――言ってみれば社宅――である。今はEXISの収納庫にしているので、かつて在った生活のにおいは刃の錆び止めに使う丁字油のにおいへとすげ替わってはいるのだが。
 ちなみに丁字の香は侍の香。錆びばかりでなく、呪(じゅ)やあやかしの害から身を護ってくれる魔除けの効力もあるとされていたため、武士はこの高価な油を好んで使用していたそうだ。
 そんな謂れもあって、さくらは幼少の頃より丁字の香に親しみ、心を正す薬として手元へ置いてきたわけなのだが、しかし。
 心はいつものごとくに鎮まることなく、彼女を突き上げ、浮つかせる。ここに来れば落ち着けるはずが、どうしても現在の居である不知火邸を気にしてしまう。
 当然と言えば当然か。不知火邸は今、ある意味で戦場だから。しかも彼女は当事者として中心にいるわけで。その重圧を一時でも忘れたくて逃げ出したのは、それこそ人情だろう。
 ――あの人は今もなお、中心に立っているというのに。いちばん思い出したくないひとりの麗人を思い出し、さくらは重い息をついた。
 今日は近日に実施される試験対策をするとだけ言い置き、邸を出てきた。この場所を知る者はただひとりだし、同じく試験勉強のために自分の支給住戸へ篭もると言っていたからうっかり顔を合わせるようなこともあるまい。今、唯一の救いはそればかりである。
「集中する前に、夕食の準備をしておきましょうか」
 後ろめたい気持ちを言葉で塗り潰し、さくらが立ち上がった、そのとき。
 ドアチャイムがささやかな電子音を鳴らし、さくらを跳び上がらせた。
 先にも述べたが、この部屋の場所を知る者はただひとり。そうでないなら訪問販売かなにかしらの勧誘か……後者であれと願いつつ、さくらは気配を殺してドアの裏へ。
「気配隠せてねえじゃねえか。ほんとに大丈夫か? なあ、具合悪いのかよ。――しゃべれねえくらいやばいんだったら1回でいいから床鳴らせ! さくら! おい、さくら!?」
 扉の向こうでヒートアップしていく声音と気配はもう、「ただひとり」のそれでしかありえなくて。
 さくらは鍵を開けた。重ねるべき用心をスキップしたのは、慌ただしく鯉口を切る音が聞こえたからだ。
「さくら!」
 引き開けられたドアの向こうには案の定、不知火 仙火(la2785)がいた。
 そしてさくらの無事を確かめた彼は抜刀の構えを解き、説いたものだ。
「不用心にドア開けんなよ。俺のふりしたナイトメアとか敵かもしれねえだろ?」
 さすがに苛立ったが、さくらは努めて平静を保って言い返す。
「でしたら突撃訪問ではなく、せめて連絡を取ってから来なさい。それに」
「それに?」
「なんでもありません。誰かが見とがめる前に入ってください」
 それに――あなたの真偽程度、ドア越しでも容易く知れます。それだけの時間をとなり合わせてきたのですから。

 部屋へ入るなり、ストッカーにかけられた刀剣や銃を見回した仙火は鼻をひくつかせて言った。
「油、銃にも使ってんだろ? 手入れ大変じゃねえか?」
 植物性の油は時間が経つと酸化し、いわゆる油錆びを起こす。さらに言えば独特のにおいが鼻につくという者も多い。
 ちなみに仙火は機械油を使う派なのだが、それまでの間の細かな手入れは彼の補佐役がこっそりしていること、彼以外の者には有名な話である。
「手入れは武具ばかりでなく、己の心へも行うものですから。それがあってこそ、私はいつなりと戦場へ赴けるのです」
「心も手入れするか。まあ、落ち込んでるときとかは刀の手入れしたくなるな。そういうときに限って刀もへたってるもんだし」
 つまりは彼の精神状態に合わせて手入れの具合を調整する補佐役、その優秀さが窺い知れるエピソードなのだが……さくらの胸はずきりと痛んだ。望まぬ形で“敵(かたき)”となった麗人は、本当に仙火のすべてを知り尽くし、補っている。
「どうして、ここに?」
 無理矢理に話題を変えたさくらの胸中を察する様子もなく、仙火はああ、とうなずいて、
「おまえがこっちの家に篭もるって言って出てったの、母さんから聞いたからさ。まさかまた怪我でもしたんじゃねえかって」
 確かに前科はあるのだが、それにしてもだ。
「野犬のような扱いは心外です!」
「そんなこと思ってねえよ! ただ、手負いの野生動物って巣穴に帰んだろ?」
 結局大したちがいはないらしいが、自分がやらかしたらしい――この期に及んで「らしい」というのが彼である――ことを悟った仙火は、あわてて話をずらしにかかる。
「心の手入れっていや、故郷でもやっぱサムライだったのか? そもそもさくらの故郷ってどんな感じか気になってよ」
 お互いそういう話ってしねえだろ!? それはごまかしでありつつ、純粋に聞いてみたい話でもあって。
「夕食の仕込みを始めるところでした。せっかくですので、話すついでに試食をしていってください」


「うまい」
 鯨汁と塩握りを味わい、しみじみと唸る仙火。
 さくらの拵えた“餅”を知る彼であればこその感慨ではあるのだが、とにもかくにも褒めてくれているわけで。「なによりです」と返したさくらは、安堵と共に鯨を噛み締めた。
 凄まじい弾力を備えた脂身は噛む度に芳醇な脂の旨みを口腔へ溢れさせ、黒色の皮は固いが、その歯応えはコリリと小気味よい。
「味噌と鯨の脂が合うんだな。そこにこの塩握りだろ。暑くて食欲もねえはずが、いつもより食っちまう」
 感心した仙火だが、その食欲を支えているものが、よく煮込まれた大量の夏野菜のおかげであることにも気づいていた。
 茄子を中心に据えた野菜は鯨脂を程よく中和し、旨みを引き立てる。そこへ上から散らされた茗荷だ。しゃきしゃきした歯触りと独特なスパイシーさが、味噌のまったりさをきりりと引き締めてくれている。
「鯨の脂は力を与えてくれるばかりでなく、青魚のそれと同じもので健康的ですし、野菜も多く摂れますから」
 そして冷やしておいたジャスミン茶を出してやりつつ、「話すに先んじて、私の故郷の説明をあらためてしておきます」と切りだした。
「私が生まれる前の故郷は、異世界からの侵略を受けていた世界でした。私にとっては生まれたときから普通に隣人として存在したわけですが、侵略者とは別の異世界からの来訪者がいて、その者と魂を共鳴させることのできる人間がいました。共鳴が為されたそのとき、ふたりはひとりの超常存在と成って侵略者へ対する能力を得る――ライセンサーがEXISに適合するのと同じことを、魂と魂で行うようなものでしょうか」
 花香る茶を飲み下し、仙火は疑問をさくらの話の上へ言葉を置いた。
「ふたりが共鳴するのに、誓約ってのがいるんだったよな? おまえの両親の誓約ってなんだったんだ?」
 日々の端々でちらちら話してきた気もするが、あらためて問われると落ち着かなくなるものだ。なにせ誓約というものはまさしく誓いの言葉となる場合が多く、両親のそれもその通りとなったからだ。
 さくらは
「強さを目ざすと誓い合ったのだそうです。そんな両親への憧れから、幼少期の私は二代目サムライガールを目ざすこととなったのですが――ふたりの間で交わされた言葉にどれほどの思いが詰められていたものか、もちろん当時の私にはわかりませんでしたし、未だわかってはいないのです。それに」
 あわててつぐんだ口の奥、音にならなかった言葉が解(ほど)け消える。
 それに――あのときあなたとあのような誓約を交わしてしまったことも、わからないままで。
 いや、理由を語るだけならいくらでも語れるだろう。しかしそれは真意ではありえない。だから、言えない。なぜ言えないのかという疑問は胸の奥へ押し込んで、厳重に封をして仙火を促した。
「俺の番か? 大体はさくらの世界と同じ境遇だが……父さんはもともと、侵略者っていうか人間の敵の陣営にいたんだ」
 さくらが話してきたのと同様、少しずつ聞いてはいたことである。さくらの両親は元々が同じ陣営に属していたわけだが、仙火の父は自陣営を裏切って人の側へ与した存在なのだ。
「母さんや不知火の面々と心を通わせる内に、絆(ほだ)されたってことなんだろうな。昔は正直、いろいろ複雑な感じだったんだけどよ。今は居てくれて感謝してる」
「なぜ、そう思えるようになったのですか?」
 さくらの問いに、仙火は万感を含めた薄笑みを返し、
「俺って剣士の末路、見届けてもらえるんだってわかったからだ」
 仙火の父は天使と呼ばれる種族で、おそろしく長命だ。その天使と人とのハーフである仙火は人より長い寿命を持つが、当然天使のそれには及ばない。
 もちろん、彼の言葉が心情のごく一部を表わしたものに過ぎないことは理解していた。しかしだ。
「お父君を越えた先の行く末、ですね」
 さすがに仙火は目を丸くしたが、かまわない。彼が末路などと言い出すのは不愉快だったし、目ざす先に達してもらわなければ困る。仙火という男は、さくらと共連れて行く相方なのだから。
 剣を欲したはずが、いつの間にか仙火自身を欲し始めていることに、さくらは戦(おのの)いた。戦くとは、恐怖や興奮にて心身を震わせることだそうだが、今の彼女は自分を震わせるものが恐怖なのか興奮なのかがわからない。
 わかってはいけない、なのかもしれません。正体が知れてしまえば、私は自覚してしまわずにいられない。
 そのさくらの前で、仙火は茶の肴に塩握りを囓り、さらに言葉を継いだ。
「そうだといいな。いや、さくらを因縁から解放して、故郷に凱旋させてやるためにも勝たねえとな」
 さくらが戦いた。あいまいにではない、確かな恐怖で震え、震え、奮える。
 私を解放する? 凱旋? あなたは私を、突き放すのですか?
 いえ、そもそも仙火は母君を救いたくてこの世界へ来たのですから、いずれは故郷へ還るのでしょう。
 そうなれば私は……
「私たちが還るべきは、それぞれの世界。同じ先へ還ることはないのですね」
 自分を押し詰める恐怖の重さをごまかしたくて、努めて平らかに言ってみれば、仙火はこともなげにさらりと応えた。
「お互い別の世界から来てるんだぜ? お互いの世界だって行き来できるに決まってんだろ。道がねえなら作ってやるさ」
 たったそれだけの言葉に、たまらなく救われてしまう。
 故にさくらは小さくうなずき、
「やると言い切れる強さは――妬ましいです」
 うらやましいではなく、妬ましい。それはまさにさくらの本音。自分が思い悩んでいる間に、仙火は過去の絶望をすべて推進力へ昇華し、どんどん突き進んで先を拓いていく。その背中がまぶしく、妬ましくて。
「一矢報いたってとこか」
 唐突に差し込まれた仙火のひと言に、「え?」、さくらは思わず顔を上げた。
「俺はさくらを妬んでる。おまえの剣の才をな」
 剣士であればこそ、仙火の言葉は理解できる。
 剣の真髄は研ぎ澄まされた清の一条(ひとすじ)であり、搦め手を重ねる濁りは邪道だ。そしてさくらは清に、仙火は濁に、それぞれ才を備えていた。
 さくらは一瞬悩んで、それを放り棄てる。この場で言うべきことなどどうでもいい。言いたいことを――心の底から湧き出す言葉をそのままに、突きつけた。
「清濁併せて初めて剣は完成する。ならば己を尽くして互いを遣い合えばいいでしょう。私たちは、相方なのですから」
 仙火は見開いた目をしばたたき、我を取り戻して、
「くっそ、かっこいいな。またいっこ妬みが増えたぜ」
 苦笑した。
 対してさくらは不敵な薄笑みを返し、ふと視線を逸らす。
「せいぜい妬んでください。追いかけるなら追いつける内にどうぞ」

 その後ふたりは互いの世界の話を重ね、理解を深めると同時に思う。すなわち、故郷へ還る時、それが自分たちの別離の時となるやもしれぬのだと。
「そのときにならなければわかりませんが、それでもです」
「ああ、ただ終わっちまうつもりはねえ」
 言い交わしたふたりは、まだ気づかぬままである。それもまたひとつの誓約であることに――


パーティノベル この商品を注文する
電気石八生 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年09月07日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.