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『一等星はこの先も輝き続けていく』
鬼塚 陸ka0038

 夢から醒めるように気が付いた。暫し何もない白だけの世界を見つめる。状況が飲み込めないというよりもそれを理解しようと思わないし、もし仮に試みてみても思考は空回りし、結局は何もならない気がした。己と同じ故郷の出なら皆が同じだろう茶色がかった虹彩は緩々と閉じられる目蓋に隠される。もう一度開くも、何も存在しない。せめて、花畑か小川があればよかったのに。不思議と一歩を踏み出す気にはなれずに、ただ夢見心地といえども、じっとしているのは己の性分ではないというかどうにも落ち着かないのである。特にこの状況に際しても何かを思うでもないままに普段はしないだろう行動も、唐突にしてみたくなった。もう随分と昔に走り出し止まらなくなった両足。そうしていつか年月は流れて、歩いてきた道のりは、遥か遠く長いものになり――だからそっと振り返る。前には何もなかったけれど後ろには確かに長い道が広がっていた。途端に視界に見覚えのある景色が映り、懐かしさに目を細めて微笑む。深く記憶に刻み込まれた出来事も、時間が経てば徐々に色褪せていき、まるで人の話を聞いているかのように遠ざかっていくのだが。今日は何故だかそれが鮮明に蘇る。惹かれるようにふらふらそちらへ歩き出す。すると己の人生が逆回り、映像を再生するように視界に入る。
 近頃では現場に自ら赴くことはなくなり、信頼に足る後進に大部分を任せる格好になった。とはいえど死ぬ瞬間まで、守護者である事に変わりない。未だに神様と崇められると複雑な心境になるが、己の存在自体が希望に強く寄与している事に大きな意味があると思う。最前線を走り様々な人々と出会ってきたこの目には他人を見る力が確と備わっているようで、長きに渡る会社経営のノウハウを叩き込んだ若き彼らは苦境に立たされても上手くやり通しているようだ。長男と長女、私生活では授かった兄妹と夫婦二人で只管懸命に向き合って、独り立ちするまで育て切った。今では孫どころかひ孫も産まれて可愛さに溺愛しては孫夫婦に怒られる始末である。直に自分という後ろ盾を失っても、上手くやってくれるであろう後進が真剣に話し合っている場面や今年正月に一家勢揃いした賑やかな画を通り過ぎ、歩を進めていく。
 孫が生まれたばかりの頃は働き盛りだとその存在感を強めていたと記憶している。しかし、名声が高まったのはその頃の功績云々より過去推し進めた事業が身を結び、当然の物として根付いた事が大きかったのかもしれない。鉄道王、などと呼ばれるようになった今もこの頃に始まった気がする。動きを止めじっと見返すのはまさに鉄道に乗っている人々の姿だった。これは多分クリムゾンウェストで初めてリアルブルーの規格に沿う魔導列車が運行開始した際の物だ。学生として生活していた頃も特別興味があった訳ではないので、責任者になって技術交流をするに至り、猛勉強したのが懐かしい。私生活では幸運にも大きなトラブルに見舞われる事なく、笑い話に出来る内容ばかりだ。幾つになっても人は完璧にはなれずに、恥ずかしさに顔が真っ赤になる失敗も時折はしたが。英雄も人なんですねと言われたときはつい苦笑してしまった。
 更に時代は遡って、子供が出来たばかりの頃、結婚した頃へと映像は移り変わる。それよりも前は自分が家庭を持つ事など考えられなかったが、してみればしっくりくる人生は他にないと、そう思えるようになった。自分は娘を、妻は息子を抱いている様子を見て感慨へと浸る。二人きりで子育てに励んでいたならもっと難しく大変だっただろうと思う。絆というと人は大仰だと眉を顰めるのだろうか。だが確かに双方の意思を以って繋いできたものが助けになってくれた。と何故だか例の神社が急によぎり、苦笑いが浮かぶ。平然とした顔をして当時聞いていたのに十年以上経って心情を吐露されたのは笑い話だ。
 考えるまでもなく妻は、どんなときでも傍にいて微笑んでいた。結婚前は無茶して泣かせる事も多かったが。単に慣れたというよりそんな風にどうしようもない、けれど、譲れない部分がある自分の隣に並んで走っていく覚悟が出来たからだろう。ぐっと涙を堪えるようにして微笑む姿に彼女は過去の姿に過ぎないと解っていても胸が痛む。彼女を泣かせた数以上に心底笑わせる事が出来た筈だと信じたい。年齢は重ねても笑顔は何一つ変わらず、最愛の妻である事も変わりがない。二人きりの際に愛を囁いても喜びこそすれども動じる事はなくなったが他人の前で惚気ると未だ効果は覿面だ。ふと唐突にやり損ねたとある事を思い出す。
「忘れないよう気を付けないとね」
 そうぽつりと零したが足は更に過去に向かって歩き出した。
 世界の命運を懸けた戦いとその決着。守護者になる為に背負ったのは一人の人間の手には、到底抱えきれないものだった。人間臭いけれど彼女は神様で矛盾を抱く凡人の自分と契約を交わしながら、その本質を確と見極めていた。大精霊が告げた通り、七転八倒しながら歩んだ人生。決して悪いものではなかった筈と自画自賛して笑う。そして、生きなさいという言葉に引き摺られて当時と同じく思い浮かぶ顔――ふとどうしようもなく会いたくなる、初恋の少女の姿は何故か見当たらなかった。彼女が口にした言葉は今でも芯に残りその後の人生を突き動かしたのに思い出せる顔は実際の彼女と一致しているのか余り自信が持てないのが悲しい。勿論恋としての感情は昇華したが、純粋に再会して話したいと願った。多分その日はもう遠くない。
 一人のハンターとなって駆け抜けた日々はコマ送りに過ぎゆく。相棒に姉同然の存在、転移したその日に出会った皇帝は己の中にあった失望を塗り替え、今ではその夢はこの手を通じ他の人の手にどんどんと渡していったけれど――次に見えた人影に悲しみの色が濃くなる。転移の前に経験した挫折、その後訪れた不和は家族というものの形を粉々に砕けさせてしまった。しかし、邪神討伐が実現して久方振りに帰省した後には徐々に距離は縮まっていき――出来事はなかった事にはならなかったが、失った何かの代わりに得る物もあった。もう随分昔にいなくなってしまっても、思い出は胸の中に息衝く。彼らの子供でよかったと心から言えた。一人とぼとぼと歩いていた少年が振り返る。目が合って、淀んだ眼差しをしていた筈の彼は妻によく似た笑い方で微笑んだ。瞬きしたうちに今の自分の姿に変わる。
「うん、こんな事してる場合じゃないよね」
 もう目覚めなきゃ――自覚し目を閉じて、開けばそこには見慣れた天井が映った。紛れもない自宅のそれだ。小さく呻き声を漏らしつつ体を起こす。忘れないよう気を付ける――自分の言葉通りに目を枕元に向けた。そして妻にばれないように隠してあった包みを取り出す。今日結婚記念日に合わせて買ったプレゼントだ。金だっけ銀だっけと一向に覚えられない呼称を思い出そうとするも結局何年目なのか数えるのが早かった。一旦仕舞って立つと寝室を出て、迷わずキッチンに行く。そこにはいつも通り鼻歌を歌う妻の背中があり、そして気配に気付き振り返った。笑顔を返し名前を呼ぶと挨拶をした。
「おはよう」
 数え切れないくらいに繰り返した言葉。鬼塚 陸(ka0038)の日常だ。近い未来に死が訪れるまで続く。そんな確かな予感を抱きながら陸は後ろから妻を抱き締めて愛の言葉を囁いた。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
わたし個人はこれが最後のお話になる為色々と考え、
少し博打感があるかと思いながらも、お言葉に甘え
ぱっと思い浮かんだ内容にさせていただきました。
守護者は寿命がどうか悩みつつ、でも陸さんには
一般的な最期を迎えてほしいという思いがあって、
人並みに老いて人並みの歳で――的なイメージです。
でも勿論IFでも勝手にというのもどうかと思った為、
緩やかな走馬灯に見せかけた夢オチにしています。
金婚式だと若過ぎるのでまだ長生きされるかなと。
今更ながら未来シナリオを拝読し家族関係の解釈が
殆ど間違っていなかったことにほっとしていたりも。
今回も本当にありがとうございました!
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2020年09月09日

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