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『彼女の名は(2)』
水嶋・琴美8036

 ショッピングは好きだ。カフェで静かな時間を楽しむのも悪くない。
 久々の休暇をどう過ごすか、やりたい事は多すぎて悩んでいたくらいだった。
 だが、自室にあるワードローブを開く時ほど、水嶋・琴美(8036)の胸が期待に弾む時はない。
 指先から伝わる慣れ親しんだ衣服の感触に、琴美は笑みを深めた。
 慣れた手つきで少女はその服へと着替えていく。黒いストッキングが、すらりと長く伸びた彼女の美脚を包み込んだ。光沢のあるストッキングは、彼女の女性らしい魅力に溢れた体を一層魅惑的に仕立てあげてくれる。
 それでいながら、薄手のこのストッキングは彼女のしなやかな脚のラインを決して崩す事はない。琴美の本来の魅力が隠れてしまうのを惜しむように、ストッキングは彼女の肌へとピタリと張り付いている。
 体につける衣服もまた、全てを計算し緻密に作られているのではと思う程に少女の身体へとフィットする。寄り添うように彼女の肌を包む戦闘用の軍服は、事実琴美のためにだけ仕立て上げられた特別な服であった。
 赤いプリーツスカートから、ストッキングに包まれた魅惑的な脚が覗いている。軍服は赤を基調としており、ミニのスカートもまた美しい赤色に染まっていた。
 次いで琴美が手に取ったものの色もまた、赤。毛先まで手入れの行き届いた黒のロングヘアーに、赤色のベレー帽はよく似合っていた。
 最後に全身鏡で、琴美は自分の恰好を確認する。一寸の抜かりもない、完璧な美がそこには映っていた。
「やっぱり、この服が一番私には似合うわね」
 どの服であろうとも完璧に着こなす事が出来る琴美が、あえて一番自分に似合う衣装を選ぶとしたらこの戦闘服に違いなかった。
 鏡の向こうで微笑む自分の姿は、いつも以上に自信に満ちており、輝いて見える。
 戦闘時にいつも身にまとう服でありながら、この服が汚れた事や敵の攻撃により傷つけられた事は今まで一度もない。
 何度も身にまとってきたというのに、この衣装が新品のような美しさを保っているという事が、琴美が今まで敵に苦戦する事なく勝利してきたという事実を教えてくれていた。
 今回引き受けた任務が、命を落とす可能性の高い危険なものだという事は、上司からは散々聞かされている。それでも、琴美の顔に恐れや不安が浮かぶ事はない。
 敵がたとえ強くても、否、強ければ強い程、徹底的に叩き潰すかいがあるというものだ。
「わざわざ私が出向いてあげるんだから、少しは楽しませてほしいものね」
 くすり、と余裕のある笑みを浮かべ、琴美はむしろ期待するかのように楽しげな声音でそう呟く。
 真っ直ぐに前を見据える彼女の瞳に、自身が敗北する未来が映る事は決してなかった。

 ◆

 組織の拠点の前には、何人もの見張りがいた。非合法な実験や武器の製造を行っている組織の拠点の警備は厳重だ。
 そうやすやすと突破出来るものではないだろう。よっぽどの実力者――琴美でもない限りは。

 異変は、突然訪れる。見張り達が、不意に苦悶の声をあげ倒れ始めた。
 まるで伝播していくように次々と倒れる仲間の数が増えるたびに、困惑も広がる。
 何かがこの敷地内に侵入してきたと察した見張りの一人が、必死にその見えない侵入者の姿を探した。
 不意に、声が響く。
「どこを見ているの? お間抜けさん」
 一瞬、見張りはそれが幻聴なのかと思った。
 それが凛とした、美しい女性の声だったからだ。危険な人体実験を行う組織の拠点で聞く事はまずない、落ち着いた様子の女の声。
 声質だけではなく、もう一点、明らかにおかしな点がある。
 なにせ、その声は自分のすぐ真後ろから聞こえたのだ。見張りの背中にあるのは、拠点への入り口だ。扉が開いた気配もないのに、そこに突然女が現れる事はありえない。
 だから、琴美がそのありえない事を可能にする事が出来るという事実を知らぬ見張り達の反応は、一瞬だけ遅れた。それでも、その隙が一瞬だけで済んだのは彼らの神経が実験により研ぎ澄まされていたおかげだ。人智を超えた力を持つ改造人間達は、すぐに状況を把握するといつの間にか背後に立っている琴美へと向かい銃口を向ける。
「残念。遅すぎるわ」
 だが、そのたった一瞬が致命的であった。琴美にとって、刹那はあまりに長過ぎる。
 音もなく疾駆し、瞬時に敵の背後へと回っていた琴美にとって、そのまま自分の手にある武器を振るう事は造作もない事だった。
 どす黒い液体が、宙を舞う。改造人間達の血の色は、その業を表しているかのように醜い黒色であった。
 琴美の振るったナイフは、的確に敵の急所を抉っていた。普通の人間ならば即死であろう攻撃を受けても、しかし人体を強化されている見張りは耐えてみせる。
 見張りは、即座に琴美へと反撃を加えようと持っていた銃で彼女へと殴りかかる。跳躍してその攻撃を避けた琴美は、自分が先程まで立っていたはずの地面が衝撃で抉れる瞬間を目にした。
 もしあの攻撃が琴美に直撃したら、彼女の美しいラインを誇る自慢の身体はむろん無事では済まない。
 しかも、その攻撃は一度ではなかった。何度も続けざまに、人では視認出来ない速度で敵は力に任せた強烈な攻撃を繰り出してくる。
「ただやみくもに振るっているだけでは、この私に攻撃を与えるどころか、触れる事も無理よ」
 それでも、舞うように戦場を駆ける琴美にその手が届く事はない。
 気付いた時には、そこに立つのは琴美ただ一人だけになっていた。
 何人もいたはずの見張りを全て倒し、琴美は拠点へと悠々と足を踏み入れる。もう動かない哀れな敗者達に、嘲笑を一つだけ残して。


東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年09月10日

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