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『Front and back』
空月・王魔8916

 戦士にとって“慣れ”とは、もっとも忌むべきもののひとつだ。
 無造作に踏み出した足の下には地雷が埋まっているものだし、カウンターに置かれた酒を呷れば毒を飲み下すこととなる。
 実際、ガンナーやスナイパー、当然アーチャーもだが、慣れたころに不用意な真似をしでかし、頭をぶち抜かれる輩が多いのだ。そして。
 数えるのが面倒になる程度にはそれを見てきた空月・王魔(8916)ですらも今、同じ轍を踏もうとしていて。
 くっ、私はどうすれば!?
 右手で握り締めたものは弓柄でもグリップでもなく、エコバッグの取っ手。ちなみにバッグの内にはとあるスーパーの広告があり、本日狙うべき特売品には赤ペンで丸がつけられていた。
 このままでは本物の家事手伝いへ堕ちてしまう。
 そもそも彼女は数多の戦場を渡り抜けてきた歴戦であり、眼帯で塞がれておらぬ左眼を指してサイクロプス、あるいは魔眼と呼ばれるアーチャーなのだ。
 ……戦才の有無を状況に強いられるまま試し、自らが大輪であることを証明して以来、戦場の内で生きてきた。
 しかしだ。あの暇を持て余しているくせに忙しさを忌むという雇い主のせいで、家事手伝いなどというありえない肩書きを押しつけられた。与えられた役をこなそうと努めるは人の情というものかもしれないが、だからといって戦士に押しつけていい代物ではあるまい。
 結局、私は自分で思っていたよりも生真面目だったということだな。
 いや、真面目というより、負けず嫌いなのかもしれない。腹が減ったとわめき散らす雇い主へ、初めて作ってやったというかあたためてやったのはアメリカ産の戦闘糧食だが、物が古かったせいかヒートパックが使えず、レトルトパックを電子レンジに突っ込んであわや火事を起こしかけた。
 うん、まずい。家事手伝いが火事手伝いになるところだったね。いや、まずい。
 結局鍋に移して煮詰めたチキンのトマト煮をまずそうに食らいながら、雇い主は言ったものだ。
 確かに失敗したのは王魔だが、アルミパックを電子レンジに突っ込めばスパークする、それを言わなかったのは雇い主ではないか。しかも人が煮てやったメシをまずいまずいと……!
 こうなればうまい飯とやらを作ってやろうじゃないか。レトルトでも缶詰でもない生(なま)料理をこの手で!
 で。レシピ通りに仕上げただけの料理は、本当に美味だったのだ。今になってみれば、なぜあのときクソまずい料理を作らなかったのかと悔やむよりない。
 と、ここでいきなり王魔は顔を上げ、時計を確かめた。
「時間か」
 今日はとある雄の三毛猫を動物病院へ送迎する仕事が入っている。儲けはないに等しいが、無碍にできないしがらみというものがあることだし、それはそれとして、猫と親しむ時間はまあ、悪くない。


 猫が診察を終え、ついでに仲のいい犬の懐でひと眠りを終えるまでにそこそこの時間がかかる。
 その合間というものを有効活用すべく、王魔はさる人物とコンタクトを取った。「これから取引できるか? 物の用意はしてきてある」。二つ返事で了承した彼女との接触ポイントは、いつもどおりのあそこだ。

「では、こちらを」
 王魔はテーブルの上へ封印した袋を置き、向かいに座した女が押し出した袋と交換する。別に違法のブツではない。手に入りにくい調味料を物々交換しているだけである。
「感謝する。あなたのマサラと私のベドキ(インド産唐辛子の一種)を合わせれば、辛すぎず、旨みの濃いインドカレーが仕上がるだろう」
 互いに包みをそっとエコバッグへ詰めて固い握手を交わし、スーパーの飲食スペース――無料且つ水分補給が可能。食材もすぐ買い足しに行ける好立地!――から離脱する王魔と女。今日はきっと、ふたつの家庭から同じ香りが漂い出すのだろう。ちがいがあるとすれば、付け合わせる炭水化物がサフランライスかチャパティか程度か。
 スパイスはインド風にバターで炒めるか。そうだな、そのままバターチキンにするのも悪くない。
 先ほどの悔いは丸っと忘れ果て、王魔は完成図を思い描きながら肉売り場へ急ぐのだった。
「すまないが道を空けてもらえないか。私が通れる幅だけでいい」
 ……鶏肉の鮮度を見分ける術は数々あるが、そのいずれをも私は見逃しはしない。言い切れるだけの経験を、私は積んできたのだからな。


 そろそろ近隣の学校の下校時間となり始めたころ。
 猫は熟睡しており、もう少し時間がかかるという話なので、王魔は一度家へ戻ってカレーの仕込みを済ませることにした。
「跳びかかってくるな。よけるのが面倒だろうが」
 小学校の前を苦い顔で歩き抜けた王魔は、しつこく追ってくる男子の鼻柱を爪先で蹴り潰し、吐き捨てる。
「私を殺すことは不可能だから、必然、猫はおまえたちの手には入らない。そしてこちらはおまえたちがしたかったこと……おまえたちの“大切な人”を抑えている。当然私の手柄ではなく、昔なじみの面々に骨を折ってもらっただけのことだがな」
 スマホ画面に分割画面で映し出されたものは、今日、猫を病院へ届けた直後から執拗に彼女を狙い続けてきた男たちの家族、想い人、恩師、ついでにボスであり、いつでも「処理」ができるよう拘束された姿だった。
 この短時間で、名も知らぬはずの襲撃者全員の身柄を割り出し、さらに関係者を抑えたというのか!? この女が名うての傭兵であったことは知っているが、富抜けた日常に浸りきっているはずではなかったのか――
「あとひとつ。スーパーでも小学校でも、人質を捕まえられなかっただろう? 私はさまざまな有事に備えた町内ネットワークを形成していてな」
 この町で生きる中、王魔は縁を得た町民を守らなければならなくなったことが相当数ある。彼らが人災天災問わず自助と互助とを為せるマニュアル作りを始めたのは、そんなきっかけがあってのことだ。
 そしてこのマニュアルは、スマホやケーブルテレビを通し、迫りつつある危険の種類と対処法を人々へ知らせる“回覧板”の名で町内に浸透しつつあった。
「町民は皆、不審者対応マニュアルに従って籠城中だ。そしておまえたちの前には私がいる。これがどういうことかわかるな?」
 魔法さながらの速度をもって抜き出されたリボルバー拳銃が4発の弱装弾を弾き出し、男たちの利き手小指を叩き折った。
 アドレナリンが出ていればさしたる痛みでもあるまいが、小指が使い物にならなくなれば銃も刃物もそのグリップを握り込むことができなくなる。
「悲鳴をあげて警察を呼んでやるほど親切ではない。とりあえずのところ、半分残しておけば自分たちで歩いて帰れるだろう」
 口では決めゼリフを吐きつつ、使う弾は弾倉1本分で済ませたいところだなと経費について思い悩む王魔である。

 警戒態勢の解除をネットワークに乗せて町へと指示した王魔は息をつき、エコバッグの内に収まった鶏肉の様子を確かめた。うむ、異常なし。
 ともあれこのように、穏やかな平時の裏には穏やかならぬ有事が貼りついているものなのだが――
 仕事のついでに守ってやるさ。どうやら私自身が相当に気に入っているらしい、なんでもない日々というやつをな。
 果たして猫を迎えに行くべく王魔は歩き出した。自らがこれまで守り、そしてこの先守りゆく世界のただ中を。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年09月10日

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