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『今日も今日とて賑やかな晩餐』
ジャン・デュポン8910

 今日も、教会には何人もの人々が訪れている。彼らを迎えるのは、一人の神父だ。
 神父の名は、ジャン・デュポン(8910)。
 穏やかで謙虚なジャンには、話をしているだけでもどこか心が癒やされるようなそんなオーラがあった。ステンドグラスから差し込む光が、まるで彼の背に白い翼がはえているかのような錯覚を起こす。教会に足繁く通う者の中には、懺悔が目当てというよりも彼と話す事を目的としている者も居るくらいだ。
 どんな話にも真剣に耳を傾け、真摯に対応してくれる彼はこの街にきてからすぐに街の人達とも打ち解け、人々に敬愛される存在になっている。
「なるほど、最近飼い犬同士のケンカが多いのですか。けれど、同じシュゾクであるならばきっと手と手を取り合えるでしょう。この場合は、前足という事になりますが」
 今日の話も懺悔でもない日常会話のようなものであったが、丁寧にそれに付き合い真面目にジャンは受け答えをしていた。
 しかし不意に、彼の表情が曇る。実は彼にはその見た目からは想像がつかない悪魔のような本性が……なんて事は特になく、次の瞬間に教会内に響き渡るのは空腹を訴える腹の音だった。
 ジャンは、人間ではない。この世界より光へ向いた世界からやってきた、異界人である。
 彼の種族の主食は生物の感情だ。その事は、真実を話さずに勝手に頂いてしまうのは悪いからというジャンの誠実な思いもあり、人々には周知されていて感情を時々分けてもらう事に同意も得ている。
 それでも、ジャンは人々から必要以上の量の感情を求める事はなかった。あくまでも人々に影響のない範囲の食事にしている。
 そのため、常に腹ペコ。頑張って耐えようとしても、どうしても抗えずにお腹は空腹を訴えてくる。
 見かねた人々は自分の感情を食べてくれと訴えてくるが、ジャンはそれにゆるく首を横へと振って返した。
「その感情は、ボクなんかには差し出さずにダイジにとっておいてください。たとえ後悔や自責の念であったとしても、感情は人々にとってタイセツなものです。ケイソツに頂いて良いものではございません」
 正直なところ、人間という種族について知れば知る程にジャンは最低限の感情を食べる事すらも心苦しく思うようになっていた。
 人には失って良い感情などない。様々な感情を持つからこそ、人間というものは美しいのだ。醜い感情も含め純粋なのだと感じ、ジャンはそんな人間を愛していた。
(だからこそ、ボク達の種族はニンゲンの感情を特に好んで食らうのかもしれない)
 などと考えていたジャンの前に、不意に差し出されたのは一つの箱だった。感情を食べないならせめて差し入れをしたいと思い、教会によく訪れる者達で協力して作ったのだ、と相手は言う。
「感謝いたします。大変良い香りがいたしますね」
 中身は、人間が好んで食べる食べ物……かぼちゃのパイのようだった。
 焼き立てなのか、箱からは優しい温度が伝わってくる。パイは生物じゃないのに、不思議とそこには感情が詰まっているような気がした。
 香ばしい香りがジャンの鼻をくすぐる。人間の食べ物は自分には無縁なものだ。食べたところで腹は膨れないだろう。
 しかし、せっかくの厚意を無下にしたくなかったため、ジャンはその箱を笑顔で受け取った。
 早速、箱を開いて食べてみる事にする。サクリというパイの食感の後に、今の季節に相応しい温かなカボチャの風味がジャンの舌を撫でた。
「……!?」
 感じた事のない感覚。食べた事のない味が口内を制し、ジャンは思わず口元を手で覆ってしまう。
 数秒の沈黙の後、ジャンはわなわなとしながら唇を再び開いた。そこから出てきたのは――。
「うま〜〜〜〜〜い!!!」
 ――歓喜の声だった。思わず普段の丁寧語がどこかへと吹っ飛び、素の口調になってしまった。語尾に流れ星がついていそうな勢いだ。
 何となくその雰囲気を感じ取った周囲の者達は、自然と笑みを浮かべてしまう。糸目の向こうで、ジャンの瞳はキラッキラと輝いているに違いない。ベジタリアン・ジャン、覚醒の瞬間である。
 神父様があのような無邪気な笑みを浮かべるのを初めて見た、とその場に居合わせた者達は後に語る。何故録画しておかなかったんだ、と彼のファンと化している信者達と揉め、ジャンに仲裁されるのはまた別の話であった。
「失礼いたしました。このセカイには、このような美味しいタベモノがあるのですね」
 慌てて取り繕ったところで今更何も誤魔化せていないが、ジャンは慌ててそう言う。普段はちゃんと相手へと向けられているはずの視線は依然としてパイに向けられたままであり、話しながらもパイだけは食べ続けるという器用な事をやってみせているが。
「それに、オナカも膨れた気がいたします。自分の種族は、こういったタベモノも糧になるのかもしれません」
 だが、これは大きな収穫だ。相手に気を使ったわけではなく、本当に腹は膨れたのである。新たな食事の手段を得たジャンは、感動したように神と人々へ感謝の祈りを捧げた。
 パイはあっという間に彼の腹の中へとおさまってしまった。それでも、どこか名残惜しそうにパイの消えた皿を見つめるジャンの姿に、人々はまた作ってこようと誓うのであった。

 ◆

 新しい食事の手段と出会い、ジャンの生活は大きく変わった。今までは腹ペコで鳴いていた(そして泣いていた)腹も最近はすっかりと大人しくなっている。
 しかし、どうにも何だか、身体がおかしい気がする。やはり、人間の食べるものを口にしてしまっているのが悪いのだろうか。
(でも、野菜のないセイカツなんて考えられない)
 一度知ってしまった蜜の味を忘れろというのは酷な話しだ。
 とうとう教会の裏で家庭菜園を始めてしまったし、簡単美味しい野菜料理レシピは十冊程綺麗にジャンの部屋の机の上に並べられている。僕……ではなく、たまに雑務を手伝ってもらってる親切な仲間も最近ジャンのために野菜料理の練習をしてくれているというのに!
 野菜と出会ったおかげで見えた希望のせいで、絶望に叩き落されるなんて皮肉な話だ。今の自分の感情を食べたら、きっと一生腹ペコには困らないだろう。

 絶望感に苛まれながらも、ジャンは今日も笑顔で人々に接する。
 しかし、とある少女の懺悔を聞いている時に、ピンときた。ダイエット中なのに、ついつい食べてしまうと嘆く彼女の姿が、誰かと重なる。
 それ、ジャンじゃん。ダジャレではなく、まさしく彼女の状況はジャンの置かれている状況と同じに違いなかった。
 ジャンの種族には縁がなかった事なので失念していたが、そういえば人間は食事をすると『脂肪』という厄介なものが体についてしまう生き物だった。あれは別に人間の体質というわけではなく、この世界の食べ物を摂取した時に起こる副作用のようなものなのだろう。
 最近の不調の原因は、どう考えてもその『脂肪』のせいだ。心なしか、鏡を見てみると少しふくよかになっている気がする。
 かくして、ジャンのダイエット生活は幕を開ける――。
「え? 懺悔を聞いてくれたお礼を渡したいとおっしゃるのですか? そのようなお気遣いはなさらなくても……って、これはかぼちゃのパイ!? 大好物です! やった〜〜〜!!!」
 ――のは、まだもう少し先の話になりそうだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご発注ありがとうございました。ライターのしまだです。
ジャンさんの覚醒回(?)このようなコメディちっくなお話となりましたが、いかがでしたでしょうか。
ジャンさんのお口に合うお話になっていましたら、幸いです。何か不備等ありましたら、お手数ですがご連絡くださいませ。
それでは、このたびはご依頼誠にありがとうございました。またどこかでご縁がございましたら、その時は是非よろしくお願いいたします!
東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年09月14日

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