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『相見互』
剱・獅子吼8915)&空月・王魔(8916)

 とある自然公園のただ中。森林浴用として植えられた木々。その葉を透かして注ぐ月光はやわらかい。
「いい夜だ」
 剱・獅子吼(8915)は世界的ギャングの名を冠したドライシガーをひと吹かし、一条の風に金色の髪先を梳かせてみせた。
 職業・素封家。しかしその眉間には生々しい刀傷が浮き彫られており、さらにはあるべき左腕が喪われてもいて。彼女の歩んできた人生がけして平らかなものではなかったことを示している。
「もうじき嫌な夜になる。お互いにとってな」
 眼帯の奥に隠した見えぬ右眼をすがめ、空月・王魔(8916)は仏頂面をさらに硬く引き締めた。
 職業・戦士。実に多くの敵を持つ獅子吼の護衛――なのだが、獅子吼は彼女を家事手伝いと呼ぶし、実際家事のすべてを受け持ってもいる、まあ、家事手伝いである。
 しかし、弓をメインウェポンとしつつも得物を選ぶことなく遠中近、いずれの間合でも戦い抜けるその戦闘能力は、まさに超一流である。

『そういえばキミの家事手伝いじゃないほうの実力、確認してなかったね』
 今日、いつも通り昼の直前に起きだしてきた獅子吼は、用意してやったシリアルに牛乳をかけつつ唐突に切り出してきたものだ。
 今さらか。というか、いきなり思いつくことなのか、それは。王魔は反射的に思ってみて、ふと思いなおす。
『私もおまえの自堕落で無気力な有様しか知らないが、いい機会かもしれん』
 これを受けて獅子吼は笑みを深め、
『じゃあ決まりだね』
 鼻をひとつ鳴らしてみせた王魔は仏頂面のままシリアルを指した。
『わかったから早く飯を食え。夕食は出さんぞ』
『夜食が出るなら文句はないさ』
 最高のパフォーマンスを発揮したいなら、消化に体力を取られるわけにはいかない。つまり対決は今日の夜に確定したわけだ。
 獅子吼対王魔。互いに闘う意味はなく、それを為す意義も、結果として得る利もありはしない。
 それでも互いに本気でやりあうことを決めたのは、結局のところ互いに本気をぶつけあえる存在だと認めていればこそだ。ふたりとも、言うどころか思ってすらみない真実ではあれど……。

 開幕は、獅子吼がシガーを手放したその瞬間だった。
 降下するシガーの火が、獅子吼の喪われた左腕に顕現した黒刃にて斬り飛ばされ、同時に王魔の手へ顕現、抜き手も見せぬ速度で射放された矢に貫かれ、闇に散り失せる。
 交錯した黒がヂリっ、硬い悲鳴をあげたときにはもう、王魔は跳びすさっている。そして彼女が残した残像は、斬り上げられた刃に裂かれてかき消えた。

 そのまま立ち尽くしていれば、脇から頭骨を断ち割られていただろう。が、文句をつけるような真似はしない。今為すべきは、その程度で終わりはしないと知らせることだ。
 王魔は後ろへ跳び続け、右手の指又に三本の矢を顕わして射込む射込む射込む。射る都度射角をずらし、弦を引く力を変えた三射は獅子吼を射貫くよりもその踏み込む先を塞ぐためのもの。
 王魔は研ぎ澄ませた五感をもって相手の“機先”を読むが、獅子吼は卓越した観察眼で相手の“空気”を読む。つまり、敵の動き出しを読む王魔よりも、敵が自らの挙動を思考する過程を読む獅子吼のほうが迅く「見切る」のだ。両者の速度差が寸毫であれ、一対一においては致命傷となる。
 後れを取っていることを認めるのはおもしろくないが、まずはおまえの一歩を塞ぐ。

 一方の獅子吼は、爪先をこする矢尻に胸中で舌打ちを鳴らしていた。
 そもそも得物の間合がちがうのに、小技まで効かせてくるのは反則だろう?
 だからこそ初手で決めたかったのが本音なのだが、あの王魔が決めさせてくれるはずがないことも弁えていて。
 だからこそ備えていたつもりが、見事にやられた。あれではたとえどこを射られるかが知れていても、手が届かないのだから見ているよりない。
 しかもだ。地へ突き立った矢は物理的に彼女の先を塞いでいるから、わざわざ回り込む労を強いられる。その時間を利して王魔は下がり続け……結果、剣士たる獅子吼は一方的に射られるばかりの間合を開けられてしまった。
 見切り自体はこちらが上であるはずが、余りに拙い結末ではないか。
 要ってみれば絶体絶命って感じかな? まあ、このまま終わる気はないけどね。柄じゃないことは承知の上だが、少し熱くなってみようか。

 覚悟を据えたか。
 王魔は獅子吼が整えた構えにその思惑を透かし見た。
 半身になって正中線を隠し、左の剣を前へ出してリズムを取る。フェンシングにおけるアンガルド――すなわち開始の構えは、三銃士に代表される決闘剣術の基本姿勢だ。
 常の獅子吼は視界のすべてに意識を張り巡らせるが、今は剣の間合にそれを絞り、一種の絶対防衛圏を作っている。
 そんな中で一歩、獅子吼が踏み出した。
 戦場をこの“森”とすることは暗黙で定めている。不用意に動かせては、せっかく作った間合の利が損なわれる危険があった。すなわち、王魔は攻めざるを得ない。
 果たして射放した矢は当然のごとく、獅子吼の体へ届く前に矢尻を払われ、弾かれた。線である箆(の)ならず、矢尻という点を斬ってみせるなど、あの女の反応速度はまったくもっていかれている。
 人間を相手にこれを使う気はなかったが……
 もう一歩近づいた獅子吼へ犬歯を剥いてみせ、王魔もまた心身を据える。
 ……いや、おまえは真っ当な人間ではないからな。人外相手なら出し惜しむ必要もないだろう。

 今、王魔が矢を射放した。その直後――獅子吼の眼前に迫っていた。
 心を空とし、逢うものあまねく斬り払う“即斬”を為していた獅子吼は、刃がかろうじて箆を払った瞬間、我を取り戻した。
 この矢、迅すぎる!
 突き上げる悪寒に思わず丸めた背を、今斬ったはずの矢が飛び越えていく。いや、同じ矢ではない。ニの矢だ。これもまた過ぎるほどに迅い。文字通り、矢継ぎ早に飛び来る三の矢も四の矢も!
 危険を冒して王魔の様を確かめれば、彼女は弓を一点に据えて射ているばかりだ。
 それで知れた。矢は二本で一対。一の矢をあえて弱く射ることで敵の備えをすかしておいて、その矢頭へニの矢を射込んで突き押し、タイミングをずらしながら急加速させている。
 速度はもちろん、威力もまた相当にいや増しているから、当たれば普通に死ぬし、かすめられるだけでごっそり肉を削られるだろう。
 我が無意識に最大の感謝を。私の質(たち)やら性(さが)やらまで計算した上で、この間断ない連射ときたものだ。その場凌ぎじゃすぐ追い詰められる。もっと真剣に先を読まないとあっさり死ぬな。
 息を止めて五ならぬ十の矢を斬り上げながら、獅子吼は思いきり前へ転がった――すとん。上から降り落ちてきた十二の矢を置き去り、右手で地を突き獣のごとくに駆ける。
 熱くなるって決めたことだしね。形振り構わず急いで逢いに行くよ。

 そのまま無心でいればいいものを。おまえの生き汚さは一級品だな。
 苦笑を噛み殺し、王魔はとどめのために用意した矢を牽制用に変え、射放した。
 獅子吼が十二本めの矢を自動で斬っていたなら、がら空きの胸へ射込んでやるつもりだった。しかし我に返った獅子吼は完璧に見切ってみせたのだ。空気の奥に位置するすべての矢の起点――王魔という射手の有り様を。
 見られてもいないはずのものを見切られてはどうにもならんが、ならば先読みできてなお受けざるを得ないものをくれてやる。
 あと五歩の距離にまで達した獅子吼がぎちりと笑む。
 自分が自然に笑み返していることに気づかぬまま、王魔は一歩を踏み出し、膝を突き出した。

 畳まれていた王魔の膝が解け、打ち出した蹴りを右腕でブロックした獅子吼は横っ飛びに地へ転がった。
 王魔の蹴りはこちらの動きに合わせた完璧なカウンター攻撃で、避けることは不可能だった。それ故のブロックだったのだが、肉を蹴り潰され、骨を押し曲げられる凄絶な鈍痛に右腕が悲鳴をあげる。
 咄嗟に踏ん張らずに転がり、骨折を免れた自分を盛大に褒めてやりたいところだったが。
 受け身も取れずに倒れ、しかも右手が使えないとなれば、体勢を立てなおすには相当な手間と時間がかかる。
 麗しの王魔は哀れな私を見逃してくれる、わけがないか。
 踏み下ろされた王魔の踵にあえて右肩を砕かせたのは、その次まで読んでいる余裕がなかったからだ。
 熱の代償は高いものだね。でも、まだだ。まだ支払は終わってないんだよ。

 足裏から登ってきた鎖骨の砕ける感覚に、王魔は胸中でうそぶいた。
 この期に及んで関節は守ったか。まあ、右腕まで失くしては煙草も吸えんだろうしな。
 獅子吼が肩を踏む王魔の足を支えに回転し、突き上げた踵を巻き取り、膝関節を捻り折る――いや、見切られてすかされた。とはいえ逃がしはしない。獅子吼の足首をホールドすると共に肘をあてがい、地へ打ちつけた。
 見切ったところで避けようのない攻めなどいくらでもあるんだよ。
 関節が潰れる湿った音が伝導する中で王魔が思考を終えた、まさにそのとき。
 軸となるべき左足をかきわけ、無理矢理なにかが潜り込む粘質の痛みがはしった。

 獅子吼は王魔のブーツで鎧われた左足から切っ先を抜き、苦笑する。さて、強いられた代償に見合う成果はあったかな?
 彼女が狙ったのは王魔の軸足を潰すことだ。そしてそれを為すには、自らの唯一の得物である剣が届く間合を保つ必要があって。
 故に獅子吼は自らを囮にした。鎖骨を折らせることで「あの体勢ならこう返すよりない」反撃を打ってみせ、王魔が自分の左側に密着する状況を作り出した。あとはただ、倒れ込む王魔の自重を使って刃を潜り込ませるだけのことだ。
 王魔からもがき離れ、片足でなんとか立ち上がった獅子吼はアンガルド。
 さあ、友よ。そろそろ締めといこうじゃないか。

 まんまとやられた。これでは弓も体術も満足に使えない。
 王魔の見切っても避けられない攻めに対し、獅子吼は見切らせて引き込む誘導を使ってみせた。結果、互いに足という攻防の要を損なうこととなったのだ。
 あいつは私よりも腕一本分痛みが濃いわけだが、弓は両手でなければ使えない。つまりはあいつが痛みに惑わない限り、有利も不利もないか。
 不思議と確信していた。獅子吼が苦痛などで鈍るはずはないと。
 なにせかわいげのない女だからな、あれは。
 ヘッドスプリングからの片足立ちを決めた王魔は、間合を離すことなく弓を構えた。
 ふん、最後くらいは付き合ってやる。

 わずか二メートルの距離を取り、互いに互いを見据えたまま、獅子吼と王魔は機を謀り、図り、計る。攻気と殺気を交えた呼気を揺らして相手を誘い、惑わせ、揺らがせて、同じように誘われて惑わされ、揺らがせられて。
「……三つ数えたら斬り込むよ」
 ふと獅子吼が漏らした言葉に、王魔は低く応えた。
「好きにしろ」
 見切るまでもなく、獅子吼が望んでいるものが駆け引きならぬ真っ向勝負であることは知れていた。そしてそれは、王魔自身の望みでもある。
 だからこそ、王魔は残された左眼を閉ざし、弓を引き絞った。
 一方の獅子吼もまた、眼を閉ざしている。
 もう、互いを読む必要も見切る必要もない。そこに在る相手へ己をぶつけるばかりでいいのだから。
 果たして獅子吼が倒れ込むように剣を繰り出し、王魔が下半身を据えられぬまま矢を射放して……


 松葉杖を突きつつ冴えない顔で病院から出てきた獅子吼は、と同じように松葉杖を装着した王魔へ告げた。
「全治三ヶ月!」
「全治一ヶ月半。つまりは私の圧勝だ」
 おもしろくもなさげに言い切る王魔へ獅子吼が噛みついた。
「いやいや、私は足首だけじゃなく、鎖骨も折れてるんだよ!? 傷の数は考慮してもらわないと!」
 必死の抗議はばっさり斬り捨てられた。
「私よりも多くの傷を負っている時点でおまえの負けだろうが」
 ぐうの音も出ない正論! しかし獅子吼はあきらめない。
「弓を装備した暴力のプロ相手に剣一本で挑んだかよわい素封家の心意気、全治半年分を差し引かれるくらいの価値はある!」
 王魔はうんざりした顔を左右に振り振り、
「屁理屈が弱い。言いがかりをつけたいなら、もう少し傷が癒えてから挑め」
「言いがかりじゃない、人としての情理の話だ!」
 言い合いながら、ふたりは慣れぬ杖を支えにゆっくりと歩いて行く。
 同じ家を――同じ先を目ざして一歩ずつ。


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2020年09月14日

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