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『極絞』
水嶋・琴美8036

 国防を担う自衛隊、その目と手が届かぬ“底”に、極秘裏に危機を排除する非公式部隊がある。
 暗殺や諜報、そればかりか人ならぬ異形の殲滅をも任とする隊員は皆、人の域を越えた戦士であるのだが――その強者どもをして「唯一無二」と言わしめる女隊員がいる。
 水嶋・琴美(8036)。
 常に単独で動く彼女の顔を知る者はほぼいない。しかし、隊員は彼女が実在することを疑ってはいなかった。なぜなら、彼女が積む戦果は確かなものだったから。
 そして今夜、彼らのいくらかが琴美を視認する。部隊の包囲をただひとりで突き抜け上陸した某国のエージェントが、彼女との決闘を望んだことによって……


 黒く塗り潰した皮膚は夜闇に溶け、元々の肌色どころか存在すらもぼやけさせる。
 気配を殺しているわけではないようですが。
 琴美は夜気を渡って届く敵の視線を肌で感じ、吸気を丹田へと落とし込んだ。
 あれほど自然に自らを無機質へ落とし込めるのはプロフェッショナルである証だとして、わずかにも物音が立たぬはつまり、その身をアーマーで鎧っておらぬということだ。海を泳ぎ渡ってきたのだから驚くことではないにせよ、琴美に先んじて対し、命を永らえた隊員の報告を合わせて考えれば、おそらくは得物すら携えてはいまい。
 琴美は意識を敵に集中させたまま、自らを鎧う半袖の着物と帯、そしてミニ丈のプリーツスカートを脱ぎ落とした。相手が身ひとつであるならばこちらも同じく身ひとつで対する。それは彼女のプライドであり、加えて、紙一重の見切りを為す備えでもあった。
「存分に闘い、決しましょうか」
 言の葉はブザーだ。挑まれる琴美が挑む敵へ告げる、開幕の合図。

 ぬらりと闇が流れ出し、琴美へ迫る。
 敵のまとうも装備が濃紺のマリンスーツであることが見えた瞬間、正面から踏み込んできた敵は右へ飛び、そこから転がって琴美の後方へ。
 しかし琴美はこの誘いには乗らない。数瞬の昔に敵が在った左方へ身をずらし、横合いから突き込まれた貫手が中空に止まる様を見届けた。
 同時に琴美はその貫手を巻き取るように回し蹴りを打ち、敵の肘へ爪先を突き立てて――と思いきや。
 肘は砕けるどころかぐにゃりと曲がって蹴りの衝撃を逃がし、するりと引っ込んだ。
 ずいぶん長い腕だと思ったものですが、理由は関節のつくりにありましたか。
 琴美はただならぬ圧を感じ、見切った以上の距離を動いていた。その読みは正しく、貫手は十数センチも深く伸びてきたものだが……外すことなくここまで関節を伸ばせるとは。
 丹田へ新たな吸気を絶え間なく落とし込みつつ、琴美は間合を取った敵とあらためて対する。
 なるほど。同僚たちが為す術もなかった理由は、この驚異的な身体能力による無音の強襲あってのことでしたか。

 かくて十秒を数えたが、敵に焦る気配はなかった。いや、視線が途切れ、息が途切れ、あげく気配が途切れ――
 ぢりっ。琴美の髪先を貫手がこすり去(ゆ)く。
 気配は消せたとて、空気を動かさずに攻めるは不可能。琴美は自らの周囲の揺らぎに反応し、首を傾げてやり過ごして見せたのだ。
 次いで琴美は身を翻し、左の横蹴りを突き込んだが。その蹴り足は敵ならぬ空を蹴り、ぬるりとしたものに巻きつかれ、巻き取られる。
 貫手が当たらぬと見て、敵は即座に関節を取りにきた。いや、もしかすれば始めからそのつもりだったのか。
 しかし、それは琴美の誘いでもあった。気配を探って後手に回り続けても、このまま打ちあっていても時間がかかるばかりだ。
 極められゆく足首関節の角度を変えて逃れれば、敵は膝を固めに移行すると見せかけ、琴美の腿を付け根から引き伸ばして靱帯をちぎりにきた。
 その中で琴美は自ら背を地へ投げ、敵の足首を掴んでいる。自らの背で敵がバランスを取りなおせぬよう押さえつけ、引き倒す。そこから掴んだ足首を脇に抱え、逆に敵の靱帯を捻り切らんとするが。
 皮の内で自在に蠢く関節が、完璧に極まったはずの琴美の技を成させない。
 しかし琴美は引き抜いた左脚を敵の膝へ横から押しつけ、伸ばした右脚で固めに入った。膝関節を壊す4の字固めである。
 それでも敵の異様にやわらかい関節は押し曲がるばかり。上体を振り起こした敵は、琴美の左脛へ貫手を打った。
 それを受けたのは脛ならぬロングブーツの底。すでに4の字を解いていた琴美は、掴んでいた敵の足首をねじ曲げながら反転。
 極まらぬ技にまだこだわるか! 敵は自らの膝が畳まれることにかまわず、貫手を突き込む。
 ことごとくがブーツとグローブに弾かれ、あるいはインナーの表面を滑らされるのは、琴美の体には引っかかりどころがないためだ。さすがに苛立ちを感じずにいられないが、今は攻め続け、琴美を追い詰めるときだ。
 私を相手取り、よりにもよって極め合いを選んだ愚、死をもって思い知るのだな!
 敵の思惑通り、琴美は敵の攻めに追い立てられる中で極まらぬ関節をあらゆる角度へ曲げ続け……ついに動きを止めた。
 あとはただ、琴美の体勢からは止めようのない攻めを打ち、血肉を爆ぜさせるのみ。満を持して敵は貫手を飛ばし。
 !?
 びりりと激しい痺れが全身にはしり、敵は自らの貫手がすくんで止まる様を見せられる。これはいったい、どうしたことだ!?
「神経は関節ほど自在ではなかったようですね」
 言われてなお敵は気づけない。思いつきようがなかったのだ。琴美が関節を極めていたのではなく、その関節を重石として体内を巡る神経を抑え込んで極めていたなどとは。しかも、自らが貫手を伸ばすことで極められた神経が一気に引き絞られ、体の自由を奪われようなど。
「関節を極めるばかりでなく神経という糸を絞る技、我が流派に存在しなかったものではありますが。間合の利を棄てて極め合いに臨んだそのとき、あなたは一条(ひとすじ)の勝機を失ったのですよ」
 言葉が重ねられるにつれ、痺れもまた強度を増し、敵の体から力が奪われていく。琴美は関節をいたずらに極めていたわけではない。その曲がり歩合を利してもっとも神経を絞ることのできる角度を探っていたのだ。
「せめてあなたが人外であったなら、あるいは……いえ、いくつか手間が増えるだけの話ですね」
 言い終えた琴美は防御を失った敵の首を抱え込み、頸動脈を締め上げる。
 こうしてみれば、実にあっけない閉幕であった。


 強者を相手取り、傷ひとつ負わぬ完全勝利を成した琴美は、満足げに息をついた。
 後始末は遠巻きに彼女の闘いへ見入っていた同僚に任せ、次なる任務へ向かう――と、その足がふと止まった。
 足首に絡みつき、歩みを妨げたものはあの敵が髪に仕込んでいたらしいワイヤーだ。
 繰り手なきワイヤーに琴美を傷つけることなどできようはずはないが、しかし。
 その存在にまるで気づかなかったのは、自らに及ぶものなしと高をくくった自身の慢心故のこと。
 それはいずれ、今このとき最強を自認する彼女の足を掬い、頂より引きずり落とすのではないか。そして蔑むばかりであった弱きものどもにのしかかられ、斬られ突かれ裂かれ千切られへし折られ、無残な有様を晒すこととなるのではないのか。
 ……考えてみたところで見えようはずのない未来。しかし闇に溶け、迫り来ているのかもしれない、末路。
 琴美は身をひと震いさせ、自らを急かすばかりである。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年09月17日

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