『二重生活の聖女様』

松本・太一（8504）

　世の中は理不尽に満ちている。
　松本・太一（8504）は、目の前の青年を見て小さなため息をついた。
　彼は熱を帯びた目で太一を見ている。その熱視線がたまらなくて、太一は思わず目をそらした。

　□　□　□


　事の発端は、太一が会社からの帰宅途中、背中に包丁が刺さっている青年を川辺で見つけた事だった。驚いて駆け寄ると、太一に優しく接してくれる数少ない会社の後輩だったことが分かった。
「こここ、これは一体」
　太一は震えつつも、青年の首筋に手を当て、脈を確認する。
　ない。
　脈を打っていない。
　つまり、死んでいる。
「ひっ！」
　近しい人間の死に対峙し、太一は思わず後ずさる。しばし深呼吸を繰り返し、再び青年のところに近づく。
「どうしましょうか。警察……病院……いや、もう病院は」
　太一がそこまで言ったその瞬間、ぼわん、と煙が太一を覆った。
　立て続けに起こった衝撃的な事実に、太一は「ひいっ！」と再び叫ぶ。人がほとんど通らない川辺だったため、叫び声は誰にも聞かれなかったのが幸いだ。
「い、いったい何が」
　徐々に収まっていく煙を振り払いながら言い、気付く。
　細く白く長く、黄色のマニキュアをした指の手に。
　突如現れた手の元を目線で素早く辿ると、己の体から生えていた。もっといえば、胸にたわわに実った果実が二つ付いた、腰がきゅっと引き締まったからだから生えている。
「な、なんだこれは！」
　太一が叫ぶと、その声ですら自分の声とは違う、うら若き女性の声になっていた。鈴を転がすかのような、可愛らしい声だ。
　服装を確認すると、先程まで確かに着ていたスーツではなく、白くぴらぴらした薄い布でできている露出の多いドレスになっており、前後が布状態の深いスリットが入っている。スリットからは、むちっとした美しい曲線を描く太ももが、惜しげもなくさらされている。
「パンツ、パンツは一体」
　パニックから何をどうすればいいのか分からなくなった太一は、何故かスリットからパンツを確認する。
　一応、パンツははいていた。パンツと言っていいか分からないが、それらしきものはちゃんとはいていた。
『あなたは、新たに魔女の力を得ました。きっと、目の前の問題を解決できますよ』
　ふ、と脳内で声が響いた。紛れもなく、自分の声だ。
　そう思ってくると、徐々に認識ができていく。自分が得た力の使い方を、溢れてくる万能感を、自分が魔女になったという実感を。
　太一はすぐに、青年のそばにしゃがみこむ。刺されたままの包丁を手にし、力を込めながら徐々に抜いていく。あふれ出てくるはずの血は一滴も出ず、また冷たく固くなっていた体が、徐々に熱と色を帯びてきた。
　太一が得た魔女の力は、蘇生。反魂、再生、復活……世界各地で様々な呼び方はあるものの、いずれも奇跡の類だ。
「……君は」
　青年は目を覚まし、太一を見て笑った。「聖女様？」

　□　□　□

「つまり、あなたは家族親族兄弟その他もろもろ、いないと？」
　太一が尋ねると、青年はこっくりと頷く。太一は思わず頭を抱えた。
　彼が入社したとき、ちらりとそのようなことを言っていたような気がする。両親を幼い頃に亡くし、施設に入った。その際、親族を探したけれど両親ともに施設育ちだったため、どうしても見つからなかった。天涯孤独だけど、逆に施設の仲間が家族のようなものだし、案外気楽なんですよ、なんて明るく言っていた。
　強い子だ、と感心したのを思い出す。
「それで、刺したのが彼女？」
「そうっす」
　青年の背中に刺さっていた包丁は、彼女によるものだという。随分、嫉妬深い彼女のようで、会社の同僚と話していただけで「浮気者」と責めてきたそうだ。
「そのレベルだと、あなたが彼女の家に帰ったとしたら、大変なことになるんじゃないですか？」
「でしょうね」
　青年は頷く。確かに刺した、ともう一度殺害を試みるかもしれないし、逆に浮気できないようにと閉じ込められるかもしれない。
　とにもかくにも、青年を彼女の処に行かせるのは、リスクが大きすぎる。
　太一が悩んでいると、パトカーの音が近づいてきた。太一は思わずその場から離れ、魔女の力で太一と青年が見えないように姿を隠す。
　パトカーから降りてきた警官たちは、口々に「本当にここで？」と言っていた。すると、後から降りてきた女性が「本当にここで刺しました！」と叫んでいるのが聞こえた。
「彼女さん、自首したんですね」
　彼女の良心にほっとするのもつかの間、太一は気づく。
　もうこれで、青年は彼女の家に帰れない。荷物を取りに帰ることさえ許されない。
　なぜならば、もう彼女の部屋にも警官が捜査の手を入れているだろうから。
「実は無事でしたーっていうのも、ダメっすよね」
　軽い感じで青年が言う。太一は「だめでしょうねぇ」と言いながら大きなため息をつく。
　親族に身を隠すようなお願いもできず、かといって無事だと言って彼女の元にも帰れない。
「失踪……」
　ぽつり、と太一は呟く。
「失踪したことにしましょう。そして落ち着いてきたころに、また堂々と生活できるようになるはずです」
「その間は？」
　青年に聞かれ、うっと太一は言葉を詰まらせる。
　ひとまず失踪したことにするにしても、失踪中をどうするかが必要だ。生き返った以上、生活基盤がいるのだ。
　青年はじっと太一を見てくる。太一はその意味が分かっている。分かっているが、それは同時に聖女が太一だということもばらすことになってしまう。
（いや、いっそばれないようにこの姿で家で過ごして、会社に行く時だけ元に戻って）
　行けるのか？　と自らに問う。だが、やるしかないのだ。
　何しろ、彼を生き返らせたのは自分なのだから。
「じゃあ、ひとまず私の部屋に」
　太一が言うと、青年は嬉しそうにこくこくと頷いた。
　中年男性っぽさがてんこ盛りの部屋なのだが、青年は大丈夫だろうか。大丈夫だと、信じるしかない。
「二週間くらいは大人しく、私の部屋で生活してください。その後、ちょっと遠くの方へいって生活基盤を固めましょう」
　もし役所関係で危なそうになったら、ちょいっと魔女の力を使うしかない。何しろ、自宅を落ち着ける場所にするためには、彼が自立しなければならないのだから。
「会社は？」
「残念ですが、ちょっと遠くの土地で改めて就職してください」
　青年は「そっすね」と軽く答える。どうも危機感が足りないようだが、これくらいでちょうどいいのかもしれない。
「蘇生を受け止めてくれる人間社会が欲しいです」
　姿を隠したまま家へと向かう中、ぽつりと太一は漏らす。
　蘇生したことを受け止めてさえくれれば、青年がまた元の生活を送れそうなものなのに。
　そこまで考え、太一は「いや」と頭を振る。青年のためには、元の生活に戻らない方がいい。何しろ、刺しに来るほど嫉妬深い彼女と生活していたのだから。
　青年が会社からいなくなるということは、会社で優しくしてくれる貴重な後輩が一人いなくなるということだ。
　そして、帰宅すれば太一だとばれないように、魔女の姿にならなければならない。
　会社でも家でも気の抜けない生活が、今この瞬間から始まったのだ……！
「エロかわ聖女様と生活だ」
　嬉しそうに呟く青年の言葉を、太一は聞かなかったことにするのだった。

＜アフターケアも万全に・了＞

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
再びこんにちは、霜月玲守です。
この度は東京怪談ノベル（シングル）を発注いただきまして、ありがとうございます。
少しでも気に入って下さると嬉しいです。

東京怪談ノベル(シングル)

霜月玲守

東京怪談

2020年09月17日