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『輪、しかして、和』
剱・獅子吼8915)&空月・王魔(8916)

 いつものごとく正午直前に起きだしてきた剱・獅子吼(8915)は、キッチンで今夏の名残(そうめん)をどう処理してやろうかと思案している空月・王魔(8916)へ言った。
「朝方目覚めてからずっと考えていたんだけどね」
 正真正銘の起き抜けであることは、その鼻声具合からして確実。なのにどうしてそんな見栄を張るのかといえば単純に「それはもう安らかな惰眠を貪っていたんだよ」となれば朝昼兼用の食事の質が激しく落ちるからだ。
 しかし。
「装うよりも洗顔を済ませて着替えてこい。いつ仕事が舞い込むかわからないんだからな」
 どん。王魔がテーブルに置いたものは、シリアルが盛られたばかりの深皿だった。そう、獅子吼の策は始動前からすでに失敗していたのである。
「深謀を生み出すために酷使された脳は、美味をもってしか癒やされないものだよ。そして美味とは、作り手のあたたかな情によってのみ実現する成果だ。なのにこの仕打ち、私の住まう世界はなんと無情なことだろう!」
 嘆いてみせた獅子吼の目の前からごそり、大さじ一杯分のシリアルが取り上げられた。
「顔を洗え。服を着ろ。そしてくだらない文句を垂れるな」
「……イエス、マム」
 主に飯の量を守るため、洗顔とついでに歯磨きをし、服を着替えて戻ってくれば、シリアルはパンケーキ、ボイルドソーセージ、プレーンオムレツのドイツ式三点セットにすり替わっていて――獅子吼は苦笑しつつ食卓へつくのだ。
 無情と非情に徹しきれないこと、戦士としては悪徳なんだろうがね。逆に言えばキミという人間の美徳だよ。

「おまえが起き抜けにいきなり思いついた馬鹿話は?」
 食後のコーヒーをすする獅子吼へ王魔が問う。わざわざこんなふうに言いなおすあたりに王魔と獅子吼の関係性が丸見えるのだが、ともあれ、
「ホームパーティーというものをしてみようかと思うんだ」
 獅子吼は薄笑みを浮かべ、策を紡ぎだした。
「東京という魔境のただ中、ずっとキミとふたりぼっちで生きていくものかと思っていたが……思いがけず他者との縁を結び、友誼やらしがらみやらの人らしいものを抱え込むことになった。せっかくだから、それをあらためて実感したくてね」
「友だちとパーティーをしてみたいが、巣の外へ赴くのは怖いから引き込みたいのか」
 さらっと要約、王魔は仏頂面を左右へ振った。
「自分で準備も仕末もできないことを安直に思いつくな」
 獅子吼は働かないことに限りない情熱をそそぐ素封家である。自動的に、準備のすべてを担うのは王魔となるわけだ。
「味見は完璧にこなせるよ。私の舌は十二分に肥えているから」
「人数分の戦闘糧食を出してやる。ホストとしておまえがヒートパックに水を入れてやれ」
 七面鳥を切り分けてやれと言うのと同じトーンで王魔が言い切れば、「それはあんまりだろう」と抗議の声をあげかけた獅子吼ははたと動きを止めて。
「いや、普通に暮らしている人たちは目にする機会もないだろうから……あり、なのか」
 知識と経験はあっても心根はお嬢様な獅子吼だから、非常識な話も真剣に考えてしまう。妙なところばかり真面目だな、うちのお嬢は。王魔は悩む獅子吼へ声音を投げた。
「普段通りのメニューしか作ってやらんからな」
 これを効いた獅子吼は唇を尖らせ、「なんだ。作ってくれる気があるなら最初からそう言えばいいだろう」。
「きちんとお願いされていれば、私も最初にそう応えていた」
 言い返しながら、王魔は胸中で独り言ちる。素直じゃないのはお互い様だ。


 パイシートを使ったベーコンとほうれん草のキッシュ。新鮮なオリーブオイルで漬け込んだタコと夏野菜のマリネ。ガラス容器に収めたラズベリーレアチーズケーキ。それを軸に据えた、食べやすく色味も鮮やかな料理の数々がテーブルの上にそろい踏む。
 いつもはどちらかといえば雑然としたリビングだが、こうして片づけてみれば思いのほか広い。これならば結構な数を招き入れられるはずだ。
「まるでパーティーみたいだ」
「それはパーティーだからな」
 早速マリネをつまみ食いしようとした獅子吼を玄関のほうへ追いやって、王魔は言葉を添えた。
「ホストはおまえだ。客人を迎える任務を果たせ」
「イエス、マム」
 最初にやってきたのは、獅子吼によく仕事を持ち込んでくる不動産屋の社長である。
 今日はお招きいただきまして! 手土産のワインは価格こそ安めだが出来のよさを謳われる逸品で、彼が備えた人付き合いのセンスを感じさせる。
「奥のほうは喫煙エリアになっていますので、どうぞそちらへ」
 リビングの奥と手前はエアカーテンで仕切り、完全分煙を成している。
 どうだ、この気配りは! 胸を張った獅子吼へ、王魔はテストの満点を誇る子どもへ向けるような生あたたかい目を向けたものだが、まあ、気配りができたことは確かなので、一応は褒めてやっていた。曰く、「やっと人並の域まで届いたな」。
 次いで唐突に少年型の依代を顕現させたのは、かつての強敵であり、今はまあ知己と言えなくもない陰陽師だった。
 よもや斯様な戯れに我を呼びつけようとは。
 渋い顔で吐き捨てた陰陽師。彼がここへ来た理由は、獅子吼と交わしたひとつの約定による。すなわち、年に一度は互いに友好を示すべく顔を合わせよう。もっとも今年は数度会っているので、来なくとも約定破りではないのだが……歳すら知れぬ陰陽師にも、未だ人の情というものが残されているということなのか。
 ちなみに手土産は、食卓に絶対出せない怪しい粉と怪しい汁である。
「……本当に呼べる友人がいたんだな」
 表情こそ平らかながら、本気で驚いている王魔である。
 だからこそ獅子吼は得意げに頤を上げてみせ、
「言っただろう? 私も友誼としがらみを抱え込んでいるのさ」
 だがしかし。
 その後に続く者は、紳士を伴ってきた世にも希なる雄の三毛猫であり、獣医と看護師であり、多数の保育園児や小学生、そしてその親であり、スパイスの包みを抱えた主婦であり、町内会の会長や役員であり――
「まるで知らない猫と人々なんだが!?」
 うろたえる獅子吼へ、王魔はなんでもない顔で言い返す。
「あれは私の客だ。まあ、こうしてみれば私も、思いがけない数の友誼としがらみを得たものだな」
 納得いかない表情の獅子吼を置き去り、客へのあいさつに向かう隻眼の射手兼家事手伝いであった。

 ダース単位で用意した酒やジュースは順調に消費され、それにつれ客たちもまた打ち解けて話に花を咲かせる。
「あの店にそんなものがあるんですか。それなりに通っているはずが、まるで気づきませんでした」
 猫を抱いて主婦連中の輪へ加わり、情報交換に勤しむ王魔。その合間には料理や飲み物を補充しては勧め、生活の中で鍛えたそつのなさを存分に発揮してもいた。
「あの土地はすでに片が付いています。買うなら値が吊り上がる前にするべきでしょうね」
 喫煙エリアでは獅子吼が、社長や旦那連中と強い酒を舐めつつ生臭い話に興じている。
 そして、大人たちの足下で退屈中の子どもたちを相手に奮闘するのは意外や意外、陰陽師だった。孤軍奮闘していた猫を助けてやろうと、形代を用いた手妻(マジックのようなもの)を見せてやったのが運の尽き。今や自分が逃げ場を失ってしまっていた。
「誰かを呪うより、子らを祝うほうが向いているんじゃないか?」
 氷を取りに向かう途中で足を止めた獅子吼。
 陰陽師は顰め面をうつむけ、深いため息をつく。本来これは宴が主の仕事だろうがよ。
「私は顔の傷と失くした左腕のせいで子ども受けが悪くてね。その点、キミの依代はうってつけじゃないか。キミも今日の土産に、私が得たのと同じ友誼としがらみを抱えて帰るといいさ」
 甲高い抗議を聞いてやらずに歩き出す獅子吼。
 その背後にはいくつもの輪があって、それが解けたり繋がったり、刻々と形を変えていく。しかし、輪がひとつであれいくつもであれ、同じ場にあることばかりは変わりなく――だから、ひとりの今も寂しさは感じない。なぜなら獅子吼は独りぼっちなどではなく、今なお同じ場に在り続けているのだから。
 最初から私は独りではなかったし、王魔とふたりぼっちでもなかったわけだ。この世界の中に作られた大きな輪の片隅にあって、誰かと繋がっている。気づけなかったのはただただ、我が身の不覚だね。

 キッチンへ辿り着けば、酒の肴を追加で作っている王魔がいた。
「せっかくだ。キミのご友人方にもあらためて紹介してくれないか?」
「なんだ、今日はいつになくやる気だな」
 王魔の軽口に笑みを返し、獅子吼はうなずく。
「そうだね。なんというか、もう少し気を入れて関わってみようかと」
 なにとだ? 王魔が問いを発することはなかった。決まっているからだ。
 眉間の傷は置いておくとしても、獅子吼は隻腕の異形である。その事実は無意識の内に彼女を人から遠ざけ、距離を取らせる原因となっていた。王魔に依存と言えるほど心身を預けてしまったのは、結局のところ同じように消せぬ傷を抱えた同士だからに他ならない。
 しかし。
 今、獅子吼はそれをして遠い彼方に在る他人へ歩み寄ろうとしている。
 彼女自身が思い立ったのはつい先ほどのことなのかもしれないが、形のない思いはパーティーをしようと決めたとき、もう生まれ出でていたのだろう。
 かくて世間知らずのお嬢様は、ようようと居心地のいい自室から踏み出し、世界へ向かうのだ。自ら望んでとはけして言えないながら、ほんの少し先に踏み出した王魔としては、背を押してやりたくなるではないか。
「買い物のしかたくらいは習っておくんだな。そうすれば今後、顔を合わせたときにも気まずい思いはせずに済む」
 王魔は獅子吼と共に輪へ向かう。
 あたたかな暗がりから、もっとあたたかな光の差すほうへ。


 昼過ぎから始まったパーティーは夕方過ぎ、空気を読んだ社長のひと声でお開きとなった。人々は王魔手製のクッキーを携え、帰路につく。
 此度のことは貸しておく。速やかに返せよ。子らのために最後まで居残っていた陰陽師は顰め面のまま言い置き、かき消えた。彼にしても今日という日は特別なものになったはずだ。
「不思議なものだね。彼の捨て台詞には親近感を覚えるよ」
 息をつく獅子吼に「おまえが言いそうな台詞だからな。ただしもっと回りくどく饒舌に」と返し、王魔は急かした。
「空の食器を運べ。右手ひとつあればできるはずだ」
「イエス、マム」
 返事は鋭く、しかし行動はだらだらと、獅子吼は片づけに参加する。ただし、いつもならずらずら屁理屈を並べて拒否するところだから、進歩はしてはいる。
「うん、悪くない」
 獅子吼はうそぶき、そして声量を上げて王魔へ告げた。
「私という人間は、思ったよりも人の道を踏み外してはいないらしい」
 我もまた人なりとの万感が込められていることは知れているが、王魔にそれをやさしく肯定してやる可愛げはない。たとえ心の底に濃やかな情を湧き出させているのだとしてもだ。
「とりあえずはおまえも人間だからな。悪事に励みさえしなければ自動的に人の道を歩くことにはなる」
 ぶっきらぼうに返してやれば、獅子吼は生あたたかく目をすがめ、
「まあ、そういうことなのかもしれないね」
 それはもう、上から目線でうなずいたものだ。
 この女はどうしてこう、余計なものは欠片も逃さず読み取ってあげつらうくせに、人の本心だけはまるで読めないのだろうか。いや、疑うまでもない。人として欠けまくっていることをさっぱり自覚できていないからだ。
 私が正してやらなければならんのだろうな。あのお嬢様が人並になれるように。
 実に清らかなる決意を固めた王魔だったが――
「分不相応なことを考えているようだが、それはキミのよくない癖だよ」
 結局、したり顔で言う獅子吼の脳天に回避不可能なゲンコツを落とすことになるのだ。

 獅子吼も王魔も、わかっていながら言わないことがある。
 今は言わぬが花と決め込むばかりのそれは、口にしてしまえばなんということもないこと。すなわち――
「キミがいてくれてよかった」
「おまえがいてくれてよかった」
 伝え合うにはまだ相当な時間が必要で、だから互いに己が胸底へしまい込んで鍵をかけて、今日もどうということもない一日を共有し続けていくのだ。


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2020年09月23日

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