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『硝子の靴はなくても君は』
不知火 楓la2790)& 狭間 久志la0848

 酒と肴は切っても切れず美味い肴は酒の席をより楽しいものにする。おつまみとしては勿論話題の意味でもそれが占める割合は大きい。ただし今に限っては明るい空気に思考が冷えていく感覚を味わう羽目になった。グラスを持つ手は止まり、脳内が真っ白で何か考えつく前に空転をする始末だ。だが此方の様子に気付いた素振りもなく話をする当の本人に絶対に悟られるまいと元の自分を取り繕うも、馬鹿馬鹿しくなり思考を放棄した。目の前に座る人も視界に映さずに、自分の瓶に手を伸ばして、空のグラスになみなみと注ぐ。勢いの強さに隣の男が声を漏らすのが判ったが、それを無視し溢れそうでも溢れはしないぎりぎりで止めた。何食わぬ顔で口へ運び薄く開いた中へ送る。段々グラスが斜めになると同時に喉の奥で鳴る音も間隔が短くなっていく。そこまできて漸くに、
「おい、それは流石に勢いあり過ぎじゃねぇか」
 正面の彼から指摘が入るも一瞥を寄越すに留めて、一気に飲み干す。酒で腹が満たされていき、ついでに少し酔いも回った気がする。その事実に気を良くし、二杯目も注いだ。が、元々周りに合わせ飲み進めていたが為に先程グラス目一杯に煽ったのも手伝い三分の二程度で底をついた。鼻を鳴らし、丁度同じ席を囲んだ面子に料理と酒が来たのを見咎めて、最初は自重したここで最も度の高い酒を注文し、それで溜飲が下がる。最早喜んでつまんだマカロニサラダも味が判らない。それなら酒だと、再びグラスを取った。
(ほら、どうせ僕のことなんて見てないし……)
 子供のように不貞腐れながら酒を煽った。もう一度見ても彼は隣の女性と親しげに話している。内容は昼の任務のあの大立ち回りだ。間違いなく報告書の備考欄には彼がMVPと書かれるだろう。心なしか女性の目がうっとりとして見えて更に気分が悪くなる。身勝手だと自覚しながら。その後も酒が九割で肴一割の極端な配分で飲み進めていく。隣の男に気を遣われても笑顔で平気と躱した。適当な相槌を打ちつつ二本目の瓶が半分に減った頃にずっと目の端に捉えていた正面の彼が立ち上がるのが見えた。トイレだと思い込んだことと注意力が散漫になっていたのもあり、店員を呼ぶ手が横から止められるまで、彼が背後に回っていることに気付かず、思わず肩が跳ね上がった。振り返れば眼鏡の奥の瞳が歪んでいる。それは怒りではなく心配の色。いつもならすぐ絆されただろうが、むしろ火に油を注がれた。
「そろそろやめとけ」
「……イヤ」
「あ? 何だって?」
 首を限界まで回せば肩越しに彼の顔が見える。手首よりもやや腕寄りの半端な位置を掴む手のひらから熱を感じ目眩を起こす。幼稚さを自覚しながらも、心中はままならない。
「イ・ヤ!」
 と強調するように言えば彼は何か言いかけて固まった。駄々を捏ねる子供そのものと呆れたに違いない。元から強くは掴まれていなかった手首を無理に振り解き、表情が見えないようそっぽを向いた。幸いにも、そちら方向は壁なので同席者を困らせる心配はなかった。不意に胸が窮屈に感じ襟巻の下を寛げて息を抜く。隣の席の男が何か言おうとして声は唐突に途切れた。同時に己も身体を押される。鼻を壁にぶつけそうになり、と思えば逆に引き寄せられる。視線を向ければ、想像と違う人――斜め後ろにいた筈の彼の顔貌があった。ただ彼は逆方向を向いているとほっと気を緩めた途端に振り向いて顔の近さについ引いてしまう。不機嫌そうに彼の唇が曲がり、いやいやそれは自分だとわざわざ思い出したくもない先程聞いた話を思い出してまで必死に拒絶を試みる。が、そんな努力も虚しく、今度は二の腕を掴まれた。髪色と同じ黒の瞳の中に自分が映っているのが解る。緊張に湧き始める唾を飲み込んで抵抗しようとしたが機先を制し彼が腕を掴んだまま立ち上がる。呆気に取られたのもあり強引に立たされた。といってもすぐにハッとした彼が腕を離し労わるように摩るのを見て複雑怪奇な感情が溢れ出す。
「この通り、すげー酔っ払ってるようなんでな、俺たちは先に引き上げさせてもらうぜ」
 悪りぃな、と続けると肩を貸され輪の外へと連れ出されてしまった。彼以上に後ろ髪を惹かれる要素は今はない筈なのに動揺しているせいか振り返れば、彼と話していた女性が意味深にウインクをする。既知の同業者は彼以外おらず、皆初対面なのに見透かされたと察して朱が顔中に走った。一応横目で覗くも正面を見ている彼は気が付いていない。複雑な心境に駆られつつ、暖簾をくぐり居酒屋を出てふらつきながらも大人しく帰路を辿る。自分たちの祝勝会を抜きにしても街中は喧騒に塗れ、夜の帳をネオンが掻き消していた。
(――気付かないで)
 この鼓動の速さに。倒れそうなのを堪えて前に進んでいく。
 不知火 楓(la2790)の秘密は彼が――狭間 久志(la0848)が好きなことだ。急に身体が傾ぎ、楓と名前を呼ぶ声が反響した。

 ◆◇◆

 おっ、と声が漏れ出る。久志の目の前で長い睫毛が一度震えて、瞼が開くとまさにその名を思わせる赤い瞳がゆるり顔を覗かせる。気持ち覗き込むように首を倒せば直に焦点が合った黒目とかち合って、一秒経ち二秒になる前に楓は身体を跳ね上げた。彼女にしてはらしくないことに当たる想定が全くされていないその動きに久志側が背を反らして対処する。久志は顎が、楓は額だか頭のてっぺんだかが激しくぶつかるところだった。そうして横たわった状態から、半身を起こした彼女は普段は余裕綽々、何を考えているか読み難い顔を混乱の一色に染めあげて振り返る。しかし頬にかかる髪で表情を隠し、人一人は入れそうな微妙な間を挟み座り直した。
「野郎の膝枕なんざ、大抵こんなもんだろうから勘弁してくれな」
 それから楓が何か言うより早く、
「あの居酒屋を出てすぐぶっ倒れたことは憶えてるか?」
 と訊けば楓は逡巡したのか黙り込み、それからこくりと声もなく応えた。停滞している空気を察したかのようにふと静寂の合間を風が通り抜け、久志は何とはなしに頭上を仰いだ。すぐ側の街灯に照らされたまだ青々とした枝葉が視界の隅に映り、そして更にその向こうに暗闇が広がる。楓などは紅葉すると直に枯れ始め、吐息が眼鏡を曇らせる冬がやってくる。
「久志、ごめん」
 消え入りそうな声もひと気のない夜の公園なら耳まで届く。星を探すのをやめて首だけ隣へと向ければ背を丸めているのが判った。身体の線を隠し、どちらとも取れる風を装っても今こうやって見れば明らかに女のそれであると、はっきり感じる。育ちのいい楓は気まずげな癖に律儀に視線を合わせて謝った。それにかぶりを振り言う。
「別に気にする必要はねぇぞ。家に帰らなかったのは流石におぶったままなのはまずいと思ったからだしな」
 おぶったまま、のところで彼女は片眉を上げたが、気付いても深く疑問には感じず続ける。
「しかし今日はやけに飲んでたな? 何があったかは知らねぇが――」
「狡い」
「は?」
 狡いと楓はもう一度繰り返した。大人の細面を形作る頬が子供じみて膨らむ。身を乗り出してベンチに手をつくと尻を浮かせ微妙な距離を詰めてきた為に身動ぐ。それすら気に召さなかったか、柳眉がつり上がるが、逆に瞳は涙が滲んで、怒っているか悲しんでいるかもさっぱり分からない。答えはすぐ楓の唇から零れた。
「他の女の子はお姫様抱っこしたのに、僕にはしてくれないんだ……」
 いや街の中じゃ話が違うだろうという正論が脳裏に浮かぶも声には出せなかった。余りに衝撃的発言だったから。一先ず落ち着こうと眼鏡のブリッジを押して位置を整える。さしもの楓も度の高い酒を飲みまくった為に酔ったと思い込み――歩き始めてすぐに倒れたから間違っていないが、この心許ない光に照らされる美貌が色付いて見えるのは酔いのせいではないらしい。となれば言葉に頼らずとも心情は察せる。こんななりでも久志は元の世界では妻帯者だったのだ。
 ――改めていうまでもなく、楓は一人の女として見れば充分に魅力的である。
(って認識は前からあったが、何かフラグが立つようなことあったっけ?)
 そう思い一瞬、楓といつも一緒にいるあの男の顔が浮かんだ。漠然とだが楓は彼が好きだと思っていた。隣に並んだとき、それが最も自然に見えたからだ。だが結局は幼馴染故らしいとご機嫌斜めの彼女を見返して思う。
「なら、お姫様抱っこして連れて帰ればいいのか?」
 多分そう言いたいのだろう。原因は久志が酒の席で今夏は何故か海に行く機会が多く、また何やかんやでお姫様抱っこしたり、時にはされたり――そんな濃い記憶が残った話をしたからなのだ。勿論それで彼女が拗ねる結果になっている以上、楓はその思い出の中に含まれていない。まあ当然楓が想像するような意味はないが。応えるとの意図も込みでの返しにしかし楓は緩く首を振った。
「一体、どうすりゃいいんだ」
「久志も僕のことが好きなら、同情じゃなくて本当に応えてくれるのなら、お姫様抱っこ一回につき十回キスして」
 涙目の不機嫌顔で告げられた要求に今度は動揺しなかった。かつては嫁もいたし、まあ人並みに恋愛もしてきただろうと思う。だからちょっとやそっとのことで挙動不審になどならず、男女のやりとり、恋愛におけるあれやこれやについては特別物怖じしないのだ。むしろ人間、目的のためにと、ありとあらゆる手段と努力を投じ、自らにとって最善の結果を求めても許されるであろう数少ない事象の一つが恋愛である。そう持論を持つ故自分を好いてくれる相手が体当たりでくるのならば、ちゃんと応じようとするのが筋というもの。これでも一応は大人の男なんでと、少年の面影を残した顔に似合わない大人の笑みを刻んだ。この世界に来て一度たりとも決まった相手がいなかった久志は今目の前の甘いシチュエーションを蹴飛ばせる程リッチな生活は送ってきていない。――楓の隣に座る男の下心と奴を前にし胸元をくつろげる彼女に色々思ったのも事実だ。
「五十回になるがいいんだよな?」
 楓は他の女の子といったがいずれも友人に大別される関係だと、性別は定かではないトモダチを含めた数で返す。彼女は怯んだように見えたがすぐに頷いて、逃げ腰になる前にと楓の頬に手を添え、目を開いたまま顔を近付ければ彼女は固く目を瞑る。もし本気で嫌がれば全てなかった話にしようと思い観察していたが、緊張しているだけらしい。この距離では初めて見る顔を眺めるのもそこそこに、まずは鼻先へフェイント。子供扱いしたと抗議し開きかけた瞼へと二回目を贈って、顔の部位に大体触れると漸く唇を重ね、一度離して食み、また離してから舌先を差し入れれば面白いくらい楓の身体はびくつく。身体ごと距離を置くと美貌は真っ赤に染まっていた。楓と読んで字の如く。紅葉にはまだ早いが。
「ちょっと待って……!」
「やっぱ無しにするか?」
「そうじゃなくて……ここは、嫌」
 何をどう考えたのか謎だが、楓がそういうのならばとすぐに引き下がる。だが耳元に顔を寄せ、
「じゃあ続きは俺の部屋でするか」
 とそう囁けば楓が確かに頷く気配がした。ならばと納得し久志は立ち上がる。こちらを見上げてくる彼女のいじらしさに笑い、取った手の甲に口付けを一つ。何回目だったかは覚えているが忘れたことにするとその手を掴み、そして立ち上がった楓の背中と膝裏に腕を回し、彼女が嫉妬して互いの感情が明確になるきっかけを作ったお姫様抱っこを仕掛けた。人の目など知ったことか――とお持ち帰りの構えを取る。楓も大人で酒も抜けている筈、自分を好きになったからには仕方ないと全部を諦めてほしい。
「……久志がこんなに強引だなんて知らなかったよ」
「これからもっと俺を知ってくれ」
 そんな風に返すと、
「うん。そうするよ」
 とそう言って楓ははにかみ笑う。久志も普段は感情の起伏が少ない顔を、少し意地悪な笑みにした。このまま帰ってバレたら騒動が巻き起こり後で二重の意味で嫉妬に晒されそうな予感を抱いたが、そこまで含めて非日常と楽しめるかもしれない。
(あ、今すごい悪い顔してた)
 見上げている楓がそんなことを思っているとはつゆ知らず、軽いがしっかり感じられる体重を意識しながら久志は今度こそ帰路を進みゆく。今日こうして大きな一歩を踏み出した二人には怖いものなど一つもないのであった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
恋愛IFだーということで極力イメージは崩さないように
心掛けつつがっつりとラブラブに書けて楽しかったです。
泥酔という程酔っているわけではないけれども気分的に
良くないのもあって倒れたりとか自制心のタガが外れた
という感じで、いつもとは様子の違う楓さんであったり、
そんな楓さんに応える男気に溢れた久志さんを書くのが
とても新鮮でした。その後不知火邸で起こる騒動などを
勝手に想像するのも楽しいです。約1,800字と派手に
字数を超過した為、大幅に削る羽目になって無念でした。
確認したつもりですが、回数を間違ってたらすみません。
今回も本当にありがとうございました!
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2020年09月23日

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