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『安価なる盾』
アレスディア・ヴォルフリート8954

 こんな無茶な話を引き受けるんですか?
 と、無茶な話を持ち込んできた本人が言うのだから、本当は話以上に無茶なのだろう。アレスディア・ヴォルフリート(8954)はほろりと苦笑し、うなずいた。
「その無茶が、あなたがたの未来を喪わせようとしているのでしょう? ならば私という盾が逃げ出すわけにはいきません」
 彼女は弾き上げたコインを掌で受け止めた。
 永き月日を経てすり減った竜紋から、彫られたその日の有り様を見て取ることはできなかったが、しかし。込められた祈りばかりはかすれることも色あせることもなく在り続けている。
 私は竜の思いを掲げる者だ。私は竜の志を示す者だ。私は竜の情を語る者だ。そして――今は背に、竜ばかりではないものを負う者だから。
 私は今こそ私の思いを掲げ、私の志を示し、私の情を語ろう。私が目ざす先へ、恥じることなく踏み出すがために。


 礫砂漠を踏み拉き、超合金の外殻まとう地竜――戦車どもが迫り来る。
 国々の狭間に位置し、有形無形の駆け引きの場となる地をオーバーラップ地域と呼ぶが、そこは各国の政治バランスがわずかにも傾げば容易く戦場と化すものだ。
 そしていざ戦争の舞台となったなら、先祖代々細々と営みを続けてきた先住者の安全が取り沙汰されることはない。

 戦車部隊に先行して周囲の警戒にあたっていた偵察担当歩兵がハンドサインを交わして突撃銃を構える。
 自らへ殺到する銃口に悠然を視線を返し、アレスディアは容赦なく照りつける日ざしを押し上げるようにコインを弾き上げた。
「この区域はあなたがたの国境の外にある。そしてすでに多くの民が住んでおり、外国にすぎないあなたがたの都合でその営みを侵すことは赦されない。東西のいずれか、20キロの迂回を頼めないだろうか?」
 偵察部隊の指揮官はアレスディアならぬ無線機になにかをがなりたて、部下どもへハンドサインを送った。指示はロックンロール――銃の安全装置を解除、弾薬装填。

 乾いた空気を激しく揺する甲高い濁音。
 彼らの撃ち込んだ銃弾は、竜紋刻みし盾へと姿を変えたコインに割り込まれ、アレスディアへ届くことなくすべてを弾かれたのである。
「このコインは盾と矛とに形を変える。そして私は、戦士を名乗って恥じない程度の力を備えている。が、言ってしまえばそれだけのものだ。個と多、力の差は一目瞭然だが、それでも私を排除させはしない」
 押し立てられた竜紋盾は、真っ向から叩きつけてくる弾の衝撃を裏まで通さず、主たるアレスディアを守る。この力あってこそ、アレスディアは我が身の骨折を怖れることなく踏み出していけるのだ。
 かつての私は独りだと思い込んでいた。私の傍らにはいつも竜がいてくれたというのに。私だけであれば不可能なばかりの壁を突き崩し、前へ進み続けられたのは、ふたりだったからだ。そして……今はふたりですらない。
 アレスディアは盾を傾げて弾を滑らせ、弾幕の圧を減じさせておいて跳んだ。
 隊員は互いが射線に入らぬよう展開しているが、数が増すほどにその布陣は複雑となり、射角は狭まる。フレンドリーファイヤが避けられないポイントへ滑り込むことは、アレスディアほどの戦士にとっては中級編程度の難度である。
「あなたがたは集団戦に慣れすぎている。だからこそ連動を封じられれば、このような有様へ陥るわけだ」
 盾の縁で兵の腕を折り、脚を折る。関節部、特に膝さえ無事なら復帰は容易だ。もちろん、相手にとっては理不尽な話ではあろうが、そもそも人住まう地を自らの都合で殲滅しようとしているのは兵らのほうなのだから、文句を言われる筋合いもあるまい。
 とりあえず、部下の命を見捨てて榴弾支援を要請していた指揮官を眠らせておいて、アレスディアは残された通信機へ語りかけた。
「そちらが押し通るつもりなら阻ませてもらう。ああ、私を拘束しようなどと思わなくていい。いざとなれば冥府への川を渡るだけのことだ。渡し賃は、この手に用意してある」
 この盾なるコインは、死者を冥府へ渡すカロンに支払う1オボロス。価格価値で言えば10円程度の代物だが、その安価に託したアレスディアの心は限りなく重く、深いのだ。
「行くぞ、相棒。私たちのたまらなく安い義を掲げて示し、高く語りあげるために」

 すでに敵本隊は展開を終えていた。歩兵に守られた戦車が砲口をアレスディアへ振り向け、その一方で、先は味方を巻き込まぬよう沈黙を保っていた榴弾砲が次々と榴弾を弾き出す。
「ただのふたりを出迎えるには過ぎた歓迎だな」
 苦笑を置き去り、アレスディアが加速した。
 榴弾は弾着と同時に弾頭の破片を広範囲に撒き散らし、敵歩兵を一掃する。故にアレスディアは顎先を地へこするほど低く上体を倒し込み、背負った盾に刺々しい豪雨を任せて駆ける、駆ける、駆ける。
 その間にも彼女は、未だ火を噴かぬ戦車砲を見やって胸中で言(ご)ちた。
 戦車本隊の装備は対人ならぬ対物仕様か。ならば。
 榴弾砲を守るべく前進を開始した歩兵部隊へは、偵察隊同様に射角を潰しつつ対処し、戦車の砲塔情からマシンガンを撃ち込んでくる師団長へ告げた。
「徹甲弾の値段は私の命よりも相当に高いのだろうな。が、後生大事に抱え込んでいていいのか?」
 それはまさに安い挑発。
 すでに十二分なほど面子を潰された師団長は即決した。あの甚だしく思い上がった女に、鋼の報いをくれてやる――!

 アレスディアに据えられていた複数の戦車砲が、細かに蠢き再び動きを止めた。
「相棒、ここが生死の分水嶺だ」
 盾の竜紋が声なき声をもって彼女へ応えた。応。ただひと言を。
 APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)の初速は時速5400キロ。すなわち、音速の4倍以上の迅さを叩き出す。直撃せずともその衝撃で人を引き裂き、ミンチに変える程度は容易かろう。
 それをアレスディアと“竜”はわずか1キロメートル先で受けきろうというのだから、無茶どころの話ではない。
 しかし、やり遂げる。その先に行くと決めたのだ。それをして彼女と“竜”は、神ならぬ己を試すのだ。
 果たして。
 壊滅を成すがため人の叡智をもって生み出された砲弾がアレスディアへ届き。
 赤を越えて白を映した「光」が世界を眩ませた。

 目標消失――観測部隊員の報告は、口にする前にかき消えた。
 爆煙を押し分け、踏み出したアレスディアはそう、黒衣の端をわずかに損なったばかりであったから。
「盾を砕く矛、とはならなかったようだ」
 双眼鏡に映る薄笑みに震える兵士たち。あの女は精霊か、神の御使いか!?
 と、戦車の一両がキャタピラを噴き飛ばされ、横転した。
 先住民の居住区域でこの隊と砲火を交えるはずだったもう一国の軍が、全速行軍をもって駆けつけたのだ。
 咄嗟に身構えたアレスディアの前へ、指揮官と思しき士官が自らの足で来たり、告げる。貴君と対するつもりはない。これより敵軍へ停戦を呼びかけ、共に退く。
 立場的に言えなかったことは明白だ。ただひとりの女の本気に心打ち据えられ、置いてきたはずの義心に駆られたのだなどと。


 こうして危うい平和を取り戻したオーバーラップ地域。
 住民に結果を告げたアレスディアは言葉を継ぎ足した。
「いつなりとお声がけください。私――私たちという盾は、そのためにこそ在るのですから」 


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年09月24日

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