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『月下美人の咲く夜に・前』
芳乃・綺花8870

 芳乃・綺花(8870)は、倒れた妖魔の手をぐしゃりと踏み潰す。
「他愛もありませんね。がっかりしました」
 綺花はそう言い、ふう、とため息をつく。妖魔はぎりぎりと奥歯をかみしめた。
「たったこれだけの力で、弥代に喧嘩をうるなんて、身の程知らずじゃないですか」
 綺花は鼻で笑った。

 □ □ □

 綺花の所属する民間の退魔会社「弥代」から依頼が来たのは、今朝の事だ。
 最初はとある公園を夜通ろうとすると、体の一部を刃物のようなもので斬られる、という依頼だった。現場と周囲の状況、そして監視カメラの映像から、それが人間ではなく妖魔の仕業だということが分かったのだという。
 その対処に弥代が選ばれ、すぐに妖魔を打倒したのだが、次の日から弥代に所属する退魔士が襲われるようになった。
 襲われた退魔士たちの証言などから、件の妖魔が起こしていると判断した弥代は、妖魔を圧倒的な実力でもって迎え撃つことを決めたのだ。
 すなわち、新進気鋭の女子高生退魔士である、綺花を対処に当たらせることを。
 綺花は二つ返事で了承し、妖魔の資料をパラパラとめくった。
「随分、傲慢ですね」
 資料を見、綺花は呟く。
 ご丁寧に、妖魔は襲った退魔士の背に数字を書いていた。元々の依頼のきっかけであった、体の一部を斬る凶器となっている、爪で。
 退魔士の背に書かれた番号が7から始まり、現在は9までいっている。つまり、公園で襲った人間の数も入れている。
「ちっぽけな誇示ですね」
 ふう、と綺花はため息をつく。
 弥代に喧嘩を売っているのは明白だ。弥代に所属する退魔士だけを狙い、襲っているのだから。そして、その背中に数字を書いているのも同じ理由だろう。
 その割に、せこい。
 どうせなら、弥代の退魔士を襲い始めたところを「1」とすればいいのに、ご丁寧に公園で襲っていた一般人も数に入れている。実際、退魔士は三人しか倒していないというのに。
「まあ、それもおしまいですけれど」
 綺花はそう言って、ぽい、と資料を投げ置いたのち、帯刀している鞘を握る。
 どう切り刻んでやろうかと、思案しながら。

 □ □ □

 件の妖魔が、弥代から出てくる人間を観察し、勝てそうな相手の後をつけ、人気がなくなった場所で襲っているのは、明白だった。
 新人の退魔士に囮の役目を言い渡し、綺花は妖魔を待った。
「まさか、一日目ですぐにやってくるとは思いませんでした」
 あきれたように、綺花は言う。新人が人気のない公園に入った途端、妖魔が襲い掛かってきたのだ。新人にはすぐに逃げるように指示をし、綺花が妖魔の一手を防いだ。
 いきなり襲い掛かってきたということは、新人をつけるのに夢中で、綺花の追跡に気づいていなかったということだ。
「弱すぎます」
 綺花は呟く。
 心も、力も、何もかもが弱すぎる。
 妖魔は目標としていた新人に逃げられ、攻撃の爪を綺花に防がれ、戸惑う。が、すぐに綺花に向かって襲い掛かる。
 ガキン、と綺花の刀に爪が防がれる。ぎりぎりと鍔迫り合いをするが、綺花はすぐに爪を弾く。
 競り合うほどもない。
「すぐに終わらせましょう」
 綺花はそう言うと。刀を構えて妖魔へと向かって地を蹴る。
 黒色セーラー服のミニスカートを翻し、綺花が妖魔の腹に蹴りを入れる。黒の光沢があるランガードとバックラインのあるストッキングから繰り出される、重い一撃。
 ドス、という鈍い音と共に妖魔が「うっ」とうめき声をあげた。鈍った動きに、綺花は間髪入れず刀を振り下ろす。

――ザシュッ!

 重い音が響くと同時に、ぽとり、と妖魔の足が地に落ちた。立つ手段を失った妖魔が、叫び声をあげながらその場に倒れる。
「弱い……弱すぎます……! 本当に、本当にあなたが弥代に喧嘩を売ったのですか?」
 綺花はそう、妖魔を蔑んだ。
 そして、冒頭の発言に至り、手を踏み躙り、鼻で笑った。なんとも呆気ない、と綺花はがっかりする。
「本当に、不思議です。どうして、この程度で脅威とされているのでしょうか」
 綺花は刀を振り上げ、止めを刺すことにした。これ以上は時間の無駄だし、意味がない。

――ぼんっ!

 破裂音と共に、辺り一面が煙に包まれる。突然奪われた視界に、綺花は慌てて警戒する。
「突然、視界を奪うなんて」
 予兆すら見せなかったのに、と綺花は刀を構えて臨戦態勢を取る。気配を探り、神経を尖らせる。
 煙は徐々に落ち着いていく。風が吹くたびに、煙が流されていく。
 そうして、煙が奪っていた視界が戻ってきたとき、確かに転がっていたはずの妖魔はどこにもいなくなっていた。
「気配すら感じさせずに……!」
 綺花は、小さく笑う。「やりますね」
 戦ってみた相手の実力は、弱すぎて話にならないほどであった。だが、予兆もなく煙を発生させ、気配すら感じさせずにこの場を後にしたのは、評価に値する。
「ですが、あの傷ではせいぜい逃げるのがやっとでしょう。そしてあれ以上は」
 綺花はそこまで言い、ふと、気付く。
 今まで、弥代の退魔士と遭遇し、無傷だったことがあるだろうか。
 たったあれだけの力しかないのに、弱い退魔士を狙ったにしろ、何事もなく狙い続けることができるのだろうか。背中に数字を刻みつけることは、決して容易なことではない。
「あの妖魔に、それが可能でしょうか?」
 いなくなった妖魔がいた場所を見つめ、綺花は呟く。
 そうして、気付く。

――斬り落としたはずの足が、ない。

 あの妖魔は綺花に気配すら感じさせず、転がった足を拾い、踏み躙られていた手を振り払い、まんまと逃げおおせたことになる。
 それが、並大抵の妖魔に適うことなのだろうか。
「なるほど……一筋縄ではいかないと、そういう事ですか」
 くつくつと綺花は笑う。
 妖魔の性格上、このまま逃げ続けることはないだろう。あれだけ自分自身を主張してきたのだ。ここで逃げておしまい、ということにはならないだろう。
 再び弥代の弱い退魔士を狙うか、それとも綺花自身を狙いに来るか。
「後者だと、いいのですけれど」
 綺花は呟き、カチン、と刀を鞘に戻す。
「次は、きちんと殺して差し上げますから」
 綺花はそう言い、静かに微笑んだ。
 また再びやってくるかもしれない妖魔に、心なしか期待を込めて、胸の奥が踊るのであった。


<期待に胸膨らませ・続>

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
初めまして、こんにちは。霜月玲守です。
この度は東京怪談ノベル(シングル)の発注、ありがとうございました。
こちらは、連続した3話のうちの1話目になります。
少しでも気にって下さると嬉しいです。
東京怪談ノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年09月24日

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