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『月下美人の咲く夜に・後』
芳乃・綺花8870

 美しい所作で、芳乃・綺花(8870)は刀を構えた。暗い夜の闇の中、黒いセーラー服を纏った綺花は、満月の光に照らされた刃の刀を構え、凛と立っている。
 妖魔は綺花の姿を見、地に落ちて動かなくなった指と止まらない血の事も一瞬忘れる。
 美しい、一輪の花のようだ。
 人間とは、退魔士とは、妖魔にとって狩る対象物でしかなかった。
 それなのに、目の前に立つ綺花に対し、恐れ憎しみを抱きつつも、思わずにはいられないのだ。
 美しい、と。
 綺花はぐっと刀の柄を握る。妖魔はその所作にはっとし、攻撃に備える。
「行きます」
 予告すると同時に、綺花は地を蹴った。妖魔も綺花から遅れて地を蹴る。
「受け止めることを、諦めましたか」
 綺花はそれでも妖魔に向かうことを止めない。止める必要がない。目標としていた地点が、近くなるだけだ。
 妖魔は意を決し、爪を振りかざす。まだ勝機が完全に潰えたわけではない。ほんの少しだろうが、存在しているはずだと、信じて。

――ガキィン!!!!

 今までで一番強い衝撃の音が、辺りに響き渡る。
 妖魔の振りかざした四本の爪は、すべて地へと落ちていく。綺花の刀は、妖魔に残された片手の爪を、すべて斬り落としたのだ。
 爪なので痛みはないが、衝撃で思わず妖魔は叫ぶ。せっかく綺花と戦い、強化した爪が、たった一撃で折られてしまった。
 たった、一刀で。
 妖魔はもう片方の手を振りかざす。もう戦うしかないのだ。強化も逃亡もできぬのだから、一縷の望みにかけるしかない。
「その意気、悪くありませんよ」
 綺花は静かに褒め、再び刀を振るった。

――ザクッ!!

 ぼとり、と腕が落ちた。
 妖魔の叫び声が、辺り一帯に響き渡る。今までで一番大きな咆哮だ。
「意気は良いですけれど、力の差がありすぎたようですね」
 綺花はそう言い、今一度刀を構える。
 妖魔が何か口にする前に、ヒュン、と刀が振るわれる。
「右足」
 妖魔の叫び声に構うことなく、綺花は更に刀を振るう。
「左足」
 冷静な綺花の言葉とは対照的に、妖魔は叫び続ける。それだけが唯一許された行為であるかのようだ。
「右腕」
 横たわった妖魔の右腕を斬り、胴と頭だけになった妖魔に、綺花は静かに告げる。
「これで、あなたの強化は終わりです。それでは」

――さようなら。

 紡がれた言葉と共に、刀が一筋の光と成る。
 呆気ない幕引きに、これからさらに強くなることを求めていた妖魔は、声にならない叫びを上げた。

 何処で間違えたのだろうか。
 弥代を狙ったから?
 襲ったものの背に数字を書いたから?
 綺花に復讐をしようともくろんだから?

 答えは、出ない。
 そのような並行世界は、今この瞬間には存在していないのだから。

 □ □ □

 並行世界では、綺花は地に組み伏せられていた。
 綺花と戦った妖魔は、綺花よりも強くなっていた。
 そう、圧倒的な実力と知性を兼ね備え、非常に美しく艶やかな、完璧な女性である綺花よりも。
 誰にも触れさせたこともない、乱れることもなく汚したこともないと自信の裏付けにもなっていたセーラー服は、様々なところが千切れ、汚されている。
「何故、こんなことに」
 悔しそうに、綺花は呟く。
 苦戦や敗北など、予期すらしていなかった。
 自分よりも強い相手が存在すると思ったことはなく、常に対峙するのは自分より格下だ。
 じゃり、という砂の感触が頬に当たる。今、自分が置かれている状況が、綺花にはどうしても理解できない。
 簡単な任務だった。
 傲慢で身の程知らずの妖魔を、完膚なきまでに叩き潰すだけの、簡単な任務。
 弥代を敵にしたことを後悔し、復讐心など抱く間もなく打ちのめす。妖魔の間で、弥代を相手にするという意味を分からせるという意味合いもあった。

――それなのに。

 綺花は、ふ、と自嘲気味に笑う。これは何かの間違いではないか、と。
 こんな風に、転がされている自分など本当はいなくて、単なる夢か幻なのではないかと。
「……ぐふっ!」
 そこまで考えた瞬間、妖魔の足が綺花の腹を蹴る。えぐられるような痛みに、綺花は苦悶の表情を浮かべた。
「せめて……せめて一撃でも」
 綺花は震える手を伸ばし、刀を掴もうとする。が、その手は妖魔の足によって踏みつけられ、阻まれる。
 ぐじぐじと踏みつけられ、綺花の美しい手が土と血で汚される。執拗な踏み躙りに、思わず綺花は呻く。
 妖魔はそんな綺花を見て思いついたらしく、綺花をうつ伏せに転がした。たったそれだけの事を、乱暴に扱われたため、綺花の体は至る所に擦り傷を作り、土にまみれた。
「あ、いや……やめて下さい……!」
 びりびり、とセーラー服の背中の部分を破られる。ご丁寧に、綺花の背中が傷つかないように、服だけが破られた。徐々に綺花の白い背中が露わとなる。
「いや……刻まないでください……数字を……数字を刻まないでください……!」
 弥代でも屈指の退魔士が、圧倒的な実力でねじ伏せてきた美しく聡明な綺花が、倒すべき妖魔によって犠牲者の証を刻まれてしまう……!
「あああ……!!! やめてください、やめてください!!」
 がりがりと背中に爪で数字が刻まれてゆく。痛みよりも屈辱で頭がいっぱいになる。
 抗うすべもなく、綺花の背中に「10」が刻まれた。真っ赤な数字は、真っ白な綺花の背中によく似合う。
 とても美しい光景だと、妖魔は絶賛した。
 絶賛し、笑い、手を叩く。
 綺花は声もなく、表情もなく、ただ涙を流し続けた。
 綺花には分からなかった。どこで道を違えたのかが。慢心からか、妖魔からの強い恨みによる復讐心からか、それとも。
 綺花には、もう何も分からなかった。

 □ □ □

 妖魔の痕跡が消え失せ、綺花は刀を鞘に戻した。
 切り刻んだ体は既にどこにもなく、妖魔は闇の中へと溶けて言ったかのようだ。
「任務達成ですね」
 ふふ、と小さく綺花は笑った。
 これで背中に数字を刻まれるものはいなくなるだろうし、弥代も体面を保てるだろう。
 何しろ、綺花が任務にあたったのだから。
 これから先、どのような任務が来たとしても、確実に綺花はこなすことができるだろう。それだけの実力を持っているのだから。
「指一本、触れさせませんからね」
 ひらり、と汚れ一つ傷一つないセーラー服を翻し、綺花はその場を後にする。
 妖魔を斬った瞬間、妖魔が何かを見ていたような気がするが、既に答えは出ない。否、出ずとも問題ない。
 華麗で美しく、圧倒的な実力を持つ綺花だ。敗北などあり得ないし、苦戦すらすることはないだろう。
 それこそ、並行世界でもない限り。今はその並行世界は存在していないのだから、考えても仕方がない事だ。
「そういえば、満月でしたね」
 綺花は空を見上げ、眩しそうに目を細めた。
 満月は妖魔と対峙する前と同じく、空にぽっかりと穴をあけているかのようであった。

<闇夜に咲く花のように・了>

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
初めまして、こんにちは。霜月玲守です。
この度は東京怪談ノベル(シングル)の発注、ありがとうございました。
こちらは、連続した3話のうちの3話目になります。
少しでも気にって下さると嬉しいです。
東京怪談ノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年09月24日

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