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『初心』
アレスディア・ヴォルフリート8954

 某国の機甲師団と対峙し、背負った民の営みを護り抜いたアレスディア・ヴォルフリート(8954)。
 その後に数百キロを渡り、彼女の後を継ぐと息巻く“弟子”に稽古をつけてやって、今度は数千キロを飛び越えて誰かの未来を守り抜いた後、また数千キロを越えて、東京の片隅にあるオフィスまで帰り着いた。
 オフィスと言いながら、事務机と椅子、そして仮眠用の折りたたみベッドが置かれただけの空間。その、ただひとつの椅子に腰を下ろし、アレスディアは高く結い上げた髪を解いた。途端、灰銀の髪ばかりでなく、休みなく世界を駆け巡る中で絞られた緊張もまた解け落ちる。
 単純なものだ。髪を解くという、ただそれだけの行為に心を預けてしまうのだからな。
 言うなればスイッチングとなるのだろうが、しかし。髪を解いても解けないものがある。いつの世にも奇しきものと称される、人の縁というものが。
 これまでずっと、独りで歩み、独りで立ち、独りで守り抜いてきたつもりでいた。だからアレスディアは、自分が行けずに終わるのだろう未来を身勝手に他の人々へ託し、そのために力を尽くしてもいて。
「自分がどれほど傲慢で、且つ斜め上な努力をしていたものかが思い知らされるというものだな」
 あのことがなければきっと、今も変わらず独りのつもりであがいていたのだろう。――思ってみた途端、アレスディアの眼前にあの日の情景が蘇った。
 ひとりの少年が汚れた顔をまっすぐ上げ、彼女へ告げたあの言葉。

 あんたの次は、俺がやるよ。

 故郷と大切な人たちを喪って以来、これほど心を揺らされたことはなかった。
 アレスディアにとって衝撃とは耐え抜き、踏み越えて行くだけのものだったから、そもそも「揺らされた」と意識することもなかったのだ。それは自らを返り見ることなく、先の先ばかり見据えて駆け抜けてきた彼女なればこそである。
 なのに、揺れた。
 先へ急くばかりであった心が立ち止まり、今自分に突き立てられた衝撃に震えたのだ。
 私の次――私が護ることのできない誰かを護る盾になると、あなたは言うのか?
 口にしなかった問いを苦笑で洗い流し、アレスディアはとりあえず少年の申し出を受けた。実のところ、それは問うべきときを先送りにしただけなのだが……少年は猛烈な勢いで勉強に励み、要領を得ないアレスディアの凄絶な指導までもを受け続けている。
 しかし、だからこそ怖い。このままでは本当に彼へ託してしまいそうで。託された少年が、そのために悲惨な末路を辿ってしまいそうで。
 自分が晒す死はどうでもいい。死はそれ以上の意味などなくただただ死であり、アレスディアは常に備えて生きてきたのだから。それこそカロンへの渡し賃を握り締めて。
 しかし次を託すとなれば、自分ばかりが負えばよかった命の危機をも託すこととなる。これまでにも思い悩んではきたが、敵味方問わず万人不殺という身勝手は、自らに課すだけで済ませるべきものだ。
 と。彼女のポケットの内に妙な違和感が生じる。コインだ。コインが勝手に縦となり、存在を主張してきたのだ。
「……すまない。また独りのつもりで悩んでいたようだ」
 アレスディアはコインを抜き出し、かすれた竜紋を見やる。
 いつ造られたものか知れぬ、家宝のコイン。
 矛と盾とに形を変える力を持つが、言ってしまえばそれだけの代物である。とはいえこれまでアレスディアを数多の窮地から救い、護ってくれた。これでもう少し主張が穏やかなら最高だ。
「そう願うのはさすがに欲深いかな」
 独り言ち、机にコインを置いて息をつく。
 結局のところ、私は託せていないのか。これほどあっさり“竜”の存在を忘れてしまうのも、自分以外を信じられていないせいなのではないか。
 惑いの水底へ沈みゆこうとしたアレスディアを引き止めたものは、他ならぬ“竜”の声音である。
 弁えよ。汝もまた、初心であることを。
「初心? 私が――」
 聞き返す寸前、思い至った。私が独りではないと知ったのはつい先日のことだ。そして託す次代を得たも同様である。
「そうか。私もまた、初心者か」
 是。故にこそ身の程とやらを弁えるのだな。
 重ねて言われ、アレスディアはうなずいた。
 そうだ。これこそが独りよがりというものではないか。自分の片脇に在る“竜”がアレスディアに諭してくれるがごとく、後に続く少年はアレスディアの諭す言葉や行動を待っているのだ。
 だというのに、私ひとりで悩み、迷い、疑ってどうする――いや、信じることに焦るな。私は初心者なのだと、たった今弁えたばかりだろう。
 それにしてもだ。ゆっくりと自然に誰かを信じることは、弁えてなお本当に難しい。しかし、やり遂げるのだ。喪わずに済むように、悔いずに済むように、信じて頼れるように。

 アレスディアは立ち上がり、オフィスを駆けだした。今自分が在るべきはこの静やかで落ち着ける場所などではありえない。
 またも己を急かしておるようだが?
 半ばからかいを、半ば懸念を含めた“竜”の問いに、アレスディアは確かな力を込めてかぶりを振った。
「急いているわけではない」
 言っている間も速度を緩めることなく、花序は雑踏をすり抜ける。
 少年にしてやるべきことはすでに数十思いついた。すべてを一気に実施しては少年が壊れるだろうから、まずは三つに絞ろう。今後また現われるかもしれない弟子のための実験台になってもらうことになるが……いつか笑い話にできることを祈るばかりだ。
 少年の妹は今、学校で人としての基礎を学んでいるから様子を見るだけでいい。
 しかし、あの学校も受け入れられる児童の数はいっぱいいっぱい。同じような境遇の子らを連れていくには、新しい学校が必要だ。建設場所と教師と、教材。給食。最低限を賄う金は……そういえば、なにかするなら声をかけろと言ってくれている人がいた。相談だけはしてみようか。
 そしてもちろん、この体が十全に動く内は、救いを求める誰かを護り続けていく。彼らを行くべき先へ送り届けることで、アレスディアもまた同じ先を行くために。

 思いは途絶えることなく溢れ出し続ける。
 アレスディアはその流れに背を押されるがごとく足を速めた。
「急ぐ気はないが、急がざるを得ないのが正直なところだな。時間は恐ろしいほどに有限だ。過ぎ去ってしまうより早く、成すべきを為さなければ」
 彼女のうそぶきに“竜”はひとつ鼻を鳴らし、告げた。
 汝が生きる限り共に在ろうぞ。しかして汝死したらば、投げ渡すはカロンならず汝の次代にせよ。……汝がゆけぬ先を、見てやろうが故に。
 アレスディアは眉を跳ね上げ、そしてやわらかく笑んで、
「これ上なく心強い言葉だが……そうなると冥府への川の渡し賃をどうするかな」
 口利き程度はしてやる。安んじて老い、死ね。
「別に用意はしておくさ。ただより高いものはないと言うしな」
 軽口を叩いたアレスディアはコインを強く握り締める。
 ここからどれほど生きられるものかは知れないが、その間共に在ってくれる相方がいる。だから、行けるのだ。先の先の、さらに先まで。そして。
 私の手を待つ者は抱きかかえ、私に続く者は背負って、すべてを連れていこう。同じ明日へ、同じ未来へ、私が斃れ伏した後の、先の先へまで。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年09月25日

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