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『唯色』
白鳥・瑞科8402

「行き会った――それだけのことですけれど、袖擦り合うも他生の縁と申しますもの。わたくし、精いっぱいお相手を務めさせていただきますわ」
 半壊した町のただ中。頤を小さく傾げて白鳥・瑞科(8402)は笑んだ。
 その装束は、大まかにカテゴライズするならば修道衣となるのだろう。が、ボディラインを晒さぬよう、分厚い布で大振りに仕立てられる通常のそれとは異なり、豊麗たる肢体へぴたりと貼りつき、そのなめらかなる起伏をそのままに描き出していた。
 彼女と「行き会った」人外は、特に瑞科を気にすることもなく、餌である人間がより多く詰まったビルへと瘴気を吐きつける。
 瑞科と同じように向かってきたものどもは、多少の面倒はかかったが結局は餌となり果てた。脅威たりえぬものを気にする必要があろうはずはない。
 と。瘴気はビル壁へ届くことなく押しとどめられた。そればかりかもれなく吸い取られて完全に消失したのである。
「力をつけていただくことはかまいませんけれど、わたくしが庇護するみなさまを召し上がっていただくわけには参りませんわ」
 瘴気を飲み尽くしてわずかに膨れた重力弾を左手に取り戻し、瑞科は握り潰した。笑みを刻んだ口の端に艶やかさを匂い立たせ、すがめた両眼に蔑みと傲慢とを映しだして。
 人外は眼前の修道女が何者であるかをようやく知った。食われるばかりの餌などではない、こちらを害するに足る爪牙備えし「敵」であることを。

 全高3メートルの人外は太肉(ふとりじし)。人型なれど顔はなく、その巨体には手足の先すら生えてはいなかった。言うなれば臼から引き上げた餅か、はたまたこねあげたばかりのパン生地か。
 しかし。ないならば、いや、ないからこそ足すのだ。要るだけのものをいくらでも。
 肉の内より生え出た無数の肢(あし)を蠢かせ、超高速で瑞科へ迫った人外は、無数の牙を生やした“口”を伸べた。
 噛みついてくる口を瑞科が愛剣の柄頭で突き上げれば、その正面に新たな口が生え出し、顎を開く。人であれば技や業(わざ)でしのぐところだが、この埒外さはさすがに人外である。
「ある意味では万能、ですわね」
 瑞科が体を転じながら右脚を突き上げ、空手に云う上段横蹴りを為した。
 その脚を鎧うロングブーツのヒールは、司祭の祝福を打ち込んだ聖杭。瑞科の体を足場へ縫い止めるための錨であり、人外を穿つための一矢でもあるのだ。
 杭に突かれた人外がぐにゃり。無様に折れ曲がる。ただしそれだけのことだ。その皮とも殻とも知れぬやわらかい表面には傷ひとつつけられてはいない。
 そして。
 巨体からあふれ出た無数の細腕。すべてに鋭い爪が備わっており、あまりの密集具合に互いをガヂガヂ削り合いながら獲物の柔肉へと押し迫りきた。
 対して瑞科は蹴り足を下ろし、ひび割れたアスファルトへ聖杭を捻り込んで我が身を固定して。
「ただし。物理に縛られ、その理の中で効果を及ぼさなければならない時点で――」
 剣が閃く、閃く、閃く。四方八方へ縦横無尽に舞う刃は確実に人外の爪を斬り飛ばし、返す刃が新たに生え来た爪先を断ち割っていく。その先読みは予測などというレベルの代物ではなく、すでに予知の域にあった。
 果たしてすべてを斬った後、彼女は思わず後じさった人外へ突きつけるのだ。
「――無能ですわ」
 人外がぞわり、自らを泡立たせた。
 確かにあの人間は迅いが、腕も脚も左右一対しか持ち合わせておらぬが故に、こちらへ届くまでに時がかかる。隙などいくらでも突けるということだ。
 では始めよう。迅さを凌ぐ攻め手は、このなにもない体の内に詰まっている。

 先と同じように押し寄せた人外が、またもや無数の腕を生み出した。ただしその長さをごく短くしてだ。
 長さがないということは、腕を振る距離がそれだけ狭まり、早く届くということだ。そして支点、力点、作用点のすべてが密集していることにより、与えられる打撃や衝撃に対する高い抵抗力をも実現する。――訳すれば、「短い腕はそれだけ迅く敵へ届き、防御力も高い」である。
 自らの短さを生かして瑞科が斬り下ろした剣をぬるりと押し退け、人外は彼女に組みついた。その瞬間、瑞科に接触した全箇所より牙が突き出し、人外は“顎”そのものと化して一気に瑞科を噛み砕いた。
「歯応えを感じていただけなかったこと、お詫びいたしますわね」
 人外はたった今噛み締めたものを反射的に吐き出そうとした。有様を嘲笑うかのごとく牙へまとわるそれは肉ではない。瑞科の頭部を包んでいた純白のケープとヴェールだ。
「その代わり、心を込めてお送りいたしますわ。闇底の靄めきより這い出し来たあなたがゆくにふさわしい、煉獄の永劫へ」
 瑞科の手に紫光が湧き出し、濁ったわめき声をあげる。雷だ。
 バヂバヂ爆ぜる雷を左の爪先に乗せ、瑞科は右手ひとつで剣を振るう。その閃きは限りなく鋭く、人外は受け止め続けるよりない。なにせ先ほどからこちらの予測をもれなく上回られているのだ。刃にも雷にも、この体に触れさせたくなかった。
 それにしても、この短い手を必死で繰らねばならぬ状況がもどかしい。せめて二倍の長さの腕を顕現させていたなら、いくらかを犠牲にしてでも間合を開けられただろうに。
 ――その思念を瑞科が聞いたなら、薄笑むと共に言い切っただろう。
『惑われるは無能故のこと。ご自身で晒されてしまいましたのね?』

 瑞科の指先が雷を弾き出し、人外へ打ち込んでいった。その雷に人外の内まで潜り込む力はなかったが、かき消えることなく肌に貼りつき、ジリジリ音を立て続けている。
 その間に隙を見出し、腕を伸ばした人外。それを振り回して瑞科を遠ざけておいて、体から雷を払い落としにかかった。ひとつ、ふたつ、三つ……まだだ。まだ多数貼りついている。いったいなにを企んでこのようなことをしたのだ!?
「お見せいたしますわ」
 思考を聞き取ったかのようにうそぶき、瑞科が笑みを翻した。
 果たして強く投げ打たれたものは一条の雷。先のものが針ならば、こちらはまさに杭であるが……
 人外は体を固めて待ち受ける。衝撃はいくらかもらうだろうが、あの程度の電圧で傷つくことはありえない。いっそ噛み砕いて喰らい、絶望させてやるか。
 体の一部を顎に変えた人外は杭へ喰らいつき――噛み砕くより先にその体を激しく震わせ、地へ自らを打ちつけながら二転三転、跳ね転がった。無敵であるはずのやわらかな体に大穴を穿たれてだ。
「あら、この程度で通りますのね。意外でしたわ」
 先に貼りつけたプラスの雷を、後に撃った同じプラスの雷でぶっ叩き、その反発力を利して捻り込む。瑞科が成したものは、莫迦莫迦しいほどシンプルでありながら莫迦莫迦しいほどの威力を発揮する攻めである。
「繰り言にはなりますけれど」
 ヒールの聖杭で人外を縫い止め、瑞科はささやきかけた。
「物理に縛られる程度の能力(ちから)は所詮、無能ですわ」
 人外は激しく身を震わせ、自らを半ばから引きちぎった。一時的に力を損なうこととなるが、今は一度退き、より強き力を引き出すに努めなければ。
「いつなりとお相手いたしますわ。あなたを忘れてしまっていなければ、ですけれど」
 追ってきさえもしない瑞科の薄笑みを最後に返り見、人外は憤り、軋り、滾る。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年09月28日

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