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『色転即』
白鳥・瑞科8402

 千年の過去にはすでに世界の端々へまで浸透し、人の営みを脅かすものをあまねく、そして極秘裏に誅してきた組織「教会」。
 白鳥・瑞科(8402)は、教会の刃を担う強者中の強者……武装審問官の内にあって唯一無二と謳われる存在である。
 強者どもが足枷としかなり得ぬ超常の戦闘能力を備え、故に単独行動を常とする彼女は今、解決すべきいくつかの事件を見やり、自らが赴く先を選ぼうとしていた。
「……まずは、これを」
 果たして抜き出したファイルは、とある人外の出現情報。
 形を自在に変え、駆けつけた武装審問官の1チームを返り討ったその個体は、そう。
「わたくしをご指名くださっているようですので」
 敵は先に対した無形の人外。
 見逃してやった後にどれほど進化してきたかは知れぬが、先と同じ町へ再来したはつまり、瑞科を指名してのことであろう。
 艶然と笑み、瑞科は踵を返す。と、踏み出した足を止めて振り返り、
「ああ、残りもそのまま取り置いていただけますか? 戻り次第、順に片づけますわ」

 熱い湯で清めた柔肌は美しい朱を映し、元の白さを強く知らしめる。
 水滴をかるく拭き落とした瑞科はその体に耐衝撃ラバースーツを通し、さらに腹部へ防弾防刃仕様のコルセットを巻きつけた。
 女は肌の下に脂肪を持つもの。それをあえて落とさぬ理由は艶麗を保つがためだ。彼女に誅され、獄へ墜ちる敵へのせめてもの手向けとして。こうして肌を締めることで彼女の豊麗はより鮮やかに浮き彫られ、豊かな双丘はその形と高さとを強調することとなる。もちろん、激しい挙動の中で“柔さ”に振り回されぬよう固定する意義もあるのだが。
 その上からまとった修道衣には脚を縛らぬよう深いスリットが刻まれており、伸び出した脚は、腿の半ばまでを包むニーソックス、そして膝丈のロングブーツで鎧われる。
 次いでロンググローブをつけ、新調した純白のケープとヴェールで頭部を飾って防具を揃え終えた。
 最後に腿へナイフを納めたホルダーを巻き、左に細身の剣を佩けば、すべては整うのだ。
「お相手いたしますわ。今度こそあなたが終わるまで、存分に」


 住民の避難が済んだ町は、瓦礫が撒き散らされていながら妙にがらんとしていて、風もまた妙に埃臭く乾いている。
 踏み入った瑞科が小首を傾げれば、その耳元をなにかが行き過ぎ、じりり。鼓膜に濁った揺らぎを残す。
 針。いえ、杭ですわね。これは先日の意趣返しですかしら?
 先に瑞科はブーツの踵に仕込んだ聖杭にて人外を躙った。
 その際、人外は自らを半ば引きちぎって逃げおおせたのだが、今度は逆にこちらを躙りたいらしい。
「でも、飛ばすだけでは追いつけませんわよ?」
 割れたまま放置されたアスファルトへヒールを打ち込み、独楽のごとくに身を巡らせた瑞科は、爪先で瓦礫の欠片を蹴り跳ばす。直後、蹴り足を落としてアスファルトを踏み、欠片を追って跳躍した。
 未だ姿の見えぬ人外だが、別に探す必要はない。こちらが動けばあちらも動く。動けばそれで居場所も知れる。スナイパーのごとく町の外に潜んでいる可能性も考えたが、すぐに切り捨てた。瑞科を躙りたい以上、それほどの距離を置くはずがないからだ。
 そうでなくとも独りで踊るのはつまりませんもの。お相手願いますわ。
 乱れ飛ぶ杭のただ中、瑞科はヒールと爪先を切り替えながらステップワーク、右へ左へ体を流しながら前方を目ざす。人ならざるものの気配と臭いが濃さを増しゆき、もう行き会うと思いきや。
 瑞科は細かに砕かれた瓦礫が敷き詰められた広場に出た。そこに人外の姿はなく、しかし、気配ばかりはそこにあり……
 放物線を描いて降り落ちくる杭。太さがない代わりに数をもって空に押し詰まり、瑞科を圧殺せんとする。
 対して瑞科は左手から重力弾を撃ち出した。互いに吸いつかぬよう間を置いて、ひとつふたつ三つ四つ五つ。
 弾はべたりと拡がって円を成し、杭を吸い取りにかかるが、数が数だけに止めきれない。結果、瑞科は地へ転がると同時に新調したケープとヴェールを失うこととなった。
「やはり手数ではかないませんわね」
 茶髪の先を風に流して立ち上がった瑞科が跳ぶ。
 後を追って地へ突き立つ杭は、ものの数秒でどろりと解け崩れゆくため、瑞科の足場が損なわれることはなかったが、しかし。
 十数度めの跳躍において、瑞科は体を縮めて軌道を無理矢理に変える。その眼前に生じた太杭は、たった今、地より突き出したものであった。
 人外はこれを狙っていたのだ。地に撒いた杭を礫の下にて寄せ集めて“素”と為し、跳躍によって足場を失った瑞科を下から串刺すことを。
 辛くも地へ戻りついた瑞科へ、上から下から杭が襲いかかる。
 かわす瑞科の様に、常のごとき優美さは見られなかった。平らかに敷き詰められているとはいえ、下は瓦礫。踏む度に蠢くそれは彼女の爪先、あるいはヒールを搦め取り、次の一歩をわずかずつ、しかし確実に遅らせる。
 故に瑞科は重力弾を撒いて抑えにかかるが、杭はその重力が及ばぬ狭間を縫って飛来し、彼女を追い詰めていくのだ。
 手足の数を増す能力は先に見たが、この狙撃能力の高さからして、目もまた増しているのか。いや、元々無貌なのだから、わざわざ目を生み出して見る必要などないのかもしれないが。
 かくて、ついに瑞科の真下より突き上がった杭が、彼女の股間から頭頂まで突き抜ける――
「喜悦に逸るのはあと少し手を重ねた後にするべきでしたわね。もっとも、今のあなたがこれ以上手を重ねたところで、決め手を変えることはできないのでしょうけれど」
 スリットから伸び出させた脚を杭へ巻きつけ、わずかに逸らした体を引き戻す瑞科。その目は悠然と巡る。上でも横でもなく、下へ向けられて。
 そこに在りながら見えぬ敵の居場所。いくつかの可能性をひとつずつ潰していけば当然、ただひとつが残される。杭を飛ばすのではなく突き出す――獲物を直接突き抜くことに終始できる唯一の場、すなわち地面の下だ。
「それほど深くまで潜っておられないのでしょう? わたくしのもたらす重みを感じ取るにもこの身を躙るにも、それができる浅さに留まらなければ為し得ませんもの」
 瑞科は体を捻って杭をへし折り、重力をまとわせた重刃を地へ突き立てた。一気に半ばまで埋まった刃はぬるりと押し返されるが、この手応えは紛れもなくあの人外の肌。
「それなりの進化はしていらっしゃったのでしょうけれど、所詮は物理の理に縛られたままでしたわね」
 淡い嘆息を漏らした瑞科に憤る人外。
 こちらの位置取りを知ったとて、それ以上はどうにもできまい。雷への対策はすでに成してある。加えてただ重いばかりの刃では、この肌を侵すことはかなわない。さらに、奥の手はまだ隠し持ったままなのだから。
 新たな杭を突き上げると同時、周囲に張り巡らせた手の先から杭を乱れ打ち、人外は再び駆けだした瑞科を追う。足場の不確かな彼女が、いつまでも逃げ続けられるはずはないのだ。
 だというのに――杭が追いつかない、追いつかない、追いつけない。
 瑞科の足は正確に礫の真上を踏んでいたのだ。わずかにも揺れることのない礫は全き足場と化し、彼女を自在に舞い跳ばせる。
「そろそろ仕舞といたしましょうか」
 瑞科の言葉を合図として、人外は奥の手を繰り出した。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年09月28日

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