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『ある夏の終わり』
神代 誠一ka2086

 ミンミンジワジワ……迫りくる蝉の合唱。
 流れる汗が土にいくつも染みを作る。
「宿題は午前中の涼しいうちに――って、涼しい午前中なんてどこにあるんだ?」
 花壇の雑草を引っこ抜いては背後に投げるを繰り返す神代 誠一(ka2086)の口から呪詛にも似た声が漏れた。
 部屋では日陰のクッションで白兎のぐまが気持ちよさそうに寝ている。
 自分も今すぐ日陰に避難したい――が、夏場の雑草は成長が早い。
 うっかりしていると花壇があっという間に埋もれてしまう。
 それは避けたい――部屋はたとえ腐海と化そうとも花壇だけは守らねば。
 何せ仲間達とここまで育ててきたのだから。
「あ、でも流石にキノコやカビと共同生活を始めたら正座で説教どころじゃすまない……よな」
 思い出す友の視線にぞくりと背筋を震わせる。
 尤もそんなことで涼しくはならず、太陽は容赦ない。
「よし、決めた!!」
 これを終えたら冷えたビールだ。
 脳裏に描く白い泡と黄金の液体。
 誰が何と言おうと昼間から飲んでやる――そう誓って一心に草をむしっていく。

 電気ならぬ魔導冷蔵庫を開けた誠一を襲う絶望。
 空っぽの庫内からはただひやりとした冷気だけが流れてくる。
「……。仕方ない、買いに行くか。……ぐま、確かにお前は白いが、白熊じゃないからな」
 風邪ひくぞ、と冷たい空気に惹かれるように冷蔵庫に入ろうとするぐまをひょいっと退けた。
「一緒にどうだ?」
 誘ってみればふいっとそっぽ向かれる。
 自宅から続く木漏れ日の砂利道を抜けた途端、照り返しの強烈な出迎えに眇める目。
 じわりと道から立ち上がる熱気に揺れる景色。
 お昼に差し掛かる時間。暑さも絶好調。
 それでも子供たちは元気なもので走り回って遊んでいる。
 ドンっ、と背後で足が踏み鳴らされた。
 振り返った誠一にその影を力強く踏んだ少年がニヤリと笑う。
 影踏み鬼――受けて立つと一目散に逃げていく子供たちを追いかける。
 一戦参加しただけで噴き出した汗を拭っていると、遊んでくれてありがとね、と近所の女性から茹でたてのトウモロコシと真っ赤なトマトのお裾分け。
 此処での暮らしも何年になるだろうか――顔見知りも増えた。
 馴染みの酒店に顔を出す。
 店の奥に堂々と鎮座するのは最近導入したという大型冷蔵庫。
 技術が広がっていくのは平和な時代ならではか――などと冷蔵庫に並ぶビールを前にしみじみしていると店主がカウンターの向こうから手招きする。
 全ての酒に――潜めた店主の声。
「貴賤なし」
 符牒ごっこ。答えるとカウンターの内側に招かれた。
 店主の手にはラベルもなにもない酒瓶。
 どういうネットワークなのか店主は地方の珍しい酒を時々仕入れてくるのだ。
 カウンターに隠れるようにごそごそとやり取りしている大の男たちに店主の奥方がやれやれと呆れる。

 両手に袋を抱え戻ってきた誠一に対してつれなかったぐまだが、新鮮な青菜を盛った皿を持って行くと嬉しそうに足元を跳ねて回る。
「お前な……」
 現金なやつめ、という溜息は青菜を食むぐまの長い耳には届いてはいないようだ。
 シャワーで汗を流した誠一が部屋に戻ると、満足そうにぐまが冷たい床に転がっていた。
「床で寝たら汚れるっての」
 持ち上げても起きる様子はない。誠一はぐまを風通しの良い日陰の窓辺においてやる。
「溶けてるなあ」
 寝ているぐまの額を指先で掻けば、くすぐったそうにひくひくと動く鼻。
 貰ったばかりのトウモロコシとトマトを皿に並べ、グラスにビールを注ぐ。
 ゴクゴクと喉を鳴らして一気に飲み干した。
 喉を通り抜けていく冷たい炭酸の弾ける感覚が心地よい。
「ぁあ〜っ!」
 腹の底からの声と共にドン、とコップを置く。
 汗を流した暑い日に飲むビールは格別だ。
 トウモロコシは甘く、少し青さのあるトマトの酸味もさっぱりと美味しい。
 徐に山と積まれた雑誌から数独パズルを引き抜いた。
 ソファに寝そべりページを捲る。
「ここは――ふあぁ」
 語尾に混じる欠伸。
 カーテンを揺らし吹き抜ける風がまだ乾いていない髪を撫でていく。
 部屋の外、燦燦と降り注ぐ太陽に蝉の声。
 冷えたビールに美味しい夏野菜。
 ああ、贅沢な時間だなあ――と思ったまでは覚えていた。

 ぐいっと何かが誠一の頬を押す。
 そのまま無視していると丸くて温かいものが誠一の顔をぐいぐいと押し進んできた。
「〜〜ッ! ぐまぁ、寝違えたらどうしてくれる!!」
 ぐまの首根っこを掴んでがばっと跳ね起きる。
 無理やり顔の向きを変える。これが地味に辛い。一度寝違えて酷い目に遭った。
 腹に飛び乗られることに慣れた誠一に対して新しく覚えた技だ。
「もう夕方か……」
 西の空の端にうっすらと残る茜色。
 のそりとソファから立ち上がり庭に出る。
 陽射しがないぶん昼間より過ごしやすいせいかぐまも一緒に着いてきた。
 夏場の水遣りは涼しい時間帯に――と仲間からのアドバイスに従いホースで花壇に水を撒く。
 飛び散る飛沫にぐまがじゃれる。
「濡れてもしらないからな」
 注意したところで聞きやしない、どころか昼間ずっと寝ていた分元気が余ってるぐまがホースから飛び出る水に突っ込もうと大きくジャンプ。
「あ、こら、ま――」
 ぐまを止めようと手を伸ばした拍子に掴んでいたホースを放してしまう。
 落ちたホースは激しく踊り、結果――一人と一匹はずぶ濡れだ。

「酷い目に遭った……」
 ぐまの餌皿と晩酌セットの盆を手に誠一がどかっとウッドデッキに座る。
 タオルに丸ごと包まれ拭かれたぐまはぼさぼさになった毛を繕い中。
 すっかり陽が沈み、空には星が瞬いている。
 盃には酒屋で手に入れた秘蔵の酒。白く濁った酒に上がる気泡のふつふつと小さな音。
 湖からの風に乗る虫の声が夏の終わりを告げていた。
「ついこの前、梅雨じゃなかったか……」
 思い出すのは季節外れの卒業式。
 数か月前のことだが未だに思い出すだけで泣き笑いそうになる。
「……」
 ぐいっと煽る酒。
 庭へ向ける視線。
 西瓜割り、焼き芋、花火――皆で過ごした日々。
 今にもにぎやかな声が聞こえてきそうだ。
 ガタン――背後で鳴る音。
 ぐまがおやつ箱に飛び乗っていた。
 その箱の上、揺れているてるてる坊主達が視界に入る。
 仲間たちの似顔絵が描かれたてるてる坊主――。
「そうだな。皆、元気にしてるよな」
 夏の終わりだから少しだけ感傷的になってしまったのかもしれない。
「……あぁ、わかった、わかった。おやつをだしてやるから裾を咬むな!」
 らしくないと肩を竦める間もなく、急かすように足元に纏わりつくぐまを抱き上げる。
 おやつを勢いよく頬張るぐまを横目に誠一は盃に酒を注いだ。
「花壇は任せておけって……ん?」
 盃を掲げ仲間たちに向けて請け負うが、背後に視線を感じたような……。
 振り返ればとあるてるてる坊主と目が合った――かもしれない。
「あー……うん」
 散らかった部屋を見渡す。
「……だから部屋は見逃してくれ」
 「この通り」と手を合わせてから込み上げてくる笑みに肩を震わせた。
 たとえ離れていようとも自分たちは何ら変わらないな、と。
 もう少し涼しくなったらふらっと皆の所へ遊びにいってみようか。
 旅をしている仲間には手紙でもだしてみようか。
 うん、悪くないなと夜空を見上げる。
 今、この瞬間誰かも同じ空をみあげているかもしれない――。



━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

【ka2086 / 神代 誠一】

この度はご依頼いただきありがとうございます。

物語終了後の何気ないお話を書く機会をくださり本当に嬉しく思います。
そして日常は続いていく――という私の趣味全開の
お話になってしまったのですがいかがだったでしょうか?

気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。
それでは失礼させて頂きます(礼)。

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2020年10月02日

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