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『頓』
水嶋・琴美8036

 自衛隊の最奥、存在を秘されたまま国防の最前線にして最終防衛線の守りを担う非公式部隊が在った。
 所属する者たちは階級すら与えられぬまま非合法の任へ当たり、時に人外なるものどもの誅殺をも担う。彼らはそれができるだけの能力を持ち、自らがそれを行えることに矜持を持つ強者だからだ。
 ……そんな彼らをして唯一無二と言わしめる女隊員がいる。
 水嶋・琴美(8036)。
 名も知れぬ忍の流派に伝わりし業(わざ)。それ以外に彼女が備える力はない。部隊が請け負う任に不可欠な、魔法も呪術も陰陽も超能力も、なにひとつ。
 しかし、唯一無二であるに足る力が彼女にはあるのだ。そう、人の域を遙かに超えた戦闘能力という、まさに唯一無二の天稟(てんぴん)が。


「忍……ではありませんね」
 飾り気のないダークスーツに身を包んだ琴美は、この年に世界を飲み込んだ“禍”により破産したプロレス団体の練習場へ踏み込み様、言葉を投げた。
 対して、床の上にマットを引き、ロープを張っただけの練習用リングの内に立つ人影は薄笑んでみせる。琴美とまるで同じ装備をつけた、琴美とまるで同じ顔を傾げて。
 いつかこのような術を使ってくるものが現われるだろうことは予想していた。数多の術を遣う人外を、その術と同じ数屠ってきたのだから。なにをもってしても琴美に及ばぬならば琴美となればいい。ある意味で当然のトライではある。
「エラーで終わるものか、それとも正解を得られるものか。どうぞお試しを」
 スーツが宙を舞うと同時、琴美がもうひとりの琴美――この後は現身(うつしみ)と記す――へ跳んだ。
 ボディラインをそのままに描き出す黒のインナーばかりであったはずの彼女が宙で一転すれば、ミニ丈のプリーツスカートと袖を半ばで切り落とした着物が胴を鎧(よろ)い。二転する中で膝丈のロングブーツとグローブが四肢を鎧う。
 かくてリングへ降り立ったときには、帯が着物とスカートとを結び締めていた。
 あらためて挨拶を交わす間はない。すでに現身は彼女の眼前へ踏み込んでいたのだから。

 突き上がる苦無をスウェーバックでかわした琴美はそのまま後転。爪先で現身の顎先を蹴り上げるが、蹴りは空を滑るばかり。同じようにスウェーバックでかわされたのだ。当てるタイミングをわずかに早め、虚を突いたはずの蹴りを見切られて。
 私を摸しただけの意味はある、ということですか。
 回る途中にある琴美の背へひりりと冷たい気配が迫る。現身が自らを反らしながら投げ打った苦無だ。
 が、切っ先に追いつかれるより迅く、琴美は脚を振って横へずれていた。行き過ぎる苦無にかまわず、そのまま横へ跳ぶ。
 現身は苦無に結んだワイヤーを繰って刃を横へ長し、彼女を追い立てにかかった。獲物へ喰らいつく蛇さながらの蛇行を為し、琴美の着床点へ先回ったが。
 琴美はリングに張られたロープの最上段を蹴り、さらに高く跳ぶ。
 現身は追えなかった。跳びながら琴美が撒いた“菱”に、足下はおろか身の周囲、四方八方を取り巻かれたせいで。
 重力がある以上、菱は数瞬で下へ落ちる。その後に追えばいい……ただ落ちるならば。
 宙にある菱のひとつが爆ぜ、他のものもまた次々爆ぜた。内へ仕込まれた火薬は微々たるものだが、飛び散る鋼の破片は容易く人肌を裂き、肉を抉る。
 しかも。まるで噛み合わぬタイミングで爆ぜる菱は現身に反撃の機を与えず、不発で残った菱もまた、「爆ぜるのか?」との不安を与え続ける罠と化すのだ。
 両腕を固めて爆発から正中線を守った現身は、残された不発菱から大きく遠ざかる。
 それを宙で見やった琴美は悠然と身を翻し、苦無を放った。現身ではなく、天井を支える鉄骨へ。
 すると、リングに残されていた菱が大きく爆ぜた。これまでの菱とは比べものにならぬ威力で。
 現身は必死で己を守ると見せて、爆炎に紛れて菱を放っていたのだ。着床した琴美を逆に裂き、抉るために。つまり両腕を不自由にしてみせたはフェイク。いかにも忍らしい詐術であり、琴美とて、自らの投じた菱の数を位置を計っておらねば搦め取られていたかもしれない。
 丹念に私の術を学んでくださったのですね。怨嗟と悲哀を遺し逝く同胞の有様ではなく、この私の有り様を。ですが――
 あの爆発で大きく裂けたリングの内へ降り立ち、琴美は苦無を斜に構えて薄笑んだ。
「ただ模するだけでは、この私に及ぶことはかないませんよ」
 昂ぶりに濡れた笑みは美しく酷薄で、恐ろしく艶やかだった。

 リングの広さは6メートル四方。その端と端とで向き合う琴美と現身の間合は5メートル強となる。すなわち、一歩を跳ぶだけで相手の懐まで潜り込める距離。
 両者はロープの縁をなぞって巡り、その中で苦無を放つ。ワイヤーで繋がれた刃は飛ぶ中で軌道を曲げ、折り、跳ね、互いの虚を突き合うが、それらはすべて寸手で見切られ、互いを喰らうことはできなかった。
 と。琴美の打った苦無がギン! 鈍い悲鳴をあげて消えた。
 続けて投げられた苦無が先に飛んだ苦無を弾いたのだ――気づいた現身は咄嗟に苦無を構えて我が身を守るが、どこからも琴美の苦無が届く気配はない。いや、そんなものではありえないこの、気の圧は!?
 右方のロープへ絡めたワイヤーを支えに跳び来た琴美が、現身の脳天へ踵を蹴り落とす。苦無を弾く迅速を為すため力を抜いた両腕では、この重さは止められない。
 と、現身が思考を終えかけたそのとき。左方より横薙ぎに振り込まれる苦無。これは先に弾かれたもの!? あれは虚を突くためばかりの業(わざ)ではなかったのか!
 まったくの予想外だった。
 これほど早く、見せなければならなくなるとは。

 琴美が咄嗟に蹴り足を引き、体を捻って横へ転がり落ちた。
 その頭上を飛び去(ゆ)く苦無、菱、菱、菱菱菱菱菱――
 琴美は立ち上がると同時、ロープから取り戻した苦無とそのワイヤーを周囲に巡らせ防御陣を張ったが。幾多の人外の猛攻を弾き、搦め取ってきた円形陣はたちまち歪み、回転の勢いを削がれて琴美を露わとしてしまう。
 それをしてのけたは現身の苦無とばらまかれたままになっていた琴美の菱。いつの間にか極細の操糸が結ばれていたそれらが一斉に飛びかかり、琴美の守りを突き崩したのだ。
 眉間を貫かんとした現身の苦無を指先で突き上げて逸らし、琴美はぞくりと笑む。
「摸す以外の手妻がありましたか」
 最初に落とされたもう1本の苦無を引き戻し、二刀流ならぬ二刃流の構えを取った琴美はそのまま笑みを傾げ、
「でも。まさかそれだけでは終わりませんよね?」
 これは誘いだ。こちらの鬼手を引き出し、虚を突かせるより早く見切るための詐術。いや、それだけではないのだろう。それをして踏み越え、躙ろうとしているのだ。水嶋 琴美という女は己にそれができることを疑わず、そしてそうせずにいられない性に縛られているのだから。
 だからか。自分が琴美を踏み越え、躙りたいと思ってしまうのは。琴美のすべてを摸し、それ以上を成した自分が、そうせずにいられないのは。
 見せよう。この形をとった意味を。
 魅せよう。この形をとった意義を。

 琴美の前蹴りを飛び退いてかわした現身が、戻り来た苦無を手に構えを取った。
 すでに琴美は現身の詐術の内に捕らわれている。最強の忍は、最強を超えた忍の業で屠られるのだ。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年10月05日

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