▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『告白の告白 〜上段構えから面打ち〜』
不知火 仙火la2785)&不知火 あけびla3449)&不知火 楓la2790)&不知火 仙寿之介la3450

 明けの朱が滲む名残の夜気。
 それを深く吸い込み、不知火 楓(la2790)は細く長く吹き抜いた。
 心はとうに据えているはずなのに、たった一歩を踏み出すまでにこれほど時がかかったのは――
「今度こそ覚悟できた?」
 楓がいる不知火邸の庭に、鮮やかな声音が飛び込んできた。見られていることは予想していたので驚きはしない。だから、緊張で強ばってくる顔を努めて解しつつ、振り向いた。
「うん」
「そっか」
 言葉と共に現われたのは臈長けた女。不知火家の現当主であり、楓にとっては仕えるべき主にして叔母的な存在でもある不知火 あけび(la3449)だ。
「不知火は楓の覚悟を見守る。これは当主の決定で、一族の総意」
 固く言い終えたあけびはほろりと笑み、
「だって反対する理由がないからね! うん、一族的にも私的にも超好都合っ!」
 ありがたやありがたやっ! 拝んできたあけびへ、楓はげんなり目礼してみせた。
「……御当主に太鼓判を押してもらえて恐悦至極」
「あ、ハンコ押す? せっかくの機会だから当主認印作ってきたんだ」
 いそいそ袂から判子入れを抜き出すあけび。
 ああ、僕がいろいろ迷ったり自問自答したりしてる間に、全部準備を済まされていたわけだ。
 楓はあらためて目の前にある当主の恐ろしさを思い知った。術数は僕の得意だと思い込んできたけど、この人の裏をかける域に行けるまで、いったいどれくらいかかるんだろう?
「……あけびさんに転がされている僕を、僕はどうにもおもしろく思ってないらしい」
 せめて包み隠さず素直に打ち明けてみたのは、結局のところ楓の意地。
 それすらもやわらかい笑みで受け容れ、あけびはうなずくのだ。
「仕返し歓迎! うちの男はみんな純朴だからね。女ががんばんないとだし」
 昨日までの楓なら、ぎくりと肩を跳ね上げていたはず。しかし今日の楓は静かに受け止める。
「僕にはなにより大切なものがある。それのためなら、一族もあけびさんも笑って裏切るよ」
 あけびは笑みを含めた目を細め、「ありがとう」。言い残してかき消えた。
 ――ありがとう、か。
 楓はあけびのひと言に込められた思いを噛み締める。察していた。あれは当主ではなく、ひとりの子の母として告げてくれた本当の気持ちだと。
「ありがとう。僕に先を託してくれて」

 音もなく木枝を渡り、母屋へ戻り行くあけび。その足をふと止め、地へ降り立ったのは、遠巻きに楓と彼女の様子を窺っていた夫、不知火 仙寿之介(la3450)がいたからだ。
「隠れてなくてもいいのに」
「ああした話に男が首を突っ込むのは野暮だろう。もっとも俺の場合、首を突っ込んだところで野暮すら演じてやれんわけだが」
 飄々と言ってのける仙寿之介。
 忍の才ゼロなくせに、お爺様の食えないとこだけきっちり受け継いじゃってるなぁ。などと思いつつあけびは苦笑し、仙寿之介の手を取った。
「野暮を演じるのはあの子だけでいいの。少なくとも今日はね」
「あれは俺以上にアレだぞ? 笑い話では済まんようなことをやらかすかもしれん」
 不安げに言う仙寿之介は、ある意味であけび以上に「あの子」の理解者だ。心配するのは当然というものなのだが。
「楓に任せとけば大丈夫。……ほんとにあの子、父親似じゃなくてよかったなぁ」
 思い当たるところがありすぎだ。仙寿之介は唯一無二の友であり、楓の父である男の有様を思い浮かべて息をつくが。
「俺たちは野暮だからこそ、粋な女に恵まれる。裏を返せばそれもまた人徳ということだ」
 取られた手を引き妻を懐へ抱き込んで、仙寿之介は歩き出した。
「仙寿は人じゃないでしょ」
「天使だからこそ天賦の徳に恵まれたんだ。妻を見れば瞭然だろう?」
「……最近の仙寿、ほんとにお爺様みたい」
 言い返しながらも抗うことなく、あけびは自らを包む仙寿之介のぬくもりを味わった。男は野暮でいい。ヘタに粋になどなられたら、余計な心配をしなければならなくなる。逆に心配させているのかもしれないが、それは女の甲斐性ということで、ひとつ。


 夫婦とは別の道を辿って自室へ戻った楓はひとり、姿見に映る自分と向き合っていた。
 洗いざらした道着は固く、まさに鉄壁のごとくに彼女の心身を鎧い、保っていたが。
 その奥で据えたはずの心が揺らぐ。
 その先に決めたはずの覚悟が傾ぐ。
 ずっといっしょにいたい。そう告げた彼女に、彼は当然だと応えた。でもそれは、不知火という場で互いに保つべき間合をもって告げ、応えただけのもの――互いに心地よく保ち続けられる関係性の間合、それを確かめ合っただけのものだ。
 そしてきみは、絶対に間合を踏み外さない。
 先日の稽古の折、なんともぎこちない“アレ”の様子を見て方々へ探りを入れた楓である。もっとも仙寿之介からあっさりと正解を告げられた――それなりに思惑はあったにせよ、言ってしまうあたりがまあ、仙寿之介の野暮というか天然というものではある――わけだが、ともあれ。
 急がなければならない理由が楓にできたことは確かだ。
 きみなりに悩んでいることなんて始めからわかっていたことだけど、でも。それはきみを傷つけないよう常に一歩ずつ引いて、間合を保ってきた僕のせいだ。
 いや、きみのためじゃなかったよ。僕は“僕”であるために、その間合に留まり続けたんだから。酷く狡い立ち回りだと知りながら、きみを安心させて付け入るために……
 もう、付け入るのも立ち回るのもやめる。
 そして僕が、間合を踏み外す。
 きみとの間合と、それ以上に“僕”の間合を。

 果たして楓は脱ぎ落とした。
 心の迷いを甘やかなる熱で焼き尽くして。


「楓、今日は休みか」
 不知火邸の敷地内に建てられた道場で、仙寿之介相手に打ち込み稽古を行っていた不知火 仙火(la2785)がぽつりと漏らす。
「……まあ、そういう日もあるだろう」
 低く返した仙寿之介だが、息子である仙火にはすぐ知れた。父が言い淀むのは隠し事があるときだ。
「そうだな」
 人が隠すには理由がある。己が長となって小隊を率いる内、無邪気に訊きほじるばかりは子どものやり口であることを学んだ仙火である。加えて、親にとって子というものは、それこそいくつになろうと幼子のようなものであるらしいことも薄々わかってきた。故に仙火は、あえて言ってみせたのだ。仙寿之介が隠したものを掘り返すような真似はしないと。
 そんな息子の成長ぶりに、感慨を噛み締める仙寿之介。
 わかったようなことを言うのは誰にでもできる。わからないまますべてを受け容れられるのは、相手の事情を慮れる者だけだ。仙火はそれが為せる大人になった。それもいい大人に。
 しかし。
 それだけでは足りない。仙火が仙火の生涯を全うするには、弁えているだけではまるで足りない。
「仙火。おまえもまた思い知ってはいるだろうが、俺たちは人を、友を、共連れを見送らねばならん存在だ。だからこそ俺たちには、喪うことへの心構えが要る」
 眉間に打ち込まれた仙火の木刀を斜め下から押し上げて弾き、仙寿之介は語る。
 対する仙火は、父の穏やかな面の裏に在る熾火のような思いの熱を感じ、打ち込む手を止めて次の言葉を待った。それでも正眼構えを解かないのはさすが剣士である。
 仙寿之介は息子の有り様に薄笑んだ。
 おそらくこうしたことを語る機会はこれが最後となろう。それこそ仙火はもう幼子ではない。自らの道を自らで見出すべきひとりの男であり、剣士なのだから。
「しかしな。平らかに心を据えて見送り続けていては、人も友も共連れもまた、向けてくれた情ごと通り過ぎて行くばかりだ」
 万感を込めて仙寿之介は紡ぐ。ああ、そうだ。孤高気取りだった俺は多くの人がくれた情をもって、ようようと悟ることができた。剣とは立ち合ってくれる敵方おらずして剣たりえず、人とは向き合ってくれる相方おらずして人たりえんのだと。
「本気で思い定めろ。誰かが差し出してくれた情を見送ることなく、本気で受け容れろ。そうすれば」
 ああ、自分の中ではわかりきったことなのに、音へ乗せようとすればたちまち思いは鮮やかなる輪郭を失い、褪せた戯言に成り果てる。
 仙寿之介は己の未熟と無力を噛み締め、それでも言葉を押し出した。せめてまっすぐに伝えよう。誰より大切な息子へ、野暮な父が精いっぱい。
「おまえの日々は、よりおもしろくなる」

 あの後、奥歯がぐらつくほど叩きのめされた仙火は、打ち身に井戸水をぶっかけて冷ましつつ苦い息をついた。
 照れ隠しに本気出すって、ガキかよ。
 誰より完璧な大人であるように見えて、意外に子どもじみてもいる仙寿之介である。あけびの話では前当主の悪い影響だそうだが……ちがうのだろうと思うのだ。おそらく父は、曾祖父をきっかけとして素直に、自由になっただけのこと。
 そうやって受け容れてやれるくらい、俺も大人になったってことだよなあ。しみじみうなずいてみて、ふと仙寿之介が語ったことを思いだす。
 父さんが言ったのは、関わりに来てくれる誰かと俺も本気で関われってことだ。
 以前、思い出というものについて父が語ってくれたことがあった。そのときにはもちろんわかったつもりでいたのだが、だからといって自身の立ち位置を変えたわけではなかった。なぜか?
 恐いからだ。失うことと喪うことが。
 己が手の内に抱え込んだものが命の輝きを失い、くすんだ芥と化してぼろぼろと崩れ落ちていく様を見送らなければならないことが、恐い。だから距離を保ち、最少の関わりをもって送り出す。それこそが長命者の宿命であり、弁えであると自らへ言い聞かせてきた理由は、つまるところ傷つきたくないからだ。
 それをして深く関わるほどの……見送る覚悟を遙かに超える覚悟。
 俺に、そんな覚悟ができるのか?
 つい先ほどには子どもじみていると評したはずの仙寿之介が、どれほどの器かが思い知れる。友や妻どころか息子の死すらも見送らなければならない身の上でありながら、彼は永き生を憂えることもなく、本気で人と、己が生と向き合っているのだから。
 同じことができる自信はまるでなかった。いや、自信がどうこうではない。父の開眼した天衣無縫を継げぬことと同じほど、その生き様を模せぬことは確実で。
 性(さが)も質(たち)も才も、なにひとつ父にかなうもののない息子。不甲斐ない以上に申し訳ない限りだが、しかし。それでも。
 そんな俺にだって、向き合いたい奴はいるんだ。
 かくて思い浮かぶものは小隊の面々であり、父母と始めとした一族の者たちであり、そして誰より――
「仙火」

 場面は一度(ひとたび)不知火邸の台所へ飛ぶ。
「あけび」
 背へ投げられた仙寿之介の神妙な声音に振り向かず、あけびは続く言葉を待った。相槌を打てば、未だうまく言いたいことをまとめられていないだろう夫を急かしてしまう。
「なんとか父として仙火の背を押してやりたかったが……思えばいつも、もっとも伝えなければならぬ言葉を言い切れずに終えてしまっている」
 野暮を承知で関わりに行ったのは、息子の数十年を満たす幸いがかかった問題だからか。
 そういうとこだよ、仙寿。思いながら、あけびは言葉を返した。
「伝わってるよ。仙寿の口がうまくないことなんて、仙火はよーく知ってるんだから。ちゃんと仙寿が言いたかったことを読み取って、噛み砕いて理解してる」
 人は、互いにそうして足りぬものを補い合っていくのだ。そのあたりを仙寿之介が未だ理解しきれていないのは、すべてをひとりきりでまかなってきた時間が長いためだ。
 私が生きてる間にちゃんと教えてあげないとなぁ。そうしないと仙寿、お爺様の剽げっぷりを勝手に受け継いだみたいに勝手に開眼しちゃいそうだし。
 少しでも多くのものを残していきたいと思ってしまうのは、人ゆえの我儘だろうか。あけびは声を張って感傷を噴き飛ばす。
「とにかく私たちは待つしかないんだし! その間つい邪魔しちゃわないように飲んでよう!」
「俺は構わんが……したたかに飲んだ後、いい結果を知らされたらどうする?」
「祝賀会に雪崩れ込む!」
「悪い結果ならば?」
「残念会に雪崩れ込む?」
 仙寿之介は妻の残念さを噛み締めつつ、しみじみと思うのだ。
 この妻と共に在ればこそ、俺の日々はおもしろい。


 かくて場面は仙火の在る道場脇の庭へ戻る。
 声の主を見上げることなく仙火は立ち上がり、差し出されたバスタオルで水気を拭った。威勢よく拭きすぎて、打ち身をずきりと疼かせながら。
「今さら見栄とか張る?」
 思わず悶える仙火の様に、あきれた声音を投げる声の主。
 仙火は「見栄じゃねえ。男気ってやつだ」と軽口を返し、ようやく振り向いた。
 そこにいた者は、見慣れた道着姿の、楓。
 しかし、どこかがちがう。なにかがちがうのだ。そしてそのちがいの元がなんなのかがわからなくて。
「今日はなんかちがうな」
 当たり障りないセリフで、「いつもとちがうのはわかってる」ことだけを告げた。あいまいに言っておけば、相手は自分で正解を語り、それに仙火が気づいたことを喜ぶのだ。数だけはそこそここなしてきた恋愛――恋も愛も含んではいなかったのだが――にて培った対女子用テクニックである。
「その手、お勧めはしないよ。それで許してくれるの、きみのことが大好きで、きみに好かれたくてたまらない子だけだからね」
 切り捨てておいて、楓は道場の濡れ縁に腰をかけた。
「なんかちがうんだってのは、俺だってわかってんだけどなあ」
 仙火もまた、ぼやきながら彼女のとなりに座す。
 召喚魔法さながらの鮮やかさで楓が彼へ差し出したのは、緑茶の水筒である。
 十代の頃には稽古後だからこそ栄養素を摂取せねばと息巻き、怪しい色味のドリンク剤を拵えては飲んでいた仙火だが、今は自然とやめていた。食べることも飲むことも、いつの間にか楓によって整えられるようになっていったからだ。
 見てらんなかった。ってことなんだろうな。
 茶はするすると仙火の喉を滑り落ちていく。冷えすぎていれば詰まるし、ぬるすぎても引っかかる。程よい冷え具合だからこそのなめらかさである。
「この茶が最高のコンディションだってのははっきりわかる」
 一応付け加えてみたのは、それこそつまらない見栄のせい。
 対して楓は目を細めて笑み、またどこからともなく季節外れな苺大福の包みを抜き出して「固くならないうちに食べなよ」。
 言われるまま茶と共にいただきつつ、仙火は首を傾げる。ちがうっていうか、おかしくねえか? いつもの楓じゃねえし、こんな楓、見たことねえし。
 と、仙火のいぶかしげな目を流し目で確かめた楓は細く息をついて。
「謀は苦手じゃないはずなんだけどね。慣れてないせいで、どうにもうまくできない」
「俺の餌付けだろ? だったらとっくに餌付けられてる」
 軽く言い返す仙火にかぶりを振ってみせ、楓は息を整える。
 相手は朴念仁気取りの臆病者だ。弱さの殻は分厚くて、生半な攻めで割れるような代物ではありえない。
 それでも僕は、立ち向かう。闘うことを決めてからも迷って悩んで、やっと向き合ったんだ。この一会、けして無意味には終わらせない。
「これは撒き餌だよ。きみを口説き落とすための」
「……は?」
 仙火の反応が薄い! というか、なぜ自分はこれほどいきなり本題を切り出してしまったのか!? ああ、そんなの決まってるじゃないか。僕は僕らしくもなく、我を忘れるくらい緊張してるからだ。
 それでももう、止まることはできない。賽は投じられ、駒たる楓は闘いの盤面へ押し出されてしまったのだから。
「きみが人との距離を保っていることは知ってる。見送らなきゃいけない存在だからこそ、深入りしすぎてしまわないように。でも、僕までその人たちと同じ場所へ押し込めるのは一方的だ。身勝手だ。理不尽だ」
 こうして心のままに言葉を重ねるなんて、どれほどぶりだろう。自分はここまで自分を押し込めて生きてきたのだ。噛み締めた楓は、呆然としている仙火の左右の頬を両手で叩いて挟みつけ、
「ずっといっしょにいたい――病めるときも健やかなるときも」
 色を取り戻した仙火の両眼へ、あらためて言い切った。
「せいぜい覚悟しておくんだね。僕は僕を尽くしてきみを口説き落としてみせるから」
 言い切って、楓は仙火を残して庭を出る。
 わずかにも気を抜けば爆ぜてしまいそうな面と、全力で逃げ出してしまいそうな脚とを必死に抑え込んで。

 なんだかなあ。
 残された仙火の本音はまさに、そのひと言だった。
 いや、実際はいろいろ思うこともあるのだが、まさか楓が本気で自分を好きでいてくれて、なおかつ口説いてくれるつもりだとは。
 驚きはした。うれしくもあった。が、感想はやはり、なんだかなあ。
 どれほど入れ込んだところで、置いていかれることは変わらないのだ。誰より近しい場所にいてくれる楓であればこそ、関係性が壊れぬよう細心の注意を払って間合を保ち、なにより大切に扱ってきたのに。
 俺の毎日におもしろさなんていらねえ。問題なく普通に行き過ぎてってくれたらそれで。
 自分に言い聞かせていることを知りながら、仙火は気づいていないふりをして苺大福を囓った。甘い餡に閃く苺の酸味、やけに強く感じたのはどういうことだろう?
「……わかってなんかやらねえよ」


パーティノベル この商品を注文する
電気石八生 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年10月08日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.