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『狂舞』
氷向 八雲la3202

 敵襲!! 敵襲ううううう!!
 方々から飛び来るかすれた絶叫を聞いた氷向 八雲(la3202)は、横たわっていた床(とこ)からすらりと立ち上がった。
 姫の影として育てられた身の上、熟睡するような真似は演じない。十全に四肢が動くを確かめて、彼は天守の鎧戸を引き上ける。

 本丸が燃えていた。

 時は朝方。夜番が灯を消し、見張りの任を交代する直前であったのだろう。しかしながら夜番は誰ひとり退勤してはおらぬようだ。もれなく殺されていたが故に。
 昨夜は新月だった。夜襲をかけるには絶好の機であったはず。それをなぜわざわざ人々が起き出す朝方に? いやそれよりも。二の丸三の丸どころか城下の町すらそのままに、城主が住まう本丸ばかりが燃やされた理由は……?
 謎解きに興じている場合か! 昨夜に限って言えば、本丸にいたのは城主だけではない。姫もだ。彼女は隣国から婚儀の申し込みを受け、城主と共に婿となるやもしれぬ若君と顔合わせをしていた。ただしそれは内密に進められていたことであったため、影たる八雲は姫を演じるべく天守に残されたのだ。
「姫!」
 寝間着である白絹の長襦姿のまま、八雲は天守の下階へ向かおうと踵を返した。
 私はなにを誤った!? 穏やかな日々の向こうから迫り来る暗雲については重々注意を払っていたはず……
 注意していた。でごまかせるものか。
 八雲は姫が此度の話に乗り、祝言をあげてくれればと思っていたのだ。姫が八雲に投げかけ、預けてくる心はすでに、固く蕾んだ童女のそれではありえなかったから。
 兄のように、あるいは父のように、姫の幸いを願っていた八雲であればこそ、己が都合で耳目を塞ぎ、姫の想いに気づかぬふりをした。そして。
 だからこそ姫の側へつかずに天守で姫を装っておれとの城主の命を、懸念ひとつ示すことなく嬉々と受け入れたのだ。
 敵が婚儀をもちかけてきた隣国であることは明白だ。
 ただし、懐へ潜り込んでの奇襲をかけたとはいえ、城内の強者どもを圧倒するにはそれだけの数が要る。大半を町に潜めていたのだとしても、内へ入るまでには相当な騒ぎを起こすこととなろう。それがなかったということは、つまりこの城に手引きした者がいる。
 そればかりではない。わざわざ開門に夜明けを選び、さしたる抵抗を受けることもなく本丸まで攻め込めた理由はすなわち――
 まさか、手引きしたのは殿ご自身か!
 影でしかない八雲に真相を知ることはできないだろう。もっとも知りたいとも思わなかったが、それでも。
 姫をお守りしなければ。
 最上階から踏み出した、その瞬間。八雲の足がぴたりと止まる。
 敵襲、ぞ。
 そこには手下(てか)どもを率いた隣国の侍大将が待ち受けており。
 旗印の先には、姫の青ざめた首級が掲げられていた。


 ああ。
 姫のお顔の色がすぐれぬようだが、どうした?
 いやいや、当たり前だろう。敵に捕らわれて、恐い思いをされているのだぞ。
 早くお助けしなければ。
 そうだな。それに、詫びなければいけない。影でありながら、姫のお側を離れていたこと。
 いつものようにぷうと膨れるだろうな。でも、お許しくださるだろう。どれほどお怒りになったとて、姫はすぐに笑ってくださるのだから。
 今、影が参ります。

 八雲は浮ついた足を踏み出し、とろけるような笑みをこぼす。
 紛い物とはいえ、世にとってはこやつこそが姫よ。首を持ち帰り、姫の骸に繋げるぞ。
 顔を顰めた侍大将が八雲を指した刀、それはまごうことなき番頭(ばんがしら)の愛刀だった。
「返せ。それはおのれの得物ではなかろう」
 うそぶいた八雲がかき消えた――いや、ただ踏み込んだのだ。予備動作もなにもなく、唐突に前へ。
 人はまるで予測しておらぬことへは備えられぬものだ。しかと見ていながら認識することができぬまま踏み込まれ、そして。
 八雲の手に握り込まれた打ち刀が、二尺三寸の刃渡りをもって侍大将の首を、守りの“下げ”ごと断ち落とし、
「さすが番頭殿の段平、いい斬れ味だ」
 果たして八雲は首を失くした侍大将が崩れ落ちるより早く、“姫”をその手へ抱く。
「ここは危のうございます。私が安全な場にまでお連れいたします故、しばしご辛抱を」
 やさしく首へ語りかける八雲を呆然と見やっていた敵兵どもだが、任務までもを忘れ果てはしない。すぐに得物を構えなおして偽の姫を押し込みにかかった。
 八雲は敵兵が斬りつけてきた刃を峰で受け弾き、胴を蹴りつける。兵が体勢を崩して尻餅をつく頃には、その得物は八雲の手に渡っていた。
「これ以上刃をすり減らしては、番頭殿にお返しした際小言を言われるからな」
 平らかに言い放ち、奪った刃を突き下ろしたが……切っ先が甲冑に弾かれ、折れた。
「まともな刀も持っていないのか」
 もがく敵兵の目へ折れた刀を突き込んで抉り、抉り、抉り。八雲は今度こそすくんで動きを止めていた残りの兵らへ言った。
「得物をよこせ。無手ではおのれらを殺してやれんだろうが」

 八雲は天守を降り、燃え落ちる本丸を抜けて門を目ざす。
 斬りかかってくる者も突いてくる者も取り囲んでくる者どもも恐怖に駆られて逃げだそうとした者も、すべてを残らず殺し尽くしながら。
 白絹の襦袢はいつしか赤黒く塗れそぼり、その重みをもって彼の歩を鈍らせたが、脱ぎ捨てはしなかった。姫は目を開いているのだ。無礼をしでかすわけにはいかない。
 くつくつ喉が鳴った。こうしていることがなんともおかしくて。
 己がしたたかに狂っていることは承知している。我に返れば、すべてに気づいてしまうのだということも。ならば。
 狂っている間に為すべきを為そう。
 笑みを押し殺しながら、八雲は突き出された数多の穂先を跳びすさってかわし、地を踏んだ反動に乗って前へ踏み出した。次いで槍の柄の一本を右脇に抱え込み、敵兵を捻り倒すついでに槍を奪う。かくて石突で喉を突き潰せば、敵は大蛙のように鳴き――ついに八雲は笑い出した。
 笑いながら殺す。
 高笑いながら殺す。
 殺す殺す殺す殺す殺す。
 敵に血を流させる中、己もまた血を流し続け、血濡れた刃に写った顔を見てまた笑った。姫、影もまた姫と同じほどに青ざめております。これほど赤い血にまみれながら。

 果たして敵の若君を殺して奪った刃をもち、どうやら敵に与したらしい城主を躙る八雲。
 城主はなにやら甲高くわめいていたが、音がまるで八雲の内で意味を成さず、やかましいばかりで。
 八雲は面に貼り付いたままの笑みを傾げ、刃を城主の心の臓へ突き立てた。
 城主はわめき声を喉へ押し詰め、咳き込もうとしたが、苦痛で息を吸い込むこともできず、顔色を紫に変じてかぶりを振る。
 楽にしてやる義理はなかったから、刃は抜かずにそのまま残し、八雲は左腕に抱えた“姫”へ声をかけた。
「逃げ落ちるまでもありませんでしたね。曲者はすべて、この影が仕末いたしました。とりあえずは天守へ戻りましょうか」
 本丸から発した火の手はすでに二の丸、三の丸にまでも届いていたが、堅牢なる天守は未だ無事を保っている。
 そうだ。戻る前に番頭を探して刀を返さなければ。これを失くしてさぞ困っていることだろう。
 狂いの醒めぬ頭で思いつつ、八雲は恭しく“姫”を抱いて元来た路を戻り行く。消えぬ笑みを携え、一歩ずつ、一歩ずつ、一歩ずつ。


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2020年10月12日

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