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『縁の澱』
LUCKla3613)&ソフィア・A・エインズワースla4302

 LUCK(la3613)の住居の真上には、彼自身が率いる小隊、その集会場という名のたまり場がある。
 24時間開放されているので隊員たちは気軽に出入りしていて、だからこそ私物を持ち込んでいる者も多い。それはLUCKも同様で、今も自宅から持ち込んだ“実験器具”を用いての実験に没頭中だったのだが――入口に向けられていた彼の背が唐突に左へずれたかと思いきや!
「たいちょーおはよっ!」
 首根っこをつままれて一回転、突進の勢いを殺された上でぶら下げられたソフィア・A・エインズワース(la4302)がしゅたっと両手を挙げた。つまりは元気のいい降参ポーズである。
「おはよう。だが、奇襲をかけるなら機を見極めろ。状況的におまえが圧倒的優位だとしても、敵のスペックによってはその優位も簡単に覆る。それにだ」
 LUCKはツーポイントフレームの奥に隠した両眼をやわらかくすがめ、
「おまえも熱湯を被りたくはないだろう」
 実験器具とは、古式ゆかしいアルコールランプ式のサイフォンだ。上部の漏斗には中挽きにされたコーヒー豆がセットされており、下部のフラスコに注がれた湯が小さな泡を噴き始めている。
 と、その湯が上へ吸い上げられ、一気に黒く染めあげられた。
「おもしろい! いいにおい!」
 ぶら下げられたままソフィアが鼻をひくつかせる。見事に丸まった背が猫のようで、放っておけば「にゃー」と鳴き出しそうで……思わず苦笑したLUCKはソフィアを解放してやった。
「飲むか? 俺ひとりで飲みきるには少しばかり多すぎる」
 問われたソフィアは「飲む飲む飲みまーす!」、右手を高く挙げてLUCKへまとわりついた。それがまた猫っぽくて、LUCKはまた笑ってしまそうになるのだが。
「ブラックで! いつまでも子どもじゃないんだからね?」
 言われて気づいた。自分が無意識の内にソフィアのマグカップへ大量の砂糖をぶち込み、さらにはレンジへミルクを加熱しに向かおうとしていたことを。
 世話焼きは彼の性。だからといって余計な世話を焼くのはマナー違反というものだろう。
 ――なんだろうな。エインズワースは振る舞いこそこうだが、幼い子どもではありえないのに。
 ソフィアの本質が目に見えている通りのものではないことを確信しているLUCKである。理由はまるで思い当たらないのだが、それでもだ。
「すまない。始めに確認するべきだったな」
 彼女に隠したいものがあるなら、それを掘り出さないことこそが小隊長の義であり、LUCKの仁。この世界へ流れ着いた当初はともかく、さまざまな人と縁を結ぶ中で距離感の重要性を学んできた。
 いや、俺の学びとなった縁は、人とのものばかりではないがな。
「あ。隊長、なんか色っぽい顔してるー」
 こちらは仁も義もなく暴きに来るソフィア。
 LUCKは息をついて、もう一度彼女の首根っこをつまみあげる。
「隊長がおーぼー! ただいまあたしってば絶賛パワハラ受けてます中ですけどー!?」
 妙なツッコミを入れてこなくていいから、おまえはにゃーと鳴いていろ。

 騒動落ち着き、テーブルを挟んで座したふたりはブラックコーヒーを味わう。
「あんまり苦くない。なんていうか、爽やかな感じ」
「豆自体の味がわかるよう、煎りをいつもより抑えてみた。これはこれで悪くないな」
 豆は当然、焦がすほど苦くなる。だから今日はあえて抑えてみたのだが。この穏やかな味わい、濃厚なパイプ煙草には合わないだろう。
「また色っぽい顔」
 ソフィアの言葉につつかれ、LUCKは我を取り戻す。
 なにもない時間の端々でつい考えてしまうのはしかたないことだとしても、他の者が目の前にいるときにまで考えてしまうのは……まあ、それもしかたないことか。ああそうだ。しかたないのだ。
「開きなおる男はかわいくないんだからね?」
 どうにもこの新人、人の心を読むのがうまい。自身が自信を装っていればこその能力なのだろう。さながら実力派の女優といったところか。
「元々かわいさとは縁がない。子どもも俺を怖がるしな」
 保育園か幼稚園で節分の鬼を俺にやらせてみろ。その場にいる全員が阿鼻叫喚の意味を思い知ることになる。そう付け加えたLUCKに、ソフィアは神妙な顔を向けて、
「大丈夫なんじゃないかな。隊長ってほら、甘やかしーだから」
 甘やかし? そんなつもりはまるでないんだが。首を傾げつつ、うまくごまかして話題を変えられたことに安堵したLUCKだったのだが、しかし。
「で。誰のこと考えてたの? 好きな人のこと? それとも好きな人のこと? あ、わかった、好きな人のことでしょ!?」
 ソフィアにはごまかされてくれる気も、ましてや逃がしてくれるつもりもないのだった。
 じわりと増した彼女の圧にたじろいだLUCKは、力を振り絞って押し返す。ここで押し巻けてしまえば大人の尊厳が地に落ちてしまう。
「ノーコメントだ。いいか、好奇心は猫を殺すと云う。そうして気安く他人のプライベートへ首を突っ込んでいけば、思わぬ痛手を負うことになりかねんぞ」
「え? うそ。ほんとに好きな人のことだったんだ!」
 だからノーコメントだ! LUCKにたったそれだけ言い返す間も与えず、ソフィアはぐいぐい押してくる。
「っ、ちゃんと俺の話を聞け」
「ライセンサー!? 普通の人!? 歳は!? 髪の毛の色は!? 目の色は!? 身長と体重とスリーサイズは!? 大丈夫、誰にも言わなくもなくもないから!」
 問い詰めにかかった彼女が、ぬるりと滑り出たLUCKに首根っこをつまみあげられるまで2秒弱。目をまっすぐのぞき込まれ、観念して「にゃー」と鳴くまで8秒。
「お腹も出したほうがいいかにゃ?」
「冷やしてしまっては風邪を引くことになるかもしれん。しまっておけ」
 こんなときにもやはり甘いLUCKへ、ソフィアは「にゃ」。短く応えるのだった。

 ブレイクして元にポジションへ戻ったLUCKとソフィア。
 他愛ない話をぽつぽつ交わす内、ふたりのカップは空になった。
 かわりのコーヒーを淹れるべく準備を始めたLUCKの横へ、ソフィアがいそいそと並ぶ。
「お手伝いするね」
 うふふえへへ。なんともわかりやすく愛嬌を売りに来た新人へ、小隊長はやれやれと息をつき、「人に任せられる作業がない」。
 言い切られたソフィアはあきれた調子で肩をすくめてみせる。
「はいはーい。男のこだわりってやつね」
「そういうことだ」
 さらりと受け流したLUCKは新しい漏斗へ深煎りの豆を入れ、フラスコにはめ込んだ。漏斗はガラスで、思いのほか脆い。慣れぬ手で扱って怪我をしたら大変だからとの気づかいだったが、語って聞かせるのはさすがに大人げなかろう。
 むしろこんなことでしか大人げを発揮できないあたり、俺もまだ大人に成り仰せられていないな。
 ふと視界の端をかすめる黄金。
 あれはいったい、どれほどの時間を渡り歩いてきたものか。絶対の孤独を抱えながらも誰かとの縁を繋ぎ、情を注ぐ――その強靱なる脆弱へたどりつくまでに、どれほどの時を必要とした?
 大人とは、歳を重ねるごとに相応の矛盾を抱え込むものなのかもしれない。そして大人げとは、それを誰かに押しつけることなく腹の奥底へ飲み下し、笑んでいられる有り様を指すのだろうか。
 だとすればだ。歳はともかく、あれはたまらないほど大人だな。そして俺は、それを受け容れて笑えるものになりたい。
「横で手順を見るか? 憶えてくれれば次は頼めるからな」
 決意を微妙な大人げに変えてソフィアへ示し、LUCKは静かに言葉を継いだ。
「先の質問への返答だが、俺には気になる女がいる」
 それきり押し黙るLUCK。語るべきは語った。少なくとも本人はそのつもりであるが。
「え、それだけ? せっかくのコイバナだよ? ぜんぜん情報足りてないでしょ!? どこで逢ったとか、なんで好きになっちゃったのかとか!」
「……コイバナ? いや、そうしたことは他人に話すことではないだろう」
「女子に大好物突きつけといて、寸止め生殺しはもっとだめでしょー!?」
「女子がどうかは知らんが、先に警告しただろう! 好奇心で死ぬこともあるんだぞ!」
「あたしが死んじゃう前にヒント! 別に死なないけどヒント!」
 結局。観念したのはLUCKのほうだった……。

「あれの立場は複雑でな、俺にしてもそう簡単に会える相手ではない。それでも、ようやく少しわかった……と思っている。少なくともだ、初めて見たそのときに感じたものが誤りではなかったことは」
 やっとのことでそこまで語り終えたLUCKに、ソフィアは鼻をひとつ鳴らして問う。
「普通にお付き合いできない人なんだね。それで隊長、誰にも言わないで会ってる。それって誰かに知られちゃったら大問題になるからでしょ? んー。そういうの、誰も幸せにならない気がする。隊長もその人も、まわりのみんなも。気にするのやめちゃったほうがよくない?」
 言葉に隠されたものを察しつつ、ソフィアなりに言葉を選んでくれているらしい。
 だからこそLUCKも素直に応えるよりなくて。
「記憶のない俺は、なにかを始めることしか知らん。止めた記憶がないからこそ、どう止めればいいのかもわからんというだけの話だが……どうでもいいことだな。止めるつもりがまったくない以上は」
 言い切って、身構える。これほど拙い、それこそ子どもじみた反発を、言葉遣いとは裏腹な鋭さを備えたソフィアが見逃してくれるはずはないからだ。
 実際彼女は難しい顔をLUCKへ向け、「だったら」。
 来る。一層強く身構えた彼へ、果たしてソフィアは――
「応援するよ」
 なに? 眉根を跳ね上げるLUCKに、ソフィアはぐっと拳を突き出した。
「隊長が本気で好きなら、その人が何者でもいいよ。あたしは全力で応援する!」
 ね。さらに突き出された拳にそろりと拳を合わせ、LUCKは苦笑する。もしかすれば、いや、もしかしなくとも、他人のためだけにこれほど心を据えられるソフィアは彼よりも大人だ。
 その格好よさがあまりにも悔しくて、どうにか仕返ししてやりたくて。
 ぽんぽん。
 ソフィアの頭をなでた。
「なにゆえっ?」
 思わず古臭い言い様で驚いたソフィアに苦笑し、白状した。
「あまりにも鮮やかにとどめを刺されたのでな。これではどうにも年長者の面目が立たん。それでおまえを子ども扱いして、せめて外面だけは取り繕うことにしたわけだ」
 やさしく髪を梳くLUCKの指先。心地よさげに目を細めたソフィアは笑みを返し、
「んー、だったらおとなしく負けといてあげなくもないかな」


 ――笑みの裏でソフィアは思考する。
 うん、応援するよ。だって、やっと見つけられたんだって確認できたから……隊長だけの幸せ。
 あたしはもう、隊長としか呼べないけど、それでも。こうやってなでてくれた昔にもらったもの、利子つけて返したいから。
 ああ、全力なんかじゃぜんぜん足りない。全力の全力の全力出さなきゃ。だって隊長の“幸せ”さんって、難しい立場なんてレベルじゃない代物でしょ。
 でも。
 難しいからってなに? ってハナシだよ。
 あたしが隊長を幸せにしてみせる。絶対絶対ぜーったい、やってやるんだから。

 あらためて心を決めたソフィアだが、自分が酷い無粋を演じていることもまた承知している。自分はLUCKの切り取られた過去に置き去られた、ある意味で“思い出になりようのない思い出”。それが今このときを生き、未来へ向かい行く彼に干渉するなど、あってはならぬことだろうに。
 それでもやらなくちゃいけない。
 焦ってることなんて最初からわかってるけど、でも。
 あたしがあたしでいられる内に、どうか。


「どうした?」
 LUCKがいぶかしげに、心底の闇へと沈みゆこうとしていたソフィアの顔をのぞき込む。
 あ。うん、いけないいけない。こんなときってどんな顔する?
「頭なでられるのなんて久しぶりだから、ちょっとしみじみしちゃっただけ」
 言葉通りに演じた有り様は、その実ただの本音に過ぎなくて。ソフィアは胸中であーあ、天を仰ぐ。でも、いいよね。隊長はわかんないんだから。

 まどろみによく似た感傷を必死で押し返しながら、ソフィアは願う。
 もう少し。
 もう少し。
 あと、もう少しだけ。


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2020年10月19日

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