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『春の道行き、華燭の標』
氷雨 柊ka6302)&クラン・クィールスka6605


 咲き零れる薄紅色の花弁が、陽射しの中で淡く煌めいている。花弁自身が燐光を帯びているようにも見え、春風の優しい手にあやされ揃って揺れる様は、あまりの美しさに胸が詰まるほど。

「今年も、綺麗に咲きましたねぇ」

 氷雨 柊(ka6302)は、花の重みでたわんだ枝を潜り、幹に寄り添って立つ。

「今年のお花も見ることができて、本当に嬉しいですよぅ」

 語りかけ、幹の表をそっと撫でた。
 この桜は、柊にとってとても思い入れのある木。
 瞼を閉じれば鮮やかに思い出せる。彼とこの桜の許で過ごした、いくつもの大切なひとときを。
 柊は振り返り、まだ彼の姿が見えないことを確かめた。雲霞の如き花々へ小首を傾げ、

「彼を待っている間、おしゃべりに付き合ってもらえませんかー?」

尋ねると、その内の幾枚かがひらりと降りてくる。「いいよ」と頷いてくれた気がして、柊は頬を緩めのんびりと語り始めた。

「私は何年か前に、ある出来事がきっかけで覚醒したんですよぅ。もう、どのくらいになるでしょうか――」

 ふわふわで愛らしくて、大好きだった白い猫。それが突然目の前で歪虚によって奪われ、その哀しみや衝撃が引き金となり、柊は覚醒したのだった。
 助けられなかった悔恨に囚われ、夜毎悪夢に苛まれる日々。
 もう誰も失うまいと覚醒者としての力を揮うたび、柊の身には白猫めく耳と尾が現れた。柊には、まるであの子が"忘れるな"と訴えているように思えて。
 知らぬ間に張り詰めていた柊の頬を、落ちてきた花弁がふぅわり撫でた。

「はにゃ? 大丈夫ですよぅ。これでも随分心持ちが軽くなったんですー。……はい、彼のお陰で」

 罪の意識を抱き、喪失に怯える柊の心を溶かしたのは、柊と一緒に何度もこの桜の許を訪れている彼だった。
 触れたいと願い伸ばした手に、同様に求め伸べられた彼の手が触れた。その瞬間の幸福さ、得難さ、温かさは、柊が知るどんな言葉を尽くしても言い表せない。
 けれど恋しさが募るほど、いつか彼を失うかもしれないという恐怖も膨らみ、いっそ逃げ出してしまいたくなることもあった。
 そんな柊に、言葉少なな彼はいつだって行動で示してくれた。迷子になった柊を、彼はどんな人混みの中からでもちゃんと見つけてくれた。厳しい戦場へ行ったって、何度だって帰って来た。そうして繰り返し彼がくれた言外の約束は、柊の恐れを徐々に和らげてくれたのだ。
 彼も胸に深い傷を負っていたけれど、互いに寄り添い、時間をかけて労りあって。仕事仲間から友人へ、そして恋人へと、ゆっくり絆を育んできた。

 そんなふたりの変化を見守ってきたのが、この桜の木だった。
 ふたりが大切な話をする時は、いつも決まってこの桜の許。示し合わせたわけではないけれど、いつしかふたりの間の決まりごとのようになっていた。
 柊ははにかんで目を伏せる。

「……今日、ここへ呼ばれたってことはー……」

 桜色に火照った頬へ、睫毛の淡い影が落ちた。


(……もう、何度目だろうか。この道を辿るのは)

 約束の桜木まで向かう道すがら、クラン・クィールス(ka6605)は服の上からポケットを探った。目当ての感触があることを確かめると、小さく安堵の息をつく。無意識の内にとっていた今日何度目かの行動に、クランは思わず苦笑した。

「まあ……緊張はするさ」

 自らを宥めるよう、あえて口に出して言う。
 ほやんとしているようでいて、その実律儀者の彼女は、きっともう桜の許で待っているだろう。

 出会ったばかりの頃は、何て距離感が近いのかと戸惑った。
 種族の差があるとはいえ、既に大人の男の身体付きになりつつあったクランから見れば、彼女は子供のように小さくて、ほわほわころころ笑う、春風のような少女だった。
 同行者や依頼人への気遣いを欠かさない彼女の優しさは、クランへも隔てなく向けられた。それどころか、はたから見れば無愛想で表情の乏しい自分など、おおよそ好き好んでつるみたくはない部類だろうと思うのに、彼女は全く意に介さずぐいぐい距離を詰めてきた。心理的にも、物理的にも。
 彼女が無邪気に絡めてくる腕は、彼に久しく忘れていた他者のぬくもりを思い出させた。打算のない労りの言葉や温かな眼差し。久方ぶりに触れて初めて、本当は自分がそれらを渇望していたことに気付いた。生きることで精一杯の日々の中、いつしか諦めたふりをして、寂しさや哀しみを押し殺していたのだ。
 けれど当時の彼には、彼女のまっすぐさが眩しすぎた。時に手を汚さなければ生きてこられなかった彼には、彼女の隣にいる資格がないように思われて。
 ――汚れた手で触れたなら、きっと汚してしまう。
 そう、恐れた。

「……それなのに、」

 クランは手のひらを眺め薄く笑う。
 彼女はクランが必死に他者との間に築いてきた壁を、ふわりと乗り越えてきた。そうして壁の内側で、クランの凍てついた心に寄り添ってくれたのだ。
 けれどそんな彼女もまた、人懐こい笑顔の裏で悲しみに耐えていた。失う事に怯える姿を見て、彼女を支えてやりたいと強く感じたクランは、自ら彼女へ手を伸べたのだった。

 思考に沈み込んでいたクランの頬を、ふいに何かが掠める。
 顔を上げれば、行く手遙かに約束の桜が見えた。陽を浴び、仄かに煌めく花霞。目を細めると、その根本にはちょこんと膝を抱える彼女の姿が。クランに気付いたらしく、跳ねるように立ち上がり、ぴょんぴょん飛び上がって手を振る。
 まだ遠くて声は届かないものの、

『クランさぁーん!』

と元気に呼ぶ彼女の声が聞こえて来るようだった。

(……そう言えば、以前は『クィールスさん』と呼ばれていたな)

 かすかに口角を上げると、クランは最後に今一度ポケットの中を確かめてから、彼女の許へ――柊の許へ駆け出した。


「……今年も、綺麗に咲いたな」

 ふたりきり、約束の桜の下に佇んで。
 しばし言葉を探していたクランがやっとのことでそう言うと、何故か柊はくすりと笑った。

「……?」
「ふふっ。私もここへ着いた時に、おんなじことを言っていたものでー。おそろいですねぇ」

 嬉しそうに口許を綻ばせた柊は、上目遣いにクランを仰ぐ。
 桜色の着物に紫紺の袴を履いた柊は、まるで桜の精のよう。以前はどこか儚げで、ふっと桜に攫われてしまいそうな印象があったが、今はしっかりそこに"居る"と感じる。
 その変化を喜ばしく思いつつも、愛らしいかんばせを直視しているとますます言葉に詰まってしまいそうで、クランはさり気なく頭上の花へ視線を投げた。

「そう、だったのか。……まあ、実際見事だよな」
「ええ、とってもー」

 途切れた会話の隙間を、風に揺れる花々のさざめきが埋めていく。

「……北方に桜は……ないか、流石に」
「寒い所ですからねー。龍園の方達は、桜を知らないかもしれませんねぇ」
「もしここへ連れてきたら、大喜びで宴会を始めそうだな……」
「確かにー。皆さん、今頃どうされているでしょうかー……」

 柊は北の方角を眺め口を噤む。
 ふたりして遠い地へ思い馳せているようでいて、クランは内心どうしたものか悩んでいた。

(告げる覚悟はしている、が……さて。どう切り出せばいいのか)

 ちらと横目で柊の横顔を窺う。

(もう少し、話を続けてからの方が……? いや、あまりいたずらに引き伸ばすのも、な……)

 悩みに悩んで、再び密かに柊を窺おうとした――が、柊は予想外の近さからこちらを見つめていた。

「な、……どうした?」
「……」

 爪先立ちになった柊は、クランの瞳をじぃっと覗き込んでくる。

「……」
「えっと……柊?」

 柊は探るような視線を解くと、かくりと小首を傾げた。結い上げた銀の髪が揺れ、クランの腕をくすぐる。

「……ね、クランさん。何か言いたいことがあるんですよねぇ?」

 何故分かったのか。驚き息を飲むクランへ、柊はお見通しですよぅとばかりに目を細めた。
 言うなら今しかないと、クランはひとつ息を吸い、身体ごと柊の方へ向き直る。
 クランの方から改まって見つめると、柊は打って変わって恥じらうように目を伏せた。そんないじらしさも堪らなく慕わしく感じられ、

「柊、」

想いをそのまま声音にして呼ぶ。柊はおずおずと伏せていた視線を上げた。

「……はい、クランさん」

 つぶらな瞳に、やや緊張した面持ちのクランが映る。きっとクランの瞳にも柊が、柊だけが映っているのだろう。
 不安がないわけではない。けれど今はその瞳に映る幸福感だけを胸に、クランは柊の前に跪く。

「俺は………柊の温もりに救われた。触れるべきでないと思ったその手に、触れていたくなった。失う事に怯える姿を見て、支えてやりたいと思った」

 ここへ来るまでに紐解いたふたりのあゆみ、その過程で思ったことをストレートに言葉にし、告げる。

「その気持ちに偽りも変わりもきっとない。だから、」

 桜よりもなお鮮やかに上気していく柊の頬を見上げながら、幾度も確認したポケットへ手を伸ばす。

「改めて誓う。これからも命の限り、お前と共に居る。
 お前が笑って、幸せでいられる様に。それを信じられる様に。ずっとお前を離さずにいる。
 ……柊。俺と──結婚してくれ」

 取り出した小箱を柊へ差し出し、目の前で蓋を開けた。中に入っているのは、勿論――
 慣例に習い、指輪を捧げ持ったまま頭を垂れる。当然柊の表情は窺えない。束の間沈黙が落ちる。何故か今度は、花達のさざめきは静寂を埋めてはくれなかった。まるで桜も春風も、ふたりのなりゆきを固唾を呑んで見守っているかのよう。
 先程押しやった不安が、焦燥を伴ってじわりと胸に滲む。

(……答えは分かっていると、信じている。が……、……こうまで不安になるものか、こういうのは……)

 実際はほんの少しの間だろうが、クランにはこの静けさが目眩するほど長い時間に思われた。
 そっと顔を上げ、息を飲む。
 潤んだ紫水晶の瞳。なめらかな頬に、透き通った雫がはらはらと。
 柊が、泣いていた。
 どんなに深手を負っても、悪夢にうなされたあとであっても、涙を見せなかった柊が。その涙の美しさに一瞬見惚れかけるも、自分が泣かせてしまったのだとクランは狼狽した。
 けれどそんなクランに気付くと、柊はぶんぶんと首を横に振り、それから濡れた頬のままにっこりと――それはそれは、幸せそうに微笑んで。小箱をクランの手ごと両手で愛おしそうに包み、指先へ額を擦り寄せる。

「私だって……。私がここにいるのは……ここに立っているのは。生きていたいと思えたのは……っ」

 涙で詰まってしまった言葉、その先に込められた想いごと受け止めるよう、クランは立ち上がりしっかりと柊を抱き寄せた。柊も伸び上がって精一杯クランの背に腕を回し、力強い抱擁にほぅっと甘い吐息を零す。

「……離さないでください。私も、離しませんから。ずっと、いつまでも。思い出を重ねていきましょう」
「ああ。お前が嫌だと言い出すまで、ずっと」
「ふふっ。だったら、そんなこと言う気はないので、ずっとずーっと一緒ですねぇ?」
 柊が蕩けた瞳のまま悪戯っぽく笑うので、
「それは良かった。……言ったは良いものの、いざ『嫌になった』と言われても離してやれそうにないと、悩みかけていたからな」
クランが肩を竦めて応じると、柊はいよいよ尖り耳の先まで赤らめたのだった。

 差し出された柊の左手を、クランは恭しい仕草で取る。そして薬指に指輪を通そうとした時、互いの指先が小さく震えていることに気付く。思わず顔を見合わせ笑いあったあと、柊の白い薬指に約束の指輪が煌めいた。
 再び瞳を潤ませた柊は、指輪へ柔らかく唇を押し当てる。それを見つめるクランの眼差しもまた、これまでになく柔らかで。
 どちらからともなく自然と手を伸べ合い、きつく抱きしめ合うと、クランは柊に顔を近寄せるよう屈み込む。察して閉じられる柊の瞳。そして――

「クランさん──愛してます」
「ああ。俺も……」

 ふたりを祝福するかのように春風が舞い、幾百の花弁が一斉に枝を離れ降り注ぐ。重なるふたりの影は、桜吹雪に覆い隠された。

 ――これまで色々とありましたけれど、きっとこれからも大丈夫。
 ──大丈夫。きっともう手放しはしない。温もりも、自分の心も。

 桜木は花盛りだが、ふたりの春の道行きはまさに今、始まったばかり。


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
【登場人物】
氷雨 柊(ka6302)/一握の未来へ
クラン・クィールス(ka6605)/望む未来の為に

【ライターより】
またいつものように、大変、お時間を頂戴してしまいまして……。
お二方とは、自分がMSを初めて間もない頃よりご縁を頂いておりました。
ご友人同士だった頃から、恋人になられてからも。
その上、大事な大事な結びのノベルを担当させて頂けて、本当に嬉しく、光栄に思います。
どうかお二人が、末永く幸せでありますように。
イメージと違う等ありましたら、お気軽にリテイクをお申し付けください。ご用命ありがとうございました。
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2020年10月21日

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