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『朱蓮』
黒帳 子夜la3066


 深まる秋の、昼下がり。
 平素と同じく書生姿の黒帳 子夜(la3066)は、行きつけのカフェを訪れた。
 繁華街から一本、奥の道に入ったところにひっそりと構えたその店は、今日もほどよく人がまばらで豊かな茶の香りが出迎えてくれる。




 ひと夏寝かせて熟成させた緑茶は、味の角がとれて旨味とまろやかさが引き出される。
 それが楽しみで、今日は来たようなもの。
 子夜は茶請けにサツマイモを使った芋羊羹を注文し、指定席ともいえる端のカウンター席へ着いた。

 これがよくない。と言ってしまえば終わってしまうのだけど。

 午前中は、病院で診察を受けてきた。
 医師の見立てでは、子夜の『食事嫌い』が根本にあるという。
(不摂生……と、言われましてもねぇ)
 ひとの肉体にとって必要な栄養を摂らないのに、過酷な戦いへ身を投じる。
 それが命を削り続けてきたと、医師は語った。ごもっともすぎて何も言えない。
 やはり、と思ったし、長くもったのではないだろうか、とも思う。
(覚悟は、この世界へ来た時より定めていましたしねぇ)
 おそらく自分は長くない。漠然とした予感があった。
 『前』の世界では、義妹の力になる・甥を育てるという役割があった。意義を感じていた。
 それが突然、ひとりきりで放り出され、今の世界では役割を探し漠然と生きていた。
 役割がないのなら、自分は生きていたところで――


 ふぅわりと香る緑茶が、思いにふける子夜の前に供される。
 客の邪魔をしないよう配慮する店主だが、目の覚めるような香りはどうしたって消せない。
 子夜は店主へ微笑を向ける。それから、カウンターを飾る植物に気づいた。
 『茶』を最優先にするこの店には、香りの強い植物が置かれることはほとんどない。
 カウンターのそれも花はつけておらず、更には珍しい姿をしていた。
「これは……多肉植物、でしょうか」
 サボテンやアロエのような、肉厚の葉。愛嬌ある丸みを帯びたフォルムだが、輪郭は柊のようにぎざぎざだ。
 目を引くのは、その朱色。全体が紅葉しているかのように色づいている。
 訊ねると、カランコエの一種で『朱蓮』という名だという。
 子夜の記憶にあるカランコエは、小さく愛らしい花をつける植物。
 朱蓮も、冬には鮮やかな赤い花を咲かせるのだそうだ。
 同じ種類でも、様々な形・特性があるものだ。感心して、尖った葉の先に指を当ててみる。
 『幸福を告げる』『たくさんの小さな思い出』『あなたを守る』
 知識の奥から、カランコエの花言葉を引っ張り出す。
(たくさんの……小さな思い出……)
 前の世界での暮らし。丁寧に重ねた日々が、子夜の胸に蘇る。
 大切な、小さな小さな甥とは、立派な青年へ成長した姿で再会した。
 あなたを守ることが残された自分の役割と信じていたけれど、それももう、今は果たされたのだろうと思う。

 義妹のため。
 甥のため。

 それを役割として生きてきた子夜だが、この世界へ来てからは何があっただろうと振り返ってみる。
 戦友・友人と出会えたことは、幸せだと思う。
(『飛騨を見届ける』、は、目標でしょうか)
 誰かに与えられるものではない、子夜自身の意志で、それを望む。
(……上々ですね)
 誰かへ幸福を与えられるかと言えば、そうではないかもしれない。
 けれど、誰かの幸福を支えたいとは思う。
 あの街で暮らす人々、人々が形成するあの街を見届けたい。
 それが今の、ささやかな願い。




 茶の香りを味わい、羊羹をひと切れ口に含む。
 スッと口どけのいい餡は噛むことなく溶けてゆく。
 サツマイモの風味が最後まで残る。
 贅沢な瞬間を、目を閉じて堪能する。


 医師からは、戦線から身を引き療養を推奨された。
 しかし、子夜はそれを拒否する程度に戦いに馴染み過ぎた。
 戦いが終結したなら、療養も考えたかもしれない。しかし、まだ終わっていない。
 まだ、子夜は戦えるのだ。この手は刀を振るえる。魔術を放てる。
 己の能力を十全に発揮できるのは、戦いの場であろう。
 命を削ってでも、削り切ってでも、そこに在ることを望む。
 でなければ『見届ける』なんて口にもできない。
 友人や甥が命を懸けて戦っている様子を、自分だけ安全な場所で眺めるなんて厭だ。
「美味しいですねぇ……。心まで温まります」
 思いを強める一方で、茶を愛でる低音の声は穏やかそのもの。
 香り。温度。食感。そこから導かれ想像する味覚。
 この香りを引き出すために。
 この食感を生み出すために。
 職人たちは、命を削ってきたことだろう。そこが彼らの戦場なのだから。
 それと同じこと。
 子夜には子夜の、戦場がある。

 朱蓮の輪郭をなぞり、今一度、植物へ思いを傾ける。
 子夜の技の幾つかは花をモチーフにしており、花言葉を込めてある。
(たしか、これは短日植物でしたか)
 植物ならば日光が大好きであろうに、短日植物は『日照時間が短くならないと花が咲かない』ことが特徴だ。
 この広い葉が日光を受け止め、日照時間の変化を判断しているのだろう。
 植物が花を咲かせるのは、種を作り次世代へ繋げるため。
 植物は、日光を受けて光合成をし、栄養分を蓄える。
 ゆえに、日照時間が長い夏に多くの花が咲き、秋に種を落とす。
 その逆を行くのだ、この植物は。
 では冬に強い・寒さに強い品種なのかといえばそうではない。寒いと花は咲かない。
 なかなかにわがままだ。
「意志が固いですねぇ」
 花言葉『おおらかな心』は、育てる者に対してのリクエストだろうか?

 命の灯火が短くなり始めて、ようやく気付くことがある。
 花を咲かせようとも、時代へ残す種を落とそうとも思わない、けれど。

(タイムリミットがあるならば、生ききるのみ)
 ただ、残された時間を友人たちへ伝えるつもりはなかった。不要な心配をさせたくない。
 甥にだけは伝えておこうと思うが――
(ひと悶着は、ありそうですねぇ)
 泣くだろうか。怒るだろうか。戦うことを止めるだろうか。
 表情の豊かさは幼い頃と変わらない彼と、ここでお茶をしたのも懐かしく。
 子夜は肩を竦めるも、自然と表情は愛しさに緩む。
(もう一つ願うとしたら、この世界から別の何処かへ転移されないことですね)
 始まりこそ意にそぐわぬ転移であったが、積み重ねた日々は今や子夜にとって大切なもの。
 最期は、この地で迎えたい。
 戦いのさなかかもしれないし、全てが終わってからかもしれない。いずれにせよ。

「悲観的な思いは抱かず、やり残しがないよう生を謳歌せよ。それが私の幸福です」




 持ち歩いていた文庫小説を読み終え、茶葉を買い求め、子夜はカフェを後にした。
 ついつい長居してしまい、外は美しい夕暮れ時を迎えている。
 沈みかけにこそ、陽の美しさは際立つ。
 日は沈み夜の帳が下りると、星々が輝く時間だ。
 それが自然の摂理。
 命の灯火もまた、いつしか潰える。どう燃やすかは、個々の信念のもとに自由だ。

「綺麗な星ですねぇ……」
 四季折々に位置を変える星の名を呼び上げながら、子夜は暮れゆく道を進んだ。
 花屋が開いていたら、覗いてみるのも良いだろう。
 気難しくも美しい、あの鉢植えは置いてあるだろうか。




【朱蓮 了】

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご依頼ありがとうございました。
残された時間にまつわるお話を、お届けいたします。
所有されているスキル名の延長として植物を、お誕生日花として挙げられるカランコエを盛り込んでいます。
また、季節として秋に美味しいお茶とお茶請けを、バレンタインで過ごしたカフェからお送りいたしました。
楽しんでいただけましたら幸いです。
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佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年10月23日

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