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『真っ向勝負の余韻はどうにも苦甘い』
狭間 久志la0848)& 音切 奏la2594

 寿司バーなる飲食店がある。
 カウンター始めすべての調度が寿司屋的な明るい色味ならぬシックなものでまとめられ、テーブル席や(店によっては)個室も充実。さらにはやわらかな間接照明が使用されていたりする。
 ここはそんな寿司バーの一軒で、若年層に人気がある店だ。とはいえまだ時間が早いので、客はカーテンで仕切る半個室タイプのテーブル席へついたひと組だけなわけだが。

「……」
 狭間 久志(la0848)は無表情のままグラスを傾(かし)げ、カミカゼを舌の上へ滑り落とした。濃い酒を選んだのは正解だった。おかげでたっぷり間が取れる。
「……」
 テーブルを挟んで久志の向かいに座す音切 奏(la2594)は、わずかに眉根を引き下げつつサラトガクーラーをすすっていた。
 こちらはノンアルコールカクテルであるが、ライムを皮ごと絞れば酒精めいた苦みを加えることができる。で、苦みマシマシで注文した結果、相当なやせ我慢を余儀なくされていたり。
 じりじりじりじり、奏の眉尻が上向いていく。
 あー、こりゃ相当苦いか。久志はやれやれと息をつき、グラスを口元から離した。年長者としても同行者としても、さすがになにか言ってやるべきだろう。

 って、なに言えばいいんだよ?
 奏が苦みを求める理由を誰より知っている彼である。言葉はいくらでかけられるだろうが――
 もう一度息をつき、カミカゼを一気に干す。ライムの苦みと酒精の苦みがじりっと舌を焼き、久志は奏同様、顔を顰めてしまった。
 気まずいなんてもんじゃねーから。俺が絡んでなきゃ、奏はもっとすっきり思い切れたんだからな。
 ……今日、奏を「あー、まー、飯でもどーよ」と誘ったのは彼である。
 先日、波打ち際で爆散した奏の恋。そこへ至るまでの相談役であった彼は、とある勘違いから奏の背をまちがった方向から全力で押してしまった。
 自分がちゃんと理解できていたら、奏をあれほど傷つけずに済んだはずなのに。後悔と自責は凄まじく、だからこそ余計に彼女のことが気になって、ちらちら声をかけつつ機を窺い続け。ようやく今日、誘えたわけだ。
 だからって、言えることなんざねーんだけどな。そうじゃなくてもおじさんの説教なんざ、それこそ洒落にもなんねーし?
 と。苦々しい思いの狭間から、心の声というやつが飛んでくる。
 言えることがないのも説教できないのも、全部“おじさん”だからか? 25歳なんざ世間じゃ若造だろ? なんでそんなに自分をおじさん枠へ押し込めたいんだよ?
 小さいおじさんならぬ小さい久志に問い詰められて、久志はすがめた目を己から逸らす。
 それがわかってたら、なんだってもっとうまくやれてんだろ。

 あらためて黙り込んだ久志の向かい、奏もなにも言えないままただ眉を顰め続けている。
 私の目は節穴だった。
 あの方が男性ではないことなど、目を澄ますまでもなくあっさりとわかるはずのことなのに……気づけないどころか、あの方に秘めていた思いと想いのすべてを曝け出させてしまった。全部全部全部、私のせい。
 喉元までこみ上げた重いため息を必死に飲み下した結果、奏の眉尻はさらに角度を上げてしまう。
 どうしてこう、苦いのか。
 酒(ではないが)が苦い。やらかしてしまった後悔が苦い。それをいつまでも引きずらずにいられない自分が苦い。
 奏のため、人目につきづらい“外”の店を見つけて誘ってくれた久志の気づかいもまた、苦い。
 いえ、気づかいも、じゃないわよね。気づかいが、苦いのよ。あの方と、そして久志様の。
 ふたりが自分に気づかわなければならない理由などない。すべてはのぼせ上がって暴走し、自分から墓穴へダイブした奏のせいなのだから。だというのに被害者気取りの奏のため、無理を推して気づかわざるをえないなど理不尽の極みではないか。
 でも、しかたないことなんだよね。ふたりともすごく誠実なんだもの。なら、それを悟った私はどうするのが正解? そんなのわかりきった話でしょ。なんにもなかった顔して、他愛のない話に笑ったり怒ったり感じ入ったりしながら飲んで食べて、颯爽と帰路へつくべき。うん、それが最適解よね。
 ――いえいえいやいや私にそんなことできるわけないんだけどおおおおおおおおっ!!

「無言で絶叫すんな。恐えーだろ」
 思わずこぼれ落ちた久志のツッコミ。
 沈黙を破る好機! 奏は食らいついた。それはもうウツボのごとき迅さと勢いをもって。
「姫のたしなみですわ!」
「だからってマジ絶叫すんな」
 そうだった。周囲は壁ならぬカーテン。張り上げた声は筒抜けだ。姫マナー的にも姫モラル的にも赦されない悪徳である。
「姫の戯れですわ」
 こそこそ座りなおした奏に、久志は苦笑を見せた。
「ま、ずっとにらめっこしてるよりはいいけどな」
 少なくとも俺的にはありがたい。そう言い足して、久志は代わりの酒を頼んだ。アメリカで広まりつつある“Sake Bonb”――ジョッキビールに日本酒をぐい飲みごとぶち込んで混ぜる、豪快でありながらも比較的低アルコールな一杯だ。
 お酒を飲めるくらいリラックスしていることをアピールしつつ、酔い過ぎないようにしていますね久志様。
 あっさりと久志の思惑を見破った奏は、グラスを一気に干して次の一杯を注文した。自分が下を向いていては、久志に気づかいを重ねさせるばかりだ。それよりも応えたい。彼の気づかいへ、真っ向から向き合ってまっすぐと。
「その節は久志様へ本当にご迷惑をおかけいたしました。どうかお赦しくださいませ」
 奏はありったけの力を振り絞り、深く頭を垂れた。
 自己憐憫も自己嫌悪も自己弁護も、全部肚の底へしまい込め。せめて今このときだけは自己のためならず、他者のためにこそ自己を尽くせ。それができずしてなにが姫か!
 いえ、ちがいます。そんなことではありません。私は苛立っていて、怒っていて、焦れていて。理由がわからなくてそれがまたもどかしくて。……どうして私はこれほど思い切りたいのです?
 思い悩む奏の頭を上げさせておいて、今度は久志が頭を下げた。
「迷惑かけたのは俺だよ。勘違いしたまま盛大に空回りして、奏と、他の連中全員に気まずい思いさせちまった」
 促されるより先に自ら顔を上げ、情けなさを演出するため困り顔を笑ませてみせる。こいつは俺が打った下手(へた)だ。奏に気ぃ使わせとくわけにいくかよ。
「今日はとにかく、食って飲んでくれよ。もちろん俺へのクレームとかご指導ご鞭撻も大歓迎ってことで」
 久志が軽い言葉を下手(したて)に差し出した直後、店員が飲み物と共に鮪尽くしの寿司を運んできた。さまざまな部位がそれぞれに調理されて盛り合わせられ、一匹の魚から切り取られたものとは思えないバラエティさを魅せつけている。
「どれから手をつけるべきか迷いますわね!」
 などと言ったくせに迷い箸することもなく、ずばっと炙りトロをいただく奏。
 彼女の勢いは、薄暗い雰囲気を斬り払おうという意志の顕われなのだろう。だからこそ久志は乗るしかなかった。自分より10近くも若い女の子にこれほどがんばらせている現状、おじさん的には最悪だ。
 そして、そんなことを考えたからこそ久志は思うのだ。
 奏は凄ぇな。
 超バッドエンドを突きつけられながらもけして悲哀へ沈み込むことなく、それどころかうつむくことすらなくナイトメアとの戦いに、そして仲間との友誼に向き合うこと。
 それがどれほどの偉業であるものか、久志は我が身をもって思い知っている。悲哀のどん底から未だ抜け出すことができずにいる彼は。
「久志様、この炙りトロは絶品です!」
 言い切る奏の極上の笑顔から、久志はぎくぎく視線を逸らす。あー、眩しくてもう見てらんねー。
 と。横を向いた久志の顔が、あたたかくて固いものに挟み込まれ、強引にまっすぐ向けられた。

「久志様」
 真正面に、乗り出してきた奏の顔があった。真剣で力強くて、少しだけ怒りを含んだ真顔が。
「姫のお墨付き、お召し上がりくださいませ」
「気に入ったんなら全部食ってくれよ。おじさんはほら、脂っこいの食うと胃もたれするんだって」
「男子25歳でおじさんなら、姫17歳は行き遅れの大年増ですわ」
 ぴしゃりと言い切り、奏は久志を解放した。真っ向から彼を見据えたまま、ゆっくりと。
 ここまで無言で念を押されてしまえば、久志ももう逃げられない。神妙にかしこまって、姫の次なる言葉を待つよりなかった。
 一方、奏は自分の振る舞いに困惑していた。久志に美味を食わせたい気持ちに偽りはない。が、ここまで強引に押しつけたい気持ちの正体がわからなくて。
 いえ、こんなときはなにも考えず、感じるままに言い募るよりないでしょう。答はきっと、その中にあるはずですもの。
 かくて開いた口からこぼれ落ちた言の葉は――
「これまで重ねてきた謝罪、すべて撤回いたしますわ」
 は? 思わず目を丸くした久志を手で制し、奏はさらに口を開く。
「いえ、撤回はいたしませんけれど、私はどうやら謝罪したかったわけではないのです」
「じゃあ、なにがしたかったんだ?」
 当然の問いに、奏はうなずいた。言葉は選ぶほどに真意から遠ざかってしまう。だから考えない。ただ感じるまま、もっと心のまま紡ぐ。
「私は久志様に救っていただきました。あのときばかりでなく、その後もずっと」
 もう止まらない。止めたりしない。目の前にいる限りなく優しくてどうしようもなく臆病でたまらなくしょぼくれた男にくれてやる。
「誇りに思いなさい! 私を誤りの恋路より姫たる正道へ導く標となれたこと!」
 ふと表情をほころばせ、奏は言い重ねた。多分、そう。彼女が無意識の内に押し込んでいた、いちばん言いたかったことを。
「姫としてでなく音切 奏として、心より感謝いたします。おじさんなんかではありえない、狭間 久志というただひとりのお方へ」
 奏をうつむかせることなく奏として保たせてくれたものは、ことあるごとに声と気をかけてくれた久志だ。だからこそ……おじさんなんて言い訳に逃げ込ませてあげません。姫に心偽らぬ真っ向勝負をさせたのです。逃げずに堂々、打ち合いなさい。
 久志はなにも言い返せぬまま、細い息をついた。
 おじさんなんかじゃない、俺にか。
 そういえば、俺はいつから「おじさん」に逃げ込んでた? 思い出せもしねーけど、理由ははっきりしてる。ちゃんとした大人どころかちゃんとした若造にすらなれてねーのをごまかしたかったからだ。
 それを真っ向から斬り崩され、おじさんという鎧を断ち割られて、狭間 久志を剥き出しにされて――なぜだろう、故郷たる世界でとある女に叱られたことを思い出した。
 いや、わかりきった話だろ。あのとき、君のために生きると切り出した俺は、ふたりのために生きてくれなきゃ嫌だと返されて衝撃を受けたんだ。今みてーに。
 まったく似ていない女が発したまったく別の言葉が、同じように自分を打ち据える。ったく、なんだろうな、これ。なんだってんだよ、なあ。
 久志は炙りトロを食らった。炙られた脂の香ばしさが口に拡がり、溶け消えた後にはかすかな苦みを残す。なんだ、食ってみりゃうめーし、苦いのも悪くねー。
 でもな――
 久志は奏に右手を伸べた。
「自分のことを反省できる姫ってのは、並の姫の百倍偉い。目の前の相手とまっすぐ向き合える姫は、並の姫の千倍偉い。それから他人のためにがんばれる姫は超偉い」
 よしよしよしよし、髪を乱さぬよう、しかし力強く頭を撫でる。
「ぎゃー! 姫の頭を……ふっ、ふ不快ではありませんけれど不敬なのではっ!?」
 思いきりうろたえて硬直し、それこそ感じるままにわめきちらす奏。
 そんな彼女へ人の悪い笑みを向け、久志は言ってみせるのだ。
「ご指導ご鞭撻、クレーム大歓迎だって言ったろ? 指導と鞭撻はいただいたんで、姫の美徳を称えるついでにクレーム言わせとこうってな」
「久志様の不遜にクレームの嵐です! 早々にお改めくださいましっ!」
 言葉尻を食いちぎる奏へさらに笑みかけ、
「前向きに善処します?」
「どうして疑問形ですわ!?」
 手を止めない久志は答える代わり、先に途切れさせた思いの続きを胸奥で紡ぐのだ。
 ――頼むからもう少しだけ女の子でいてくれよ。おまえが女なんだって俺が気づいちまわないように、もう少しだけ。


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2020年10月26日

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