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『Homme Fatale』
柞原 典la3876


 何でこんなところにおるんやろう。柞原 典(la3876)は見知らぬ喫茶店でそんなことをぼんやりと思う。外では雨がしとしと降っていた。中との温度差で窓ガラスが曇っている。外はよく見えない。景色を確認する気にもならなくて、そのまま座っていた。
 目の前には二人分のコーヒーが置かれている。二人分。もう一人、誰が来るかは何故かわかっていた。
「よう」
 ヴァージル(lz0103)だ。それだけ言って、正面の席に座る。典は微笑み、
「兄さん元気しとったか」
「死人に元気もへったくれもねぇだろ」
 鼻で笑い、コーヒーカップを取って一口飲んだ。典は頬杖を突いて身を乗り出し、
「兄さんに言いたかったこと、ぎょうさんあるんよ」
 拗ねた様に言う。
「なんだよ」
「タンブラーやっただけでお茶したわけないやろ」
「何言ってんだ、あれ飲みかけだったじゃねぇか。残り物押しつけやがって」
「ひっど。兄さん寒かろ思うて渡してやったのに。お茶って今みたいの言うの」
「そうかよ。教えてくれてありがとう」
 どこかで聞いた台詞だ。ヴァージル絡みではなかった気がする。典はにやにやしている相手の顔を睨み、
「メキシコでヘリ壊したの俺やないのに、向き直って『性格は悪いな』って濡れ衣やん」
「壊すのはライセンサーだったのにロックが壊すって言っただろ。あれ、俺を釣るためだろ? 何が濡れ衣だ図々しい野郎だ。性格が悪いのは本当だろ」
「それ言う兄さんも大概やわ。大概やけど、何でそないに約束大切にするん? 約束には俺より誠実や思うわ」
「人間の真似してるだけだよ」
「約束守らん人間もおるやろ」
「お前もか?」
「俺は守らんのとちゃうの。せぇへんだけ。俺、約束は『拘束』やと思うてるからせんけど、それでもした約束を信じてへんやろって酷ない?」
「いつも目が笑ってなくてふざけたこと言ってる奴が約束守ると思われるとでも思ってんのか? 見通しが甘いんだよ」
「ひっど。今日一酷いこと言われた」
 むくれる典を、相手は面白そうに見ていた。典は次の質問をする。
「俺の顔のどこが好き?」
「どこって言われてもなぁ。なんとなく、全体的にって感じだから」
「ふぅん……今まで一度も自分の顔が好きや思うたことないけど、兄さんに気に入られたのは、いっこだけ良かったかなぁ」
「もったいねぇな。綺麗だぞ」
「よう恥ずかしげもなく言うな。俺と本物兄さんやと顔の系統ちゃうやろ」
 ヴァージルはにやにやしたまま答えない。典はむう、と唸ると、
「殴らせない撃たない目抉らせないって、どんだけ俺の顔好きなん……」
 典が差し出すものは、結局ほとんど受け取らなかった。殺し損ねて食べることもせず。ヴァージルに典のものは何も残らなかった。典には、ヴァージルのライターと、銃創が残っている。
 などと思っていると、ヴァージルは胸ポケットを探った。見覚えのある紙パッケージ。その中から煙草を一本取り出すと、
「火、持ってるか?」
「……持ってる」
 拾ったライターを取り出す。捕食で得た知識なのか、ヴァージルは典がライターを点けると、咥えた煙草を近づけた。ただし、知識だけでのようで、吸うなりむせた。涙目になりながら、
「よくこんなもん吸ってるな、お前」
 呆れた様な顔をされる。
「惰性や。もむない言うたやろ」
「惰性になるまでのハードルが高くねぇか?」
 ヴァージルはすぐに煙草を消してしまった。手を振って煙を払う。「彼」は煙草を吸わない。典から煙草を渡された時、そう言って暗に吸わないと言ったのに。そこまで思い出して、典はふと思いついたことを尋ねた。
「最後に『見た』のは俺の顔やろうけど、最後に『思うた』のは……やっぱり本物兄さんの顔やった?」
「いや……」
 ヴァージルは天井を見た。丸くて、かすかにオレンジがかった光を放つ電灯を。
「『今宵の月は綺麗だろうな』って思ってた」
「はあ?」
 予想外の答えに、典は思わず素っ頓狂な声で聞き返してしまう。
「なんやの、それ」
「初めてお前らに会った晩」
 ヴァージルは思い出すように言葉を切った。
「月が出てたの、覚えてるか?」
「ああ……」
 何なら、きっかけになった牛の脱走事件。あの時も、牛を送り届けて、牧場から帰るときには空に月が出ていたのを典は思い出した。
「お前らに囲まれて、ああ、最初に会った時は夜で月が出てたなって思ったんだよ。でっけぇ月がさ。だから、今日の月はあんな風になるんだろうなって」
「……」
 典は思わずジト目になってしまった。なんだ、そのロマンチストみたいな……やっぱりロマンチストだったのか。俺はリアリストやけど。
 けれど、運命と言うものがあるのならば、彼には信じても良いかもしれない。自分が彼に破滅の運命をもたらしたオム・ファタールであるならば、逆もあり得ただろうから。
 そう、彼が典を殺すはずだったのだ。
「『俺が殺すまで死ぬな』て、殺す兄さんおらんようになって……俺はいつまで死なんようにしたらええの?」
 そう問われて、ヴァージルは心底意外そうな顔で典を見返した。
「いつ会いに行ったらええの?」
「お前マジで言ってんのか? 人間は死なない方が良いんじゃないのか? 皆死にたくなさそうだったけど」
「俺、別に長生きする必要ないもん……」
 最後の約束を抱えて。ヴァージルは先に死んでしまい。
 苦しい。
 迷子のように、これからどうしたら良いか分からない。分かれ道ばっかり自分を囲んでいる。
「あのさ」
 ヴァージルはやや困惑したように典の顔をまじまじと見た。
「俺が彼に思ってるようなことを、お前は俺に思ってんのか?」
「はぁ?」
 何だその勘違いみたいな問いは。何か反論しようとして立ち上がった。
「地獄のデートは長いから、あんまり早く来ても話題がなくてもたないぞ」
「年寄りの俺でもええんか」
「老いてもお前は綺麗だよ」
「なんやそれ、気色悪ぅ……」
 それだけ言って、その先は続かない。
 目が覚めてしまったから。


「……夢……」
 道理で、「教えてくれてありがとう」なんて、アフリカのエルゴマンサーが言った言葉が出てくるわけだ。ヴァージルじゃなくて典の記憶だから。
(どこまでほんまなんやろか……)
 自分が見た夢なのか。あるいは本当に夢に出たのか。膝を抱えて、目を閉じる。日本の古典文学においては、夢に出る方が見る方を想うとは言うが……。

 まだ夜明けは遠そうだ。何気なく、カーテンを開けて外を見る。お目当てのものはすぐ見つかった。

 いつかも出ていた月は。


 男はいなくなった正面の席に手を伸ばす。飲みかけのコーヒーカップ。

 その中身を勝手に飲み干して、

「また飲みかけ押しつけやがった」

 勝手に毒づいて、笑った。


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三田村 薫 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年10月26日

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