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『必死の必死 〜中段構えから面抜き脛〜』
不知火 仙火la2785)&不知火 楓la2790

 お茶。
 古くは江戸の芸者や花魁が、指名客なく待機を余儀なくされる状況を指して云う「お茶を挽く」からの言葉だが、それは現代も夜職(水商売)の間で使い続けられており、そして――不知火 仙火(la2785)はまさに今、“お茶”なのであった。


 どんなキャストにもそんな期間はあるもの。そんなことを言って去って行ったオーナーは、今日も卓から卓へ飛び回っている。さすが伝説という感じだが、それにしてもだ。
 ヘルプしか仕事ねえって、おかしくねえか?
 先日、とある事情から相当に金を使ってしまった彼はその補填のため、縁を得たホストクラブに短期で雇ってもらっている。源氏名は以前と同じく、セン。自分勝手を快く受け入れてくれた恩に報いたいとも思い、気合を入れていたのだが。
 蓋を開けてみれば指名はひとつも取れず、初回(初来店の客)もその後へは繋がらず。
 空気を読みきれていなかった? 姫のかゆいところを読み違えた? 気づかない内に余計な金を使わせようとがっついた? ひとつも思い当たるところはない。
 とはいえ、ホストの給料は歩合制だ。このままお茶では意味がないし、なにより店に迷惑をかけてしまう。
 仙火は焦りを息に乗せて吹き抜き、せめてヘルプで他のキャストを助けようと店内に視線を巡らせて……見つけてしまった。
「っ!」
 ハイネックのニットにロングのタイトスカートという、シンプルな衣装をまとった鳳眼の麗人。
 彼女が初回であることは内勤から知らされるまでもなく、キャストの全員が理解していた。これほどの姫が一度でも来店していたなら、忘れるはずがないからだ。
 そうなれば誰が彼女の卓へつくのか。無音で、しかし大きく沸き立つ箱内だったが。
「センを指名で」
 ふわりと笑み、硬直している仙火へまっすぐ視線を向けてきたその姫は。
 思い違えようなく、見間違えようなく、聞き間違えようもない、不知火 楓(la2790)その人だったのだ。
「ちょうどセンが空いてる時間に着けたみたいだね」
 先に述べたように、身につけた衣装はシンプルだ。しかし、そのシンプルさがたおやかなる美貌をかえって鮮やかに浮き彫り、周囲の目を惹きつける。男ばかりでなく、この夜、姫と讃えられる女たちの目までもを。
 内勤に任せろとサインを送った仙火は楓が伸べた手を預かり、歩き出す。
 無言だったのはもちろん、口を開いてしまえば「なんでこんなとこにいんだよ!?」を皮切りに問い詰めてしまいそうだからだ。
 とにかく! 無難にやり過ごして帰らせる!
 人々の視線を引きちぎり、仙火は卓を目ざす。たった数十歩がこれほど遠いことに歯がみしながら。


「姫、トーションを」
 かしずいた仙火が恭しく捧げ持ったトーション(ひざかけ)を楓へ示し、膝へかける。
「今日は寒いからな。体冷やす前に羽織ったほうがいい」
 立ち上がった仙火がふわり、自らがまとっていたスーツのジャケットを脱いで楓の肩へ。
「これじゃ足りねえな」
 そわそわ駆け出しかけた仙火を苦笑して止め、楓はグラスを傾げた。
「そんなに巻かれたら逆にのぼせちゃうよ」
 ちなみに初回はお試しということでセット料金は格安である。しかし楓は入店直後にセンを本指名し、初回セットも辞退して、普通に柚子焼酎を入れていた。ちなみにお値段、クラブではお安めの15000G。
「仙火も炭酸割りでいいよね」
 と、楓はいつもの調子でつい仙火の酒を用意しようとして、あわてて手を止める。同じく普通にそれを見逃しかけた仙火もまた、あわてて楓の横へ座り、自分のグラスに酒を注いだ。
「今日の俺はセン。お互いきちんと意識しよう」
「うん」
 言葉を正した仙火へうなずいた楓は、彼が作った炭酸割りをもうひと口味わった。わずかに眉根を上げ、横から仙火の顔をのぞきこんで。
「やっぱりこれ、薄くない? 僕のこと酔わせたくなかったりする?」
 仙火は逆に眉根を引き下げ、神妙な顔で言葉を返した。
「そういうことだ」
 ヘルプにボトルの残りの処理をハンドサインで頼みつつ、仙火はさりげなく彼らの視線から楓をかばう。
 楓を酔わせたくないのは本音だ。いつもと異なる環境では飲みかたやペースがどうしても乱れるものだし、そうなれば、いかな楓も思わぬ隙を作ってしまうかもしれない。
 それにだ。「あれば見る」のが男の性、隙だらけの楓を目の前に置かれてそれに見入らない男などいるものか。ってか、隙なくても見んな。楓のスカートとかいうレアなもん、俺だってそうそう拝めねえ――
「今日、スカートだな!」
 思わず飛び出てしまった大きな声に、周囲よりも自分が驚いた。
 一方の楓は薄笑み、仙火との間に空いた拳ひとつ分の隙間を半分詰めて、
「せっかくの機会だし、きみにも少しは認識を改めてもらおうかなって。ほんとはイブニングドレスにしようかと思ったんだけど」
「やめてくれ。姫にそんな格好されたら他の奴らがガン見するから」
 仙火は今度こそさりげなさを捨てて身を乗り出し、ヘルプの目から楓を隠した。
 常の楓であれば、仙火の立場を守るためになにかしらのフォローを入れているはず。それをあえてしなかったのは、仙火に彼自身のしでかしていることを気づかせたくなかったからだ。
 楓のフォローを受けたなら、仙火は即座にすべてを理解し、完璧なセンを装ってしまう。今までずっとそうしてきたように。そうはさせたくない。そんなことは、させない。
「じゃあ着物は? 揃いの小袖を作らないかってご当主が」
「露出度の問題じゃねえ! あとお揃いはぜひやめてくれ」
 センではない仙火の必死が、心地いい。自分は彼が必死になるほどのものなのだと……大切に隠しておきたいほどのものなのだと思えるから。
 とはいえ、僕も負けないくらい必死なんだけどね。
 そのせいで負わなくてよかったはずのものを負わせてしまったことを心の内で詫びつつ、楓はなんでもない顔でメニューを開いた。
「こんなに薄いお酒じゃ楽しめないし、シャンパン入れさせてもらおうかな」


「これから始まる素敵なひと時 片手にグラスを持ったなら 今宵一晩真心込めて 貴女に全てを捧げます」
 マイクを持たず、仙火は低めた声音でシャンパンコールを贈る。ただひとりの姫、楓へ。
 とはいえこれは仙火の意志ならず、彼が以前したというコールを、自分ひとりで聞いてみたいという楓の希望による。
 やるからには本気だ。いや、以前よりもある意味で気合を入れなければならなかったから、本気の本気だった。

『僕は僕を尽くしてきみを口説き落としてみせるから』

 楓に言われてからずっと考え続けてきたのだ。
 自分にとって楓とはどのような存在なのか?
 大切な存在だ。そこまでは即答できるが、その先が続かない。彼にとって大切の枠に収まる者は少ないが、だからこそそれ以上を求めたことはなかった。
 だから考えたこともなかったのだ。楓という大切なだけだった存在が、真っ向から言の葉の刃を打ち込んでくるそのときまで。
 それでもどうするべきかなんてわからねえけどな。でも、どうなるにしたって、今までのお付き合いごっこみてえに逃げられねえってことだ。
 結局今考えることを放棄したことに気づかぬまま、仙火は席へ戻ってグラスを干した。
「マイク持つより緊張するな」
 言葉以上に緊張していたらしい。肚を決めたはずがこの体たらく、さすがは俺だぜと自嘲せざるを得なかった。
「気合を入れて張った声もいいけど、ああいう声は色っぽくてすごく映えるね」
 楓の飲むペースも気になるが、この笑みの艶やかさはどうだ。いつになく女らしい服装を決めた楓はそれだけでも刺激が強いのに、こんな表情を向けてくるなんて。
「この場限りのひとり舞台、しっかり憶えて帰ってくれよ」
 予備のトーションで楓との間に防壁を築き、仙火はことさらに冗談めかして言う。ホストという立場があってくれてよかった。
 と。楓は新たな一杯をグラスの内で揺らし、わずかに口の端を歪めて言った。
「この場限りって言うけど、他の姫からお願いされたら同じことをするんだよね、センは」
 ただしゃべっているだけなのに、声音がやけに揺らいでいる。楓らしくもねえ……そんなことを思いつつ、仙火はとあることを思いついた。
 まさかの話だけどよ。楓、拗ねてんのか? その、俺が他の客に同じことするから?
「いやいや、ずっと俺、お茶――指名なしなんだぜ。そろそろ別のバイトでも探すかって」
「それ、僕のせいだとしたらどうする?」
 仙火を遮る楓の声音。先のような揺らぎはなく、しかし、低く落ち込んでいて。
 慎重に口を閉ざした仙火へ、楓はそのままの音で言の葉を投げかけた。
「きみがこの、ライセンサーを客筋にしている店に入ってくれたのは幸いだったよ。同じ立場なら“姫”を特定するのは簡単だし、話もつけやすいから。今日まで、センを指名するのは避けてほしいって」
 マジか。呻きかけて、仙火は奥歯で噛み殺した。
 不知火の交渉事は、そのすべてを当主である仙火の母が切り回している。ただ、交渉には事前の調査や根回しというものが不可欠。楓は次代の交渉役としてその下準備を任されつつあり、そして常に母の期待へ応え続けていた。
 その能力をもってすればわけもないことだろう、仙火に茶を挽かせるくらい。
「明日からいそがしくなるよ。きみの知名度は裏で相当上がってるんだから。でも」
 今日までは――今日だけは――僕だけがきみの姫だ。
 傾げられた楓の頭が、仙火の肩へ触れる。
 これほどまでに、楓は本気なのか。
 これほどまでに、楓は必死なのか。
 胸を突き上げる衝動をそれこそ必死で抑え込み、仙火は口の端を上げた。仙火として答える言葉はなくとも、センとして応える言葉ならある。
「初めての姫に約束する。どんな姫にも、この場限りってことはしない。後にも先にも、姫のためだけのひとり舞台だ」
 いつものようには言えなくとも、これこそがセンの誠で、仙火の実だ。
「本気で言ってくれてるのはわかるんだけど」
 そっと楓が顔を上げれば、仙火の肩の上には綺麗に折り畳まれたハンカチが乗っていた。
「そういうときはせめて、肩くらい貸してくれるべきじゃない?」
 思わず唇を尖らせる楓。
 仙火は生真面目な顔でかぶりを振り、「この間合を保つことがセンの誠実だからな」。
「生殺しもいいとこだよ」
 楓はくつくつと喉を鳴らし、座りなおした。仙火の殻の固さは承知済み。その隙間からわずかに本音を引き出せたのだから、今日はそれでよしとしよう。
「じゃあ、僕も姫としての誠実を見せなくちゃね」
 メニューを取った楓の手をあわてて制し、仙火はいやいや、かぶりを振った。
「今日の払いは俺が持つし、気持ちよく飲んで帰ってくれよ」
 それは仙火として楓の必死へ応えられない詫びであり、センとして最高のもてなしをしたやりたい男心でもあったのだが――楓はぴしゃり、仙火を撥ね除ける。
「ここは男が男としての価値を競う場。そんなことさせたら女がすたるよ」
 そして厳しく引き締めていた表情をふわりと緩め、手を挙げた。
「僕が示す。きみって男の価値がどれほどのものかをね」


 果たして仙火卓に、この店では初めての注文となる一本が降り立った。夜に身を置く者すべての憧れ、世界最高峰のブレンデッドコニャックが。
「コールはいらないよ。最高のひと声はもうもらったから」
 音なきどよめきのただ中、涼しい顔で言い切った楓は希なる琥珀を舌の上へ滑らせ、笑む。
「これでラストソングはきみに決まりだね」
 仙火はあいまいにうなずき、間を埋めるべくコニャックを呷った。100種類以上もの原酒がブレンドされているだけあってそのうまみは複雑で、彼にはうまい以外にわからない有様だ。
 ああ、わかんねえ。酒の味も、楓の必死がどんだけのもんかも。わかってやらねえとか見栄張ってらんねえくらい、わかんねえよ。
 いや、こんなことを考えている場合じゃない。今日の売り上げのトップはまちがいなく仙火だ。楓が言ったとおり、その日の売り上げトップは営業の締めにラストソングを歌う栄誉が与えられるのだ。
 なにを歌う? 定番はラブソングだが、それがひとつの答になる以上、慎重に決める必要がある。
 マジでどうすりゃいい? 俺は楓に、なにを答える?



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2020年10月29日

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