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『とおい泡雪、ななつの子』
吉野 雪花la0141


 『ななつまでは、神のうち』なんて伝承がある。
 昔々は、七つの歳まで生きることが難しく『いつ神様のもとへ戻ってしまうかもしれない』という不安がついてまわった。
 七五三のお参りは不安定な時代に生まれた、子供の健やかな成長への祈願だ。




 吉野 雪花(la0141)が暖かなカフェを後にすると、冷たく乾いた風が頬にピリリと当たる。
 ぎゅうっとした寒さだ。
「都会の方が寒く感じるんだよねぇ、不思議だなー」
 山村育ちの雪花にとって、冬の寒さなんて遅るるに足らず。であるはずなのに。
 故郷を離れてからの方が、寒さに対して敏感になったような気がする。

 全てを浄化するような真白の雪は、聞かなくていい音も吸収してくれたから。
 痛いほどの風から、時として身を庇ってくれたから。

「だけど。もーっと雪が降ったら、街は大混乱だもんねぇ?」
 雪道の歩き方すら知らない人間が大多数だろう。交通機関は乱れに乱れ、緊急連絡が四方八方に飛び交う。
 どれだけ文明が進化しても――すればこそ、人間は自然の前に弱き存在だなぁと思う。

 今は遠い故郷を思い返したのは、先ほどまで実家関連の相手と会っていたから。
 雪花は神社の生まれで、年末年始には『隠し覡』としての務めが待っている。
「一年も、あーっという間だねぇ……」
 鈍色の空を見上げると、ビル風が白練の髪をふわりと持ち上げる。
 空の向こうから、申し訳程度の雪が降り始めた。
(朝から冷え込むと思ったー)
 信号が青へ変わった横断歩道へ踏み出す。小走りに進む親子とすれ違う。
(七五三かな?)
 十一月半ばの御参りが多いけれど、冬に入ってからでも構わないものだ。
 スーツ姿の若い両親、二人に挟まれた着物姿の幼女。
 娘は雪にはしゃぎ、両親は衣装が濡れたら大変、と血相を変えている。
 最終的には父親が娘を抱き上げた。
 母が、自身のマフラーで娘をぐるぐる巻きにして暖めている。
 その間、娘は絶対に千歳飴を手放さない。
「ああいうのが、一般的っていうやつなんだろうねぇ」
 互いを慈しみ、温度を感じる距離で、笑いあったりお小言をいったり。
 信号を渡り切って、家族を見届けた雪花は前へ向き直る。


 物心がついた頃には、自分にとっての『当たり前』が染みついていた。
 『僕にとって、これはそういうものだから』。
(仕方がない、って思っていたのかな)
 



 ――きののおうちは、やしろのおうち

 僕のおうちは、やしろのおうち。
 四つの歳で、『覡』として神社に奉納された。
 暮らす場所は『奥の殿』。文字通り、神社の奥の奥の奥にある。人目を避けるように。
 僕は隠し覡だから。
 そとの人から、此処は見えない。
 でも、そとの声は此処にも届くんだ。
 歌っているのは、僕と同じか少し上くらいの歳の、男の子たちだと思う。
 その歌は、この村だけのもので、半ば呪いのようなものだって、その頃は考えもしなかった。

 ――とおりゃんせ、とおりゃんせ

 時々、女の子たちの声も混ざる。
 大きな声で笑って、元気よく走り回って、夕暮れ時になるとお母さんたちが迎えに来る。
 それが彼らにとっての日常で、僕とは違う日常だった。


 春は蝶。
 夏は野鳥。
 秋になると冬支度のリスなんかが迷い込んで、『奥の殿』は人目は避けるけれど他の生き物たちにとっては結界にすらなっていない。
 それでも、全てが寝静まる冬だけは『ああ、ひとりなんだな』って、格子窓の向こうに光る星を見上げては感じてしまう。
 寒くて、暗くて、ひとりきり。
 しゃんしゃんと、鈴のような音を立てて雪が降る。全てを塗りつぶすように。

 ――この子のななつのお祝いに

 嗚呼。
 山の冬は早いから、霜月半ばとなれば雪も降る。
 そんな中で、七五三参りに来る家族もいる。
 美しく着飾った童子。惜しみない愛情を傾ける両親。
 そんな姿を、声を、足音を、多く見かける季節。
 祈願、厄払い、様々な用件で人々は神社を訪れるけれど、結婚式に次いで幸せそうな姿はこの季節だと思う。
(手をつないで)
(頭をなでて)
(こっちを見て)
 だから時々、本当に時々、どうしようもなく胸がチリチリと灼けるような感覚に陥った。
 僕は、神様に奉じられたから。
 僕にしかできないことで、『そうなるべきもの』で、これが僕の当たり前の生活だから。
 他に何を望むことはないはずなのに。




 幼い雪花が、星を眺めることにも飽きてうとうとと眠り始めた頃。
 ひゅん、と音がした。
 闇夜に、白い影が舞う。雪じゃない。
 起き上がり、窓に近づき、背伸びをする――
 まんまるの、真っ黒な瞳が窓を通り過ぎた。
「え。え。今の……何!?」
 見たことのない動物だった。
 狐や狸が窓の外を飛ぶわけがない。鳥だったらくちばしがある。
 ふかふかとした毛に、つぶらな瞳。小さな手。
 灯りをつけて、雪花は図鑑を引っ張り出した。
「……ももんが」
 いたの? この山に。
 夜行性のそれは、寂しい夜空を自由に滑空する。彼の独壇場だ。
 冬眠しない生き物たちがいる。
 夜にこそ、動き回る生き物たちがいる。
 目を凝らして生活をしてみると、昼間には雪原に紛れる野ウサギも見つけられるようになった。

 厳しい季節を生き延びる戦友のような、なんともいえない感情が沸いて、いつしか冬が寂しくはなくなった。
 野生動物の生命は短い。
 元気でいたかい?
 此処へ来れるのは、今夜が最後だよ。
 そんなやりとりを幾度も交わした。




 同じ年頃の友人たちと、歌って、走って、クタクタになるまで遊びまわる。
 父と母と、食卓を囲み一日の出来事を語らう。
 それが子供として当たり前の暮らしなのだとしたら、雪花は遠い場所にいる。
 寂しくなかったわけではない。
 それでも苦痛ではなかった。
 この暮らしでなければ見つけられないものが、たくさんあったと思うから。
「ねえ、時差ぼけさん?」
 雪花が十五の歳になる頃、家の付近に現れたモモンガ。
 本来は夜行性のはずが、日中を飛び回ることから雪花が名前を付けた。本人に自覚があるかはわからない。
(今年も来てくれた)
 遠くの木々を揺らす音に、ついつい笑いがこぼれる。
 雪花はもう十七で、何を寂しがる歳でもなくなったけれど、幼い頃の自分が見つけた喜びは大切にしている。
(僕はいつまで――……、いや)
 この、奥の殿に居る限り。
 自分は孤独に膝を抱えた子供のままでいるような気がした。
 己の意志で物事を考えられるようになった今も、『隠し覡』の務めに不満はない。
 刀を使った祭事も、趣味の延長でもある星読も、能力が磨かれてゆく感覚には充実感がある。
 しかし。
(いつか)
 春に、蝶が舞う花畑へ。
 夏に、野鳥が羽ばたく清流へ。
 秋に、冬支度をする小動物たちと。
 冬に、寒さに耐え雪に紛れ動く獣たちと。
 その先の世界へ踏み出すことは……できるだろうか。




「僕は、今年も帰るよ」
 雪花は薄萌黄の瞳を閉じ、優しい声で故郷へ呼びかける。
 幼い頃の孤独。
 思春期の焦燥。
 すべてを抱きしめ、吉野 雪花は存在している。

 今は白銀の世界となっているだろう故郷を思い、雪花は家路を急いだ。
 降り始めたささやかな雪は、それでもわずかに積もり始めている。



【とおい泡雪、ななつの子 了】

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご依頼、ありがとうございました。
冬の日に思いを馳せる物語をお届けいたします。
冬で、神社、暖かな家族の光景……というと、自然と七五三になりました。
寒い地域ですと前倒しにお参りすることもありますが、家庭のスケジュール次第では後ろ倒しもあるかと。
『ななつの子』は、神の手から飛び立ち自身の足で歩き始める歳でもあり、なぜ鳴くアレであり。
お楽しみいただけましたら幸いです。
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佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年10月30日

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