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『今は、月のかわりに』
灯心ka2935)&琥珀姫ka0610

 新たな拠点となったその土地で過ごす日々を、どれほど重ねただろう。
 一族の者達の様子を見る限り、日常となったように思われる。
 大切な家族であり仲間達の中で過ごす時間は変わらずにやさしく、姫として扱われ育てられた身としはこれが当たり前で。この先もずっと琥珀姫(ka0610)は姫として、族長の妻としての人生を全うするのだと、いつしかその認識ばかりが胸のうちにあったような気がしていた。
 あくまでも過去形だ。今の自覚は違っている。いつもどおりの野営の中でも、つい周囲を探ってしまうのは以前からの癖だった。けれど皆の日々がつつがないように見極めそれとなく手助けるためのそれとはまた違う、ただ一人の居場所を探すための無意識なものである今、それが一族の誰かに気付かれやしないかと少しだけ不安を秘めている。
 とはいってもだ。実際の琥珀姫は族長の伴侶教育のおかげでそのあたりの内心の機微は繕い隠せるようになっているから、目的の相手、灯心(ka2935)を見つけ出すまでに不自然な行動を取ることもなかった。
(……居ましたわね)
 探す、とはいっても手探りなものではなく、ただの確認のようなものでもあったりする。これまでの灯心の行動だって、一族の皆に対する把握と同じように自然と琥珀姫の記憶にあるのだ。ただ一族の者、以前の婚約者の兄弟という位置づけではあるが大切な家族の一人という分類の中ではあったけれど。
 それでも予想とそう変わらない場所に居たことに内心で安堵しつつ、その表情へと視線を向けた。
 野営地の中、一族の者としての距離としては普通だったその場所は、いまの灯心の立場を考えると少し距離があるように思える。
 琥珀姫がそう考えるようになったのだって、お互いの立場が変化したからなのだけれども。
「悪い、今は食休みの気分でな」
 会話の捗る輪の中から声がかかるもそう返す様子を眺める。
(随分と長いですわね)
 手に持った盃が先程からずっと傾けられていないことを知っているのは自分だけかもしれない、なんて思えば少しだけ口元が笑みを作った。

 酔いが回ったと告げて席を外す。気遣わしげな様子の者達にはすまなそうに眉尻を下げて返せばそれ以上止められることもなく下がることができた。
 賑やかな、幸せそうな様子に今の拠点は良い選択だったのだろうと考える。様々な土地を見て回っていた経験がある灯心としても、今この住処は悪くないものだと思えた。
 自分に与えられた立場にまだ少しばかり戸惑いはある。そんな自分を当たり前に受け入れて接してくれても居る一族の者達のことを不思議に思うことはあるけれど、おおむね円満に過ごせているのだろう。はじめこそ遠慮があった筈で、警戒を混じりこませた遠慮が当たり前のはずだったというのに。
 こうして少なくない年月を過ごして、これが当たり前だと思えたからこそ今があるのだろう。
 良くも悪くもこの一族の血が流れているという事実は灯心の人生に作用し続けたけれど、灯心も自身に流れる同じ一族の血について実感を得ている。だからこそ、若干迷惑に思うことはあっても今の立場を受け入れている。
 けれど、ふと見上げた空に輝く光達が、かつての日々を思い出す。
 そうなれば一人の時間を作ることにしていた。それが一族の者という自覚とは違うものからきているとわかっていても壁を作ってしまっている。
 そんな灯心の内心を正確に把握している者は居ないのだろうけれど、その様子を慮って一族は皆、自由にさせてくれていた。
 ……今日、この時までは。

 気配の主が誰かはすぐに分かった。
「おいおい……男の寝床にホイホイ入ってくるもんじゃないぜ?」
 思わずの行動なのだろう、まだあどけなさを残す琥珀姫の頬がほんのり朱に染まる様子を眺める。
「言っても、お姫様を止められる者なんていないだろうが」
 その上で相手が許嫁である自分なので、止める理由もないと考えられていそうだ、などと冷静な考えも持っている。琥珀姫のことだから他の誰かに見咎められるようなこともしていないだろうけれど、もし問われても自分の様子伺いだと生真面目に答えたとてなんの問題もないのだから。
 頬を膨らますような子供じみた仕草はないけれど、その金の瞳が瞬いて。寝床、と小さく繰り返す様子が妙におかしい。思わず笑みをこぼせばからかわれた、その事実が追いついたようで今度は軽くにらみつけるように目が細まった。
(これは兄弟だからか、それとも許嫁だからか……さて、ね)
 一歩間違えれば迂闊な行動は、自分が琥珀姫にとってどちらの認識だからだろうかとつい考えてしまう。良く言えば安心や信頼の証だけれど、そうでないならば本心では夫として論外ということになる。共に一族の若手として先達やこれまで続けられてきた慣例に道筋を定められた身の上だ。そこに個人としての感情は不要であるかのように扱われることに、琥珀姫は慣れきっていたはずで。
 灯心も今は似たような扱いを受ける身の上で。普段はそうは感じさせないようにしているけれど、今日のように一族皆で過ごす時間は、ある意味で窮屈に思えるもので。
 自分が琥珀姫を『お姫様』と呼びながらも、琥珀姫個人として扱うのはそんな現状への小さな反逆のようなものなのかもしれないと、ふとそんなことを考える。
 琥珀姫個人に嫌悪はないのだ。むしろ自分以上に道を敷かれた状態で、それをあたりまえと受け止める性質は一族の者としてふさわしいのだろう。兄弟の許嫁として顔を合わせた頃から、ある意味で羨ましいとは思っていた。
 ただ今となって様々に思考を巡らせる対象となっているのは、それだけ、琥珀姫に向けるものが変わってきているからにほかならない。
 だからきっと、このやり取りだって気まぐれではないのだ。

 誘われるままに傍に寄る。からかわれたことを忘れてはいないけれど、好奇心が勝った。
 何より灯心の様子がいつもとは違う気がしたのだ。その勘をなかったことはできなくて、琥珀姫は行動に出たのだから。
(婚約者になったのですから)
 はっきりとした建前があるのだから、迷いなんてなかった。
 野営の宴の間、一族の皆を見ている筈のその桃色がどこか別の場所を見ているような気がしたから、声をかけて、視線を自分へと向けたかった。
 どこを見ているのか、何を考えているのか、教えてほしいと思った。
(……いいえ、それだけではないのですわ……)
 ただ、婚約者が変わっただけなら。こうはならなかったのではないだろうか。
 前の相手と別に不仲だったわけではない。もしも琥珀姫に咎があるなら次期族長の妻という立場から降ろされているはずで、しかし現実にはこの立場は変わっていない。
 ただ、婚約者となるまでは兄のような存在だった灯心。そんな彼を改めて、伴侶となる相手だと見つめ直して。琥珀姫を個人としてみてくれる特別な人の隣を自分が占めるのだと考えたら。
 以前から向けられていた、その眼差しの印象が強くなった。
 受け止める側である琥珀姫の意識が変わったからなのかもしれないけれども。
「母さんが星が好きだったからな……よく見てたんだ」
 今、その瞳は空を見ている。明かり取りの窓から見える空は小さいけれど、一族の者達の宴の様子を照らす明かりとは別の方角で。だからこそ夜本来の色が垣間見える。
 宴の気配は音で感じられるはずなのに、この場所は不思議と静かだ。
 ただ近くで、並び座り込むだけの距離感で。琥珀姫の金色はじっと灯心の紡ぐ言葉を追いかけるように、空へ向かう。
「……色々なとこに行ったけど……まあ、あまり長居はしてなかったな……」
 一族と合流するまでは、母君と二人で旅をしていたと聞いたことはあった。ただ詳しく話してくれることはそうなかった。
「旅をする以外なかった、とでも言うのかねえ」
 一つの場所に留まれなかったという言葉に冷えるような心地。灯心の声音の響きに、混ざる想いを読み取ろうと目を凝らし、息を潜める。
 星よりももっと遠くを見るように細められた目だ。母君は既に亡くなったと聞いているから、琥珀姫も言葉にすることはない。ただ、勝手に痛む胸に気付かないふりをして。
「星は、見上げれば変わらずにそこにあるからな」
 苦笑を示す息遣いに、きっと予想はそう違えていないのだろうと思う。
「……詳しいのですわね」
 興味を示せば、今見える、輝きの強い順に星の名を教えられて。新しい物事を知る楽しみに、胸が暖かさを思い出す。
(勉強ばかりで、楽しむことなんてなかった……)
 少しでも一族のためになることをと、使える時間は伴侶教育に費やしていた。それこそ楽しむために、心を慰めるための時間を取ろうと考えたことも、殆どなかったような気がして。
 どこか楽しげに、懐かしそうに穏やかに響く声を聞いている。
 自分より低く耳に心地よく響く声。
 大きな体は、自分よりもあたたかな熱を持っているのだと、寝床という狭さだからこそわかってしまう。
(まだ、このまま……聞いていたいですのに)
 微睡みに誘われている自身に気づいているというのに、どうしても瞼をあげることができそうにない。
 誰かの傍が、隣が、これほど安心できるなんて知らなかった。
(わたくしが……よくても)
 灯心も同じとは限らないというのに。なにより、この人は皆から距離をとっている筈で。
(離れるべき、と……でも)
 理性ではわかっていても、心の奥、琥珀姫の本能は。

「……わたくしは」
 誰かの傍で眠る、なんてことは滅多にしないのに。灯心は例外で、特別……で。
 一族の姫として遇されて、その是非を掴みかねて……戸惑って、けれど。
「傍に……」
 せめてその願いだけは伝えてもいいだろうか。心地よい眠りに誘われているせいか、その想いは留まらずにこぼれ落ちる。
「少なくとも、今わたくしは、貴方の戻る場所になりたいと思いますわ。灯心」
 族長の妻としてでなく、琥珀姫としての意志だと伝わるように。桃色を見あげれば、予想以上にほど近く。
 緊張は微睡みに溶け落ちて、たった今傍に居る灯心だけが見えればそれでいい。
 桃の中に金が映り込む。
(許嫁だから、ではなく……灯心、だから……)
 その想いが強くなるけれど、それを伝えるには、自分の中で恥ずかしさもある。
 微睡みの中に逃げるように、瞼の帳を落としてしまおう。
 伝えたいと願った言葉は届けられたと、安堵の笑みを浮かべながら。

 船を漕ぎそうになりながらも、耐える様子には気付いていた。
 だからだろう。記憶に残る母の歌声をなぞりながら、小さく旋律を紡いでいく。
 慣れない土地を巡るばかりで、落ち着いた寝床というものにはあまり覚えがなかったけれど。幼い頃から近くには必ず母の気配が、時に温もりがあって、その安心が休息へと誘ってくれた。少しでも、琥珀姫が穏やかな眠りを得られればいいと思う。
(……昔の話)
 父にも、あまりしたことはないような気がする。それを、誰かに知ってほしいと思ったのだろうか。
 琥珀姫に、自分が?
 一族のもとに身を寄せるようになってどれだけ時間を重ねても、誰かに特別な距離を許したことはなかった筈で。しかし、今琥珀姫が居る場所は。
「……」
 すぐ傍の琥珀姫にしか聞こえないほどに小さな歌声は、灯心が琥珀姫の呼吸を容易に探れるほどの距離でもあることを示していて。
 ゆっくりと、眠りに落ちていく様子が手にとるようにわかる。だから少しずつ、宵闇に溶けるように旋律をかき消して、ただ静かに琥珀姫を見下ろす。
 独り占めを、している。
「……あ〜……」
 無防備過ぎる様子に見惚れていたのだろう。
 思わずこぼれたそれは、けれど悔しいものではなく。
「どうすっかなぁ……」
 困ったように響きはするが、顔に浮かぶのは笑みの類。
 これだけ近くで、歌ではない呟きにも目を覚まさない程、身を任せたままの琥珀姫に。
 空いた手を伸ばして、艷やかな髪を梳くように撫でる。
 抵抗はなく。勿論、目が覚めることもなく。ただ、灯心の思うままに頭を撫で続けて。
「オレの戻る場所、か……」
 居場所、ではないところが琥珀姫らしい。
 もし、旅に出ても、戻れる場所がある。
 常にそこに居なくてもいい。
 そこまで考えているのか、それとも本能で察したか。
(……参った、な)
 手触りの違いを確かめるように、自身の頭に手をやった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

【灯心/男/18歳/霊闘士/星を綺麗だと見上げよう】
【琥珀姫/女/17歳/霊闘士/道を照らす陽を目指して】
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石田まきば クリエイターズルームへ
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2020年11月04日

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