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『敵の敵 〜八相構えから正面受け〜』
不知火 仙火la2785)&不知火 楓la2790)&日暮 さくらla2809

 額を青黒く腫れ上がらせた不知火 楓(la2790)と脛を青黒く腫れ上がらせた日暮 さくら(la2809)。ふたりが互いを支え合い、不知火邸へ帰り着いたのは夕方近くのことだった。
 苛立つ足で門前をうろついていた不知火 仙火(la2785)はふたりの有様に言ったものだ。
「おまえらなにやってたんだよ!?」
 丸1日行方知れずだったふたりが、いざ帰ってきたらこの有様だ。仙火でなくともそう問うよりなかろう。
 対して楓とさくらは笑み、
「ちょっと立ち合っただけ」
「試合には私が勝ちましたが、勝負には楓に負けました」
 ふたりの笑顔がなんとも清々しくて、仙火はもうなにも言えなくなった。なんだよ、おまえらだけスッキリした顔しやがって。


「ん」
 楓が漏らした声音にびくり、仙火が手を離す。
「痛えのか!?」
「痛いよ。思いきり清剣に叩かれたんだから。むしろ頭が割れなくて幸いだった」
 ったく。仙火は口の中で独り言(ご)ち、細心の注意をもって離してしまった氷嚢を今一度楓の瘤上へ乗せた。一応、医療用バンテージを巻いて圧迫しているので直接当てているわけではないのだが、相手はそれこそ女子。男と同じ力加減では扱えない。
「やっぱ病院行くぞ。車呼ぶからよ」
 私室や奥の間ではなく邸の玄関近くにある客間、その濡れ縁に楓を腰掛けさせている。サンダルでもつっかけさせればそのまま病院へ連れていくことは可能だが。
「耳目からの出血はないし、めまい、吐き気、痙攣、意識障害、その他諸症状もない。痛いだけだから」
 ちなみにさくらのほうは仙火の母親、すなわち不知火の現当主に面倒を見られている。仙火は「男より女のほうがいろいろ都合いいだろ」と楓も託そうとしたのだが、さくらにぴしゃりと「楓の手当は仙火の使命です!」と言い切られ、なにやらしたり顔をうなずかせた母に押し出されて今の状況だ。
「それにしても瘤をこさえるなんて何年ぶりだろうね。昔は稽古でも遊びでも、毎日怪我していたはずなのに」
 歌うように楓が語る。
 この世界へ渡り来る前どころか、楓がこのような楓と成り仰せる遙か昔。家のことや互いの立場、さらには己が才など弁えようもないほど幼かったふたりは野を駆け、木へよじ登り、川を渡って、それはもうあれこれやらかしたものだ。
「忍じゃなくてニンジャ、剣士じゃなくてサムライ。僕たちはいつも強大な悪へ挑戦して、見事に打ち勝ってきた」
 空想の中で思い描いた敵を、空想の力を与えた技で討つ。
 あの頃のふたりは無敵だった。稽古の中で掴んだ新たななにかを取り入れ、日々、無敵になっていったのだ。そんな日々がいつまでも続くのだと、そう思っていたのに。
「ガキだったからな。ほんとに、ガキだった」
 仙火は苦い息をつく。自分たちが無敵どころか無力なのだと思い知ったあの日、仙火と楓は並び立つことをやめた。
「今はガキじゃない?」
 ふと、楓が面を傾げる。
 仙火はあわててずれた氷嚢を乗せ直そうとしたが――目が、合ってしまった。楓の不安げな目と、焦点すら据わらぬ己の目が。
「……ガキじゃねえよ」
 もう子どもではいられない。子どもでいていいはずがない。
 しかし、だからといって自分は大人になり仰せられたのか? 応とうなずけるほど厚顔にもなれなくて。楓の不安がなんなのかもわからなくて。仙火は独り途方に暮れる。
「昔話なんざ持ち出されたおかげで、なんか調子狂っちまった」
 努めて明るく言い、楓の手に氷嚢を預けて仙火は背を向けた。
「氷の残り見てくる。新しいのも作っとかねえとだしな」
 彼は自分の逃げ足の速さを苦々しく思いつつ、それでもその速さに感謝しながら場を離脱する。

 かくて取り残された楓は小さく息をついた。
 仙火の返事は彼女が望んだものではなくて、でも彼女が望んだものでもあった。
 ガキじゃない女が好いた、ガキじゃない男。互いがごまかせない立場に立ち、こうして向き合ってしまえば当然、男は好きや否やをごまかさずに返さなければならなくなる。
 だからこそ、答えてもらえなかったことが残念で、答を聞かずに済んだことに安堵していて。
 どうして据えたはずの心がこれほど簡単に揺らぐんだろうね。
 どうして、どうして、どうして……


「逃げましたか。腑抜け改めヘタレですね、あれは」
 杖代わりの木刀をつきながら姿を現したさくらが、楓の右横へ腰を下ろした。今まで仙火が座していたその場所にだ。
 楓の心がびくりとすくみあがる。いやだ。こんなの僕はいやだ。
「仙火が戻ってきたら座る場所がなくて困るよ」
 と、さくらを押す楓。瘤に力がかかってさぞ痛むだろうに、かまわずさらなる力を込めていく。
「逆側に座らせればいいでしょう? それとも」
 いつになく人の悪い顔をしたさくらが楓の顔をのぞきこみ、
「仙火が座っていた場所に私を座らせたくないだけですか? 契るどころか付き合ってさえいないのに悋気とは、先が思いやられますね」
 悋気とは、男女絡みのことで主に女が焼く、いわゆるやきもちのことだ。わざと時代がかった単語を使うあたりがまた人の悪さというやつなのだが、しかし。
「気取るしかないんだよ、今の僕は!」
 どうしようもないほど強く叩き返され、面を打たれたような顔を体ごと引かせるさくらである。
「楓は本当の本気で仙火に懸想しているのですね」
 思い知ったつもりが今、さらに思い知らされた。
 艶然として洒脱、相反する両者を両立させる麗人が、これほど余裕なく自らを荒げてしまう。彼女にとって仙火はそれほどのものなのだ。
 だとすれば。
 だとしても。
 だからこそ。
 楓の心もとない面から視線を外し、さくらは固い声音で語った。
「これから先、たとえあなたと百度刃を合わせたとしても百度私が勝つでしょう――技と業とを比べ合うばかりの試合には」
 ここでそれを言われる意味を掴めぬまま、ただ聞き続けるよりない楓。
 さくらはかまわず言葉を重ねていく。私は恐ろしいまでの苦行を私に強いているのです。これ以上、あなたを慮ってはあげませんからね。
「でも、勝負となれば一度たりとも勝てないでしょう。あなたほどに心をさらけ出せず、定められず、結べない私では」
 痛い。痛い痛い痛い。言わずにおきたかった言葉を紡ぐことは、これほどまでに痛いのか。刃に問い、刃に応えることは酷く難しいが、それだけのことだ。剣士が刃で語りたがるのは結局、口にするよりずっと楽だからなのかもしれない。
 でも、言わなければ伝わらない。そうですよね、父上――
「私の心をこうまで打ちのめしたあなたが、まるで己を据えられないのでは困ります」
 激痛に負けず放ったさくらの言葉は、狙い過たず楓の胸へ突き立った。
 息を奪われた楓は胸を押さえてあえぎ、咳き込む。そうして詰まっていたものがぼろりと吐き落とされれば、後に残ったものは悔しいほどの感動。
 さくらは本当に、すごい。
 万感を全部肚に飲み込んで、敵(かたき)の僕へ清んだ心を突きつけてくれるなんて、僕には絶対にできない。
 でも。
 僕は、こんなにすごいさくらに、仙火を託してもらったんだ。さくらだけじゃなく、御当主にも。
 答えて、応えなきゃいけない。
 最悪で最高の敵に、最低で最強の僕をもって。
「さくらは僕のこちら側に。そこは仙火の場所だからね」
 堂々と言い切って、自分の左側を示す。
「え? これだけ私が身を切って説いたのに、結局それですか?」
「仙火の左は僕の場所だもの。さくらには僕の左を預けるよ」
 兵法家の左は死角である。それを預けることで示すのだ、さくらへの限りない信頼を。
 僕はきみと無二の敵方(あいかた)になりたい。今はまだ口にできる勇気がないけど、いつかかならず伝えるよ。


「さくらもいたのか。脚の具合、どうだ?」
 戻ってきた仙火が眉根を上げる。これ幸いとまた逃げ出すことなく、楓の右隣へ腰を下ろした。
「酷く痛みます。刃が返っていなければ防具ごと断ち斬られていたでしょうね」
 言いながら木刀にすがって立ち上がり、さくらは歩き出した。
「私の用事は済みましたので、部屋へ戻ります。しばらく安静にしておくべきでしょうし」
 彼女がなにかを察して場を立ったのだということは知れていた。楓にばかりでなく、おそらくは仙火にも。

 こうしてまたふたりきりとなって、仙火は重い息を吐いた。
「……おまえ、ケガとかすんなよ」
 振り向けられる仙火の顔。その表情には心配と憤りと抑制が渦巻いていて……本当は怒声をもって心配させるなと叱りつけたい気持ちを堪えているのが知れる。
 心配しなれていない人は激情にはしりがちだし、少し前までの仙火なら普通に怒りだしていただろうけど、仙火は変わったね。
 思ってみた途端、ずぐり。消えたはずの不安がまた、楓の胸の真ん中に腰を下ろす。しかし彼女は恐れない。さくらの言刃に断ち割られた自らの心、その奥に潜んでいた不安の正体は、すでに見切っていたから。
 結局のところ、僕は仙火に拒絶されることが恐いだけなんだ。僕が僕の全部をかけて守り支えてきた彼に、そんな尽力も心も意味なんてなかったって言われたくないだけ。
 ううん、仙火は僕に感謝してくれているだろう。
 でも。
 僕が勝手に想ってきただけのきみ。
 僕が勝手に想っているだけのきみ。
 それに応えなくちゃいけない義務は仙火にない。なのに僕は、僕の想いががきみに報われないことをなにより恐れて、不安になって。
「僕の心は、こんなにも弱い」
 気がつけば口にしてしまっていた。独り言だとごまかそう。急いで顔を上げた楓だが、その目の先には仙火の生真面目な顔があって。
 きみのその顔だけは、昔からずっと変わらないね。なによりきみらしい顔だ。
 余分な力の抜けた肩を二度三度回し、またもや詰まっていた息と肩凝りと共に追い出して、楓は仙火へ語りかけた。
「弱いからこそ、僕は強くなりたくてあがいてきたんだ。強すぎるコンプレックスに心を押し潰されながら、それでも剣の道を這い進むきみを守りたくて。自分のことでいっぱいいっぱいのくせに、関わる誰かの全部を抱え込んで守ろうとするきみを支えたくて」
 もう迷わないなんて、言わない。そんな意を決する必要はないから。今まで通りにこれからも――
「僕は」
 言葉が止まった。いや、止められたのだ。仙火の掌で物理的に。まさか言い切らせないことで聞かなかったことにしようというのか、などという疑念が彼女の内に沸き出す数瞬前、仙火は顔をうつむけたまま言ったのだ。
「あー、えっと、な。その、月、出てるよな」
 楓とさくらが帰り着いたのは夕方で、それから数時間経っている。下弦の月はゆるやかに夜空を昇りつつあり、冴えた銀光を地へ投げかけていたが……まあ、仙火の言う通りに出てはいた。
「なんかよ、なんかこう、そうだ、綺麗だな」
 ここで「仙火ってばなに言ってるの? 僕ぜんぜんわかんないんだけどー」などと言えるほど天然もしくは計算高ければ、これほどの不安を抱かずに済んだだろうし、悩むこともなかっただろう。
 三つ子の魂なんとやら、だよね。きみも僕も芯の有り様は変わらなくて、変えられない。
 楓は仙火の掌を押し返し、膝の上へ置かせて、まっすぐ向き合って。
「どうして月が綺麗なの?」


 日本人相手ならそれで伝わるんじゃなかったのかよ夏目先生……!
 仙火は必殺技をあっさりすかされたような気分を噛み締める。
 いや、わかっているのだ。楓が意味を理解した上で、さらに問うていることは。
 問われているのは、仙火の心だ。
 ただわからないのは、それに対してなにをどう答えればいいのかだ。

 ――ある日突然、彼を口説き落とすと切り出してきた楓。
 とまどうしかなかろう。これまで一切そのような想いを匂わせることなく、影でなにくれとなく世話を焼いてくれていた補佐役が、いきなり自分は補佐役ではなく女だと突きつけてきたのだから。
 いや、彼と楓を番(つが)わせたいのは一族の総意で、深く関わり合っている父母同士の望みであることは察していた。実のところ誰も包み隠しておらず、丸わかりなだけだったのだが。
 だからこそ、抗おうと決めた。
 楓を誰かの都合で自分などに縛りつけたくない。仮に楓が自ら受け入れたのだとしても、聡い彼女が人々の都合を汲むからであって意志などではありえない。そもそもこんな不出来な次期当主と仕事以外で付き合いたい側近がいるものか。
 加えてだ。どうせ同じだけの時間を生きられはしない。ならば一定の距離を保って互いの務めを果たし、楓の最期を「これまでありがとう」と送り出してやるのがせめてもの誠意であり、当主の弁えだろう。

「……考えてた。一族とか親とかの都合もおまえが言ってくれたことも置いといて、俺がどうしたいのかって」
 弁えていたはずの自分が今、弁えずに語ろうとしている。
 おかしいよな。でも、寸止めはしねえ。俺の全部、袈裟斬りに打ち込む。
「さっき氷仕込んでて、思っちまったんだよなあ。おまえが痛かったり苦しかったりしてんのはイヤだなってさ。で、ここから俺、本気でだめなこと言うからな」
 仙火は頬にさした朱を散らしたくて指先でこすったが、かえって赤らんでしまってあきらめ、ついでに言わずにいられる間を引き伸ばすこともあきらめて口を開いた。
「おまえが痛いのも苦しいのも、全部俺のことじゃねえとイヤなんだよ」
 楓の顔がほろりと緩む。薙刀の立ち合いで言うなら正面受けが払われ、面ががらあきとなってしまった状態。
 まだだ、まだ止まらねえ。この先はただの「この場限り」じゃねえぞ。この場限り、一世一代のひとり舞台だ。
 仙火の両手が楓の肩へ触れ、背まで回って引き寄せる。
「まだ俺は未熟で、おまえにどんどんあれこれと押っ被せちまうだろうけどな。でも」
 胸に抱いた楓へ低めた声音で告げた。
「俺を誰より高く買ってくれたおまえの目の確かさってやつを証明してみせる。だからいっしょに歩いて、その間の俺の何十年か、預かってくれねえか」
 どうしようもなく回りくどいところが不器用な仙火らしくて、それを真っ向から打ち込んでくるあたりが思いきりのいい仙火らしくて。
 楓は仙火に赤く染まった頬を預けたまま告げる。
「今はそれでわかったことにしといてあげるよ。近いうちにわからなくなるかもしれないけど額が痛い」
 あ。仙火が焦りつつもそっと楓を放し、ほとんど解けてしまった氷嚢の中身を取り替えに走っていく。
 それを見送り、楓は思うのだ。
 さくらから渡されたこの瘤が治って、僕が完全に僕の姿を取り戻したら伝えるよ。僕の人生は全部、きみに預けっぱなしだから、これからもずっと――


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2020年11月12日

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