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『ただ一人のための勉学』
神取 アウィンla3388


 本が並ぶ店内をぐるりと見回し、神取 アウィン(la3388)は、くんと匂いを嗅いだ。
 書棚が並ぶ研究室と違う。インクの匂いが濃い気がする。ここにあるのが全て新書だからだろう。
 古書特有の埃っぽさの漂う紙の匂いは、彼女との思い出に包まれていて。あの匂いがここに無いのが少し寂しい。

「アウィン君、おまたせ」

 静かな店内に配慮するように、いつもより小さな声に気づいて振り向くと、緒音 遥(lz0075)がいた。
 SALFの制服ではない、私服姿を見るのは珍しい。ピンクのピンヒールと、ルージュと、ネイル。そこだけは変わらなくて、どこかほっとする。
 アウィンはきちっと頭をさげて、品良く礼をする。

「忙しい中すまない。よろしく頼む」
「遠慮しなくて良いわよ。相談に乗るって、約束したもの」

 いずれ医学部に入りたい。そう願うアウィンのために、医学部出身の緒音がアドバイスをする約束だった。
 それで大型書店で待ち合わせ、医学部受験対策の参考書を選ぶことにした。

「まずは英語と数学の基礎をしっかり固めて。これは高認試験の勉強をしながらできるわ。現役高校生だって、医学部を目指すなら高1から受験勉強を始めてるのよ」
「なるほど。それだけ英語と数学の勉強は時間がかかるのだな」

 眼鏡の奥。青い視線がメモ帳に落ちて、さらさらとアドバイスを書いていく。几帳面で真面目な表情は、緒音が出会った頃と変わらない。

「まだ高認試験も合格していないのに、気が早いと思っていたのだが、今からできることは存外多いのだな」
「勉強は早く始めるにこしたことはないわ」

 そう言いながら、赤い背表紙がずらりと並ぶコーナーで立ち止まる。

「赤本はセンターの半年前からで良いわ。そもそも志望校が決まってないと選べないもの。もう志望校は決まってるのかしら?」
「いや。どういう基準で選べば良いのかも解らない」

 アウィンが首を傾げると、緒音は悩ましげに眉をひそめ問いかける。

「その……彼女が虚弱な体質だとは聞いているけど、具体的にどこが悪いのかしら?」
「どことは?」
「気管支か、内臓疾患か、血液、神経の可能性もあるわね。内科といっても細分化されているの。もし、具体的にどこが悪いか解っていれば、その道の研究に明るい大学を選ぶのも良いかと思って」

 緒音に問われて悩む。そもそも彼女の病気の原因が何かも解らない。それを調べる意味でも医者になりたかったのだ。

「……すまない。わからないのだ」
「医学的に原因不明の病気はたくさんあるものね。でも、アウィン君は彼女を治療するために医者になりたいのでしょう?」
「もちろん。私は目の前にいる大切な人のためにしか生きられない。私情でしかない」

 医者を志す者は、万人を救う崇高な使命感を持つ者が多いのではないか。それに比べると自分は私情に走り過ぎている。そう思わなくもない。

「私情でいいじゃない。私もそうだもの」
「緒音殿も志鷹殿のために医者を目指したのだったな」
「ええ。貴方達みたいなロマンティックな関係じゃないけれど」

 苦笑いを浮かべた緒音は、盛大にため息をついた。厄介で偏屈な男を思い出すだけで、眉間に皺がよるらしい。

「アイツは病気になるような可愛げなんてないし、怪我を治すなら外科って決めたわ。研修医時代はハードな救命救急に志願したりね。ライセンサーとの二足のわらじで死にそうだったけど」
「研修医とライセンサーの兼業を?」
「戦場に怪我人はいくらでもいるし、実地訓練にはもってこいよね。研修医はハードだし、医者は体力勝負よ。その点、アウィン君は何も心配いらないわね」

 アウィンのタフネスさは折り紙つきだ。毎日筋トレを欠かさず、細身に見えても服の下には、鍛え抜かれた鋼の筋肉がある。

「原因が解らないなら、東洋医学的アプローチも視野に入れてみたら?」
「意外だな。医者である緒音殿が東洋医学を勧めるとは」
「病気が治るなら、何でも試してみるべきよ。そうだわ! 薬膳料理なんてどうかしら?」

 そう言って、すたすたと料理コーナーまで歩いて行く。薬膳料理のレシピ本を手に取って、開いて見せた。
 薬膳料理というイメージから、病人食のような味気ないものをイメージしていたが、和洋中、色々あってどれも美味しそうだ。

「サーモンとレモンのスープですって。オシャレで美味しそう」
「免疫力をあげる餃子。これは酒のつまみに良さそうだ」

 レシピ本をあれこれ選ぶうちに、アウィンはふと思い出した。
 今朝方、出かけに彼女が小さく、くしゃみをした。風邪を引いたかと慌てたが、急に冷え込んできたせいだという。
 大事に至らなくてよかった。あのくしゃみは愛らしかった。

「今夜は冷えに効く料理が良いかも知れないな」

 そう呟くアウィンの笑みは柔らかく甘く、誰のことを考えているか丸わかりだ。そこで、はたと気づく。

「医者になるには時間がかかるが、料理なら今日からできるな」
「そういうこと。焦らず、色々試してみましょ」

 彼女の誕生日を迎えて、15歳差に離れてしまったことに、アウィンはどこか焦りを感じていた。
 医者になるには時間がかかると解っていても、少しでも早く目標に近づきたくて、まだ早いかもしれないと思いつつ緒音に参考書選びを頼んだ。
 そんな焦りを見透かされたようで、恥ずかしくもあり、同時に頼もしくもあった。

「愛する妻のために道を選ぶのって素敵よね」
「……妻」

 呟く声すら甘い。アウィンが籍を入れたのは、つい最近である。
 恋人として周囲から見守られることに慣れてはいたが、『妻』と呼ばれることにまだ慣れない。

「改めて、結婚おめでとう。アウィン君」
「ありがとう。貴方が紡いでくれた縁だ。緒音殿にそう言われると、やはり特別な気分になるな」

 新婚の微笑ましい姿に、自然と緒音も笑みを浮かべた。
 緒音は二人が出会った日を知っている。だから感慨深いものがある。

「式に招待してくれるのでしょう? 楽しみにしているわ」
「来年を予定している。是非来て欲しい」


 本屋を出る頃には、日が暮れ始めていた。今日の空は珍しくピンク色の夕焼けだ。

「じゃあ、また今度。たまには酒を飲むような平和な時間が過ごしたいわね」
「そうだな。次は、共に酒を」

 その共にには、もちろん愛しい彼女も含まれている。
 ピンクがよく似合う緒音は、明るい笑顔で夕焼け空の向こうへ去って行った。
 アウィンはふと空を見上げる。ピンク、紫、青とグラデーションを描く空が美しい。
 紫と青は彼女とアウィンを連想し、ピンクには緒音が結びつけてくれた因縁を感じる。
 なだらかに色彩が繋がる空はどこまでも広く、遠い。

 年の差を縮めることはできないけれど、代わりに残りの時間を共に歩むと決めている。
 二人の時間がどれだけあるのか解らないが、途方もなく遠い未来だと良いと願う。
 食材を購入するためにスーパーへ向かいながら、愛しい妻にあててメッセージを送る。

『今夜の夕食は温かい物を用意する』

 本当は共に酒を酌み交わしたい所だが、明日も朝から忙しいと聞いている。

「日本酒は、週末に湯豆腐でもつつきながら……」

 そう呟いてレシピ本を見る。冷蔵庫の中身を思い出し、スーパーで足りない食材を買い足す。
 愛しい人を思い浮かべ、料理を作り。二人で食卓を囲む。
 そんな何気ない日常が永遠に続けば良い。
 そのために自分は医学を学ぶ。
 ただ一人のために医者を志す。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
●登場人物一覧
【神取 アウィン(la3388)/ 男性 / 24歳 / ゆいいつにその身を捧げて】


●ライター通信
いつもお世話になっております。雪芽泉琉です。
ノベルをご発注いただき誠にありがとうございました。

せっかく雪芽をご指名いただきましたので、他のライター様には書けないことをと考えまして。
緒音に医者の先輩として相談したいと、以前聞きましたので、医者を目指すアウィンさんを深く掘り下げてみました。
お二人の縁を緒音が結んだ。そう言っていただけてこれほど嬉しいことはありません。
どうぞ末永くお幸せに。

何かありましたら、お気軽にリテイクをどうぞ。
おまかせノベル -
雪芽泉琉 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2020年11月13日

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