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『留め進む』
日暮 さくらla2809)&不知火 仙火la2785

 私の技と業(わざ)、実は錆びているのでしょうか?
 日暮 さくら(la2809)はかぶりを振り、細く絞った息を吹き抜いた。
 ちなみに今、彼女の左に守護刀「寥」は佩かれていない。錆び止めに塗った丁字油の香が抜けていないからだ。昨夜はなにやら心静まらず、つい手入れしてしまったのが運の尽きである。
 いえ、なにやらではありませんけれど。
 心静まらなかったのは今日、あることを為す決意をしたせいだ。
 そしてなにを為すのかといえば……

「気配消せてねえぞ」
 背中越しに言われ、さくらはぎくりと足を止めた。
 気配は完全に断っていたのに、どうしてこの腑抜け男は!?
 硬直したさくらを返り見て、“腑抜け男”は心配げに言ったものだ。
「なんか調子悪いのか? ――もしかしてまた風邪とか引いてんじゃねえだろうな!?」
 自室の文机に向かい、唸りながら最終決戦における小隊の作戦指示書を作成していた不知火 仙火(la2785)があわてて立ち上がろうとして。
「いいからそこにいなさい! 確かに私の調子は、そうですね。悪いような気がしなくなくもない気もしなくなくもありませんが!」
「なくなくなくなくない? 結局どっちなんだよ?」
「っ! そういうところですよ、仙火!」
 首を傾げる仙火を理不尽に叱りつけ、さくらはかき消えた。


 なにをしているのですか私は!
 自室まで逃げ帰ってきたたさくらはがくりとうなだれる。
 それにしてもおかしい。先日、私室へ突撃訪問されたときには気づかなかったが、このような結果を出されてみれば、あれは偶然ではないのだと思い知るよりない。
 ――仙火はさくらが断ったはずの気配を読む。
 技と業の練度でも体術でも仙火に勝るさくらだ。どう考えても、仙火に見つけられるはずがない。しかし実際あっさり気配を読まれてしまっているわけで。
 まるでわかりません。わかりませんけれど、でも。
 彼女の手の内からわずかにはみ出す、赤で鳳凰を描き出した黒紙がかけられた小箱。その紙の高級感ばかりでなく、包装のていねいさを見ればすぐに贈り物だと知れる。
 さくらは力を込めてしまわぬよう、箱を持つ手から慎重に力を抜き、逆の手ばかりを握り締めた。
 私の調子が悪いのだとしても、逆に仙火が秘めていた才を開花させたのだとしても。これを今日の内に仙火の手へ、そうと知られることなく届けなければ――!
 とはいえ仙火があの調子で読んでくるなら、こちらも手を尽くす必要があろう。仙火の隙を窺い、突く。ただそれだけの、簡単な仕事だ。

 道場。
 稽古の仕上げとして、木刀を手に仙火と向かい合ったさくらは、一歩を踏み込むと同時に体を拳ひとつ分沈め、仙火の胴を横薙ぎながら左の袖内へ――
「やらせねえよ!」
 木刀ごとあっさりと体を弾かれ、宙へ逃れるさくら。
「剣を囮にして脇を突くって、人型相手にゃ使える手だよなあ。ま、俺にゃやらせねえけどよ」
 勝手に納得する仙火にげんなり。着床したさくらは普通に彼を叩き伏せるのだった。

 風呂場。
 稽古終わりに汗を洗い流すことは、心身の清潔を保つばかりでなく敵に居所を知らせる体臭を抑えるためにも有用だ。
 そしてなにより、着替えが置かれた脱衣所であれば、顔を合わせる心配なく忍び込めるというもの。
 だからといって、そんなはしたない真似をしでかせるはずがないでしょう!
 脱衣所の口で自らを強く留めたさくらだったが。
『あー、さくら? 気配がなんかもう、うるせえから』
 見えぬ風呂場の奥から言われ、ようやく気づく。いけません! 隠すどころか本気で気配が丸出しでした!

 夕食の卓。
 稽古を始め、今日為すべきことをすべて終えての食事である。ここに至って気を張り続ける者はいまい。
 さあ油断しなさい、仙火。鎮めた心で思うさくらだが。
「なあ、気にされてっと食いづらいんだけど」
 これでも気づかれるか。これでは本当になにもできず、今日という日を終わらせてしまいかねない。
「自意識過剰ですね、仙火。そもそも私にあなたを気にしなければならない理由、心当たりがあるのですか?」
 鈍感な仙火に心当たるはずがない。高をくくったさくらの言葉に、仙火はやれやれと息をつき、
「こういうの自分で言うのも締まらねえんだけどな。今日、俺の誕生日」
「それ以上言ってはなりませんーっ!!」
 仙火の口を両手の平で塞いださくらは、自らの所業に気づくやいなや表へ駆け出していった。
 ちなみに、それ以上もなにも仙火には全部言われているわけで、今さらカクしようもあるまい。
 ――今日は仙火の誕生日。しかし、当の主役が最終決戦を乗り切るまではと申し出て、パーティーは延期になっていた。ああ、パーティーさえ催されていれば、さくらとてなにを気負うことなく誕生日プレゼントを仙火へ渡せていたのに。
 貯金に某カフェのバイトで得た賃金のすべてを足して、ようやく入手できたプレゼント。今日という日に仙火へ渡せなければすべてが無駄になってしまう。金と矜持ばかりでない、さくらの心までもが。

 さくらを追い、仙火もまた駆け出していた。
 周囲の面々から早く追いかけろと急かされたから……というのは言い訳で、その実彼はまわりがなにを言い出すよりも早く席を立っている。
 丸出しなの気配だけじゃねえじゃねえかよ。
 さくらが自分にプレゼントを渡してくれようとしていたのは、稽古のときから察していた。なにせそのプレゼント、ほぼほぼ丸見えだったからだ。
 逆の立場だったら俺だって丸わかりになってたよなあ。隠し事、苦手だしよ。
 しかしだ。それほどわかりやすいさくらの気配を、他の者はまるで感じ取れていないらしい。
 目に見えずともすぐに知れる。
 さくらが匂い立たせる清香は。
 誰も嗅ぎ取れねえさくらのにおい。それがわかるくらい、俺はその、そういうことってことなのかよ。
 ふと思い出す。道場を満たす闇の向こうにあるさくらへ剣が欲しいと告げたあの夜を。
 忘れるわけがねえ。あのとき俺が欲しかったのは、おまえの剣だけじゃなかった。
 と、仙火は頭を強く振って思いを追い出した。まだ、自分の望みがそれだとは決められない。
 とにかく! さくらから今日中に絶対! プレゼントもらうからな!


 鬼の出発が遅かったせいで相当にさくら有利な鬼ごっこ、始まってみればごくあっさりと鬼の勝ちが確定した。理由についてはもう、仙火が鬼だったからと言うよりない。
「敷地の外に出られてたらお手上げだったけどな」
 細身の女子ならなんとか収まることのできる、庭岩と庭岩の間からさくらを引っぱりだす仙火。
「私の態度を見れば追わずにおくか、もしくは私がたまらず出頭するまで待つのが道義ではありませんか?」
「そんな余裕あるかよ」
 さくらの抗議に対し、微妙な苛立ちを含めた本音を返した仙火だが、口にしてみると悲しくなってきた。包み隠してさくらを慮ってやることも、慮って自分の男気をこっそり発揮してやることも放り棄て、仙火はため息まじりに言ったものだ。
「さくらが誕生日を祝ってくれようとしてくれるのがうれしいんだって」
 うれしい?
 私に祝われることが?
 さくらは胸中でかぶりを振った。祝いの品がここにあることを仙火はとうに知っているのだ。中身に対する好奇心を取り繕えば、そんなセリフになるだろう。
 向き合った仙火の真摯な視線に気づかぬふりをして、さくらはずっと持ち歩いてきた包みを両手で包み、固い声音を返す。
「……なら、どうぞ。それで私の気もあなたの気も済むわけですし」
 は? なんだよ、俺がプレゼント欲しさに追っかけてきたって思ってんのか!? いや欲しいけどでも違うからな!
 仙火は怒声を噛み殺し、それはもう苦い声音で告げた。
「俺がうれしいってのは物じゃねえ、おまえの気持ちだから」
 え? どういうことですか? それはあれですか。私の贈り物になにひとつ期待していないけれども気持ちだけは形式上、ありがたくいただいてやると?
 この男は、どれだけさくらが迷って悩んだかをまるで考えないと宣言した――仙火の名誉のために記しておけば、していない――わけだ。
 この所業、まさに鬼ですね! 赦せません!
「あなたが本当にこれを見てうれしからず、気持ちばかりを汲むと言うなら私の負けです」
 負けってなんだよ。仙火はため息をつき、突き出された包みを受け取って見下ろした。
 黒き包装紙の内を飛ぶ鳳凰。赤で描き出されているのはおそらく、鳳仙花の赤を映してのことだろう。そして鳳凰は、仙火の象徴。
 高鳴る心臓を深呼吸で落ち着かせてからそっと封を開き、内に包まれていた小箱の蓋を開ければ。
 現われたものは飾り気も色味もない、白灰色の懐中時計だった。
「つまらないものですけれど」
 早口で言うさくら。実際、地味としか言い様のない見た目ではあるし、特に変わったギミックが仕込まれているわけでもなさそうだ。がっかりする者も確かにいるだろう。
「時計か」
 しかし、仙火はうきうきと右手へ握り込んでみて、気づいた。これ、俺の手がいちばん具合よく握り込めるでかさにしつらえてある。それにこの手触りって、まちがいねえ。
「この時計、オーダーメイドだな。しかも素材が鋼だろ」
 ひと握りでわかりますか! さくらは驚愕を隠してうなずき、言葉を添える。
「餅鉄(べいてつ)を鍛えていただきました」
 餅鉄とは岩手県の南東部で採取される高純度の磁鉄鉱であり、これをもって打たれた打刀を、仙火も目にしたことがある。――と、それよりもだ。
「ヒヒイロカネか」
 餅鉄は伝説の金属ヒヒイロカネの正体とも謂われる代物。もちろんその伝説通りの赤金の輝きをまとってはいないのに、なぜだろう。そのボディのシンプルさが日輪を思わせる。いや、仙火が「太陽のごとき」と謳われるヒヒイロカネの名に幻(み)せられているだけかもしれないが、それにしても。
 押し黙って思いに沈む仙火を不安げに見やっていたさくらが、ついに耐えきれなくなって言葉を押し出した。
「その、気に入りませんでした、か?」
「気に入り過ぎて困ってる。これが剣士のための一品だってのは俺にもわかるからな。ただ、俺にはさくらがこいつに込めてくれたものがわからねえんだ。鳳凰が俺で、時計は太陽に見えるんだけどよ」
 ああ、こんなときにも生真面目に悩むのですね。さくらは息をつき、苦笑する。こちらが身勝手に込めた思い、察せられなくて当然だ。それを半ばとはいえ自力で当ててくるのはかわいくないが置いておいて。
「黒は夜。赤き鳳凰、夜破りて空は明け、朝の日昇りゆく。すべて仙火をイメージして整えました」
 包装からすでに見立が始まっていたのか! 不知火の象徴が朝日であることは父母から教えられていたし、さくらもまた父母から伝えられてきたのだろう。ここまで考えてさくらが贈ってくれた“明ける日”。仙火のために考えて、考えて、考え抜いて――
「大事にする。でも、わかってるんだろうな?」
 仙火は箱へ戻した時計をそっとしまい込み、同じ程に気を遣いながらさくらの右手を取った。
「な」
 なにを? さくらの唇を指先で塞ぎ、仙火は低くささやきかけた。
「時計は贈った相手の時間を縛りたいって意味らしいぜ?」
 頬に朱を爆ぜさせるさくら。どうやら知らなかったようだが、だからといってここで止まれるものか。
「それに、大事にしたいのは時計だけじゃねえんだ。おまえの剣も」
 おまえも。唇の先で紡いだ仙火が、さくらをやわらかく引き寄せたそのとき。
「私はまだ、あなたと対せるほど心を結べていません」
 するりと仙火の腕を抜け出して、さくらは背中越しに言葉を投げる。
 今、穏やかなる濁流に飲まれてもいいと思いかけていた。それを止めたのは、先に仙火の母より投じられた言の葉だ。
 まず、彼女の前へ立つ。心結べるものや否やは、そのときにこそ知れるはず。
「じゃあ結べるまで待つ。……大事にするって言っちまったしな」
 言いながら仙火は両手をかるく挙げてみせた。これ以上、なにをしかけるつもりもないと示すがため。
「はい」
 それだけを言い残し、さくらは闇の奥へと姿を消した。
 桜の花弁さながら舞い散り、かき消える余韻に薄笑み、仙火もまた歩き出す。
 不知火の都合か。そりゃ俺にとっても難敵だ。

 ――夜は深く、明けるまでにはまだまだ時が必要なのだった。


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2020年11月16日

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