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『結び据える』
日暮 さくらla2809)&不知火 仙火la2785)&不知火 あけびla3449)&不知火 仙寿之介la3450

 今は晩秋。底冷える夜は長く、長く、長く。なかなかに明けてはくれなくて。
 それでもわずかずつ薄らぎゆく夜闇をじりじり見送りながら、日暮 さくら(la2809)は息を吐き、息を吸う。
 息を吸う間、人は動きを奪われる。動くことはすなわち、息を吐くことに等しいとも言えよう。だからこそ、兵法には気合を込めた呼気を吐く法がかならず伝えられているのだ。
 人を打つには相当の気合が必要。故に吼えよと教わりましたが……その気合を絞り出すばかりでなく、体を不自由なく動かすための法でもあるのですね。
 さくらは息を吐く度に踏み出そうと焦る足を留め、喉を突き上げる咆吼を飲み下して時を待ち続ける。
 技ばかりは少々磨けたものと自負していますけれど、この心体の未熟さは如何ともし難いもの。動くことを封じるだけで、これほどまでの不自由に陥るのですから。
 さくらの逸りはさくらばかりが負うべきもので、他者に押しつけていいものではありえない。しかしながら、「確かめたいこと」という未だなんの形も得ておらぬものを抱えていては、落ち着けるはずもない。だからこそ、焦れる。
 ただひとつ、こうして待つ中、頬の朱――数時間の昔、不知火 仙火(la2785)に差されたそれが綺麗に消え失せてくれることばかりはありがたいのだが。
 と、思い出せばまた頬に熱が点りかけ、さくらはあわてて頬を払って呼吸に集中した。

 かくてようようと夜は明け、彼女が居を借りる不知火邸にも朝が来る。
 道場へ朝稽古に向かう他の者と顔を合わせぬよう気をつけながら――特に、過ぎるほど彼女の気配に聡い仙火に注意を払って――さくらは不知火邸の台所へ向かった。


「あれ、稽古はどうしたの?」
 さくらの顔を見て目を丸くしたのは不知火家現当主、不知火 あけび(la3449)である。
 とはいえ和装に割烹着、しかも釜炊きの白米が移された櫃(ひつ)を抱えたその姿は古家の妻といった風情で、とても当主には見えない。……見た目だけの話ではあれども。
「朝は握り飯にするのでしょう? 私もコツを学びつつ手伝わせていただけたらと思い、推参しました」
 確かに不知火家は大所帯で、ほとんどの面子が顔をそろえる朝餉の準備は相当な修羅場となる。しかもその支度を一手に担うのがあけびなわけで、今このとき、彼女の1秒は千金の価値を持つと言っても過言ではなかろう。
 だがしかし。それをよく知るさくらが手伝うと言いつつ「推参」を謳う。
「今訊かなきゃいけない、ううん、むしろ言わなくちゃいけないことがあるってことだね」
 諸々を察したあけびが傾げた笑み。対してさくらは眉根を押し下げた。
「コツを学びたいのは本当です」
 んー。あけびはかわいらしく――実年齢を考えればかわいらしいのが恐ろしい――上目遣い、そして。
「さくらが本気で練習したいって思えば、ご飯の仕込みかたから炊きかたから全部教わりに来るはずだし。そもそも今朝、おにぎり作る気ぜんぜんなかったし?」
 さくらはぐう、息を詰める。
 逸ったばかりに理由づけが強引になってしまったのはこちらのせいだが、「いきなりそんなこと思うなんて、さくらも女の子だもんねー」とでも思ってくれればいいのに。
 あけびは本当に人が悪いです。
 不知火の息子はさくらの気配を読み、母親はさくらの本音を読む。どちらが嫌かといえば圧倒的に後者だが、これ以上落ち込むよりも話が早くてありがたいと思っておこう。
「おにぎりではなく、おむすびを拵えたいのです」
 これを聞いたあけびが笑みを深めるのを薄目で確認、さくらはこれ以上顰め面になってしまわぬよう、面に全力を込めた。
「はいはい。じゃあとりあえず、おむすび作ろっか」
「……ご指導、よろしくお願いいたします」

 おむすびは神の力を授かるための形代だ。故に三角を成した山型でなければならず、拵える者には相応の技量が要求される。
「お米を乗せた手は平ら、上からお米に被せた手の指はしっかり曲げて“角”を作る。あとは強すぎず弱すぎない力できゅっと結ぶんだよ」
 前半の説明の確かさに比べて後半のあいまいさが酷い。
 思わず噛み締めた奥歯からあわてて力を抜き、さくらは言われた通りに米を結んだ――のだが、縦の三角を保つことに集中すれば、抑えられておらぬ横側から米が崩れてきて、うまく結ばれてくれない。
「力が入りすぎているのはわかるのです。でも、力を抜けば綺麗に三角を作れませんし、入れすぎれば餅に近づいてしまいますし」
 つい漏らしてしまった弱音へ、あけびはうんうんとうなずいて。
「私も最初はそうだったよ。でもね、剣といっしょで、教わるだけじゃできないことはいっぱいあるの。教えっていう他人の言葉をどう再現できるかは結局、自分次第だからね」
 たとえ達人に学んだとて、達人の技をそのまま受け継ぐことなどできはしない。達人が技量ばかりか伝授の才に恵まれていたとて、結局のところ学ぶ者がそれを理解できるものかどうかにかかってくるのだ。
 それはさくらも十二分に思い知る道理である。
 天衣無縫と謳われる剣士、不知火 仙寿之介(la3450)の技。
 術数をも含めた虚の名手たるあけびの業(わざ)。
 さくらは今、そのふたつを実地で学んでいる。それがどれほど贅沢なことであるかは承知しているが、彼女の環境を羨む者にはけして理解できまい。見て学んでなお再現も体現もできぬ自身へ抱く失望は。
 それこそ私は、おむすびすら満足に結べないのですから。
 今日の米は粘り気が少なくさっぱりとした、どちらかといえば結びにくい米だ。胡麻油と鶏出汁で仕込んだ中国風茄子の煮浸しに合わせて選ばれた米であり、こちらの都合で結んでいるさくらに文句を言える義理などないわけだが……わかっていてなお、恨めしく思わずにいられなかった。
「いらいらしてるとおむすびに移るよ」
 言われてまた苛立ち、そんな自分へさらに苛立って、これではだめだと息を吹き抜く。

 本当に難しいものですね、おむすびは。
 そればかりではありません。もっと難しいのですから、人と人との間柄は。

 米を結ぶことで心を結ぶ。
 そうするために、さくらは台所へ来たのだ。それができなければ仙火の心になにを返すこともできないだろうと、そう思えばこそ。
 そして。彼女が誰より先に結んだ心を示さなければならぬ相手――あけびは、すべてを察していながらなにを言うこともなく待っている。すなわち、先日さくらに投げた問いへの回答を。
「私にこの苛立ちは消せません。心を据えきれず、結びきれない自分を赦すこともです」
 不格好な三角を口へ放り込み、さくらは苦いものを噛んでしまったかのように顔を顰めた。実際、こんな無様を演じた上に披露までしてしまう自身の不甲斐なさは、途方もなく苦くて苦くて苦くて。しかし。
「でも、この苛立ちこそが答なのですね」
 苦いほど、心は鮮明にひとつの思いを浮き彫っていく。
 さくらの強い声音に、あけびは間を置かず「なんの答?」、問いをかぶせた。まるでそう、火の勢いを弱めぬため木枝を放り込むように。
 さくらの言葉を止めぬための、あけびの心遣い。さくらは忌々しさとありがたさを半々に感じながら言葉を継いだ。
「舞台を降りる心づもりが私にあれば、苛立つこともありませんでした」
 だめだ。こんな回りくどい言い訳ではまるで足りない。逃げず、包み隠さず、言い切らなければ。胸中で思い終えた瞬間、さくらは今一度口を開いていた。
「戦います。不知火の都合とあけびの都合、そしてなによりも同じ都合を抱いた彼女と」
 新たな米を取りさくらは鋭く両手の内で回していく。
 果たして仕上がったものは、完璧にはほど遠いながらもしっかりと結ばれた……今のさくらが結び得る最高の“山”だった。
「そっか」
 あけびはうなずき、さくらがたった今拵えたおむすびを口へ運んだ。うーんまだまだ固いね、57点。気持ちの強さ分加点しても62点ってとこかな。私的には赤点だけど。
 合格点を決めるのは彼女ならず、仙火だ。それがわかっていればこそ、あけびは幾度もうなずき、さくらを急かす。
「稽古終わる頃だし、とにかくふたり分こさえちゃって。誰と誰に持ってくかはわかってるよね?」


 朝の食卓はいつになく静かであった。
 あけびが握り飯とおかずの包みを各人へ配り、「今朝は各自、好きな場所で済ませること!」と追い出したからだ。
「俺は好きな場所へ行かなくていいのか?」
 唯一追い出されなかった例外――あけびの夫であり、不知火の道場主である仙寿之介が妻へ訊いた。
「だってもう好きな場所にいるでしょ?」
 しれっとあけびが返せば、仙寿介もまた当然の顔で「違いない」とうなずいた。
「しかし、また揉めるな。あのときほどの騒ぎにはなるまいが」
 過去、あけびの婿取りで揉めに揉めた不知火家である。その原因である仙寿之介としてはさすがに気になるところだ。
 彼の思いを読んだあけびは顔を上げて。
「そういえば、仙寿はさくらが勝つと思うんだ?」
「正確には勝ってくれてもいい、だな。……あのときの俺を思い出せばこそ」
 不知火に限らず、古き家というものは血の継承を尊ぶものだ。それを乱す者、すなわち敵。その敵たる仙寿之介がこうしてあけびのとなりに収まっていられるのはすべて、傑物たる前当主の気配りと手配りがあってこそ。
「さくらが仙火のお嫁さんになったら、私も当主クビかなー」
 ただでさえ前当主すなわちあけびの祖父は高齢だ。彼が死ねば、その影響下でおとなしく控えていた者たちが一斉に蠢動を始めるだろう。ただでさえ不知火の土台下には揉め事の種が無数に埋まっていて、芽吹く機会を待ち受けている。
「そうなれば気ままに旅ができるな。このままこちらへ残るもよし、別の世界へ渡るもよし……いずれにせよ仙火とさくらの居場所は残していってやらねばならんが」
 あけびの結んだ飯を食らい、煮浸しをつまむ仙寿之介。
 どこへ行くにせよ、ふたりであるならばそれでいい。一族の先を見守るとの約定も反故となることだし、あけびの最期を看取った後にはそれこそ自らの命を断ち、次の世まで追いかけて行けばいい。
「旅はぜひ行きたいとこだけどね」
 仙寿之介の心情を知り尽くしたあけびである。再会は遠い未来であってほしいと思いつつ、すべてのしがらみを置き去ってふたりで行く何処かは魅力が過ぎて……ああ、もう。まだそうしていいときじゃないんだから。
「今日のお昼、なに食べたい?」
 問題を実に小さなものへとすりかえたあけびに、仙寿之介は生真面目な顔を向け、
「あけびの作ってくれる飯がいい」
 それってなんでもいいってことでしょ! でも、うーん、こういうとこほんとうまいんだよねうちのおまえさんは!
 仙寿之介がやり口を学んだ師――祖父の食えない笑顔が脳裏を駆け抜け、あけびは大きく息をついた。
「じゃあ鯖でも締めよっか。お酒飲みたくなりそうだけど」
「下ろすまでは俺が請け負おう」
 食器を洗うために重ね、台所へ運ぶ仙寿之介の背はいつも通りに飄々と広く、あけびはまた笑みをこぼす。
 当主がこんなこと思っちゃだめなんだけど……この人とふたりならどこへだって行けるし、どこででも生きて、死ねるから。


 笹葉の包みを手に、さくらは道場の濡れ縁へと向かう。
 今日のように晴れ、加えて依頼を入れておらぬ日には、朝稽古の後も思いつきを試していることが多いから、きっと――
「用事、済んだのか?」
 案の定、居た。稽古用の木刀を脇構え、前に置いた右足をずらしながら思案していた仙火が。
 稽古に寝坊したとは思わないのですね。妙に感動してしまったのは、すでに心が定まったからこそなのだろうか。
 逸らぬよう、己を据えておかなければなりません。私にはまだ、浮き立っていい権利も資格もありはしないのですから。
 なんとかすました顔を保ち、さくらは包みを仙火へ差し出した。
「無理を言って練習させてもらったのです。今日、どうしてもこのおむすびを拵えたくて」
 包みを受け取りかけた仙火の指が一度止まる。さくらの指を伝い、強い気が迫りきたように感じられたからだ。
 なんだよ、やけに押し出しが強くねえか?
 首を傾げつつ受け取った包みが思いのほか重くて、仙火はまた動きを止めた。いや大丈夫。前みてえな餅じゃねえはず。でもなんだろうなこの感じ。
「わざわざ悪いな」
 密かにあけびから連絡を受けたらしい仙寿之介から、稽古の途中で今朝の飯は各自勝手にとれと告げられた。
 とは言いつつ、他の面々には飯が配られたらしいのに、なぜか自分と幼なじみのふたりにだけはそれがなくて……まあ、仙火としては思い立った構えを試す時間ができたので、それはそれでよかったわけだが。
「やっぱ腹は減るもんだしな」
 独り言ちて包みを開き、三角に結ばれた飯へかじりついた。歯触りが固く、そして詰められた飯の量が多くて重い。
 料理自体はそこそこ腕を上げているさくらだが、おむすびだけはなかなか上達しない。おむすびの謂れと、そこへ込めた思いを意識しすぎているせいなのだろう。生真面目にも程があるというものだが、しかし。
 それだからこそ、いい。
 このおむすびはさくらの思いの現われである。彼女がより多くの思いを詰め込んでしまうからこその固さと重さは、仙火にとってなにより好ましいものだから。
 あたたかな表情で米を食む仙火の様子に得体の知れぬ気恥ずかしさを感じ、さくらは言の葉を繰り出した。
「仙火はなにを試していたのです?」
「ん? ああ、抜いた後も騙せねえかと思ってな」
 まるで足りぬ説明ながら、言いたいことは察せられる。刀は鞘に納めていてこそ、「抜くや抜かぬや」の選択肢を敵へ突きつけ、惑わすことができるものだ。それを抜いた後も常に相手へ強いることができるなら、彼の剣は今以上に濁りを深められよう。
「新たな濁りようを試していたことはわかりました。でも仙火はもう少し、言の葉を尽くすことを憶えるべきかと思いますよ」
 一応の苦言を呈したさくらへ仙火はさらりと応えた。
「おまえにだけ伝わればいい」
 濁流剣の対となる清流剣の遣い手たるさくら。剣の相方である彼女に伝わるなら不都合はない。確かに、敵となりうる他の者においそれと知られるようでは困るのだが、しかし。
「脇構えでは隙が大きすぎます。剣を清ましている間は仙火の濁りに隠れるよりないのですから。その点を考慮してくれなければ困ります」
 ん? さくらの言葉に仙火は眉根を上げた。
 俺がひとりで試してた技に、なんでさくらが入ってくる?
「もうひとつ届け物をしたら戻ります。そうしたら互いを生かせる型を思案しましょう」
 あなたの時を縛るつもりはありませんが、同じ時の中にありたいのです。相方として、相方以上として。
 ここではっきりと意ってしまえたなら、どれほど楽になるだろう。
 だが、己の楽を赦せる性(さが)ではありえぬことは、だろうどころかはっきり言い切れる。
 なんとも言い難い表情の仙火を残し、さくらはその場から駆け出した。

 また置いてかれちまった。
 仙火は頭を掻き、息をつく。
 父を見倣い、素直に伝えたつもりなのだが……やはり練度が足りていないということか。
 なんにせよ、俺はもう、俺の時間をおまえに預けちまったんだ。あとは引導渡してくれるまで待つしかねえよな。
 かくて彼はおむすびを日にかざす。そうすれば詰められたさくらの思いが透かし見えるのではないかと、そんなことを思いながら、


 さくらは心と息を整え、ドアをノックした。
 ここは仙火が不知火の次期当主となったとき実務を担うこととなろう補佐役であり、さくらの友であり、今は敵(かたき)でもある女子の私室だ。
「朝餉を届けに来ました。身勝手なことを語るついでにですが」
 前置いて、さくらは扉に背をつけた“彼女”の気配へあらためて語りかけた。
「私と立ち合ってください。了承してくれるなら、時と場所の指定はあなたに委ねます」
 時ばかりか場所の選別までを委ねる。いくら突然の申し出とはいえ、どれほどの不利を負わされるか知れぬ条件を差し出すのは埒外であろう。普通ならば互いにどちらかを指定することで折り合うものなのだから。
 しかし、さくらのたったそれだけの言葉から、彼女はすべてを悟った。
 さくらは自分のすべてを踏み越えていくつもりなのだと。
 そして、そこまでのことをして得たいものとはつまり――
「仙火のとなりに添いたい。仙火をとなりに添わせたい。私がそれを自分へ、そして仙火へ切り出せるだけのものなのか、あなたという無二の存在をもって計りたいのです」
 扉越し、さくらの万感が押し迫る。
 立場は複雑ながら、互いに友として認め合えるまでになっていた。鈍い仙火は知らぬだろうが、恋の敵として競り合う間柄にも。
 結局は両者共、現状の心地よさに流されてここまで来た。ここからしばらくは変わることなくそのままにと、彼女は心のどこかで思い込みたがっていたのだ。
「この先は立ち合いの場で」
 踵を返すさくらは確信していた。
 彼女は立ち合いを受ける。
 この先、仙火と共に行く数十年をさくらへ渡さぬがために。


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2020年11月18日

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