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『これが稚気と知ればこそ』
LUCKla3613

 LUCK(la3613)はすっかり行きつけとなった喫茶店へ入るやいなや鼻先を上げ、香という不可視の糸を辿って奥へ。
「今日のはどうだった?」
 言いながら席へ座し、コーヒーゼリーを注文する。特に甘味を好む質ではないが、この店のゼリーはそれ用に調合されたブレンド豆を使っていて舌と共に鼻をも楽しませてくれるし、なによりこの尖った心を鎮めるにはわかりやすい糖質が要る。
「主役のレベルが悪い意味で脇と釣り合ってませんでした。っていうか、猛ってますねー。なんです? どっかの天然さんが知らない内に若い子誑かしたりしました?」
 地味な映画館賞用依代(眼鏡仕様)に宿ったイシュキミリ(lz0104)が冗談めかして問いかける。
 本質たる黄金とは異なり、比重が軽い鉱石でしつらえた依代はいろいろと“軽い”。つい先日「悪戯はそれこそ性に合わぬ」と言ったはずなのにだ。
「おまえが俺を話のタネに使ってくれるのはうれしいが、本気でそんな男だと思っているなら時間をかけ、俺の本質を理解してもらわなければ」
「被り物なしでそういうこといいますか……なんか、成長してますよね」
「いい意味でな」
 げんなりするイシュキミリへ笑みを送り、LUCKは運ばれてきたゼリーにたっぷりとクロテッドクリームを乗せ、口へ運んだ。
 フランス産のカソナードが程よく効いたゼリーはそのままでも十二分にうまいが、濃厚でありながら儚く口溶けるクリームと合わせることで絶品となる。
 ようやくLUCKの顔が落ち着いたのを見計らい、イシュキミリはチャーチワーデンから唇を離した。
「で、ラクさんの“今日の”はどうでした?」
「最悪だ」
 瞬時に険しい顔へと戻りかけて、LUCKは頭を左右に振る。イシュキミリにまるで関係ない憤りに彼女を巻き込んではいけない。が、それにしてもだ。
「0か100しかないのか、あいつらは。時に思い切った選択が必要なことは理解しているが、だからといって得にもならん極端に過ぎる選択肢を選ぶとはな」
 食料に過ぎなかったはずの人類が見せたあがき。それはやがて抵抗となり、さらに今、猛攻と化してナイトメアを侵しつつある。
 無論、ナイトメアとてそれを眺めてはいなかった。高位個体であるエルゴマンサーを軸に各地で作戦を展開し、ついに己と人類との命運をかけた決戦へと乗り出したのだ。
「負けが込んできた偉い人たちって、一気に戦局引っ繰り返さなきゃって思うんですよ。あれこれしかけてる余裕がないんでいちばん簡単な手で」
 イシュキミリの合いの手にうなずき、LUCKはまたげんなりと言葉を継ぐ。
「ずいぶんと殺した。小隊に加わってくれた連中を守るため、その後方で人々が営むいつも通りの日常を守るために」
 言い募りながらLUCKは悟っている。ああ、俺は甘えているな。慰められるか叱られるか、とにかくおまえにかまってほしくてこんなことを言い続けている。
「まったく、胃が痛む。いや、機械の胃だし、実際痛むわけではないんだが……換装したところで止まないんだろうな、これは」
「隊長さんのご苦労、うちにはよくわかんないですけど」
 慰めも叱りもせずに突き放し、イシュキミリはベロニカを味わう。いや、一応はLUCKにアイスコーヒーを頼んでくれたので気づかってくれているように思うが、同じベロニカを飲ませたくなくて先回りして押しつけただけなのかもしれない。
 と、実に小さなことで大いに悩むLUCKへため息をついてみせ、
「胃痛なんてもうじき収まりますよ。ぶっちゃけた話、この決戦は人類の勝ちです。ナイトメアは肚据えるのが遅すぎました」
 苦笑交じりの言葉に、LUCKはつい問いかけてしまった。
「そう言い切って問題ないのか? いや、おまえがエルゴマンサーとして過ぎるほど異質なのは承知している。フェアを保つためならこちらにつくこともためらわんだろう」
「さすがに裏切りませんよー。まあ、アドバイスとかはしますけど」
 イシュキミリは眼鏡の奥の目を細め、言葉を継いだ。
「うちは今回、ナイトメアとうまく縁が結びきれませんでした。そのおかげでかなり自由に動けましたし、そのせいで世界との縁が切れかかってる感じですけど」
 何気ない彼女の言葉に虚を突かれた。
 イシュキミリはエルゴマンサーだ。なのに決戦へまるで関わらず、ここでコーヒーをすすっているのは、そう。彼女がなにより尊ぶ縁を、ナイトメアと結べていなかったからか。
 しかし、そうなれば当然……どこにも縛られていない彼女は風船のごとくに飛んでいってしまうということだ。
「とりあえず呼ばれそうな世界があるんで、ぼちぼち動く準備ですね。この喫茶店、どこの世界にもあるんでありがたいとこですよー」
 そう言われてようやく思い出す。以前、緩徐は今使っている型ではない依代に宿り、この街にいた。それは因縁を残さぬため、この世界で繋いだ縁を解くためではないのか。
 ――どれほど細い縁であれ、打ち捨てて行けんのは実におまえらしいがな。
 そこそこ意識的にイシュキミリと他者の縁を自分とのそれより細いものだと決めつけて、ひとり納得するLUCKである。
「なんです? 今日はとっくに気味悪いですけど、今最高に気味悪いですよ?」
 イシュキミリの言葉でとりあえず我を取り戻し、LUCKは顔を上げた。
「いや、おまえがどこへ飛んでいくのかは知らんが、思うより高くは飛べんだろうと思ってな」
 気味が悪いのを通り越して気持ち悪くさせてしまうかもしれないが、だからといって弁えてなどやるものか。以前、真面目というより子どもっぽいと言われたこともあるし、ここはひとつ、大人げを放り棄てて言い切らせてもらう。
「おまえが縁を結んだ俺は相当に重いぞ? それをぶら下げていくんだ。この世界をうまく離れられても、目ざす先まで行き着けるかどうか怪しいところだ」
 そう、途中で別の世界へ墜落することすらあるかもしれない。
 そうなれば敵も味方もあるまい。そこにはただのLUCKとイシュキミリが在るだけのこと。
 いや、ふたりきりではなく、もしかすればあとふたり追加になるかもしれんが。そうなればますます重さで墜落しそうだな。
 これがただの甘い夢であることは承知している。
 しかし、願うことをやめるつもりはない。大人に赦されぬことであれ、子どもならば赦される。ならば一生、子どものままでいればいい。
「其の時来たらずば其の時の物事は知れぬものなれど」
 ふと、黄金の有り様を取り戻すイシュキミリ。低く声音を紡ぎ、紫煙を吹いて、ぽつり。
「あわれよな」
 LUCKの願いをあわれ――趣深いと彼女は言った。
 胸から絞り出された甘やかな衝動に突き上げられるまま、LUCKはイシュキミリの手を取った。
「アヒ・デ・ガジーナを仕込んである。ここまで出てきたついでに味を見ていかないか」
 様々な感情と感傷と感慨が入り乱れた末、LUCKの内でひとつの寂寥を成す。今日はこのまま別れたくない。
「とんだ稚気よな」
 息をついたイシュキミリは手を取らせたまま立ち上がり、促した。
「案内(あない)を」

 手をしっかりと取ったまま、LUCKはイシュキミリを連れて家へ向かう。
 気になる女を呼ぶどころか連れ帰る……俺はとんでもないことをやからしていないか?
 少々斜め上へとずれた疑問を浮かべながら、一歩ずつ。


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2020年11月19日

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