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『清ませ断つ』
日暮 さくらla2809)&不知火 仙火la2785)&不知火 楓la2790

 日暮 さくら(la2809)が不知火 楓(la2790)の私室を訪れた翌日。
 楓よりさくらの申し出を受けるとの旨を記した手紙と、おそろしく綺麗なおむすびが届けられた。
 結ばれた三角はすべての面が均一で、口に入れれば程よい噛み応えを与えてほろりと崩れる。しかもその米はさくらが使ったのと同じ、さらりと粘り気のないあの米で。
 普通に考えるなら、技量の差を突きつけわずかにでも敵の意気を損ねようという術数であろう。しかし、そうではないことをさくらは悟っていた。
 ここまで手を尽くした最高のものを食べさせたい相手がいる。だからこそ、受けてくれましたか。
 今日、さくらは背を預け合う友たる楓と立ち合う――不知火 仙火(la2785)という男のとなりに立つがため、越えねばならぬ敵(かたき)と。

 時刻は正午。場所は不知火家から遠く離れたとある野。
「不知火紫藤流薙刀術極伝、不知火 楓」
 藤の紫花を冠した流派名を楓は名乗り。
「我流、日暮 さくら」
 父の技と母の業、学んだ両者を併せて成したが故の我流をさくらは名乗る。
 互いに武芸者であると同時、忍。たった今口にした言の葉がどれほど実であり、虚であるものかは知れない。否、それをより読み切った者が初手を制することとなろう。
 と。
 読み合う間を置かず、さくらが踏み出した。ごく無造作にブーツの踵で地を踏んで。
 誘われてる。楓は奥歯を噛み締め、釣られて踏み出しかけた足を留めた。
 力めば体は硬直し、動きを奪われる。しかし、さくらの踏み込みが爪先ではなく踵である以上、抜刀を為すにはもう一歩、爪先で踏み込む必要がある。つまりさくらは、こちらに踏み出させたいわけだ。
 名乗り通りに楓の得物は薙刀で、その間合は刃渡りの短い守護刀「寥」より遙かに広い。懐へ引き込み、薙刀の間合を潰しに来るのは当然。
 と、思わせたいんだろうけど。
 楓は踏みとどまった反動を腕へ流し、薙刀「凛月」の尖先を地に擦るほど低く薙いだ。対剣士戦で絶大な効力を発揮する脛斬りである。
 釣られてくれないどころか釣り返してきますか。
 さくらは踏み出した右足をそのまま軸足に変え、左足で凛月を蹴り払った。楓はまちがいなく、彼女がこうすることも織り込んでいる。が、楓が隠し持っている手を晒させるには釣られるよりなかったのだ。

 蹴り退けられた凛月はそのまま地へ落ち、深々と刃を埋めた。刃がそれだけの鋭さを持てばこそだが、このときに限っては偶然や必然の結果ではない。
 楓がかき消えた。
 いや、半眼にて場を広く見ていたさくらは捉えている。上だ。
 つまるところ棒高跳び。楓は地に打ち込んだ凛月を支えに跳んだのだ。寥の届かぬ間合を得るがために。
「っ!」
 さくらは瞬時に腰を据える。追って跳ぶには体を沈め、弾みをつけなければならない。その硬直、楓が見逃してくれるものか。
 ようやく気づかされた。ここまでの展開はすべて、さくらのすさまじい身体能力と体術を抑え、先手を取るがための「詰め将棋」だったのだと。
 楓がどれだけの手を尽くしたものかは知れませんが、30秒で降参するつもりはないのですよ!
 果たして降り落ちる楓の突き。わずかに反った尖先は直ぐならぬ軌道を描き、さくらを周囲の空間ごと抉り穿つ。
 対してさくらは、未だ鞘を着込んだ寥をもって弾いた。が、弾いたはずの尖先はすでに彼女の眼前にまで迫り、逃がしてはくれない。
 詰めた息を吐き出したくて、この無間の地獄から逃れ出たくて。だからこそさくらは深く腰を据え、最少の挙動で払い続ける。動くのではなく動かされたのでは、次手もまた取られてしまう。それにだ。
 楓の攻めが上と下とに絞ったものであればこそ、知れる。彼女の技が仙火の死角を埋めるためのものであることは。
 濁支える濁。対ではなく、あくまで仙火の技を縁取るに徹した志。それを今、さくらは突きつけられている。
 だとすれば、半歩たりとも退きません!

 噴き上がるさくらの闘気に炙られ、楓はかすかに眉根を顰めた。
 できればきみが心を清ませる前に勝負をつけたかったんだけどね。
 虫のいい願いであることは自覚している。しかしさくらは敵である前に友。互いに傷つけ合う時を長引かせたくはなかった。
 ちがう。嘘じゃないけど、でも。結局は不知火の都合にくるんだ僕の都合だ。
 不知火の方々から、さくらを仙火に添わせるなと命じられている。現当主の身勝手が祟り、ただでさえ不知火の血は大きく損なわれた。前当主の取りなしがなければとうに家は割れていたのだ。彼らの不満を抑え、妥協を引き出すには、次代の実務を担う楓が仙火と添うよりない。
 そして。
 そう認められるがためだけに、楓は己を尽くしてきた。仙火のとなりに並び立つ日を思い描き、不知火の影で生涯語ることの赦されぬ暗闘を勝ち抜いてきたのだ。
 しかし、そこへ突如現われたさくらという少女は、なんの悪気もなくすべてを打ち壊そうとしていた。
 きみが40年後に現われてくれていたら――僕よりずっと長く生きなければならない仙火を支えてほしい。そう言えたはずなのにね。どうして同じこのときに、僕ときみは出会ってしまったんだろう?
 答などないことはわかっている。それでも、悔やまずにいられなかった。かけがえない友を敵として対さなければならぬことを。それ以上に己の幸いがため、さくらを陥れなければならぬことを。
 連突きの中で失いゆく高度を測りながら、楓は凛月を手放した。

 突きを払ったさくらの手が泳ぐ。払う寸前、楓に凛月を手放されたせいで。
 突きという一手を重ねられる内、さくらはいつしか弾くことに囚われていて、それを逆手に取られてしまった。
 虚に実を紛れさせるのではなく、虚の先に虚を重ねる……これが楓の濁りですか。
 仙火の濁りが雪崩とすれば、楓の濁りは雪崩を取り巻く霞。掴みどころなくいつしか敵を押し包む。
 さくらを制して地へ降り立ったと同時、楓は書を繰(く)った。悲哀を綴る一曲が記された未完の総譜を。あふれ出たやわらかな旋律が描いたものは、彼女自身が術式を整え、再現した因陀羅の矢。
 奪わせてもらうよ、きみの冴えを。
 天より降り落ちた雷の豪雨がさくらを撃ち据える――

 楓の総譜が突き上げられ、視界を塞いだ。
 見るまでもない。たった今、寥の柄頭が書を突いたのだ。あの雨雷の狭間をすり抜け肉迫したさくらの繰り出した一手が。
 上!
 背より倒れ込みながら見上げた空を断ち割り、寥の刃降り落ちる。必死で両腕を掲げて斬撃を抑えたが、突き飛ばされる形で地へ叩きつけられた。
「ぐ、ぅっ!」
 衝撃と激痛で抜けた息を取り戻すため、楓は必死で地を転がった。

 それをさくらは追わない。彼女もまた、息を吸う必要があったからだ。携えた二丁拳銃を抜けば追い撃つことも容易かっただろうが、しかし。
 私は証明しなければなりません。仙火の対の剣であることをあなたと、この私自身に。
 楓が立ち上がり、総譜を取り戻す様を見届けて。さくらは正眼に寥を構えて踏み出した。
 その彼女へ、再び因陀羅の矢が降り注ぐ。
 立つ位置も行く先も、退く先をも塞がれながら、さくらは歩を乱さず、進む。まるで雷が彼女を避けているかのように見えるのは、限りなく清んださくらの体捌きと足捌きが雷の迅さを凌げばこそ。
 いや、それすら正しくはないのだろう。さくらはすでになにを見ても聞いてもおらず、感じてすらいないのだから。ただ為すべきを為し、在るように在る。ただそれだけのものと成り仰せていて。
 先と同様に返した寥の峰が、いっそゆるやかに楓を打つ。
 これこそが清剣。
 今このときのさくらを尽くした果てに成る、空(くう)なる一閃。

 楓は荒い息を噛み殺して跳びすさり、凛月を脇に構え直した。
 咄嗟に左腕を守りへ回していなければ、それすら果たせなかったはずだ。
 わかっているさ。技ではきみの足下にも及ばない。
 でも。
 肉を断とうが骨を砕こうが、僕の心は折れないよ。

 峰打ちとはいえ清剣をまともに受けたのだ。楓の左腕が無事を保っているはずはない。凛月を脇構えにしているのは、折れた左腕を持ち上げられぬからだ。
 その心の強かさ、弱い私は羨むよりありません。
 でも。
 なによりも強く気高いあなたの心、私の技で断ってみせます。

 さくらは繰り出された楓の尖先を受け、押し戻した。
 ただそれだけで楓の息が詰まり、刃は力なく戻りゆくが、けして深追いはしない。ただあがくばかりであるならば、楓の目があれほど燃え立つはずはないからだ。
 まるで揺らがぬさくらを見やり、楓は胸中で苦笑する。
 まったく、少しは油断してくれてもいいのに。でも、しかたないか。きみは本当にまっすぐ、一途な人だから。小狡い僕へ真っ向から最高の一打をくれるくらいに。
 楓は自らの呼気を追って踏み込んだ。全力で深く。薙刀の間合を踏み込え、さくらの懐にまで。
 そして凛月の柄を立て、さくらを押し込んだ楓がその身を反転させ――その脇から双銃「八峰金華」が突き出された。胸を抱える形で脇に挟みつけた銃である。これならば使えぬはずの左手もまた、トリガーを引き絞ることができる。
 ゼロ距離から連撃された弾がさくらの体を叩き、突き退ける。弱装弾とはいえこの距離だ。衝撃は通常弾と変わらない。
 回避かなわず撃たれるよりないさくらは、してやられた苦みと共に得も言われぬ喜びを噛み締めた。薙刀の間合を自分から潰して虚を突くなど、私では思いつけもしないでしょう。
 あなたが友であることがうれしい。
 あなたの敵であることがうれしい。
 私という剣をこれほどまでに尽くせるのはあなただからこそ――!
 息を吹き抜くことで身に押し詰まった力を抜き、さくらは撃たれた肩ごと身を巡らせる。背を楓の背に預け、それを支えに前へと倒れ込んだ。
 さくらが始める。それを察していながら、楓は振り向けない。押さえられた背に力が入り、その身を縫い止めていたからだ。さくらの背を受けたのが胸であったなら十全に捌けただろうが、寸毫の虚を突き合う立ち合いにおいて、たらればは語れない。
 それでも強引に我が身を振り向けたのは、まさに据えた心の強さあってこそだろう。
 一方、さくらは倒れ込みながらさらに身を巡らせる。そして真横を向いた瞬間、投げ出していた右の爪先で地を躙り、一気に反転。振り向いた楓と向き合った。
 しかしこのとき、楓よりも遙かに強引な挙動を為したさくらの体勢は未だ整ってはいない。
 その間に体に力を込め、楓はさくらの斬撃を待ち受ける。彼女にしても体勢は不十分で、回避は不可能だ。それでも耐えるだけなら――相討ちに持ち込むだけなら――できるできないじゃない、やってみせる!
 果たして。思い定めた楓の身に、さくらの刃は届かなかった。
 それどころか寥の刃が見えない。さくらの裏に隠され、今どこにあるものかもわからなくて。
 楓の気が乱れ、張り詰めていた力がかすかに緩んだ。
 それを意識することなく、さくらは脇に構えた寥を柄頭から突き上げる。空を穿つ柄頭から刃がほろりと開いて伸び出して。
 吸い込まれるように楓の胸を打ち抜き、なお天まで駆け昇った。
 息を奪われた楓は遅れて届いた痛みを抱え、真下へ崩れ落ちる。
 彼女は知らない。自らを打った一条が、先に仙火が思案し、そこにさくらが加わって練り上げた濁剣の応用であることを。
 スキルによらず、ただ清ませた剣を極限まで己が体をもって隠して溜め、敵の虚を突くというだけの剣。しかしながらそれを打つには敵をいかに崩し、平常心を損ねさせるかが重要となる。彼女は意識せずに為したものだが、それは剣士の技ならぬ忍の業であった。

 ああ、悔しいな。
 それはそうだよね。狡さしかない僕が虚を突かれたんだから。
 いい気分でもないけど、悪い気分じゃないんだ――って、だめだね。結局僕の心は僕が願うほど強くないらしい。わめき散らしてかじりついてまで仙火を欲しがれない。大切なきみとこれ以上、闘えない。
 心は正直ぐちゃぐちゃだけど、これだけは約束するよ。
 この先きみを恨むことだけはしない。そうできることは僕にとって、なにより幸いなことだよ。

 清ませた心が我を取り戻せば、体のいたる箇所から悲鳴があがる。
 さくらは楓の前に片膝をつき、息を吐き出そうとしたが……呼気が震え、喉に詰まってうまく出て行ってはくれなかった。
 この有様では、楓の次の手には対処できません。楓がその気なら、ですけれど。
 結局のところ、私は救われたのですね。敵となってなお私を気づかってくれる楓のやさしさに。だから――
「私は行きます」
 力の入らぬ体を無理矢理に引き起こし、さくらは歩き出した。
 この立ち合いの決着をつけるために。


 不知火邸の道場で、仙火はひとり木刀を振るっていた。
 意を決して出て行ったさくらと楓の背を見送った後、ひとときも休まずにだ。
 自分の恋路がため、ふたりの女に決意を強いたことはわかっている。自分の想いが叶うなら、それは不知火の家を大渦に沈めることとなることも。
 しかし。それをしてなお自分は望んだのだ。ならばどのような結末を迎えようと、真っ向から受け止め、対するよりない。
 心を決めた彼はゆっくりと振り向き、告げた。
「……俺は俺の気持ちを引っ込めるつもりはねえぜ。おまえはどうなんだ、さくら?」
「今日だけは気づかないふりをしてほしかったのですが、仙火にそのような心遣いを願うのは無理筋というものでしたね」
 息をついたさくらの言葉は厳しかったが、声音は強ばりなくやわらかい。
「ひとつだけ、訊きたいことがあります」
 仙火がうなずいたことを確かめ、彼女は言葉を継いだ。
「私のために不知火を捨ててくれますか」
 唐突に切り出された仙火だが、表情を動かすことはしない。ただ、低く平らかに、問いを返す。
「俺がそうしたら、おまえはどうするんだ?」
「日暮を捨てます」
 さらりと返された言葉に、仙火はやはりさらりと返した。
「いいぜ。じゃあふたりで捨てていくか」
 仙火の胸にそっと額をつけ、さくらは祈るように応える。
「あなたの生涯に添い続けられぬ短命の身ではありますが、私の生終わるそのときまで、あなたの時をもらい受けます。お覚悟を」
 やわらかいのに固い物言いへ仙火は苦笑を漏らし、さくらの震える肩を抱きしめた。
「承知した。出し惜しまねえから持ってけるだけ持ってけ」
 さくらは寄せ来る眠気に抗い、笑んだ。
「はい。これであなたに家を捨てさせずに済むよう尽力できます……」
 眠りに落ちたさくらを軽々と抱え上げ、仙火は彼女らしい生真面目さにまた苦笑する。
 俺の先は任せた。代わりに俺は、おまえが家を捨てなくていいよう力を尽くすさ。
 過ぎゆく秋を映す空を見上げ、仙火は強く心を結ぶ。


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2020年11月20日

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