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『明日の背』
野月 桔梗la0096

 予感していなかったと言えば嘘になる。
 この頃、ふと夜の最中(さなか)に目が醒めることが増えていた。
 いや、幼少期より戦士として育てられ、とある令嬢のボディガードとして奮迅してきた身の上だ。誰かが一定の間合内へ入れば自動で目を醒ますよう訓練しているのだが、しかし。彼女を揺り起こすこの賑やかな気配は、外ではなく内から発しているようで――
 それに、プロフェッショナルの常としてけして口にも態度にも出さずにいたが、勤務の中でやけに体が重く感じられることが増えてもいた。まるでそう、無意識の内に自身の挙動を制限しているかのごとく。
 そうなればもう、思いつくことはひとつしかなくて。
 だからこそ彼女は朝を待ち、令嬢や部下はもちろん、二世を契った夫にすら告げず、慎重に慎重を重ねて車を走らせて医院へ向かった。
 果たして。
「やはりそうですか」
 ビッグママもとい恰幅のいい産婦人科医より告げられた事実に彼女はうなずき、未だ膨れておらぬ腹へそっと掌を添えたのだ。
 野月 桔梗(la0096)、懐妊。
 それは彼女にとって人生最大の転機であった。

 さて、次は自身の現状を周囲の人たちへ伝えるターン。
 こうした報告は伝える順序が重要だ。義と情を尊ぶなら真っ先に令嬢へ告げるべきだろうが、夫への仁愛を裏切りたくない。それに、令嬢の警備を共に担い、それこそ苦楽を分かち合ってきた部下たちの絆もまた大切で。
 そこで桔梗は夕食の場へ全員を招き、令嬢と部下たちが見守る前で夫へ告げたのだ。そして。
「まだ妊娠の初期段階で、エコーでも正確に把握はできなかったのですが……おそらくは双子か三つ子、いえ、それ以上かと思います」
 授かる子の数は血筋が大きく作用するものらしい。双子やそれ以上の数を授かる女性は、そもそも先祖からして多産であることが多いのだ。それを確かめられる母と父はすでに亡(な)いが、せめて思いを天へと送る。あなたたちの娘はここまで生き抜いて、ついに母となれましたよ。
 感慨を噛み締める彼女だが、周りはそれどころではなかった。
 喜び滾らせつつも桔梗へ飛びつくわけにはいかず、とりあえず互いをつかみ合って揺さぶる部下たち。
 その横で冷静な顔をしているように見えて、スマホから嬰児100人は賄えるだろうベビー用品を注文しようとしている令嬢。
 桔梗の肩をやさしく抱き寄せ、幾度となくありがとう、これからは自分が桔梗を守るからと告げる夫。
 そんな彼の後ろから顔を出し、部下たちは言うのだ。令嬢と桔梗は自分たちが守ってみせると。令嬢もまたやさしくうなずき、兄を押し退けにかかる。桔梗の世話は同じ女である自分が指揮する。しかし、夫がそれを認めるはずはなくて。
 ――誰もが新しい命の点灯を喜び、その降臨を待ち望んでくれている。
 桔梗は夫の腕の中で静かに目を閉じ、思うのだ。
 あなたたちを絶対に会わせてあげますからね、桔梗をこんなに愛してくれて、桔梗がこんなに愛している人たちへ。
 しかしその甘やかな思いの裏に、たまらない不安が沸き立ってもいた。
 誰かを守るばかりの人生を歩んできた桔梗が、今日このときから守られる者になって、真っ当に生きていけるのでしょうか?

 彼女がとまどい、迷う間にも腹に収まった子は育ち、七つ子であることが知れた。
 ひとりでも7人でも流産のリスクは変わらないのかもしれない。しかし夫や令嬢はことさらに桔梗を案じ、休日を返上して当番制を整えた部下たちは、鉄壁のサポート体制をもって彼女を守るが、しかし。
 その限りない愛情の中で、桔梗は冷たい恐怖に耐え続けていた。
 腹が大きくなるほど、彼女の動きは鈍っていく。一歩で越えられた距離に二歩をかけなければならなくなり、段を飛ばして2秒で駆け上れていたはずの階段も、部下の手を借りてなお3分をかけなければならなくなっていて。
 それは当然のことなのだとわかっている。
 今の彼女は、7つ子ごと自身を収めるためのオーダーメイド・マタニティドレスでなければまとえなくなっていた。
 いや、今も医師の指導を受けつつのトレーニングは行っている。ゆっくりと歩き、筋肉を鍛え、あくまでも妊婦としての範囲内でではあるが、職務復帰を見据えての努力は怠っていないのだ。
 でも。
 この子たちを無事に生み落とせたとして。桔梗は本当にまた、お仕着せのスーツを着ることができるのでしょうか?
 守られなければ歩くことすらおぼつかない、自分の重さに苛立つ。
 気がつけばすでに外して久しいホルスターへ手を伸ばしている、自分のいじましさが疎ましい。
 こんなに重くさえなければ、こんなに鈍ってさえいなければ、守る者でいられたはずなのに。守られなければ生きることすらままならない代物と成り果てることなく――
 鏡に映る、重く鈍った自分へ鋭い悪態を桔梗が放ちかけた、そのとき。
 腹の奥から、とん。ノックするような音がして、すぐにとんととん、とんとん。そこから少し遅れて、とん。
 7つのノックは子らのサイン。同じ腹に収まっていながらも、それぞれに性格はちがうらしい。
 思わず笑んでしまった桔梗は身をかがめて両手を伸べ、腹を抱え込んだ。
 なにを勘違いしていたのでしょうね、桔梗は。
 この子たちを守れるのは他の誰でもない、桔梗ではありませんか。
 ええ。たとえ誰が肩代わりしようと申し出たとて渡しはしませんとも。あななたちのただひとりの母がかならず、あなたたちが踏み出していくそのときまで守り抜きます。

 そのときから桔梗は変わった。
 いや、変わったわけではないだろう。それまでと同じように重く、鈍い体を引きずりながら世話を受け続けているのだから。
 しかし、その心に不安はなかった。たとえ守られる身の上となってはいても、守る者としての矜持はこれまで以上に燃え立ち、彼女の背を直ぐに伸ばしていて。
 努めて背筋の強化に勤しむ彼女は、なぜそれをするのかと問うた夫へ応えたものだ。
「人の前面を支えるものは背面ですから。7人を抱えた桔梗は誰より強い背を備えていなければなりません」
 子らの宿る腹を支えた背はやがて、生まれ来た子らを負い、かばう盾となろう。
 だからこそ彼女は妥協しない。
 明日はすぐにやってくる。そして7つ子と過ごす今日はあっという間に過ぎ去って、未来へまで行き着くのだろう。気を抜いていられる時間など、1秒だってありはしないのだ。
「それに、守り慈しむ子が7人だけだとは限りませんし?」
 正しく意味を理解した夫は朱の差した顔をうなずかせ、桔梗に並んでトレーニングを開始する。彼女と子らを守るのは自分なのだからと意気込んで。
 そういえば。今なかなか会えずにいる令嬢は、自身の事業の拡大に奔走している。最高にかっこいい叔母となって甥や姪に尊敬されるのだと言い切る彼女、兄へ燃やすライバル心は相当のものだ。加えて、すでに元がつく部下たちもまた、誰が7つ子の誰を担当するかで揉めているようだし。

 桔梗は目を閉ざす。暗闇はもう怖くない。たとえ見えずとも、傍らには自分を守ってくれる皆がいてくれると知っているから。
 賑やかなノック響く体をゆっくり巡らせ、再び目を開いた桔梗は世界へと笑みかけた。
 どうぞ、桔梗と桔梗の大切な人たちが愛するこの子たちをあたたかく迎えてくださいますように。


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2020年11月24日

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